店を後にし廻たちと別れた芽衣里は、凌や敏代と共に近くのファミレスまで足を運んだ。
道中、誰一人として口をきかなかったが、前のような緊張感はなかった。それが芽衣里にとっていくらか救いだった。
席に案内され、注文もそこそこに凌が切り出した。
「母さん、どうしてあの店がわかったんだ」
敏代はしらっとした目を芽衣里に向けた。
「そこのお節介焼きのお嬢さんが連絡してきたのよ」
「……芽衣里、母さんにまで教えてたのか?」
芽衣里は肩を縮こませ、口をもごもごと動かしながら言った。
「終わってから知られたら……また呼び出されて別れろって言われるかと思って……」
「『羽根村さんに呼び出されたので行ってきます』って言われた時は何事かと思ったわ」
「よく場所までわかったね」
芽衣里が教えたのか、と続ける凌に、敏代は緩く首を横に振った。
「前々から調べてたの」
「え……?」
凌と芽衣里の声が重なる。驚愕する二人に構わず敏代はテーブルの上で指を組んだ。
「貴方が小説家として有名になり始めたぐらいの時かしら……彼女がどこからかぎつけてくるだろうと思って、内緒で調べてたの」
従業員がアイスコーヒーを運んできた。敏代は一度だけ口をつけると、再び話し出した。
「そしたら、やっぱり貴方の周りをうろつき始めて……もう二度と関われないようにするにはどうしたらいいか考えて、絢瀬川さんとの結婚を思いついたの」
「いや待って、どうしてそうなる」
凌は目頭を揉んだ。芽衣里は二人の顔を交互に見やると、恐る恐る「その」と口をはさんだ。
「えっと……良家のお嬢様なら身元もはっきりしてるし、羽根村さんにつけ込まれない、からですか」
「……まさか、貴女と知り合いとは思わなかったけど」
否定されない、ということは合っているのだろうと芽衣里は内心胸を撫で下ろした。
しかし、続く敏代の言葉に冷や汗が滲み出した。
「貴女が起こす騒ぎに巻き込まれることばかり心配してたけど、逆の可能性もあるのね」
「それ、は……」
「極々普通に生きていればそんな可能性は低いでしょうけど、凌は……そうではないの」
「母さん、待ってくれ」
芽衣里は顔を僅かに凌へと向けた。凌は真っ直ぐに敏代を見つめている。眉根を寄せず、声を荒げず、無にも見える表情には、ただただ決意だけが見え隠れしていた。
「俺は、悔いのないように生きたい」
「……そう」
「安全とか危険とかじゃない。そんなことを言っていたら、何もできなくなってしまう」
「……」
「俺は芽衣里が好きだ。結婚したいとも思ってる」
「え」
芽衣里は口をポカンと開けて凌を凝視した。どう見ても真剣そのものな気迫に、間の抜けた声以外何も口に出来なかった。
敏代も凌の目を真っ直ぐに見つめ返し、しばらく沈黙が続いた。
──ふ、と敏代が目線を外した。
「好きになさい」
短く、しかしはっきりと告げられた。
凌は静かに頭を下げて、芽衣里の手を取って立ち上がる。芽衣里は目を白黒させながら、手を引かれるまま店を後にした。
「凌、待って」
芽衣里の呼びかけに、凌は応えない。
それでも赤くなった耳は言葉より雄弁だった。
「凌、恥ずかしがるくらいなら言わなくても」
「ちゃんと言葉にできないなら母さんは納得しないからな」
「ああ、雰囲気というか言わなくても分かるでしょ? みたいなの嫌いそうね」
「座右の銘は〝有言実行〟の人だから」
ファミレスが見えなくなったあたりで凌は速度を落とした。今度は芽衣里が近くの公園を見つけて、ブランコまで凌の手を引いた。
座った二人は会話をするでもなく、ゆったりとブランコを漕いだ。この場所はちょうど木陰になっていて、芽衣里はちらちらと光る木漏れ日を何となしに見やった。
「俺は十歳の時に養子になった」
ぽつりと凌が呟いた。
「羽根村はとんでもない女だったよ……男がいないと生きていけない、母親になったら絶対ダメなタイプだった」
凌は小さく息を吸って、「何度も死にかけたよ」とやっと聞き取れる大きさの声で言った。
「あれは……春先くらいの頃だったと思う。突然、住んでたアパートから連れ出された。服とか、詰められるだけ詰めたリュックと手紙だけ持たされて、でっかいお屋敷みたいな家の前に置いていかれたんだ」
芽衣里は奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ、洟をすすってしまいそうだった。
「しばらく待っていたら、母さんが帰ってきて……羽根村に渡すよう言われていた手紙を渡したんだ。
手紙を読んだ母さんはひどく驚いて、俺をその日のうちに保護してくれた」
「うん」
「二十歳になってから教えてもらったんだけど……父さんの弟は、羽根村が俺を妊娠したのを知ると逃げたらしい。それから酒に溺れて、家に連れ戻されてからはそのまま……」
「……」
「羽根村の奴が芽衣里に何を言ったかはわからないけど、これが全部だよ」
「……凌のお母さんは、凌を何としてでも守りたかったんだね」
それこそ本人の意思を無視しても。
トラブルだらけの女と付き合うに任せるよりは、自分が見つけてきた安心安全な女と一緒になってもらいたい。何ものに脅かされることなく、健やかに──。
芽衣里には、敏代の母としての願いが、あの厳格な表情から透けて見えていた。
「それはわかってる。わかってるけど……俺はもう良い大人だ」
「そうだね」
「芽衣里のことを守りたいって、いつでも思ってる」
「監禁しようとするくらい?」
「そうだ」
凌の視線を感じて、芽衣里は上半身ごと凌と向き合った。
底なし沼のような瞳がそこにある。一瞬でも気を抜けば飲み込まれてしまいそうな情念に、芽衣里は立ち上がって凌の頭を抱きしめた。
「凌」
「うん」
「私はね、勘違いとかで面倒に巻き込まれるし、自分から首突っ込んだりするし、それを止める気もない」
凌が芽衣里の腕にそっと手を添えた。
「監禁しても無意味だし」
「……それは良くわかった」
「凌にも散々迷惑かけるけど」
「……別に、あのくらい」
凌の言葉を遮るように、芽衣里は囁いた。
「私も凌と一緒にいたい」
凌の手に力がこもる。
じっとりと二人して汗をかいていたが、どちらも手を離そうとはしなかった。
芽衣里は目を伏せて、せめて今だけは何のトラブルにも巻き込まれないようにと、そう祈っていた。
祈るしかなかった。
道中、誰一人として口をきかなかったが、前のような緊張感はなかった。それが芽衣里にとっていくらか救いだった。
席に案内され、注文もそこそこに凌が切り出した。
「母さん、どうしてあの店がわかったんだ」
敏代はしらっとした目を芽衣里に向けた。
「そこのお節介焼きのお嬢さんが連絡してきたのよ」
「……芽衣里、母さんにまで教えてたのか?」
芽衣里は肩を縮こませ、口をもごもごと動かしながら言った。
「終わってから知られたら……また呼び出されて別れろって言われるかと思って……」
「『羽根村さんに呼び出されたので行ってきます』って言われた時は何事かと思ったわ」
「よく場所までわかったね」
芽衣里が教えたのか、と続ける凌に、敏代は緩く首を横に振った。
「前々から調べてたの」
「え……?」
凌と芽衣里の声が重なる。驚愕する二人に構わず敏代はテーブルの上で指を組んだ。
「貴方が小説家として有名になり始めたぐらいの時かしら……彼女がどこからかぎつけてくるだろうと思って、内緒で調べてたの」
従業員がアイスコーヒーを運んできた。敏代は一度だけ口をつけると、再び話し出した。
「そしたら、やっぱり貴方の周りをうろつき始めて……もう二度と関われないようにするにはどうしたらいいか考えて、絢瀬川さんとの結婚を思いついたの」
「いや待って、どうしてそうなる」
凌は目頭を揉んだ。芽衣里は二人の顔を交互に見やると、恐る恐る「その」と口をはさんだ。
「えっと……良家のお嬢様なら身元もはっきりしてるし、羽根村さんにつけ込まれない、からですか」
「……まさか、貴女と知り合いとは思わなかったけど」
否定されない、ということは合っているのだろうと芽衣里は内心胸を撫で下ろした。
しかし、続く敏代の言葉に冷や汗が滲み出した。
「貴女が起こす騒ぎに巻き込まれることばかり心配してたけど、逆の可能性もあるのね」
「それ、は……」
「極々普通に生きていればそんな可能性は低いでしょうけど、凌は……そうではないの」
「母さん、待ってくれ」
芽衣里は顔を僅かに凌へと向けた。凌は真っ直ぐに敏代を見つめている。眉根を寄せず、声を荒げず、無にも見える表情には、ただただ決意だけが見え隠れしていた。
「俺は、悔いのないように生きたい」
「……そう」
「安全とか危険とかじゃない。そんなことを言っていたら、何もできなくなってしまう」
「……」
「俺は芽衣里が好きだ。結婚したいとも思ってる」
「え」
芽衣里は口をポカンと開けて凌を凝視した。どう見ても真剣そのものな気迫に、間の抜けた声以外何も口に出来なかった。
敏代も凌の目を真っ直ぐに見つめ返し、しばらく沈黙が続いた。
──ふ、と敏代が目線を外した。
「好きになさい」
短く、しかしはっきりと告げられた。
凌は静かに頭を下げて、芽衣里の手を取って立ち上がる。芽衣里は目を白黒させながら、手を引かれるまま店を後にした。
「凌、待って」
芽衣里の呼びかけに、凌は応えない。
それでも赤くなった耳は言葉より雄弁だった。
「凌、恥ずかしがるくらいなら言わなくても」
「ちゃんと言葉にできないなら母さんは納得しないからな」
「ああ、雰囲気というか言わなくても分かるでしょ? みたいなの嫌いそうね」
「座右の銘は〝有言実行〟の人だから」
ファミレスが見えなくなったあたりで凌は速度を落とした。今度は芽衣里が近くの公園を見つけて、ブランコまで凌の手を引いた。
座った二人は会話をするでもなく、ゆったりとブランコを漕いだ。この場所はちょうど木陰になっていて、芽衣里はちらちらと光る木漏れ日を何となしに見やった。
「俺は十歳の時に養子になった」
ぽつりと凌が呟いた。
「羽根村はとんでもない女だったよ……男がいないと生きていけない、母親になったら絶対ダメなタイプだった」
凌は小さく息を吸って、「何度も死にかけたよ」とやっと聞き取れる大きさの声で言った。
「あれは……春先くらいの頃だったと思う。突然、住んでたアパートから連れ出された。服とか、詰められるだけ詰めたリュックと手紙だけ持たされて、でっかいお屋敷みたいな家の前に置いていかれたんだ」
芽衣里は奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ、洟をすすってしまいそうだった。
「しばらく待っていたら、母さんが帰ってきて……羽根村に渡すよう言われていた手紙を渡したんだ。
手紙を読んだ母さんはひどく驚いて、俺をその日のうちに保護してくれた」
「うん」
「二十歳になってから教えてもらったんだけど……父さんの弟は、羽根村が俺を妊娠したのを知ると逃げたらしい。それから酒に溺れて、家に連れ戻されてからはそのまま……」
「……」
「羽根村の奴が芽衣里に何を言ったかはわからないけど、これが全部だよ」
「……凌のお母さんは、凌を何としてでも守りたかったんだね」
それこそ本人の意思を無視しても。
トラブルだらけの女と付き合うに任せるよりは、自分が見つけてきた安心安全な女と一緒になってもらいたい。何ものに脅かされることなく、健やかに──。
芽衣里には、敏代の母としての願いが、あの厳格な表情から透けて見えていた。
「それはわかってる。わかってるけど……俺はもう良い大人だ」
「そうだね」
「芽衣里のことを守りたいって、いつでも思ってる」
「監禁しようとするくらい?」
「そうだ」
凌の視線を感じて、芽衣里は上半身ごと凌と向き合った。
底なし沼のような瞳がそこにある。一瞬でも気を抜けば飲み込まれてしまいそうな情念に、芽衣里は立ち上がって凌の頭を抱きしめた。
「凌」
「うん」
「私はね、勘違いとかで面倒に巻き込まれるし、自分から首突っ込んだりするし、それを止める気もない」
凌が芽衣里の腕にそっと手を添えた。
「監禁しても無意味だし」
「……それは良くわかった」
「凌にも散々迷惑かけるけど」
「……別に、あのくらい」
凌の言葉を遮るように、芽衣里は囁いた。
「私も凌と一緒にいたい」
凌の手に力がこもる。
じっとりと二人して汗をかいていたが、どちらも手を離そうとはしなかった。
芽衣里は目を伏せて、せめて今だけは何のトラブルにも巻き込まれないようにと、そう祈っていた。
祈るしかなかった。