「車ちっさい!おもちゃみたい!お~、海はキラキラして綺麗だなぁ。あ、柳沢くん、高校が見えるよ!」
大きな窓に張り付きそうなぐらい前のめりになって、私はあちこち指をさす。
柳沢くんはそんな私の顔を軽くのぞき込むようにして見た。
「楽しそうだね」
「うん!……あ、『やっぱり馬鹿だから高いところが好きなんだな』とか思ってる?」
「思ってる」
「わあ、本当に思ってた」
「まあでもそれ以上に、少し安心したよ。ようやくいつも通りの表情に戻ったね」
「え?」
私から目を逸らした柳沢くんは、下に広がる景色に目を向けて、ガシガシと頭を掻いた。
「さすがにちょっと調子狂うから。いつものほほんとしてるヤツにこの世の終わりみたいな顔されると」
「この世の終わりみたいな顔……」
そういえばさっき飴を食べさせられたときも、辛そうな表情をしていると指摘された気がする。
自覚はなかったけど、山内と再会した瞬間から、きっと暗い顔をしてたんだろうな。
「えへへ、心配してくれてたんだ」
「少しだよ。本当に少し」
「あのね、今となっては山内のどこに惹かれたのかもよくわかんないんだ。顔だって柳沢くんの方がかっこいいもん」
「なっ……っ、当然だ」
「あと、柳沢くん『変わる前の状態が本性ってわけじゃない』って言ってたでしょ?あれちょっと嬉しかった」
山内は、中学時代の「太り気味で男みたいな見た目、さらに力が野生動物並みに強い香田葉澄」こそが本性なんだと言っていた。
……力が強いことについてはまあその通り。
でも、外見に関しては違う。美容なんかに気を使って女の子らしい格好をするのが、今の私にとっての当たり前。気を抜いたって、もうあんなボサボサで清潔感も今一つで男みたいな格好には戻らない。
だから柳沢くんの言葉は、変わった今の姿も本当の姿だって認めてくれたみたいで嬉しいんだ。
「ありがとう」
今度は私が柳沢くんの顔をのぞき込んで言う。
嬉しさから、自然と口元が緩んで笑顔が浮かんだ。
「っ……」
そんな私と目が合った柳沢くんの表情が、何故か固まってしまった。
「どうしたの柳沢くん?ちょっと顔赤いし。気分悪い?」
「は……は?違っ……」
「あ、もしかして……実は高いところ苦手だったとか?」
「違う!これは……あれだよ……。西日!西日が眩しかったから驚いたのと顔が赤く見えただけだ!」
「あ、そっか。確かに結構眩しいね。景色も楽しんだし、そろそろ下行こっか」
言うほど眩しくない気もしたけど、景色を十分満喫したのは本当なので、エレベーターの方へ向かって歩く。
今日、何だかんだで楽しかったな。「お互いを知るためにデートをする」という目的通り、柳沢くんのこと色々知れたし。
……ただその柳沢くんはというと。
私の隣を歩きながら「まさかこれは……」「いや、でもそんなはず」「認めない。俺は認めない」といった意味不明なことを、ショッピングセンターを出て、駅近く別れるまでぶつぶつ呟き続けていた。
*
柳沢くんの様子がおかしい。
そう確信したのは、デートをした土曜日からしばらく経ってからだった。
話しかけるとどこか上の空だし、何だかいつも以上に距離が遠い。手なんかが少しでも触れると目にもとまらぬ速さで引っ込められるし、かと思えばじっと私のことを見ていたりする。
そんな中でも一番おかしいと思ったのは……
「ねえ葉澄、柳沢とは上手くいってんの?」
「うーん……」
「この前まで暇さえあれば葉澄のとこ来て、わざとらしいぐらいいちゃついてたのに、最近昼休みですら来てなくない?」
なっちゃんも言っている通り、柳沢くんが周囲への付き合ってるアピールを突然減らしてしまったのだ。
まあ要するに……微妙に避けられてる。
そのせいで、私たちはもう今にでも別れるんじゃないかという噂が流れているらしい。
おかげで私は昼休みもこうしてなっちゃんとゆっくりお弁当を食べていられるし、別に構わないけど……私と別れたって噂が流れて告白される回数が増えたら、困るのは柳沢くんなのでは?
「私何かしたかな……?」
「自分のモノになったと思ったら安心して興味薄れたとか?割とそういう男も多いみたいだし」
うん、まあ本当のカップルならその場合もあるかもしれないけど。偽装カップルだからラブラブな様子を見せないと意味ないんだよ~
……って言えないのがツラい。
だけど別に心当たり無いんだよなぁ。
原因がどうしても気になって、一生懸命記憶を探っていたその時だった。
「興味が薄れたっていうのはまずないと思いますよ」
覚えのない男の声がすぐそばで聞こえた。
驚いて顔を上げると、優等生っぽい雰囲気のメガネをかけた男子が、空いていた私の隣の席にいつの間にか座って微笑みを浮かべていた。
真面目そうだけど根暗な感じはしなくて、インテリ系イケメンとして人気がありそうな顔だ。
「えっと……?」
「初めまして香田さん。僕は7組の高森甚といいます」
「はあ」
誰だろう。
名乗られても心当たりがなくて私は首をかしげたけど、なっちゃんは何かを思い出したように「ああ」と声を上げる。
「テストの順位表いつも一位のとこに載ってる人だ」
「はは、そうやって覚えられてると少し恥ずかしいですね」
ごめんなさい。テストの上位なんて縁がなさ過ぎて気にしたことないのでやっぱり知りません。
私が戸惑っていることに気付いたらしい彼は、改めてこっちを向いた。
「僕、柳沢奏多の幼なじみなんです」
「柳沢くんの?」
「はい。香田さんのことは、奏多の彼女だってことで話に聞いていました」
柳沢くんのことを「奏多」と呼び捨てで呼んでいることから、親しさのレベルがうかがえる。
……幼なじみってことは、柳沢くんの本性も知ってるのかな。
「えっとそれで……私にどのようなご用件で……?」
「その奏多のことで相談があってここまで来たんですが……香田さん、少し時間ありますか?」
「はい!ある!あります!」
幼なじみの高森くんなら、柳沢くんの様子がおかしい原因を知ってるのかも。
食い気味に返事をした私に、高森くんは「では、ちょっと付いてきてください」と言って立ち上がった。
*
高森くんに付いて行ってたどり着いた場所は、いつの日か柳沢くんに連れ込まれたのと同じような空き教室の前だった。
教室のドアに手を掛けた高森くんだったけど、何を思ったのか、私の方を振り返って小声で言った。
「すみません香田さん、一つ確認したいことがあるので協力してもらえますか」
「え?うん、良いけど……」
「僕と手を繋いでください」
「手?」
よく意味がわからないまま手を出すと、高森くんにぎゅっと掴まれた。
それから彼は勢いよく音をたてながらドアを開けた。
「ただいま奏多」
「遅かったね。いったいどこの自販機まで行ってたんだよ」
教室の奥にいる、スマホを触りながら悪態をつく人影が顔を上げた。
その人──柳沢くんと目が合う。
「なっ……ハス……」
まるで幽霊でも見たかのような反応をされた。
かと思えば、今度は機嫌悪そうに眉間に皺を寄せて、高森くんに目を向けた。
「甚、何のつもり?」
さらに何か言おうとした柳沢くんが、ふと視線を下げて、目を見開いた。
そして、つかつかと速足でこっちに近づいてきて……
「離せ」
目的のわからないまま繋がされていた私の手を、高森くんの手から引き離した。
高森くんはそれを見た瞬間、肩を震わせて笑い始めた。
「ふっ……奏多、余裕無さすぎだ」
「は?彼女が他の男と手を繋いで現れた場合の正常な反応だろ?」
「でも、奏多と香田さんは本当に付き合ってるわけじゃない。……だろ?」
えっ……、と声を上げそうになった。
ば、バレてるけど柳沢くん⁉
だけど柳沢くんは特に慌てる様子もなく肩をすくめた。
「ふん。何だ、やっぱりわかってたのか」
「さすがにわかる。どうせ女子から告白されるのにうんざりして、彼女がいるって設定にしとこうとか思ったんだろ?香田さんが何でそれに協力してるのかはわからないけど、奏多のやり方を考えたら、弱みでも握ったのか」
エスパーだ。エスパーがいる。
それとも付き合いが長いとそれぐらいわかるものなの?
「……というか、本当に付き合ってるんだったらあんな相談してこないだろうしな」
「黙れ」
「で、相談してくる割に何言っても納得しないんだもんな」
「うるさい」
ん、私にわからない話が始まってしまった。
そもそも、何で柳沢くんは何故ここに?
……というわけで、高森くんから詳しく話を聞いてみると。
この空き教室では、高森くんが普段昼休みに一人でゆっくり過ごすのに使っていたらしい。
だけど数日前から、(迷惑なことに)そのことを知っていた柳沢くんが来るようになったのだとか。
「それで奏多が聞いてくるんですよ。『人を好きになるときの感覚はどんな感じだ?』って」
「はあ……」
「甚。それ以上言ったら本気で殺す」
柳沢くんは、眉間にしわを寄せながら言う。
人を好きになるときの感覚が知りたい?何で?
私はしばらく考えるうちに、女の勘的なものが働いた。
「あっ……!もしかして柳沢くん……気になる人ができた?」