「ただいま。」
りょうが帰ってきたのは
夜の11時前だった。
『おかえり。残業お疲れ様。』
「うん。」
りょうは、疲れた顔で椅子に腰掛けた。
『ハンバーグ作ったんだけど、食べる?』
「おう。」
2人で小さなテーブルに向かい合って
ハンバーグを食べる。
「なあ。」
静かな食事の中、りょうは突然口を開いた。
『なに??』
「美沙の両親って、美沙が何歳の時に亡くなったの??」
『なに?イキナリ。』
私が軽く笑って不思議がった。
「いや、なんとなく。」
『私が幼稚園に通ってた頃だから……5歳…かな?』
「確か事故って言ってたよな?」
昨日のりょうが嘘みたいに
りょうは穏やかな口調だった。
『うん。幼稚園ってお遊戯会ってあるじゃない?それを観に来てくれる途中で事故に遭ったの。』
忘れもしない。
だけど、微かな記憶。
お遊戯会の舞台はライトに照らされていて、
たくさんのお客さんの中からお母さんとお父さんを探すのは困難だった。
でも、観に来てくれるって約束したから…きっといる。
そう思って、私は
シンデレラを演じたんだ。
同じシンデレラ役の子は何人かいた。
主役は私だけじゃないけど、
私が演じたのはガラスの靴を落としてしまうシーンのシンデレラだった。
お遊戯会が終わって知ったこと。
お母さんもお父さんも
お遊戯会には来ていなかった。
来る途中、事故に巻き込まれて
もう二度と
会えない人となった。
『私の両親って、駆け落ち同然で結婚したらしいの。だから頼れるような知り合いはいなくて……』
施設で育った私は
りょうと付き合い出してから
初めて色んな感情を知ったんだよ。
嬉しいこと
楽しいこと
人を愛し、愛される気持ち
もしりょうと付き合っていなかったら
私は一人暮らしだったかもしれない。
誰かの側にいて愛されることを知らずに生きていたかもしれない。
「美沙は……ずっと寂しかったんだな。ずっと…一人だったんだな。」
りょうは寂しそうな目をした。
『今は、りょうがいるから寂しくないよ。』
穏やかな時間だった。
このところ
ずっと不安だったりょうの態度や言葉も
全部なにかの勘違いだったような気がした。
だけど
そんな穏やかな時間は
すぐにかき消されてしまった……
りょうが
いつものりょうに戻った、という安心感で
私はホッとしていた。
お風呂から上がり、タオルで髪をくしゃくしゃっと拭きながら
リビングに入る。
するとりょうは、また私の鞄から
今度は携帯を取り出していた。
『りょう?』
「……………」
『ねえ、りょう!』
私はりょうに近づき、りょうの手から携帯を取った。
『なんで…勝手に見るの??』
「別にいいだろ?」
『私、何もやましいことなんかないよ??りょうは何を疑ってるの?』
「あるじゃねーかよ。向井って電話帳に入ってた。昨日の写真の奴だろ?」
さっきの穏やかなりょうは
どこに行ったの…?
また怖い顔をしてる
『ねえ、りょう。私だって毎日仕事行ってるんだよ?りょうだって仕事の人と連絡取り合うでしょう?勝手に鞄の中とか携帯とか…チェックして………なんか、最近りょう変だよ。』
「変なのはそっちだろ!!」
りょうは
勢いよく私を殴った。
痛い…………
痛いよ
後ろにしりもちをついて
同時に
私の手が当たった写真立てが
棚から落ちた。
音を立てて割れたガラスの中には
私とりょう
2人が笑ってる写真。
「昨日、知ってる男とはきれって言っただろ?お前嘘ついたのか?」
りょうは私の服を引っ張るように掴んだ。
『やめて!!痛いよ、りょう……最近すぐに暴力………お願いだから…』
「美沙が悪いんだろ!!」
りょうは何度も
何度も
私を殴ったり突き飛ばしたりした。
たくさん殴られた後
私は携帯だけを持って
外へ飛び出した。
殴られた頬が痛くて……
痛くて
怖くて涙がたくさん流れた。
声をひきながら泣いて走った。
足やお腹も
身体のあちこちが痛かった。
近くの公園のブランコに座って
ガタガタと震える手で携帯を開く。
ボタンを押して電話帳を開く。
画面には“向井さん”
迷ってはいたけど、
それより恐怖の方が強かった。
いつも仕事中、私を気にかけてくれて
心配してくれたり
笑わせてくれる向井さん……
向井さんは
友達としていつでも話聞くからって
そう言って連絡先を教えてくれた。
助けて…
助けて…
向井さん………
何度か呼び出し音が鳴ったあと
電話の向こうから
優しい声が聞こえた。
「もしもし。」
向井さん………
声が聞こえると
恐怖から遠く離れられた気がして
また涙が止まらなくなった。
「もしもーし?」
涙で声が上手く出せない……
ただ携帯を片手に涙を流す。
「…高野さん……?」
向井さんは私が名乗る前に気づいてくれた。
『向井…さ…ん………』
「どうした!?なんかあったの??…泣いてる…のか??」
必死になって心配してくれているのが伝わってくる。
『ごめ…っんなさい……いきなりこん…な時間に…。』
「謝らなくていい。大丈夫??今どこ?すぐに行くから待ってて!」
場所を伝えて電話を切ってから
すぐに
向井さんは
急いできてくれた。
「高野さん!!!」
私が顔を上げると
向井さんは驚いた顔をした。
「どっ…どうしたの!?その顔……」
向井さんは
ブランコに座ったまま泣きじゃくる私の前に
しゃがみこんで
そっと両手を包みこむように握りしめてくれた。
『彼氏に……………殴られて……』
「彼氏に!?」
『はい………。』
向井さんは
信じられないと言った表情でため息をついた。
「痛いだろ?立てる??」
『はい。』
「そこに車、停めてあるんだ。とりあえず……中に乗ろう。」
向井さんは傷だらけの私の肩を優しく抱き寄せて歩いてくれた。
車の中は
甘いような、でも爽やかな、
向井さんの匂いがしていた。
運転席に座った向井さんは、助手席に座る私の膝に自分の上着を乗せた。
「とりあえず俺の家に向かうけど、大丈夫?」
まだ殴られたところがジンジン痛む。
私が頷くと向井さんはエンジンをかけた。
向井さんはとても綺麗なマンションに住んでいた。
部屋は
男の人の一人暮らしにしては
素晴らしいくらい片付いていて
家具などは白か黒で統一されていた。
とてもシンプルな部屋。
「少ししみると思うけど、ごめんね。」
向井さんは救急箱から消毒液を取り出して
手当てをしてくれた。
『すいません。』
「謝らないで。高野さんのことが心配だったから番号も教えたんだし。」
向井さんは私に笑いかける。
『向井さん…本当に一人暮らしですか??』
「え?そうだよ。どうして??」
『だって…すごい部屋とか片付いてるし。救急箱とか……あるから。』
笑いながら話すと、唇が裂けるように痛かった。
「俺、男にしては細かいほど綺麗好きでさあ。友達からもよく気持ち悪いって言われるんだよ。」
向井さんの笑顔が
私の震えを止めてくれた。
私は落ち着くことができた。