芽衣里があれ? と思ったのは、車が高速に入った辺りからだった。

「凌、どこに行く気?」

「別荘」

べっそう。あらそう。

しょうもないダジャレを思いついたりしたが、口にしたりはしない。そんなことをしても事態は好転しないと芽衣里は知っているからだ。
その代わり、芽衣里はどこの別荘なのかを聞いてみることにした。

「着いたらわかる」

「着いてからのお楽しみね、わかった」

芽衣里は窓の外に目を向けた。空は雲一つない快晴であり、絶好のお出かけ日和だ。徐々に車も増えてきて、皆も同じような気持ちなのだろうなと芽衣里は思う。
高速は変わり映えのない景色だけを見せてくるが、芽衣里は凌の顔をうかがうどころか、話しかけることさえしなかった。
それでも凌が気にしている気配はない。それが芽衣里にとって余計に腹が立つ。

(そりゃ、凌は“家に帰る”とは言わなかったけど)

(こんなの、勘違いするよ)

(ああもう、状況が状況じゃないなら嬉しくてしかたないのに)

恋人と旅行する──それは世の女性たちにとって、ほとんどが楽しみで夢見るイベントに違いない。
現に、明日香がそうだった。あまりプライベートを晒さないタイプではあったが、恋人との海外旅行については詳しく話してくれた。

(登山に行ったっていうのがすごいよなぁ)

流れる景色の中に、可愛らしい小山を見つけて芽衣里は明日香の土産話を思い出す。アジアにあるわりと有名な山で、前々から二人で計画していたそうだ。

『日本アルプスもいいけど、あの山は登りやすかったのよね…初めての海外登山だから、初心者向きで日帰りでもできるとこを選んだの。ちょっと混むけど』

明日香はそう言って写真を見せてくれた。優しそうな男性と山を背景に写っている。二人とも重装備で、登山家と言っても通じるくらいには小慣れていた。

『もう初心者向けって何だっけ?』

『ハイキングぐらいの楽しさって意味じゃないっけ?』

『その、険しそうだけど、実際どうなの?』

『? ハイキングぐらいよ』

不思議そうに答える彼女は、オフィス街をピンヒールで闊歩していそうな見た目をしている。だが登山以外にもキャンプやカヌーを嗜む自然派のアウトドア大好き人間なのだ。
和泉や羽海よりもアウトドア派の自覚がある芽衣里でさえ明日香の話を聞くたび、

「一体どこにそんな体力と気力が?」

と疑問に思っているが解消したことはない。聞いても結局は、

「特別なことはしてないの、昔から家族で行っていたからそのおかげかも」

と返されるのがオチだからだ。

(…そう言えば凌もよく外に出るよね)

作家、というと部屋に引きこもりパソコンと睨めっこをしているイメージが一般的だが、取材で色々と出かけることも多い。そのせいか、常に修羅場に追われているような凌でさえ力仕事もあっさりやってしまう。

(凌にこの話をしたら、いきなりインスピレーションが湧いただか降ってきただか言い出して…)

ネットで連載しているコラム〈ミステリーあるある〉で、山に埋められる死体をテーマに書きあげたのだ。それも数時間で!
こんなに早く先生の原稿があがるなんて…! と担当編集者の横手山が嬉し泣きをしていたのは記憶に新しい。

(横手山さん、元気にしてるかな)

芽衣里は横手山の程よく日焼けした顔と、彼によく似た息子の笑顔を思い浮かべた。実家の支援があるとはいえ、シングルファーザーでは気苦労も絶えないだろう。
さらに担当しているのが凌だ。そのうち胃に穴が開くのではないかと、芽衣里は密かに心配している。

芽衣里がぼんやりと友人や知人について考えているうちに、目的地まで近付いたらしい。凌がウインカーを出して、高速を降りる準備をし始めた。

(本当にどこに行くんだろ、山しかないけど)

芽衣里は凌に聞きたくなるのをぐっと堪え、山の緑に専念することにした。