カジュアル過ぎず、フォーマル過ぎず──それが、敏代に連れてこられたこのホテルのラウンジのコンセプトだと芽衣里は後から知った。
あの時、普段着だった芽衣里への、敏代の気遣いだったのだろうと後から気づいたが、その時は混乱でそれどころではなかった。
「あなたに話があるの」
あの自己紹介からすぐにそう告げられ、有無を言わさず外に停まっていたタクシーに放り込まれた。そうしてホテルまで会話もなく連行され──今に至る。
芽衣里は周囲をそっと伺う。客は多くなくて、ゆったりと語り合う老夫婦や、ノート型パソコンと睨めっこをするサラリーマン、宿泊客に対応するスタッフが見える。
今度は自分のすぐ近くを観察する。程良い弾力のソファ、全面ガラス張りから見える中庭、それら全てが彼女を緊張させる材料でしかない。
しかし何より芽衣里に冷や汗をかかせているのは、目の前で優雅に紅茶をすする敏代だった。
アンティーク調のティーカップを敏代は流れるような所作で扱う。行儀作法を自分のものにした人にしか出せない自然さに、芽衣里は自分の紅茶を見つめるしかできなかった。
「それで―」
「ひゃい!」
なにが「ひゃい!」だ。光滝さん呆れてるし。
芽衣里は自分で突っ込んだ。もちろん頭の中でだが。
現実の芽衣里は顔から血の気が引いて、身体を硬直させてしまっている。できれば布団を頭から被って足をバタつかせたい心境だった。
「そう緊張なさらないで?」
対して敏代は悠然と微笑んでいる。その笑顔がどこかの王族か貴族のように上品なものだから、芽衣里は余計に縮こまってしまった。
他人の修羅場に巻き込まれたことは数あれど、自分が中心になった経験は浅い。まして恋人の母親と二人きり、なんてシチュエーションは初めてで、何をどうしたら良いのか検討もつかなかった。
そして何より、敏代の目線が恐ろしい。纏う雰囲気は穏やかなのに、目は決して笑っていない。──あれは、“拒絶”の目だ。
昔からよく事件に関わって鍛えられたのか、悪意や敵意には人より敏感だと自負があった。口調や振る舞いがどれだけ好意的でも、違和感があれば気を許してはいけない。野生の勘と言われればそれまでだが、外れた試しがなかった。
「大学は? どの学部に通ってらっしゃるの?」
敏代は相変わらず温厚な表情のままだ。だが声音の底には隠しきれない冷たさがある。芽衣里は小刻みに震える手を抑え、敏代の質問に答えた。
ここから少し離れた大学に通っていること、社会福祉学部に通っていること。将来はソーシャルワーカーになりたいと考えていることも付け加えた。
答えながら、就職の面接のようだな、と芽衣里は思う。この後は家族構成とかを聞かれたりするんだろうか、今時はプライバシーとか人権がどうこうとかで聞いてくる企業はなくなってきたと新聞で見た気がするけれど。
けれど、これは企業の面接ではない。
「ご両親も福祉のお仕事をされていらっしゃるの?」
「いえ、父はウエディングプランナーで、母は弁護士です」
「そうなの…お兄さんは?」
「兄は―─」
はた、と気づいた。
廻については一言も話していないのに、敏代は『お兄さんは?』と聞いてきた。
これが何を意味するのか、芽衣里は一瞬で理解し、射抜くような視線に目を合わせた。
「兄は、個人で代行業をしています」
「ご家族で全く違うのね」
「…最初から、ご存じだったんじゃないですか」
宣戦布告ともとれる芽衣里の言葉に、敏代はティーカップを持とうとする手を止めた。和やかな音楽と絶妙に調整された空調の中で、表現しがたい沈黙が流れる。
「そうね、調べさせてもらったわ」
敏代はあっさりと白状した。淡々とした口調に、芽衣里は肩透かしを食らったような気分になるが、きっとここからが“お話し”の始まりなんだ、と背筋を伸ばした。
「知っていらっしゃるなら、どうしてわざわざ…」
「ちゃんと正直に答えてくれるか、試したかっただけよ」
そこら辺に関しては合格ね。そう敏代は冷ややかに言い放った。
「あの子、見た目が良いから昔からモテてね…ただモテるだけならまだ良いけど、父親が政治家で金持ちだからって下心しかない子が何人も寄ってきてね…。
大変だったわ…小賢しい子なんかは、周りを味方につけようとして私が開いてる華道教室に入ってきたりしてね」
「…私もそうだってことですか?」
「そうやって誠実な振りをする子もいたわ」
芽衣里は喉から出かかった反論をぐっと飲み込んで、敏代に尋ねる。
「試すだけでここに連れてきたわけではないでしょう」
「もちろんよ。でもまだ時間はあるし…そうね、調べてもわからなかったことがあるから、それについて聞かせてもらうわ」
敏代はあくまで高圧的な態度を崩さない。鬼が出るか蛇が出るか、芽衣里はそんな緊張感と共に、敏代の言葉を待った。
「あなたと凌が、どういう訳で付き合い始めたのか…それだけがよく分からなかったの」
「付き合った切っ掛け、ですか」
「時期はわかるの、丁度あなたが大学に入ってからよね?」
「ええ、知り合ったのはその時期です」
紅茶で唇を湿らせて、芽衣里は凌との出会いを話し始めた───。
あの時、普段着だった芽衣里への、敏代の気遣いだったのだろうと後から気づいたが、その時は混乱でそれどころではなかった。
「あなたに話があるの」
あの自己紹介からすぐにそう告げられ、有無を言わさず外に停まっていたタクシーに放り込まれた。そうしてホテルまで会話もなく連行され──今に至る。
芽衣里は周囲をそっと伺う。客は多くなくて、ゆったりと語り合う老夫婦や、ノート型パソコンと睨めっこをするサラリーマン、宿泊客に対応するスタッフが見える。
今度は自分のすぐ近くを観察する。程良い弾力のソファ、全面ガラス張りから見える中庭、それら全てが彼女を緊張させる材料でしかない。
しかし何より芽衣里に冷や汗をかかせているのは、目の前で優雅に紅茶をすする敏代だった。
アンティーク調のティーカップを敏代は流れるような所作で扱う。行儀作法を自分のものにした人にしか出せない自然さに、芽衣里は自分の紅茶を見つめるしかできなかった。
「それで―」
「ひゃい!」
なにが「ひゃい!」だ。光滝さん呆れてるし。
芽衣里は自分で突っ込んだ。もちろん頭の中でだが。
現実の芽衣里は顔から血の気が引いて、身体を硬直させてしまっている。できれば布団を頭から被って足をバタつかせたい心境だった。
「そう緊張なさらないで?」
対して敏代は悠然と微笑んでいる。その笑顔がどこかの王族か貴族のように上品なものだから、芽衣里は余計に縮こまってしまった。
他人の修羅場に巻き込まれたことは数あれど、自分が中心になった経験は浅い。まして恋人の母親と二人きり、なんてシチュエーションは初めてで、何をどうしたら良いのか検討もつかなかった。
そして何より、敏代の目線が恐ろしい。纏う雰囲気は穏やかなのに、目は決して笑っていない。──あれは、“拒絶”の目だ。
昔からよく事件に関わって鍛えられたのか、悪意や敵意には人より敏感だと自負があった。口調や振る舞いがどれだけ好意的でも、違和感があれば気を許してはいけない。野生の勘と言われればそれまでだが、外れた試しがなかった。
「大学は? どの学部に通ってらっしゃるの?」
敏代は相変わらず温厚な表情のままだ。だが声音の底には隠しきれない冷たさがある。芽衣里は小刻みに震える手を抑え、敏代の質問に答えた。
ここから少し離れた大学に通っていること、社会福祉学部に通っていること。将来はソーシャルワーカーになりたいと考えていることも付け加えた。
答えながら、就職の面接のようだな、と芽衣里は思う。この後は家族構成とかを聞かれたりするんだろうか、今時はプライバシーとか人権がどうこうとかで聞いてくる企業はなくなってきたと新聞で見た気がするけれど。
けれど、これは企業の面接ではない。
「ご両親も福祉のお仕事をされていらっしゃるの?」
「いえ、父はウエディングプランナーで、母は弁護士です」
「そうなの…お兄さんは?」
「兄は―─」
はた、と気づいた。
廻については一言も話していないのに、敏代は『お兄さんは?』と聞いてきた。
これが何を意味するのか、芽衣里は一瞬で理解し、射抜くような視線に目を合わせた。
「兄は、個人で代行業をしています」
「ご家族で全く違うのね」
「…最初から、ご存じだったんじゃないですか」
宣戦布告ともとれる芽衣里の言葉に、敏代はティーカップを持とうとする手を止めた。和やかな音楽と絶妙に調整された空調の中で、表現しがたい沈黙が流れる。
「そうね、調べさせてもらったわ」
敏代はあっさりと白状した。淡々とした口調に、芽衣里は肩透かしを食らったような気分になるが、きっとここからが“お話し”の始まりなんだ、と背筋を伸ばした。
「知っていらっしゃるなら、どうしてわざわざ…」
「ちゃんと正直に答えてくれるか、試したかっただけよ」
そこら辺に関しては合格ね。そう敏代は冷ややかに言い放った。
「あの子、見た目が良いから昔からモテてね…ただモテるだけならまだ良いけど、父親が政治家で金持ちだからって下心しかない子が何人も寄ってきてね…。
大変だったわ…小賢しい子なんかは、周りを味方につけようとして私が開いてる華道教室に入ってきたりしてね」
「…私もそうだってことですか?」
「そうやって誠実な振りをする子もいたわ」
芽衣里は喉から出かかった反論をぐっと飲み込んで、敏代に尋ねる。
「試すだけでここに連れてきたわけではないでしょう」
「もちろんよ。でもまだ時間はあるし…そうね、調べてもわからなかったことがあるから、それについて聞かせてもらうわ」
敏代はあくまで高圧的な態度を崩さない。鬼が出るか蛇が出るか、芽衣里はそんな緊張感と共に、敏代の言葉を待った。
「あなたと凌が、どういう訳で付き合い始めたのか…それだけがよく分からなかったの」
「付き合った切っ掛け、ですか」
「時期はわかるの、丁度あなたが大学に入ってからよね?」
「ええ、知り合ったのはその時期です」
紅茶で唇を湿らせて、芽衣里は凌との出会いを話し始めた───。