「あら、聞こえなかった?すっかり妹崎先
生のお気に入りね、って言ったのよ」

 「お気に入りって……ええっ!?まさか、
そんなぁ」

 柳の言葉を理解した瞬間に、満留は顔の前
でパタパタと手を振って見せる。が、あまり
にタイムリーなその話題に満留の心臓は口か
ら飛び出しそうなほど、どきどきとしている。

 柳は全力で否定する満留をスクエア型のメ
ガネの向こうからじぃ、と見つめると、あか
らさまにため息をついた。

 「あなたねぇ、鈍感にもほどがあるわよ。
周りがこんなに気を使ってるんだから、せめ
て先生の気持ちに応える気があるのか、ない
のか、聞かせて欲しいわ。見た目はちょっと
アレかも知れないけど、彼は将来有望な准教
授よ。ゆくゆくは教授となって物理学の世界
を牽引する第一人者になるに違いないわ。そ
んな良縁を、『まさか』のひと言で否定する
なんて……勿体な過ぎるでしょう?」

 リップを手にしたまま腕を組み、柳が直接
満留を見つめる。その口調は、まるで説教の
ようなのに、彼女が自分のことを真剣に考え
て言ってくれているのだと、わかる。

 満留は茶化すことなく上目遣いでこくりと
頷くと、妹崎の顔を思い浮かべた。


――そうして、熟慮する。


 仮に、もし仮に妹崎が自分に気があるとし
ても、それは将来を考えるような真剣な想い
なのだろうか、と。

 はっきり言って、大学職員と大学教員が結
ばれるケースは少なかった。その理由は職員
と教員の間には見えない壁があるから、とい
っていいのかも知れない。つまり、大学教員
は自分と同レベルの学歴や職歴を相手に求め
ることが多いのだ。だから、大学職員も学生
時代の同級生や前職の同僚、そして同じ課の
職員同士で結婚することが多かった。

 そう考えると……やはり、妹崎が自分を気
に入っているという話は、勘違いのような気
もしてしまう。

 それをそのまま柳に伝えると、彼女は苦笑
いしながら肩を竦めた。

 「まあ、確かに。教員と職員の間には壁が
あるかも知れないけど、妹崎先生に関しては
そんな心配要らないんじゃないかしら?教員
同士の派閥争いもどこ吹く風みたいな人よ?
出世欲がないのに、彼の著作や論文が注目さ
れてることで妬まれるのは気の毒だけど」

 「妹崎先生、妬まれてるんですか?」

 「一部の人たちからね。よくあることよ」

 そう言って柳がにっこりと笑うので、満留
は思わず目を瞠る。初めて会った時は、こん
な風にやさしく笑う人には見えなかったけれ
ど……。

 第一印象とその人本来の性格というのは、
必ずしも一致しないものなのかも知れない。


 満留は就職活動の折り、最終面接で初めて
柳と対面した時のことを思い起こした。