嗚呼,今日も死にたい。

私はビルの屋上、それも安全柵の向こう側でそんなことを考えていた。
季節は夏。
じりじりと肌を焼いていく太陽の光はそこにいるだけで汗をかかせ、水分を奪っていく。
そして、思考力も。
だから、余計に死にたいなんてことを思うんだ。
でも、私は死なない。
正確には、死ぬのが怖い。
だって、死んでしまったら当たり前だがその先がない。自分には未来を望めないとわかっていながら未来を望みたいと思ってしまって死ねない。
それなのに、死にたいだなんて矛盾する願いを持っていて、その何方もを叶えられたらなんて思っている私はとても傲慢だ。
それに、痛いのも嫌いだ。
だから、こんな柵の向こうに立っていたところで飛び降りることもしない。
勿論、リストカットを含む自傷行為も。
あ、でも
この前、ピアスなら開けた。
誰かから聞いたことがある。
ピアスの穴を開けることは一種の自傷行為なのだと。
その印とでも言うように、太陽の光に青いピアスが反射する。
確かに、痛かった。
けど、それと共に自分の何かが少しだけ満たされたような気もした。
きっと、私を1番傷つけたがっているのは私自身なのだ。だけど矢張り痛いのが嫌なのは変わらない。
そんな矛盾にまた嫌気がさす。

「 あの … ,何してるんですか ? 」

思考を続けていて、周りの音を遮断していた耳に突然そんな声が降ってきた。その声は男というより男の子の声で高くもなく低くもない。中世的。そんな喩えが合うような少年らしい声だ。そして、私は恐らく後ろにいるであろう、声のした方向に振り向く。矢張り、死ぬのは怖いので落ちないように慎重に首だけを其方へ向ける。
どうやら、その男の子は私よりも背が大分高いらしい。それでも、私だって高校生女子と呼ばれるカテゴリからすれば167センチという身長は高いはずだ。そんな私でも高いと思ってしまうのだから恐らく、183センチ以上くらいだろう。だから、相手を見上げる形になる。逆光の影響で相手の顔はよく見えない。
と、また深く思考の海へ潜っていると再び同じ声が降ってくる。

「 き , 聞こえてますか … ? 」

おずおずとした声。どうやら、目の前の少年と呼ぶには若干、背が高すぎるような気もする恐らく青年はその体格に似合わず随分と控えめな性格のようだ。でもまぁ、こんな自殺現場、普通は放っておくだろう。だから、こんなふうに声をかけるだけ随分と勇気がある。
流石に何か答えなければそう思っては何か良い言葉はないかと短い逡巡。
それを経て、出た言葉。

「 聞こえてるぞ 」

嗚呼、私は馬鹿か?
「 聞こえてるぞ 」?
いや、確かに聞こえてるか?とは問われたが、恐らく目の前の彼が欲している言葉、答えとはかけ離れているはずだ。はぁ、本当に心の中はいつも騒がしいのに実際に誰かと話そうとするとこれだ。見当違いなこと、空気の読めないことばかり言ってしまう。
青年と私との間に流れる、沈黙。この沈黙を生んだのは私だが、それにしても気まずい。「 どうしよう 」と心の中で大騒ぎをしていると青年が

「 『 聞こえてるぞ 』って… ,あはっ ,面白い 。 」

「 危ないですから、こっちに戻ってきてください。 」

楽しそうな声。
逆光で顔はよく見えないが、恐らく笑んでいるのだろう。
そして、言い終わると同時に差し出された手。
彼が笑ったことに少々面を喰らいつつ、その手を取るようにして柵の向こう側へと戻る。
そりゃあ、彼だって人間だ。だが、あんなおずおずとした風に声をかけてきた人間がこんなふうに笑うと誰が予想できようか。

「 ふぅ … 」

と、青年が小さく息を吐く。
私がこちら側に無事に戻ってこれた安堵からか、少し安心しているような感じもあった。
青年の顔を改めて見てみるとこれは世に言うイケメンというやつなのだろう。ずっと通った鼻筋に、女の子のようにぱっちりとした二重。一度も染めたことがなさそうな艶々とした黒髪。それに薄い唇。そして、少し猫目なのもまた可愛い。
先程から青年とばかり思っていたが、顔の幼さを見るに“ 少年 ”というのがあっているように思える。恐らくだが、私よりは年下だろう。

「 それで ,何故 ,あんなことをしてたんですか ? 」

少年からの当たり前すぎる質問。まぁ、こんな場面を見てこれを問わない奴はいない。さて、どう答えたものか…。死にたいと思っていない奴に、死にたいと思っている奴の考え方(気持ち)を理解してもらうのは難しい。それに、死にたい理由も別に大層なものじゃない。どこにでも転がっているような話だ。毎日が辛くて、逃げ出して仕舞おうかなんて思ってしまうからあんなことをする。はぁ…色々と考えるのは面倒くさい、取り敢えず、適当に答えよう。

「 そういう気分だったんだよ ,少年 」

結局、出た言葉はこれだった。だって、どんな風に答えていいかわからないし、本当のことをいきなり他人に話すのは抵抗がある。だから、適当に答える。

「 『 そういう気分 』って ,命は大事にするものです ! そんなことで無駄にしようとしないでください ! 」

少年が今までの態度からは想像もつかないほどに必死な顔をして声を荒げるものだから、それに圧されるように目をパチパチと2、3度瞬く。
でも、その言葉の意味を飲み込めてくると今度は自然と嘲笑が浮かぶ。

「 少年 ,君に何が分かるのかな ? 」

私でも驚くほどに冷たい声が出た。でも、今はそんなことはどうでもいい。「 命を無駄にするな 」?気持ち悪い。赤の他人のお前に何が分かる、私の何を知ってる。知らないくせに他人の領域(テリトリー)に入ってくるなよ。

「 分かりませんよ 。他人ですから 。だけど ,“ 自殺 ”は現実(じぶん)から目を背けて逃げようとしているだけです 。 」

真っ直ぐ、何かを貫くような目を向けてくる。やめろ。そんな目を向けてくれるなよ。君の言っていることが全部正しいなんて最初から分かっているんだよ。だけど、逃げたいなんて、解決するのは私一人じゃ無理で、でも、誰かに頼る方法も誰に頼ったらいいかも分からないのだから思ってしまったのだから仕方がないだろう。ははっ、もうどうすりゃ良いんだよ

「 ははっ , 誰が助けてくれるんだ ?大人か ?先生か ? 誰だってこんな面倒ごと目を逸らしていたい物なんだよ 。上っ面では可哀想だとか言っておきながら自分に厄災が降りかかってくるのは面倒だから助けようとはしない 。あぁ ,なんなら君が助けてくれるのか ? 」

はぁ はぁ …
一思いに言ったことで少しだけ息が上がる。
少年の言ったことに対して、何かを返そうと思った。それだけだったんだ。平和的に済まそうと思っていたのに、いつもはそれができたのに「 逃げようとしている 」なんて言われて私の中の何かがプツッと切れて今まで溜め込んでいたものが爆発したみたいだ。

「 んー… 」


息が整い、今までビルの屋上の床のコンクリートを見ていた顔をあげ、少年の顔を見る。少年は何かを考えているようで、小さく唸る。反応がなさすぎるため、少しだけ怖くなる。初対面の自殺しようとしていた女にこんなヒステリック紛いのことをされては誰だってドン引きするし、やばい奴だと思うことだろう。だが、少年は予想とは裏腹になんだか唸っている。そして、数秒の後、口が開かれた。

「 じゃあ ,あなたの人生を僕にください 。 」

「 は ? 」

いやいやいやいや。
待て待て待て。
少年の言った言葉がうまく飲み込めない。勘違いでなければこんな場面で言うことなどないであろう、プロポーズ紛いの言葉が聞こえてきたと思うのだが…。
え?
「 あなたの人生を僕にください 。 」
なぁに、真面目な顔して狂ったことを言っているんだ?普段なら大体のことにはポーカーフェイスで返せるのだが、この時ばかりは驚きを前面に出して「 は ? 」と思わず返してしまった。