私があの方を好きになったのは、とあるお茶会の時だった。

 当時の私は取り巻き令嬢と共に好き勝手に振る舞って、気の弱い令嬢にちょっとした嫌がらせをしていた。

 侯爵家の跡取りとして自由に育てられた私は、あの時傲慢で嫌な令嬢になってしまっていた。
 ちょっと小突いただけで、めそめそ泣く子が鬱陶しくて嫌いだった。
 そんな弱くて貴族社会を渡って行けるはずないわ、と嘲笑っていた。

 そんな私に彼は

『今の君、とっても嫌な顔してるよ』

 平然と言ってのけたのだ。

 周りからもてはやされていた私に注意をする人なんて大人でもいなかった。

『あなた、私を誰だと思ってるの』

 きっ、と睨んでやった。
 男のくせに失礼な子、って。
 でも言われた事がちょっと恥ずかしくて少し涙目になって。

 そしたら。

『笑ってみてよ。きっとその方が似合うよ』

『んなっ!なに、をっ!言って…!』

 恥ずかしさが頂点に達した時、顔から湯気が出そうなくらい熱くなった。そしたら彼は。

『なんだ、そんな顔もできるの。可愛いな』

 そうして笑ったんだ。
 その笑顔がきらきらしていて。
 可愛いと言われたのが恥ずかしくて嬉しくて。

 私は彼に惹かれてしまったのだ。

 それから彼の事を調べて、お父様に必死にお願いした。
 子爵家の次男、成績も優秀な方、真面目に取り組む姿勢、何と言っても私に堂々と意見できる気概をアピールした。
 そうして『育てれば侯爵家の婿として可能性がある』と判断されて、彼との婚約が整ったのだ。

『これからよろしくね』

『あ……はい、うん…、よろしく……お願いします』

 婚約者としての顔合わせで彼は戸惑っていたけれど、この時から私は浮かれてしまっていた。

 嬉しくて、嬉しくて、幸せで。
 毎日彼に会いたかった。

 でも、やらなきゃいけない事は沢山あって。
 跡取りとしての勉強、淑女としてのマナー講習、お父様は領地の視察にも私を連れて行ったから彼に会える時間は限られていた。

 だからやっと会えた時は本当に嬉しくて。
 ずっと隣に座って話し掛けていた。

 最初は戸惑っていた彼。
 目が合わないのはきっと照れているせいね。
 いつか、私を見て欲しい。

 そう願いながら、彼に話し掛けていた。

 彼の髪色がミルクティー色だからミルクティーを飲み。
 彼の瞳が翠色だから翠色のドレスを着て。
 彼が冒険物を読むから冒険物を集めた。
 彼がチーズケーキが好きだと言うから色んなチーズケーキを探した。
 彼が選ぶものは何でも手に入れた。
 喜びそうなものは何でも好きになった。


 いつだったか、名前を呼んでいいか聞いてみたら。

『恥ずかしいからあまり呼ばないでほしい』

 だから悲しくても我慢した。
 本当は呼びたくて呼びたくてたまらなかった。

 だけど、一年経って、二年経って。
 学園に入学しても、名前を呼べなくて。
 権力を振りかざせば呼んでくれるだろうけど、そうして呼ばれても嬉しくないから我慢して。

 婚約者としての交流も勉強を理由に断られるようになっていた。
 私と結婚する為に勉強を頑張っているのなら、と彼に会うのを我慢した。
 もしかして、と思ってお父様に付いて子爵領の視察にも着いていった。
 「勉強している」と言われ、会えなかった。

 それでも学園に行けば会えるから、大丈夫、って言い聞かせて。
 胸の痛みも溜息も、全部一緒に飲み込んだ。

 そのうち、学園で流れる噂の中で、彼と幼馴染みの話が耳に入るようになった。

 ──彼は私の婚約者なのだけれど。

 おかしいわ?
 みんな、彼は幼馴染みと結婚の約束をしているって言ってる。

 皆さん嘘がお上手だわ。
 だって、彼の婚約者は私よ?

 彼に会えなくても、名前を呼べなくても。


 お父様も、「一度他に目を向けてみたらどうだ?」って言う。
 私には彼しかいないのに。


『───!』

 彼の名前が聞こえて振り返ると、ほっとした表情で幼馴染みに駆け寄る貴方が見えた。

 どうして?
 私は名前を呼べないのに?
 どうして?
 幼馴染みの彼女は呼べるの?
 どうして?
 貴方は幼馴染みの子を抱き締めるの?


 どうしたら、貴方は私を見てくれるの?
 どうしたら、名前を呼ばせてくれるの?

 私はどうしたらいいの?
 貴方の事が好きで、好きで、大好きで。
 好きがまだ足りないの?
 もっと言ったら私を見てくれる?

 苦しくて、苦しくて。
 でも淑女としてのマナー講習を履修し終えていた私は貼り付けた笑顔のまま誰にも弱音を吐けずにいた。

 淑女ならば笑って。
 大丈夫よ。
 彼と結婚するのは、私。
 彼ときっと、お父様から受け継いだ侯爵領を盛り立てていくわ。
 幼馴染みが好きなら愛人にすればいいわ。
 私は狭量じゃない。
 大丈夫よ。貴方の望みは私が叶えるから。

 だから

 ワタシを見テ────
 抱き締メて────




 もう、頑張れなかった。

 それに、彼を苦しめていると気付いた時、これ以上は無理だと思った。

 そして、彼から手を振り払われた時。

 私の中のナニカが壊れた。

 視界がクリアになって見た彼の瞳には、私への憎悪が宿っていた。


 こんなにも、嫌われていたなんて、知らなかったの。
 ……こんなにも、苦しかったなんて、貴方を見ていなかった証拠よね。


 でも、ね。
 もう、大丈夫よ。

 沢山押し付けてごめんなさい。
 沢山傷付けてごめんなさい。
 沢山ワガママ言ってごめんなさい。


 だから。



 私の大好きな貴方、婚約を解消しましょう。



 貴方を、解放するわ。

 最後に、精いっぱいの強がりを。

 私は笑顔でさよならを込めて言った。


『幸せに、なって、』



 きっと、私から解放されたあの方は、今は幼馴染みのあの子と幸せになれたはずだ。
 私がいなくなってせいせいしているかもしれない。

 私が傷付けた分は、彼女が癒やしてくれる。

 私はあの方に相応しくなかった。
 あの方は、あの方を想い幸せにしてくれる女性と一緒になるべきよ。

 私じゃ、ダメだった。
 

 そう、思うのに。
 そう、思いたいのに。




 私の心から、貴方が消えない。