戦地に舞い降りた真の聖女〜偽物と言われて戦場送りされましたが問題ありません、それが望みでしたから〜

「すいません! 今回もダメです‼︎」
「大丈夫! そろそろ魔力が消えかかっているようね。少し休みなさい。でも、私の治療を見ているのよ」

 かなりの時間、互いに試行錯誤をしながらサルビアの訓練を続けていたものの、結果は芳しくはなかった。
 その主な理由は感覚の違い。

 デイジーに解呪の魔法を指導する際には、私の感覚とデイジーの感覚がたまたま似通っていたおかげか、時間はかかったものの、何とか習得してもらうことができた。
 しかし、先ほどの解毒の魔法の感覚が大きく違ったように、私とサルビアの感覚には大きな隔たりがあるようだ。

「ごめんなさい。何かいい方法があればいいのだけれど……」
「そんな! 聖女様は一つも悪くありません! こんなに時間を割いて指導いただいているのに、できない私が悪いんです‼︎」

 その場に座り込みながら、消耗した魔力を回復させるサルビアがそう言う。
 私は首を横に振り、どうにかならないかと思案していた。

 やはり一番重要なのは、感覚だ。
 デイジーが解呪の魔法を覚えた時も、口頭でだが私が解呪の魔法を使う時の感覚を伝えたことがきっかけだった。

 それまで何度やっても失敗していたデイジーだったが、感覚を伝えた途端、何か気づきがあったようで、数日間独自に訓練をしていた。
 その後、再び解呪に挑戦し、完全に解呪するまではいかなかったものの、使う際に必要な感覚が掴めたと、喜んでいた。

 悩みで気が疎かになっていた矢先、聞き覚えのある声同士の会話がふと耳に入った。
 声のする方を見ると、ロベリアが負傷兵として運ばれてきたアイオラと話している。

「兄さん! また怪我をしたの?」
「あはは。そりゃあ、戦闘をしているんだから怪我はいつだってするさ。それに今回は前回みたいな酷いものじゃない。大丈夫だよ」

「そうよね……安心して! 兄さんや他の兵士さんがいくら傷ついたって、聖女様のいるこの部隊がたちまち綺麗さっぱり治しちゃうんだから!」
「そりゃあ頼もしいなぁ。ロベリアも頑張っているみたいだね。さぁさ、仕事中だろう? いつまでも油を売ってないで持ち場に戻るんだよ」

「残念でした! 今は休憩時間ですー。あ、でも他の人に邪魔になるから、そろそろいくわね。兄さんも無茶しないでね」
「ああ。今回の怪我はアンバー部隊長を庇って受けた傷でね。僕としては敬愛する部隊長を守れて、誇りに思っているんだけど、案の定、本人にこってり怒られたよ」

 珍しく明るい雰囲気に私はついつい聴き入ってしまっていた。
 そこで、あることを思い出す。

「ちょっと、一瞬だけ外すわね」

 そう言って、私はアイオラの方へと向かい、声をかけた。

「久しぶりね。アイオラ。ロベリアはその後しっかりやってくれているわ。ところで、あなたに少しだけ教えて欲しいことがあるの」
「これは聖女様。あの節は本当にありがとうございました。おかげでこうしてあなたやロベリアの顔を見ることもできますし、未だに生きています」

「時間があまりないから単刀直入に言うわね。前に私に魔力の練り方を教えてくれたでしょう? あれは、どうやってやるの?」
「え? ああ、あの方法ですか……すいません。まさか聖女様だとはあの時は分からず、生意気を言ってしまって」

 アイオラは一瞬驚いた顔をして、それから頭を下げた。
 あの時は目が見えなかったし、そもそもアイオラが攻撃魔法用の魔力の練る場所を教えてくれたおかげで、彼を助けることができたのだから、感謝しかない。

「いいのよ。それで、あれは誰でもできるのかしら?」
「ええ。魔力をすでに練ることができる人なら誰でも。練った魔力を、繋いだ手を通して相手に送るんです。相手が力を抜いていれば、その魔力は最も通りやすい場所を通ってから、反対の手に流れます。昔、ロベリアと遊んでいる時に気づいたんですが……」

「ありがとう! 分かったわ。ちょっとやってみるわね。手を貸してくれるかしら?」
「え? ええ。でも、私はもう既に魔力の練り方を知っていますから、今さら……ああ、通すことができるかの確認ですね。それなら知っている相手にやってみた方が間違いが少ない」

 そう言いながら、アイオラは私の差し出した両手を握り返した。
 さっそく回復魔法を使うための魔力を練り、右手からアイオラの手に通すようイメージする。

 すると、確かに手を通してアイオラの身体に私の魔力が流れていく。
 よく考えれば、私自身も、魔力を右手から左手へとアイオラの頭の中を通したことがある。

 あれは意識的に魔力の流れを制御して、まっすぐ手の間を流していたけれど、今回は送った後のことは、分からない。
 少しの時間の差があってから、右手に送った魔力と同じものが、アイオラの手から私の左手へと流れ込んできた。

「どう? できているかしら?」
「え、ええ……できている、と思うんですが。何故か経路も、熱を帯びる場所も違うように思います。普通だとへその下辺りが暖かくなるんですが、今は胸の辺りが暖かくなりました」

「本当? それでいいの。成功よ。ありがとう!」
「え? そうなんですか? なんだか分かりませんが、お役に立てて良かったです。それでは、僕もいつまでもここで休んでいるわけにはいかないので失礼しますね。部隊長を心配させるといけませんから」

 そう言うとアイオラは軍式の敬礼をしてから、治療場を後にした。
 私は、すぐに戻り治療を再開する。

 それを見ていたサルビアが不思議そうな顔を私に向け、質問を投げかけてきた。

「聖女様。あの人ってロベリアのお兄さんですよね? いきなり手を握りしめたりして、どうしたんですか? まさか、聖女様のいい人ですか⁉︎」
「何を馬鹿なこと言っているの。違うわよ。それはそうと、サルビア。魔力が回復したら、ちょっと試したいことがあるの」

 不思議そうな顔のままのサルビアに向かって、私は笑みを送った。
 しばらくしてから、床に座りながら私の治療を眺めていたサルビアが、立ち上がり、休憩終了を告げる。

「すいません、聖女様。お待たせしました。それにしても……あんなに治療をしたのに、まだ魔力が尽きないなんて。聖女様の魔力の総量は恐ろしいですね……」
「そうかしら? でも、魔力って使っていると自然と増えるでしょう? だから、ここの部隊のみんなだって、前よりもずっと増えているはずよ」

「それでもいつまで経っても聖女様に及ぶ未来が見えません。私が少し増えている間に、聖女はずっと増えてそうな気がして」
「魔力の総量を簡便に測る方法があればいいのだけれど。そうすれば、衛生兵の配備だってもう少し効率よくできる気がするの」

「聖女様は本当にいつも、より良くすることを考えてらっしゃるんですね。頭が下がります。それで、魔力が回復したらやることとはなんでしょうか?」
「ああ! そうだったわ。ごめんなさい。また、少し治療を止めるわね」

 私はサルビアの方を向き、先ほどと同じように両手を差し出す。
 サルビアはなんだかよく分からないといった顔を見せたが、私が伝えるより前に私の手を握り返してきた。

「さっきと同じことやるんですね? 握りましたが、何をするんです?」
「ええ。そうなの。解呪の魔法の感覚がどうしても口で伝えられないでしょう? だったら、直接身体に教えたらどうかと思って」

「え? 直接身体にですか? どういうことです?」
「今から私が練った解呪の魔法用の魔力をサルビアの身体に送るわ。全身の力を抜いて、楽にしてちょうだい。呼吸を深く。きっと魔力が、胸の辺りを通るはず。その時の感覚を掴んでちょうだい」

 私は先ほどのアイオラの時とは違い、解呪の魔法に適した魔力を練り始める。
 その魔力を先ほどと同じように右手からサルビアの繋いだ手へと流し込んだ。

 少し緊張しているのか、若干抵抗を感じながら、私の魔力がサルビアに流れていくの感じていた。
 その瞬間、サルビアの表情が驚いた顔になった。

「わ、わ! なんですか、これ? なんだか、すごく……え、え⁉︎」

 私からは分からないけれど、サルビアの身体の中を、私の魔力が流れているのだろう。
 左手に魔力が流れてくるの感じ、私は繋いだ手を解いた。

「もういいわ。どう? 何か感じたかしら?」
「え? え、ええ! え……と、ちょっと恥ずかしいんですけど……その……」

「どう感じたかはあなたしか分からないでしょうから無理に説明しなくていいわ。とにかく、それが解呪の魔法のあなたの感覚よ。それを自分でもできるようになれば、解呪の魔法が使えるようになるはず」
「え⁉︎ そうなんですね! 分かりました! 忘れないようにしないと!」

「それじゃあ、後は自主訓練でいいわ。同じ感覚で魔力が練れるようになったら、戻ってきなさい。その時、試すわね」
「分かりました! 失礼します‼︎」

 サルビアも軍式の敬礼をすると、駆け足で訓練場へと駆けていった。
 それを見送る暇もなく、私は再び治療を開始する。

「待たせたわね。今から治療を開始するわ」
「あ? ああ……お願いします」

 【痛み(ペイン)】の呪いを受けて、痛みに苛まれているはずの若い兵士の顔は、何故だか少し紅潮していたように見えた。



「戻りました! 多分……できます‼︎」

 しばらくして、再びサルビアが治療場に姿を現した。
 満足に満ちた笑顔を見せるサルビアに、私は期待を寄せる。

「それじゃあ、次に来た呪いを受けた負傷兵に、もう一度治療を行ってちょうだい」
「分かりました!」

 ほどなくして、【痛み】の呪いを受けた負傷兵が運ばれてきた。

「痛い、痛い痛い痛い‼︎」
「もう少しの辛抱よ。さぁ、サルビア。やってみせて!」
「はい! 分かりました‼︎」

 横になる兵士に向かって、サルビアはこれまでと同じように魔力を練り上げ、手に灯った光で呪いの紋様を照らす。
 すると、完全にではないが、徐々に呪いの紋様が薄くなっていった。

「痛……けど、そんなに痛くなくなった?」
「よくやったわ! サルビア! これであなたも解呪の魔法を習得したのよ! 後はその感覚を忘れずに、徐々に慣れていくだけだわ!」
「やったぁ! よかったぁ……私、本当にもう無理だと……聖女様にこんなに見てもらってるのに、全然できなくて。才能ないんだって……」

 サルビアは目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうだ。
 今にも抱きしめてあげたいけれど、それは後に取っておくことにした。

「さぁ! まだ完全に治ってないわよ。もう一度」
「はい! 分かりました‼︎」

 袖で涙を拭った後、サルビアは再び魔力を練り、呪いの紋様に光を当てる。
 二度目の魔法に晒された呪いは、今度こそ跡形もなく消え失せた。

「痛みが……消えた! ありがとう! ありがとうございます‼︎」
「こちらこそ、ありがとう‼︎ 聖女様! 私……私……」

 再び目に涙を溜めるサルビアを、今度こそ私は両腕でしっかりと包み込み抱きしめた。
 魔力を練ったわけでもないのに、私の胸のあたりに熱を感じた。
 サルビアが解呪の魔法を使えるようになり、デイジーと同じ紫色のリボンタイを付けるようになってから、数日経った。
 様子を見るための数日だったけれど、どうやら少しくらいなら私の身体も自由になりそうだ。

 そこで、計画していた訓練兵たちをさらに鍛え上げる訓練を開始することにした。
 ただ、今回は以前よりも上手く、そして早く習得が達成できる確信がある。

 アイオラに習い、サルビアで実践した感覚の共有。
 これができれば、最も困難な種々の回復魔法の感覚を正確に伝えることができる。

 ただ、デイジーやサルビアに試してもらったところ、上手くいかなかった。
 どうやら私は苦労なくできたが、人によっては他人に自分の魔力を通すということが極めて困難らしい。

 これも練習を繰り返せばそのうち徐々にできるようになると思うが、二人ができるのを悠長に待っている時間の余裕もない。
 唯一私以外にできるのはロベリアだったが、彼女は最近回復魔法を使えるようになったばかりで、自身もまだ緑色のリボン帯を巻いている。

「つまり……私がやるのが一番手っ取り早いということね」

 私は独り言を呟きながら、訓練兵の待つ訓練場へと向かった。
 訓練場には、今回新しく配属された訓練兵の他に、緑色のリボンタイを巻いている衛生兵たちも参加してもらっている。

 一列に並んだ彼女たちに、私は一人ずつ目を合わせながら話し始めた。

「今日からあなたたちにはより上位の治癒の魔法、それに解毒の魔法を習得していってもらうわ。ここにいる全員が黄色のリボンタイを付けられるよう、期待しているから頑張ってちょうだい!」
「はい‼︎」

 一斉に元気な返事が返ってくる。
 私はそれに一度頷き、訓練の具体的な方法を伝える。

「これから一人一人、私と手を握ってもらうわ。私がそれぞれの回復魔法に必要な魔力の感覚を直接身体に伝えていくの。口で説明するより実際にやってみた方が分かるわね。ロベリア。こっちにいらっしゃい」
「はい!」

 私に名を呼ばれたロベリアは、少し嬉しそうな顔をして、前に出てきた。
 すでに兄のアイオラと魔力循環を遊びとして繰り返し行なっていたロベリアは、十分に慣れている。

 受け取る側がどういうふうにすれば良いのか、説明をしなくてもよく分かっているだろうから、見本としては一番適しているだろう。
 既に私の前に差し出されている両手を握り返し、説明を続ける。

「あなたたちは、ロベリアと同じように、両手を差し出して、身体の力はできるだけ抜いて。そしてこうやって私があなたたちの両手を握るわ。それじゃあ、ロベリア。今から流すわね。これが、解毒の魔法を扱うときに練る魔力の感覚よ」
「はい……あ、感じます。確かに治癒の魔法とは全然違いますね……それに、さすが聖女様です。私は、こんな大きな魔力、自分では練られせん」

「魔力の総量と同じで、一度に練られる魔力の量も、訓練していけば徐々にだけど増えていくから心配しないで。今は、感覚を覚えることだけに専念してちょうだい」
「はい! 分かりました‼︎」

 魔力循環が終わり、私は手を離してから再び訓練兵たちの方を向く。
 全員、よく分からないといった顔だが、何をすれば良いのかは伝わっただろう。

「実際に経験しないとこれ以上は上手く伝えることができないけれど、やることはわかったでしょう? ただ私と手を握って身体の力を抜くだけ。さぁ、一人ずついらっしゃい」
「はい!」

 向かって右の方から、一人の衛生兵が前に出てくる。
 先ほどと同じように、手を差し出させ、それを握りかえす。

「良いかしら? 今から魔力を送るわ。普段魔力を練る感覚と、何が違うのか、しっかり感じてね」
「分かりました。あの、このまま黙っていれば良いんですか? 何もせずに」

「ええ。むしろ何もしないのが最良よ。緊張したりすると上手くいきにくくなるの。一度深呼吸をしましょうか」
「す、すいません! 部隊長と手を握るだなんて! 光栄で緊張しています‼︎」

 彼女は結局何度も深呼吸を繰り返し、なんとか自分を落ち着かせようとしていた。
 なんだかその仕草がおかしかったが、いつまで経っても緊張は解れないようなので、諦めてこのまま開始する。

「もういいわ。このまま始めましょう」
「す、すいません! わぁ! 私ったら!」

「良いのよ。今回一度きりで全てが分からなくても、できるまで続けましょう。それじゃあ、今度こそ行くわね」
「はい!」

 私はロベリアにしたのと同じように解毒の魔法に必要な魔力を練り、彼女の手へと流し込む。
 やはり相手が緊張していればしているほど、魔力を流し込むのに抵抗が生じるようだ。

「わ! え⁉︎ なんですかこれ⁉︎ すごっ! うわ?」
「落ち着いて。今あなたの手を通して、私の練った魔力をあなたの身体に流しているの。胸の辺りに熱を帯びるでしょう? それ以外にも、全身で感じる感覚を覚えて」

 慣れているロベリアとは違い、初めて人に魔力を流されると、彼女のように驚くのは仕方がないことだと思う。
 私も初めて経験した時は、表には出さなかったけれど、奇妙さに驚いたものだ。

 少し長めに流した後、私は魔力の循環を止めた。
 私が手を離そうとしても、いつまでも手を離さない彼女に、私は優しい口調で言う。

「もう手は離していいのよ」
「え? あ、す、すいません‼︎」

「うふふ。それで、感覚は掴めたかしら?」
「はい! と言いたいところですが、普段自分が練っている魔力とは違うのは分かったんですが、これを自分ですぐ練ろって言われると、できないと思います……」

 彼女は少し申し訳なさそうに、答えた。

「大丈夫よ。感覚さえ掴められれば、後は練習でなんとかなるわ。誰もすぐにできるだなんて思ってもいないのよ。さぁ、次に行くわね。代わりなさい」
「はい! ありがとうございました」

 こうして、私は一人一人に魔力循環を実施していった。
 しばらくは忙しくも落ち着いた日々が続いた。
 緑色から黄色に変わっていく衛生兵もちらほら出始めた、そんなある日。

「部隊長! 大変です‼︎ カルザー長官が査察にお越しです!」
「なんですって⁉︎ すぐにこちらへお通ししなさい」

 衛生兵部隊をまとめる、カルザー長官ではあるが、今まで部隊の陣営に自ら顔を表したことがあるなど、聞いたことがなかった。
 少なくとも私が配属されてからは初だ。

「お邪魔するよ。やぁ、急拵えの治療場だったが、どうして、なかなか上手くいってるみたいじゃないか」
「恐れ入ります」

 以前と同じように柔らかい笑みを顔に湛えるカルザーだが、その内心は読み取りようがない。
 私に案内されながら、陣営の中を睨め回すように、私はカルザーの目的を探る。

「そういえば、長官がお越しになるなど、存じ上げていませんでしたので、驚いています。事前に知らしていただければ、それなりの用意もしましたのに」
「いやぁ。事前に知らせてしまったら査察にならないじゃないか。都合の悪い物でも隠されてしまったら、たまったもんじゃないからね」

 カルザーは表情は変えないものの、含みのあるような言い方をしてきた。
 未だに彼の目的が読めない。

「実はね。このところの、この部隊からの報告がすこぶるいい結果でね。まぁ、フローラ君も頑張ってくれているんだろうけど、ちょっとだけ、気になってね」
「どういうことですか?」

 自慢ではないが、忙しさの対価として、兵士たちの治療は以前とは比べ物にならないほど改善しているはずだ。
 カルザーの意図がどうであれ、こうやって最前線に治療場を設置した意義は大きい。

 前は移送中に亡くなってしまったような兵士たちも、助けることが可能になったのだから。
 それでも、今はまだ助けられない兵士たちも少なくない。

 なんとか衛生兵たちの能力を底上げして、更なる改善を模索しようとしているところだ。
 何はともあれ、まずは衛生兵たちにどんどん頑張ってもらうしかない。

 私一人の力では限界がある。
 ここの衛生兵全員で第二衛生兵部隊なのだ。

「まぁ、端的にいうとね。報告が本当か、ってことでね。ああ。まぁ君も若いんだし。立場ってのがあるのは分かるんだけどね? ただ、僕も嘘を上に上げるわけにはいかない。他の部隊にも示しがつかない。というわけなんだ」
「私が虚偽の報告を上げていると?」

「もしかして、の話さ。もちろんはなっから疑っているわけじゃない。もし本当なら凄いことだ。それなら、どうやって達成しているのか、この目でしっかりと見ておかないとね」
「……分かりました。長官のお気の召すまでご確認ください」

 「もとよりそのつもりだよ」という返事と共に、帯同させていた何人かの者に指示を出しす。
 指示を聞き終えた後、全員がそれぞれの方向へと散っていった。

「というわけで、少し調べさせてもらうよ。構わないね?」
「ええ。もし何か不備がありましたら、その時は私が責任を取ります」

 私の言葉に、カルザーの笑みが増したような気がした。



 それからしばらく、取り止めもない話が続いたが、いつまでもカルザーだけに構っているわけにはいかないので、私は治療場へ戻ることにした。
 カルザーには私の隊長室を使ってもらい、そこで上がってきた報告を確認してもらう。

 元々の私の担当の時間を終え、カルザーがどうしているか気になった私は、休憩と合わせて隊長室へと戻った。
 入室の際に扉を叩こうと近付いた際に、中からカルザーの独り言が聞こえ、少しの間だけ耳をすます。

「どういうことだ? 上がってきた報告通りだと? ありえん。あの無能どもはどうなった? 次々と運ばれてくる負傷兵を治療しながら、訓練などできぬはずだぞ?」

 どうやら報告内容に納得がいっていないようだ。
 私は顔を扉から離し、姿勢を正してから扉を叩き、返事を待った。

「誰だ⁉︎ 今部隊長のフローラなら不在だ!」
「私です。長官。フローラです。入ってもよろしいでしょうか」

「ああ。フローラ君。君か。入りたまえ。何、元々君の部屋なんだ。わざわざ入室の許可などいらんよ」
「分かりました。失礼します」

 私の机の上には、所狭しと資料が並べられていた。
 かなり入念に調べていたようだ。

「すまんね。散らかして。それで? 治療の方がもういいのかね? ああ、僕のことなら気にしなくて構わないよ。勝手にやっているから」
「いえ。ちょうど休憩に入りましたので。それで、満足のいく調査結果は得られましたでしょうか?」

「ああ。まったく、感心するよ。ところで、ちょっと前に増員が入隊したと思うんだが、彼女らは今、どうしているかね?」
「新しい衛生兵たちですか? 彼女たちなら、他の衛生兵たちと同様、時間を区切って、それぞれ治療場での治療に当たってもらっています」

「そうか。そういえば、治療場をまだ見せてもらっていなかったな。どれ、案内してもらうか」
「分かりました。騒がしいところですが、ご了承ください」

 私はカルザーを連れて治療場へと向かった。
 治療場への途中、私の横を歩くカルザーはごくわずかだが、苛立ちを感じているようにも見えた。

「こちらです」
「ああ」

 治療場では、今もなお様々なところで、傷ついた負傷兵たちが衛生兵たちによって治療を受けていた。
 カルザーは周囲を一瞥(いちべつ)した後、何かに気が付いたような素振りを見せる。

「そういえばフローラ君。君の部隊は色々と面白い運用をしているらしいね。なんでも、衛生兵の使える回復魔法の種類や熟練度に応じて身に付けるリボンの色を変えているとか」
「ええ。そうすれば、できるだけ必要な治療を受けられますから」

「うん。それで、さっきの新しい増員の話なんだけど、ここにいるって言ってたけど、彼女らは何処にいるんだい?」
「ですから、目の前に。彼女なんかもそうですね」

 そう言って私は近くにいる緑色のリボンタイを付けた衛生兵を指さした。
 私の指の示す先を見た瞬間、カルザーの顔から一瞬だけ笑みが消えた。

「あはは。フローラ君。何か間違っていないかい? だって彼女は緑色のリボンを付けているじゃないか」
「はい、それが何か? 増員は全員、回復魔法を使える者を送ってくれたと。私はそう認識していますが」

 第二衛生兵部隊に回復魔法の使えない訓練兵が送られていると知っているのは、本来私の部隊やベリル王子、ダリアそしてアンバーのごく限られた者だけなはずだ。
 カルザーも表向きは回復魔法を使える者を増員したと言っていたはずだ。

 前にアンバーの使い魔から聞いた話は間違いじゃなかったようだ。
 カルザーは終戦を好ましくなく思っているモスアゲート伯爵の手先として動いている。

 私は、決して彼らの思い通りにはさせないと、再度強く心に誓った。
「あ、ああ。そうだったね。すまない、すまない。ちょっと別の件と、勘違いをしていたようだ」

 カルザーはそう言いながら、目線を私が示した元第二期訓練兵として配属されてきた女性の手元に注ぐ。
 彼女が担当の負傷兵の怪我を回復魔法で治療したことを確認すると、他の衛生兵たちにも目を配り始めた。

 一通り見た後に、カルザーはこちらを振り返り、いつも通りの笑みのまま口を開く。

「うん。どうやら上手くいっているみたいだね。安心したよ。こんな優秀な部下を持って、上官として鼻が高い。ところで、今休憩中の衛生兵たちもいるんだろう? その子たちにも会っておきたいな。何処にいるんだい?」
「非番の者は、ある程度行動の自由を許していますが、多くの者は休憩室にいるかと。案内します」

 そう言って、カルザーの前を歩こうとした瞬間、カルザーに呼び止められた。

「ああ。いやいや。君も忙しい身だ。今でだって、十分案内してもらったんだし、残りはこっちで勝手にやるよ。構わないね? ああ、君きみ。休憩室とやらへ、僕を案内してくれ」
「は? ……はっ! かしこまりました‼︎」

 カルザーは何故か私の案内を断り、近くにいた衛兵に声をかけ、案内するよう命令する。
 なんの意図があってそんなとこをするのか分からないが、今の状況で無理に私が同行するのもおかしな話だ。

 それに、確かにカルザーの言う通り、私も忙しい。
 治療以外にも部隊長としてやらなくていけないこともあるため、もうこれ以上カルザーに構うことをしなくていいと言うのは、正直なところ助かった。

「それじゃあ、フローラ君。君の部隊のますますの活躍、期待しているよ。ああ、それと、君の机の資料は、申し訳ないけど、片付けておいてくれないか。僕は休憩室のみんなに激励を送ったら、そのまま帰ることにするよ」
「はい。分かりました。本日は、ありがとうございました」

 指名された衛兵に連れられて、カルザーとその同行者たちは治療場から去っていく。
 私は一度だけ息を吐き出し、気持ちを入れ替えて、従来の任務に戻ることにした。



 カルザーが訪れてから数日間。
 私は何かはっきりとしたことは分からないが、奇妙な違和感を得ていた。

 それがはっきりと数字となって出てきたのは、今日の夜の報告書に目を通した時だった。

「あら? ここ数日の各衛生兵の治療の割合に偏りがあるわね」

 それは、誰がどのくらいの治療を行ったか、まとめた資料だった。
 そんな細かいものは、上層部に送る必要はなく、あくまで部隊内の管理のために、日々付けることを義務付けているものだ。

「この子とこの子と……何人かが随分と減っている。逆に、その減った分を他の子たちが補っていたのね」

 私が数日間持っていた違和感はおそらくこれだったのだろう。
 思えば、これまでより、赤色や紫色の
リボンを付けた負傷兵を治療することが多かった気がする。

 布なしが少なかったのかと聞かれれば、そんなことはなく、結果的に治療している人数が多くなっていたのだろう。

「どうしたのかしら……前までの報告書を見る限りは彼女たちも今よりもっと治療をこなせていたはずなのに……」

 不思議に思った私は、デイジーとサルビアに何かおかしなことが起こっていないか、内密に調べるように指示を出すことを決めた。

 呼び出した二人も、私と同じく違和感を抱いていたようで、各々に口を開く。
 最初に話したのはデイジーだ。

「聖女様も思ってらっしゃんですね! 私も、最近妙に忙しいなぁって。それに他の兵の手が回らずに、そちらの応援にいく頻度も増えた気がしてました」
「私もです。多分、デイジーさんと私が手が回らなくなったせいで、部隊長にもそのしわ寄せがいったのではないかと……すいません」

 サルビアが申し訳なさそうにしたので、私は首を横に振り、それを否定する。

「いいのよ。何もあなたの問題じゃないもの。でも、このままこの状態が続けば良くないことなのは間違いないわ。今はまだ多少の負担増で済んでいるけれど、彼女たちみたいなのがこれからどんどん増えてしまったら、いつか瓦解するわ。それまでに、原因を突き止めましょう」
「はい! 分かりました」

 こうして、デイジーとサルビア、そして私も、何故一部の衛生兵たちの能率が下がってしまったのかを確認することにした。
 しかし、その調査は思うように成果が得られなかった。

 デイジーやサルビアが能率の下がった本人たちにそれとなく聞いてみたり、他の衛生兵を通じて何か変わったことがないか確認してみたものの、明確な原因は今のところみつかっていない。
 それどころか、日に日に、以前に比べて能率を下げてしまった衛生兵が増えていく。

 私は能率の下がってしまった衛生兵たちを、普段より多めに休憩を取らせたりするよう指示を出したが、それでも能率が元に戻ることはなかった。

「どうしてなの? 何かはっきりとした原因があるはずよ……一人や二人じゃないもの。こんなに……」
「聖女様!」

 日々増えていく能率の下がった衛生兵たちの存在に頭を抱えていた矢先、部屋にデイジーが入ってきた。
 何かこれ以上の問題でも発生したのだろうか。

「どうしたの? デイジー。何か問題?」
「いえ! 私、ふと気が付いたんですが。例のやる気がなくなってしまった、衛生兵たち、ある共通点があったんです!」

「デイジー。言い方は気を付けなさいね。やる気がないだなんて、彼女たちが聞いたら気を悪くするわよ。それで、その共通点って、なんなの?」
「はい! この前、カルザー長官がお見えになったと思うんですが、あの日です。あの日の()()()()()()()()()だった者の能率が下がっています‼︎」
 デイジーの言葉を受け、私はもう一度報告書を確認する。
 能率の下がった衛生兵の多くは第二期訓練兵。

 そちらにばっかり気が取られていたが、デイジーの言うように、全員ではないものの、第二期衛生兵でない者も含め、そのほとんどがカルザーが査察にきた際に休憩を取っていた者だった。
 私は一度ため息を吐いてからデイジーの方に目線を上げる。

「それにしても、衛生兵の休憩時間なんて、毎日それぞれ違うのに、よく気付いたわね」
「えへへ……穴が開くほど資料を眺めましたから」

 そういうデイジーの目の下には薄くない(くま)ができていた。
 恐らく治療の合間、わずかな休憩時間を使って、調べてくれたのだろう。

「ありがとう。デイジー。これがどういう意味を持つのかはまだ分からないけれど、糸口は掴めたわ。カルザーがあの日、私を伴わずに休憩室に行っているはずなの。その時に何があったのかもしれないわね」
「うーん。でも、何があったか知らないですけど、該当する衛生兵たちには既に聴き込み済みですよ? 今さら聞いたって、新しい情報が出てくるとは思えませんが……」

 デイジーは顎に右手の指を当て、思案するような素振りを見せる。
 それに向かって、私は笑顔で答えた。

「本人に聞いても無駄でしょうね。明らかにカルザーに何か吹き込まれ、それを実践している。当然、口止めもそれとなく言われているはずよ。でも……」
「でも……?」

「その日休憩室にいたはずなのに、能率が落ちてない訓練兵もいるでしょう? 彼女たちに聞けば、何かが分かるかもしれないわね」
「あ! なるほど‼︎ さっそく、確認してみます!」

 デイジーは華やかに目を輝かせ、私が指令を出すより先に、隊長室を飛び出していった。
 私は苦笑しながらその後ろ姿を扉が閉まるまで眺める。

「ふふ……デイジーの元気さには、いつもこちらが元気づけられるわね。それにしてもカルザー長官。衛生兵たちに何を吹き込んだのかしら……」

 その真相が判明するのは、その日の夜のことだった。



「デイジー。分かったことがあるって、随分と早いわね?」
「ええ! 聖女様。早速見つけましたよ! カルザー長官があの日、何を言ったのか知っていて、教えてくれる人物を」

 デイジーは一人の衛生兵を伴って隊長室に入ってきた。
 明らかに緊張している素振りを見せる衛生兵に、私は優しく声を変えた。

「そんなに緊張しないでちょうだい。あなたが、これから何を言ったとしても、この部隊で罰せられることはないわ。安心して。確か……エリカだったわね?」
「は、はい! 私なんかの名前を覚えてくださっていたんですね! 光栄です!」

 両手を自分の腰の前でぎゅっと握りしめ、腕だけじゃなく肩にまで力が入っていそうなエリカに、デイジーが優しく肩に手を乗せる。
 そして、とびっきりの笑顔を作って、エリカに声をかけた。

「聖女様の言っていることは本当よ。聖女様は今までに一度だって嘘や偽り言ったことがないのよ? 聖女様が大丈夫って言ったら、絶対大丈夫なんだから」
「は、はい……分かりました。すいません……」

 デイジーの笑顔は見る者に安らぎを与える効果があると私は前々から思っていたが、果たしてその効果は絶大のようだ。
 固まって仮面のような顔をしていたエリカの顔に、ようやく表情らしい表情が生まれた。

「ありがとうデイジー。それで。何を知っているのか、説明してちょうだい」
「はい……あの日、私たちが休憩室で休憩していたところ、ご存知のようにカルザー長官がお見えになりました――」

☆☆☆

――あの日のこと。エリカの追憶――

 エリカはその日、いつものように休憩室で同僚たちと、普段のキツい任務のストレスを少しでも和らげようと、故郷や家族、そしてまだ見ぬ恋の話などに花を咲かせていた。
 すると突然、衛生兵部隊を統括する長官の立場の老人が、休憩室に訪れた。

 カルザーと名乗ったその老人が胸に付けた勲章や徽章、そして後に控える数名の兵士たち。
 それらのことから、休憩室にいた者で、カルザーの立場を疑う者など一人もいなかった。

「やぁ。休憩中に失礼するよ。ああ、そんなに畏まらなくていい」

 柔和な笑みを浮かべるカルザーの言葉は、どこか薄ら寒く、誰もするはずもないが、言葉通りに受け取って少しでも無礼を働けば、命に危険が及ぶとエリカは感じていた。
 それほどまでに、自分と同じくらいの小柄な体躯を持ち、白髪の老人は、見えない奇妙な威圧感に満ち溢れていた。

「僕はね。感心しているんだ。君たちにね。僕が言うのもなんだけれど、ここは酷い所だ。魔族や魔獣との戦争の最前線。多くの兵士が戦い、そして命を落としていく」

 突然語り始めたカルザーにエリカは、目を、耳を、そらすことができずにいた。
 人に自分の言葉を傾聴させる、そんな不思議な力をこの小さな老人が持っているのではないかとまで、エリカは思った。

「君たちも善戦してくれているおかげで、前よりもずっと死者は減った。これについては僕から心から礼を言おう。ありがとう」

 カルザーの言葉一つ一つが、エリカの心に侵食してくる。
 「ありがとう」という言葉さえ、言われたこちらが、言ってもらって感謝の念を持たないといけないような錯覚まで感じた。

「本当に君たちには頭が下がる。君たちはすでに十分な回復魔法を使える。それなのに! さらに高等な魔法を習得しようと、日々訓練に明け暮れているようだね。その上、毎日の任務にも勤勉だ」

 ここまで来て、エリカは周囲に目を配った。
 カルザーの言葉に何か裏がありそうだと、初めから警戒して聞いていたエリカに比べ、他の衛生兵は恍惚の表情をしていた。

 それはまるで、天上の神から、自分自身の行いの正しさを褒められているような者の表情だった。
 確かに一般兵から見れば、部隊長のさらに上、長官など、こうやって近くに寄ることもできない存在だ。

 その天上の存在が、自分を、自分自身の行いを称賛している。
 エリカは、自分がむしろひねくれた考えに囚われているのではないかと、反省しそうになった。

 しかし、その次の瞬間。
 エリカは自分の直感が間違っていなかったことを確信した。

「そんな滅私の精神を持つ君たちは、この戦争のさぞ尊い犠牲になってくれることだろう」

 カルザーがそう言った後、一瞬の間があった。
 まるで、衛生兵たちがカルザーの言った言葉をきちんと理解する時間を作るために、わざと空けられた時間にも思えた。

「本来の衛生兵ってのは後衛に控えるもんなんだけど? そりゃそうだ。なんの戦闘能力も持たない衛生兵が危険な前線なんかに来たら危険だからね」

 ここからはカルザーの言葉は矢継ぎ早に放たれた。
 まるで思考を持つことを許さないように。

「この部隊は特殊なんだよ。しかし優秀な衛生兵ならその困難にも打ち勝てるはずだ。多くの犠牲は伴うだろうけどね。任務の手際が悪く、訓練も疎かにするような衛生兵なら、すぐに別部隊に移されたり、除名されたりするだろう」

 そこでカルザーは人差し指を顔の前に立て、少し顔を傾けた。

「君たちは知っているかい? 初級の治癒の魔法でも使えれば、貴族たちから引く手数多だ。一生安泰が保証されるだろう。それなのに国のため、軍のため、自分の身を危険な戦地に置くことを選択してくれたんだ。涙が出るよ」

 カルザーはわざとらしく立てた指で濡れてなどいない、右目を拭く素振りを見せた。

「さて……それじゃあ、僕はそろそろ行くよ。ああそれと……今度、君たちには攻撃部隊に同行して現場に向かってもらうことになると思う。きっと優秀な者から選ばれていくことだろう。よろしく頼むよ」

 カルザーは最後に含みを持たせた言葉を残し、休憩室から立ち去っていった。
 後に残された衛生兵たちは、みな、動揺の色を隠せずに、互いの顔色を窺っていた。
「なんてこと‼︎」

 エリカから話を聞き終えた後、私は思わずその場から立ち上がり、叫んでいた。
 その声にエリカは身体にビクンッと力を入れる。

 私はそれをなだめるように声をかけた。

「ああ、ごめんなさい。あなたに言ったわけじゃないのよ。ありがとう。状況はよく分かったわ」
「聖女様! 間違いなく、衛生兵たちの能率が下がったのはわざとです! 手を抜いているんです‼︎ このままでいいわけありません!」

 デイジーが眉を吊り上げて、怒りをあらわにする。

「聖女様がこんなにも頑張っているというのに! 聖女様が頑張っているからこそ、この部隊が成り立ち、負傷兵たちは命を落とさずに済むというのに! これは懲罰ものです‼︎ 今すぐに該当者を呼び出しましょう‼︎」
「落ち着きなさい。デイジー」

 今にも部屋を飛び出していきそうなデイジーを落ち着かせ、私は思案した。
 まず賞賛すべきはカルザーだ。

 人心の把握といった点においては、私の何倍も長けているのだろう。
 衛生兵の多くは望んでこの戦場に配属されているわけではない。

 私だって死にたくはないと思うのに、どうして彼女たちを一方的に責めることができるだろうか。
 意図的に手を抜くことは誉められたものではないが、確かにそうすれば後衛の別の部隊に異動できたり、除名されると思えば、やってしまう者も出てくるだろう。

 カルザーのいう通り、今の時勢ならば、緑色のリボンタイを付けている衛生兵ですら、街で職に困ることはないはずだ。
 命の危険に晒されてまで、この戦場に尽くすよりも、そっちの方が賢明な判断とも言える。

「それだとしても……!」

 私は思わず口から言葉を漏らし、右手で拳を作り、力を込めていた。
 短く切り揃えた爪が、手のひらに食い込む。

「あの……部隊長。私は知っていることは全て話しました! すぐに報告しなかったことはこの通り! 謝ります‼︎ だから……」

 今まで黙っていたエリカが必死の形相で、温情を迫ってきた。
 先ほどは優しい笑顔を見せていたデイジーも、これについてはどう判断すればいいのか迷っている様子だ。

「確かに聖女様は大丈夫と入ったけど……あなたがもしすぐに報告してくれたら、今ほど酷くなってはいなかったはずよ?」
「いいのよ。デイジー。私が最初に言った通り、この件でエリカに何かするつもりはないわ。むしろ、よく話してくれたわね。ありがとう。もう行っていいわ。あ、それと。今日私たちに話したことは、他の衛生兵には秘密にしてちょうだい」
「分かりました。それでは……失礼します」

 元の緊張の状態のまま、エリカは隊長室を後にした。
 デイジーはそれを見届ける間も無く、私に質問してくる。

「それで。どうするんですか? いくらカルザー長官の言葉があったせいとはいえ、彼女らがやっていることは明確な裏切りです! 自分たちが手を抜いた分のしわ寄せを、他の衛生兵たちが受けるなんて、分からないはずないんですから!」
「そうね。このまま、続けば、負傷兵の治療にも問題が発生すると思うわ。ひとまず……彼女たちのことはどうにかしないとね」

 そこでしばらく二人とも沈黙が続いた。
 私の代わりに怒ってくれているデイジーも、できることなら仲間に罰を与えるなどしたくはないだろう。

「あ! こういうのはどうですか? 手を抜いている衛生兵だけで集団を作るんです。治療の。誰もが手を抜いたら、回らなくなりますから、必然的に頑張ってくれるかも」
「ダメよ。もしそれで、手遅れになってしまう兵士が多発したらどうするの? 人の命が優先よ」

「うーん。やる気かぁ。手を抜くなんて、思ったこともなかったから分からないですね。聖女様なんてもっと分からないんじゃないですか?」
「そうね。私は一人でも多くの人を助けたいと思っているから、手を抜くなんて発想がまずなかったわ。それにしても……デイジーはどうしてこんな危険な戦争に志願したの?」

 これまでに色々あり、最も仲の良いデイジーとは、思えば互いに身の上を話したことはなかった。
 少なくとも私よりは手を抜いてしまっている衛生兵の気持ちに近いだろうと、私は何気なく話題を振った。

「え? 私ですか? 私は、家族を、兄弟を養うためですね」
「兄弟? どういうこと?」

「私は、貧しい村の出身でして。家は裕福じゃないんですが、兄弟ばっかり多くて。私、長女なんです。初めは貴族のお屋敷にメイドとして奉公に行ったんですが――」

 デイジーの話だと、思ったほど給料が得られず、さらには若い女性が働く環境としては好ましくなかったらしい。
 つまり、雇い主が好色家だったのだとか。

 そういう道を選ぶ女性も少なくないが、デイジーは拒み、そして解雇された。
 しかも、貴族の顔に泥を塗ったと、誹謗中傷まで受けて。

 結果、他の家でも職を探せなくなってしまったデイジーは、この若さで軍属を決めた。
 結局回復魔法を覚えることはできず、自分の不甲斐なさを噛み締めながら、日々の治療とも呼べない任務に追われていた。

「その時なんです。聖女様が第五衛生兵部隊にいらっしゃったのは。本当に驚きました。殺すしかないと思っていたクロムを、瞬く間に救ってしまったんですから!」
「そうだったわね。なんだか、懐かしいわ」

 デイジーの口から出た、クロムの名前に私は少しだけ楽しい気分になった。
 いまだに手紙をこまめにくれる彼は、おそらく会おうと思えば会える距離にいるのだろう。

 今はダリア部隊長の元、第一攻撃部隊でその剣を振るっているはずだ。
 この治療場で見かけないということは、大きな怪我はあれ以来していないということだろう。

「その後は、本当に夢のようでした。回復魔法を使えなかった私に、今では解呪の魔法すら使えるようにしてくださったんですから!」
「きっかけは私かもしれないけれど、今のデイジーがあるのはあなたの頑張りのおかげよ」

「いいえ! 私は、聖女様がいたから頑張れたんです‼︎ 今ではこんな私が副隊長ですよ? 信じられますか? 給与も上がって、家族に十分な仕送りもできています。これもどれも、聖女様のおかげなんです‼︎」
「分かったわ。分かったから。そうやって、声に出されて言われると、なんだか照れるわね……」

 私は普段あまり感じない感情に戸惑いながら、それでもデイジーから元気をもらうことができた。
 デイジーが頑張ってくれるのは、私の存在が大きいらしい。

 それぞれの事情は人それぞれだろうが、他の衛生兵にもやる気を出してもらうには、上官である私が、まずはやる気を出させる行動を示さないといけない。
 そう心に誓い、私は自分の任務時間になったため、治療場へと向かった。
 エリカから話を聞いて、一週間。
 結局私は普段の治療の任務を頑張る以外に、これといった行動をできずにいた。

 そんな折、再び長官のカルザーから伝達が届いた。
 その内容に、私は思わず声をあげる。

「カルザーは正気なの⁉︎ 私たちに死ねと言っているのと同じじゃない‼︎」

 そこには、今後、さらなる兵士たちへの支援として、交代で衛生兵の一部を戦闘が実際行われている場に派遣すると言い出したのだ。
 なんでも、すでに第一衛生兵部隊を用いた試用では、一定の成果を上げていると、伝達に付属された資料には書かれてあった。

 そこへ、私の使い魔であるピートがベリル王子の手紙を携えてやってきた。
 私は下げたピートの頭を優しく撫でた後、足にくくり付いているベリル王子からの手紙ととり、開いた。

 そこにはまさに今、カルザーから送られてきた伝達に関することが書かれていた。
 前回の訓練生派遣の時とは違い、今回はカルザーは総司令官であるベリル王子に報告していたらしい。

 作戦を聞いたベリル王子は却下しようとしたが、ことはカルザー優位に進んでしまった。
 カルザーからベリル王子への進言の際、攻撃部隊の長官や他の文官たちも多数いたらしい。

 その中で自身の部隊を危険に晒してまで、前線の傷ついた兵士たちに貢献しようとする案は、大いに歓迎された。
 言ってみれば、その場にいるのは、みな痛みを伴わず、兵士を駒にして自分の成果をあげようと躍起になっているような人物ばかりだ。

 傷つくのが攻撃兵だろうが衛生兵だろうが、大差はないのだろう。
 そういう私も、衛生兵だから傷つきたくないというのは、都合がいいようにも感じる。

 ただ、一方で役目や適正というものもあるのは間違いない。
 戦闘に特化した攻撃兵と、回復を主とした衛生兵では、同じ魔獣から攻撃を受けた際の致死率も大きく異なるだろう。

 いずれにしろ、ベリル王子の手紙によれば、すでに自分の一存で却下できる様子ではなくなってしまっていたらしい。
 それすらカルザーの思惑通りだとすれば、敵ながら天晴れというしかないかもしれない。

「とにかく……ベリル王子の承認が下りている以上、カルザーの指示に従わないわけにはいかないわね……問題は誰を出すか……」

 戦闘に同行するといっても、衛生兵全員が行くわけではない。
 多くは陣営に残り、運ばれてくる負傷兵の治療を続けなければならないからだ。

 それに今回は運用期間ということもあって、派遣するのは数名だけということらしい。
 私はすぐにデイジーを呼んで、このことについて話し合うことにした。

 一通り説明を終えた後、デイジーは青ざめた顔で私の方を向き、絞り出すような声で問いかけてきた。

「なんとか……なんとか、誰も出さないようには、できないんですか?」
「無理ね。長官であるカルザーからの指示であり、さらには総司令官へ承認も得ている。カルザーからの伝達には書いてなかったけれど。これに逆らえば、明確な命令違反になるわ」

「でも! 聖女様だって、戦闘で兵士たちがどんな怪我をするか! 恐ろしい猛毒や呪いに侵されるか、知っているはずです! そんなところに行って、無事で済む者などいるはずがありません! みんなただの婦女ですよ⁉︎」
「確かに、ほとんどの人は魔獣の攻撃を避けることもできないでしょうね」

 デイジーの気持ちはよく分かる。
 私も伝達を受け取った時に最初に思ったのはデイジーのと同じ感情だ。

 ベリル王子の手紙によれば、第一衛生兵部隊の試用でも、被害者は出たようだ。
 それでも衛生兵が近くにいたおかげで助かった攻撃兵の方が多かった、というのがカルザーの主張らしい。

「そうだ! サボっている衛生兵たちを送りましょう!! 元々危険な場所に行きたくないっていうのがサボってた理由なんだから、送られてしまえば真面目にやると思います!!」
「ダメよ」

 まるで名案を思いついたかのように振る舞うデイジーに、私は一言、否定の言葉を投げる。
 決してキツく言ったつもりはなかったが、言われたデイジーは驚いた表情だ。

「説明が足りなかったわね。だめと言ったのは、誰のためにもならないからよ。いい? 彼女たちは理由はどうあれやる気がない。そんな彼女たちが、最も恐怖と思っている死と隣り合わせになった時、まともな働きができると思う?」
「……思いません」

「ええ。むしろ、恐怖に足がすくんだり、恐慌状態になってしまうかもしれないわ。元々攻撃部隊から見れば、戦闘もできず、自分自身の身も守れない私たちは足でまといよ。そんな私たちがまともに動けなかったら、さらに状況を悪くする可能性が高いわ」
「言われてみれば聖女様の言う通りですね。でも……じゃあ、誰を派遣するんですか?」

 困った顔を私に向けるデイジーを、私は真っ直ぐ見つめ返し、そうしてはっきりとした口調で返した。

「決まってるわ。志願を募るのよ。やる気が、覚悟があるものだけ、派遣させるわ。それが、私たちも私たちを同行させる兵士たちも、最も生き残れる可能性が高いのだから」
――モスアゲート伯爵領、領主屋敷内――

「それで? 自分を聖女とか呼ばせている勘違い娘には、きちんと自分の立場と言うものを解らせてやったのだね?」

 真っ黒な髪をポマードで後ろに撫でつけた、長身の男性が一人の小柄な老人に向かって言う。
 彼こそが、この領地の領主である、モスアゲート伯爵その人だ。

 闇のような漆黒の瞳は、目線を向けられた者に畏怖を植え付ける。
 その目線の先にいる、シャルル王国衛生兵部隊長官、カルザーとて例外ではない。

「は、はい! 今頃、どうやって断ろうか悩んでいるはずでございます。我が身可愛さに上官の指示に従わなかったとして、戦場から追放できるのも間もなくかと!」
「しかし……総司令官、ベリル王子が黙っていないだろう。どうする気だ?」

「よくぞ聞いてくれました! どうやら、ベリル王子はあのフローラとかいう小娘にえらく執心の様子。私が今回の進言をした際にも、苦虫を噛み潰したような顔をしていました!」
「御託はいい。結論だけ話せ。老い先短いのだろう? 時間は有効に使え」

 モスアゲート伯爵はカルザーに低く冷たい声で言い放つ。
 その一言で、カルザーは額に一筋の汗を流す。

「も、申し訳ございません! ベリル王子は、今回の進言を承認したものの、小娘には辞退するよう勧めているはずです。ベリル王子としても、これ以上小娘を危険な前線に置くことを良しとしないでしょう」
「ふむ。まぁいい。結果が全てだ。私を失望させるなよ? もういい。行け」

 モスアゲート伯爵の言葉で、カルザーは弾かれたように部屋を後にする。
 その様は、フローラやベリル王子の前ですら、見せることのないようなものだった。



――シャルル王城――

「馬鹿な⁉︎」

 報告書を読んで、ベリル王子は腰掛けていた椅子から立ち上がり、そう叫ぶ。
 勢いよく立ち上がったせいで、執務用の重い椅子は音を立てて後ろに倒れた。

「ベリル王子! 何事ですか⁉︎」

 部屋の外に控えていたクリスが、音に反応して扉を開け、主人の無事を伺う。
 ベリル王子はめんどくさそうに手をクリスに向け振ると、クリスは一度だけ頭を下げた後、静かに扉を閉めた。

「私の忠告が届かなかったのか? いや……今までそんなことはなかったはずだ……しかし……」

 ベリル王子が見つめていたのは、第二衛生兵部隊が長官カルザーの進言により行うことになった作戦の日程が書かれた報告書だった。
 今から三日後、牛の月から虎の月に変わった直後に、第二衛生兵部隊から攻撃部隊に同行する衛生兵の派遣が行われると書かれている。

 軍の総司令官であるベリル王子がその作戦を進言された時、周囲には他の武官や文官が集まっていて、フローラが所属する、という理由だけで拒否することはできない状況にあった。
 ルチル王子のいざこざがあったせいで、フローラが次期聖女である可能性が高い、いや、間違いなくそうであるとベリル王子は考えているが、そのことは極一部の者しか知らない秘匿であるためだ。

 一度カルザーの作戦を承認したものの、フローラには使い魔による手紙に、断るよう指示を出していた。
 フローラの力や性格をうまく使い、魔王との戦争を我が物のように扱うモスアゲート伯爵に対抗できる手段を作り上げてきたが、ここが潮時だ。

 ベリル王子はそう思い、これ以上聖女であるフローラを危険な目に合わせぬよう、城に呼び戻すつもりだった。
 そのことも、手紙にしっかりと書いていた。

「何故だ? まさか……フローラ自身がまだ戦場に身を置くことを望んでいるというのか……?」

 そもそも、ベリル王子はアンバーの呪いを解き、ルチル王子の一件が終わった時、フローラを再び戦場に戻す気などさらさらなかった。
 できる限りの望みを叶えると伝えた際に、戦場に戻りたいと言ったのは、他でもないフローラ自身だった。

「まさか、これほどとは……‼︎」

 ベリル王子は報告書を机上に無造作に投げると、慌てた様子で部屋を後にした。
 向かったのは、歴代聖女が生活を送ってきた城の一角だ。

「ここの花も白くなって久しいな……」

 聖女の居住区には、小さな庭があり、その庭一面にはリラの花が植えられている。
 聖女は普段このリラの花の世話をし、辺り一面紫色のリラの花が咲き乱れていた。

 主を失ったリラの花は、今では城の侍従たちに世話をされていたが、徐々に花の色は薄れていき、今ではすっかり白くなってしまっている。
 そんなリラの花園を通り過ぎ、ベリル王子は扉を開き、部屋へと入っていく。

 この部屋こそ、聖女の間。
 聖女の寝食のために作られた部屋だ。

 その部屋の中央、リラの花を手に持つ女神像の首にかけられたペンダントを、ベリル王子は恭しく像から外す。
 ペンダントの先端には、濃い藍色に輝く、涙滴型の大きな宝石が携えてあった。

 ベリル王子は部屋から出ると、その宝石の上下を親指と中指で挟むように持ち、光に向かって掲げた。
 すると、光に照らされた宝石は、虹色に煌く。

 ちょうどその時、空から一羽の白い鳥がベリル王子の肩に留まった。
 フローラの使い魔であるピートからフローラの手紙を受け取ったベリル王子は、内容を確認した後一人頷く。

 自室に戻り急いで返信を書き、ペンダントと一緒にピートに括り付ける。
 ピートは一度鳴いた後、主人の元にベリル王子の手紙と贈り物を届けるため、再び空へと舞い上がっていった。