戦地に舞い降りた真の聖女〜偽物と言われて戦場送りされましたが問題ありません、それが望みでしたから〜

「色々騒がせて済まなかったな」

 ゾイスの取り押さえなどで、一時治療場は神妙な雰囲気に包まれた。
 そんな中、その間も負傷兵の治療を続けていた私の元に、再びダリアがやって来た。

「いえ。こちらこそ。事態の収拾、感謝します」
「ふむ。一応確認したい。アンバーの呪いを君が解いたというのは間違いないか?」

 ダリアの口から以前の上官の名前が出て、改めて私の予想が正しかったのが証明された。
 残念なことに使い魔については結局教わることが出来なかったが、確かにあの能力は伝達には有用だろう。

 別の部隊とはいえ、上位に当たる者に対して失礼と思うものの、治療の最中だったため顔だけを向けて私は答えた。

「はい。もし、おっしゃる方が第五衛生兵部隊の部隊長のことならば、間違いありません」
「そうか。あいつも私も半ば諦めていたんだ。旧友を救ってくれて私も感謝している。ありがとう。それにしても、よくあいつが治療を依頼するほどの信頼を得られたな?」

「いえ。アンバー部隊長から依頼された訳ではありません。私が無理やり治療を行いました」
「なんだと?」

 私の返答を聞いた途端、ダリアは目を丸くした。

「あっはっは! これは良い! あいつを無理やりにか! それはさぞ見ものだっただろう。私もその場で見ていたかったものだな」
「部隊長は……ゾイスは今度どうなるのですか?」

 盛大に笑って涙を滲ませるダリアに向かって、私は気になっていることを素直に聞いてみた。
 その途端、ダリアの顔から笑みが消え、険しい怒気のようなものが発せられた。

「ひとまず、色々と調べ上げたことに間違いが無いか取り調べを行う」
「そうですか……次の部隊長がまともな方であれば良いのですが……」

 恐らくゾイスは私の思いもよらぬことを色々としていたのだろう。
 ダリアがここに来たというのも、口では私のことを言っていたが、本当は最初からゾイスが目当てだったに違いない。

 ただ、前線の英雄たる彼女がわざわざ出向くほどの大それたことをゾイスがしていたとも考えにくい。
 彼女が来たという理由に、私に用があったというのもあながち嘘ではないのかもしれない。

「何を言っている? 自分で自分の心配をしてもしょうがないだろう」
「それは、どういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味だ。自分がまともかどうかは、自分が一番よく分かっているだろう」

 そう言いながら、ダリアは笑みを私に向けながら話を続けた。

「さっき言った通り、ゾイスは今回の件で正式に任を解かれた。部隊長不在の際は、副隊長がその任を代理するとは知らなかったのか?」

 そういえば、この部隊に来る際に目を通した資料の中にそんな内容が書かれていたのを思い出す。
 まさかそんな事態が実際に起こるとは思っていなかったから、頭の片隅に追いやってしまっていた。

「ところで、だ。実は今回私が来たのは他にも用件があるのだ。少し込み入った話になる。君も今は忙しいだろう。私はもう少しだけここに滞在する予定だ。手が空いたら、司令室に来てくれ」
「分かりました。あなたのおかげで既に新しく運ばれてくる兵士はほとんどいないようです。できるだけすぐに向かいますので」

 私のその返ことを聞くと、ダリアは再び笑みを私に向け、治療場から去っていった。
 治療場に残った私は、緊急性の高い負傷兵の治療を終えると、デイジーたちに後を託して司令室に向かった。



「お待たせしました」
「思ったより早かったな。入ってくれ」

 私は司令室に入ると、ダリアの他に思いもよらない見知った人物が居たことに目を止めた。

「アンバー部隊長! どうしてここに⁉」
「やぁ。久しぶりだね。聖女様。元気そうで何よりだ」

「なんだ、アンバー。本当に彼女を聖女様と呼んでいるのだな。私も呼ばなければ失礼に当たるか?」
「とんでもない。ダリア部隊長。お戯れを」

 いたずらっぽく笑みを浮かべながらそう言うダリアを否定しながら、私はアンバーに顔を向け、質問の返事を待つ。
 アンバーは髪を撫でつけながら、ダリアの方に一度顔を向け、口を開いた。

「どうしてもこうしてもさ。めんどくさい仕事を頼まれちゃったんだよ。聖女様も関係するんだけどね」
「アンバー。お前と違って未だに私は忙しいんだ。私の方から簡潔に説明させてもらうぞ」

 そう言いながら、ダリアは説明を始めた。
 ダリアの説明を聞き、私はこの決定の裏にはベリル王子が深く絡んでいるのだろうと考えていた。

 なんと、私とアンバー、そしてダリアでそれぞれの訓練部隊の育成を命じられたというのだ。
 ダリアは近接主体の戦闘を、アンバーは攻撃魔法をそれぞれ育成するらしい。

 そして、私は回復魔法の使い手、つまり衛生兵の育成の任を与えられた。
 それも、前線で実際の負傷兵の治療を行いながら訓練を行うとのことだった。

「衛生兵の育成に関しては異存ありませんが、色々と疑問点があります」
「何故、育成を前線で行うか、私やアンバーも育成に当たるのかか?」

 ダリアは私の疑問にこう答えた。
 どうやら、ゾイスが負傷兵に不完全な治療を施していたのは、本人は知らずとも狙いがあってのことだったらしい。

 実戦を積んだ兵士は、模擬戦などで訓練をした兵士よりも速く成長する。
 しかしいずれは怪我を負い、もし適切な治療が受けられなければ、兵士としては使い物にならなくなる。

 せっかく育った兵士が戦場を去っていく。
 このことが魔王軍との戦争が長引いている理由の一つだった。

 つまり、戦争を長引かせることを望んでいる者が居たのだ。
 その人物は、先ほどゾイスから聞いたばかりだった。

「モリアゲート伯爵に疑いの目を向けられぬよう、そして邪魔をされぬよう。私たち三人で精鋭部隊を作り上げるのだよ」

 そう答えたダリアの目には怒りの火が燃えていた。
「それじゃあ、今日からよろしく頼むわね」
「はいっ! よろしくお願いします‼」

 私は目の前に並ぶ女性たち、新しく配属された衛生兵の卵たちに向かって声をかける。
 彼女たちは、みな首元に白いスカーフをリボンタイの様に巻いている。

 腕に巻いていた布を、ある衛生兵がスカーフにして首元に巻いたらどうかと提案したのが始めだった。
 その案はその場に居た衛生兵全員に支持され、やがて裁縫が得意な者たちが切れ端を綺麗に形取りスカーフにした。

 それが、ここで回復魔法を学ぶために集まった彼女たちにも普及したのだ。
 白はまだ回復魔法を扱うことの出来ない、訓練生を意味した。

「これから、あなたたちは先輩の元につき、実際の治療に携わりながら、自身も回復魔法を使えるように訓練を受けてもらいます。何か質問は?」
「あの……部隊長。もし回復魔法を扱うことが出来なかったらどうなるのでしょうか……?」

 訓練生の一人がおずおずと手を挙げ、心配そうに質問を口にした。
 私はその衛生兵の方に目を向ける。

 栗色の真っ直ぐな髪の毛を肩ほどまで伸ばし、深緑色の瞳で私を恥ずかしそうに見返していた。
 他の衛生兵もその質問に興味津々らしく、彼女と私の間で目を動かしている。

「そうね。もし、規定の期間で初期の回復魔法も習得できなければ。その時は除隊。帰還してもらうわ」

 私の返答に場がざわつく。
 誰も好き好んでこの戦場へ奉仕しに来た者は居ないだろう。

 止むに止まれぬ事情で、来た者がほとんどだ。
 別の言い方で言えば、彼女らにここ以外に居場所は無いのだ。

「そんな! 今までは例え習得できなくても多くの人が、その人なりに勤めていたと聞きました!」

 質問した衛生兵が声を上げる。
 確かに彼女の言う通り、今まではむしろ習得している者の方が少ないのが現状だった。

 だが、それではいけないと、この訓練が実施されるのだ。
 目的を持ってやる以上はある程度厳しくするのは止むを得ないだろう。

「あなた、名前は?」
「ロベリアです……」

「そう、ロベリア。一つ問題を出しましょう。私がこの部隊に配属される前、別の部隊に居たの。そこではあなたの言う通り、回復魔法を使えない衛生兵が多く従事していたわ」
「は、はぁ……」

「配属初期に回復魔法の指導はあったのだけれど、使えたのは……そうね。全体の二割くらいだったかしら。残りは全く使えなかった。それで、その衛生兵たちに今からあなたたちにも行う訓練を実施したのだけれど、回復魔法を使えるようになったのは、その内どのくらいだと思う?」
「え……指導ではダメで、その後に訓練、ですか……?」

 ロベリアは困った顔をしながら、考えを巡らすような素振りを見せ、そして回答した。

「多分、残りの二割、多くても三割くらいだと思います。指導でもダメだったってことは、落ちこぼれってことですもの」
「そう。他のみんなは? どのくらいだと思う?」

 声を上げる者は居なかったが、思い思いにみな自分なりの割合を頭の中に浮かべているようだ。
 少し間を置いた後、私は正解を告げる。

「答えは、全員。第五衛生兵部隊なのだけれど、そこに居た全員が回復魔法を使えるようになったわ」
「え⁉ そんなことが⁉」

 私の告げた答えを聞き、訓練兵たちはざわつき、互いに顔を見合わせる者たちも居た。
 それを見ながら私は話を続ける。

「もちろん人によって才能は違う。時間がかかる者も早い者も居たわ。それと、ここで今唯一紫色のタイを付けているデイジーは、元第五衛生兵部隊の出身よ。そして、彼女は訓練を行う前、回復魔法を一切使えなかったわ。あなたの言う落ちこぼれね」

 私の隣に立つデイジーはバツが悪そうに頬をかく。
 訓練兵の目が一斉にデイジーへと向けられている。

「デイジーは真面目に訓練し、今はこの第二衛生兵部隊の副隊長を務めるようになったわ。さぁ、あなたたちはどうかしら? 真面目に訓練する気がある?」
「あります‼ 私、頑張ります‼」

 ロベリアは元気に返事を返す。
 その言葉に釣られて、他の訓練生たちも次々と良い返事を出した。

「良かったわ。それじゃあ、訓練の指導は、私とこのデイジーが主に行う。その他の細かいことについては、自分がついた先輩にそれぞれ聞いてちょうだい。あなたたちが一日も早く緑色のタイをその首に巻けることを祈ってるわ」
「はい! 部隊長‼ ありがとうございました‼」

 こうして、ダリアから聞いた、訓練兵の受け入れの初日が無事に始まった。
 少なくとも表向きは彼女たちは立派な衛生兵として、負傷兵の治療のためにこの第二衛生兵部隊に所属されたことになっている。

 目標は、回復魔法を習得し、一人前になるまで育て、他の部隊へと転属させること。
 転属の理由については、上で考えるから私は関与しなくても良いらしい。

 問題は、直ぐには気付かれないだろうが、モスアゲート伯爵に勘づかれると、横槍を入れられる危険性があると言うこと。

 ダリアの話では、この戦争で最も潤っているのは、前線に様々な補給物質を提供しているモスアゲート伯爵らしい。
 もちろん負けてしまえば自分の領土にも害が及ぶのだが。

 いずれにしろ、怪しまれずに優秀な衛生兵を育て上げるのが私の仕事だ。
 ダリアもアンバーもそれぞれの部隊で今頃様々な実地訓練を行っていることだろう。

 そういえば、クロムはダリアにその才能を見出され第一攻撃部隊へと転属が決まった。
 アンバーも本人が望んだかどうかは知らないけれど、再び第二攻撃部隊の部隊長に復帰したらしい。

 私はふと、飾ってあるリラの花に目を向ける。
 初めて咲いた時は薄紫色という表現が合っていた花は、今や濃紫色に染っていた。
「問題が?」

 訓練兵の訓練が始まりしばらく経ったある日のこと、デイジーが私の部屋を訪れ、開口一番に報告した内容に私は疑問を投げかける。

「はい。ある一人の訓練兵なのですが、魔力操作は誰よりも早く、いえ、正確に言うと指導する前にできていたのですが、そこから全く成長を見せません」
「なんですって? ちなみに名前は?」

「ロベリア、という子です。聖女様が覚えているか分かりませんが、初日に――」
「ああ。あの子ね」

 私は訓練兵が配属された初日に質問をした女性を思い出す。
 衛生兵部隊に配属されるにしては珍しく若く、私とそこまで歳が変わらないように見えた。

 いずれにしろ、魔力操作が出来たのに、その先に進めないというのは気になるところだ。
 第五衛生兵部隊で目の当たりにしたが、魔力操作についてきちんと学んでいなくても、回復魔法を使える者が居たのだ。

 魔法の基礎となる魔力操作が出来て、かつ回復魔法が使えないということがあり得るのだろうか?
 ロベリアの治療業務の時間帯のせいで、いつもは私ではなくデイジーが担当しているため、実際に何が原因かはよく分からない。

 しかし、デイジーの教え方に問題があるとも思えない。
 実際、すでに訓練兵の何人かは、緑色のリボンタイになっている。

「分かったわ。私が個別に見てみましょう。直接見れば何か原因が分かるかもしれないから」
「すいません。聖女様。私が不甲斐ないばっかりに」

「いいえ、いいのよ。そうだ。デイジー、良かったらお願いがあるのだけれど」
「はい。なんでしょう?」

 頭を下げるデイジーに向かって私は声をかける。
 その声に反応し、デイジーは頭を上げ、期待に満ちた目を私に向ける。

 どうやらデイジーは心底私を敬愛してくれているらしい。
 私の役に立つのが嬉しくてしょうがないという顔だ。

「この花なのだけれど」
「ああ! 以前から育てているリラの花ですね。あぁ、やっぱり聖女様が育てている花は色が濃くて素敵です‼」

「うふふ。ありがとう。実はね。少し育ちすぎてしまって。少し切り落とそうと思っているの。それで、デイジーの他にも欲しい人が居るかどうか、聞いておいてくれないかしら」
「ええ‼ みんな欲しいと言うと思いますよ! 早速みんなに声をかけてきます‼」

 デイジーは私に一礼した後、嬉しそうに身体を弾ませながら部屋を出て行った。
 一人残された私は大きく育ったリラの花を見る。

 最近特に成長が早い気がする。
 鉢植えから枝が大きく迫り出し、所構わず花が咲き乱れている。

「みんな欲しいと言い出したら、無くなってしまうかしら……うふふ。そうしたら、また一から育てなくてはね」

 私は一度帰宅した際に買い足しておいた便箋(びんせん)に筆を走らせる。
 いまだに定期的にベリル王子には花の色や、部隊での出来事を報告している。

 少し形は違うものの、訓練兵のことについてもお礼を書いたばかりだ。
 そろそろその返信も返ってくる頃だろうか。

 私は魔力を口に込め、口笛を鳴らす。
 すると、一羽の白い鳥が空から舞い降りて、開けた窓から部屋へと入ってくる。

 純白の柔らかそうな羽毛に包まれたその鳥は、首を真横に傾けて私の方を向いている。
 丸みを帯びたその身体から突き出た、獰猛(どうもう)な爪が生えた足の付け根に、筒が括り付けられていた。

「良かった。ちょうど返信が来たようね。ありがとうピート」

 私は使い魔であるピートの頭を撫でながら、空いている手で筒を取り外す。
 頭を撫でられている間、ピートは気持ちよさそうに目を細めてじっとしていた。

 このピートは、この間アンバーと再会を果たした時に教えてもらった使い魔だ。
 私の魔力を込めた口笛で、ある程度の命令を聞いてくれる。

 アンバーは使い魔と意思疎通ができるほどらしいが、残念ながら私にはそこまではまだ無理だった。
 今のところ、ベリル王子との手紙のやり取りを専門にやってもらっている。

 さすが空を自由に駆け回る鳥だけあって、以前よりも速く手紙のやり取りが出来るようになった。
 ベリル王子も、検閲を毎回気にせずにやり取りが出来ると満足した様子だ。

「そういえば、クロムへの返信がまだだったわね。ごめんねピート。ベリル王子の所から帰ったら、次はクロムの所へ手紙を運んでちょうだい」

 第一攻撃部隊に転属となったクロムは、去り際に私に手紙を書くと言い出した。
 返信をもらえなくても手紙を書かせて欲しいというクロムのあまりの勢いに私は笑いながら、返信を送る約束をした。

 その時の嬉しそうなクロムの顔は今でも忘れられない。
 横で見ていたダリアが私に笑顔を向けていたが、それも忘れられない。
 
 そんなことを思いながら、私は再び口に魔力を込め、口笛を吹く。
 ベリル王子へ手紙を届ける命令をしたのだ。

 ピートは一声鳴くと、再び括り付け直した筒と共に空へと飛び立つ。
 身体を窓から乗り出し空を見上げると、ピートは一度大きくその場で旋回した後、ベリル王子が居る王都の方角へと飛んでいった。

 それを見届けた私は、デイジーから相談されたロベリアのことに思考を戻す。
 私は部屋の扉を開け、近くに居た兵に声をかけた。

「訓練兵のロベリアを部屋へ呼んでちょうだい」
「お呼びでしょうか? 部隊長」
「ええ。少し話を聞いてみたいと思ってね」

 私に呼び出されたロベリアは、何事かと心配そうな様子で部屋に入ってきた。
 ただでさえ新米の訓練兵と、年は近いとは言ってもその部隊の部隊長。

 この若さで緊張するなというのは、無理というものだろう。
 私はそんなロベリアに目を向けると、早速本題に入った。

「ロベリア。あなたは魔力操作には問題が見られない。けれど、一向に回復魔法を覚えられない。と聞いているわ。間違いない?」
「え⁉ あ、あの……それは……」

「違うの?」
「……違いません」

 ロベリアの反応を見て、私は配属当初のやり取りを思い出す。
 そういえば、ロベリアは回復魔法が取得できなければどうなるか、と質問をしていた。

「安心してちょうだい。まだ、帰還命令を出すまでには時間があるわ。これはあなたが回復魔法を使えるようになるために必要なことだと理解してちょうだい」
「え? あ、そうなんですね。よかったぁ。わたし、てっきり……」

「それで、魔力操作が既にできていたにも関わらず、回復魔法が使えないというのが、どうしてなのか。調べたいと思うの。いいわね?」
「はい! わたしもどうすればいいのか全然分からなくて……」

 私はロベリアにまずは魔力操作を実演させてみる。
 魔力操作は、身体で練った魔力を手先に持ってくることを意味する。

 ロベリアは私に一度だけ返事をすると、その場で目をつぶり、魔力を練り上げ始めた。
 魔力の総量自体も人それそれだけれど、いかに効率良く練り上げられるかも、回復魔法を使うには重要になってくる。

 しかしその感覚は本人しか分からず、次の手先に持ってくるという行為を通してからしか、できているのかどうかは他人には分からない。
 やがて、ロベリアは練り上げたであろう魔力を手先に移動させようと、右手を胸の辺りに持ち上げ、両目でしっかりと見据えた。

「出来ました」
「分かったわ。それじゃあ、確かめるわね」

 私はロベリアの右手に自分の手を置く。
 魔力の波動とそれに応じた熱を感じ、確かにロベリアは魔力操作はできていることが確認できた。

 しかし、量が少ないこともあるけれど、それ以外にも何か違和感を感じた私は、ロベリアに基本的なことについて質問を投げかけた。
 私の考えが正しいのなら、回復魔法が使えない理由がそこにあるかもしれない。

「ロベリア。魔力操作は出来ているようだわ。ところで、基礎的な質問なのだけれど、魔力を練る時、身体のどこを意識してる?」
「えーっと、この辺りですね……」

 ロベリアはそう言いながら、自分の腹部、へその下辺りを右手で撫でた。
 それを見た私は、考えが正しかったと確信する。

「ロベリア、誰か。そうね。親しい人に攻撃魔法を使う人が居るかしら?」
「え⁉ なんで分かったんですか⁉ 兄が、歳の離れた兄がいます。第二攻撃部隊に所属しています」

「魔力操作は、そのお兄さんから学んだのかしら?」
「部隊長はなんでも分かるんですね。その通りです。兄は独学で攻撃魔法を学び扱えるようになった人でした。そんな兄について回っているうちに私も興味を持って……それが何か?」

 私は一度息を吐く。
 ロベリアが回復魔法を使えない理由はここにあるのは確定したものの、それを直すのはなかなかに骨が折れることだった。

 右手を自分の胸の中心に当て、私はロベリアが絶望しないように言葉を選んで説明を始めた。

「実はね、ロベリア。男性が得意な攻撃魔法。そして女性が得意な回復魔法。どちらも魔力操作を伴うのだけれど」
「はい」

「あなたが魔力を練っている場所。それは攻撃魔法を使うための場所なの。回復魔法はここで練るのよ」
「え⁉」

 そう言いながら私は右手で胸を軽く叩く。
 それを見たロベリアは驚きのあまり目を見開いている。

「回復魔法はね、心で魔力を練るの。言葉では上手く説明が難しいけれど、普通の人は考えずにそうしているのよ」
「それじゃあ、私はどうすれば?」

「あなたが回復魔法を使えない理由は、魔力の質が違うから。攻撃を目的とした魔力と、回復を目的とした魔力とでは質が全く違うの」

 私の説明を聞きながら、ロベリアは困惑した表情をこちらに向ける。
 それを見た私は悲しい気持ちになる。

 魔力を練る感覚は、人によって違う。
 そして、それは他人が教えて分かるものではないのだ。

 一度癖としてついてしまったことを忘れて、別の方法を正しく身につけるのは、新しく始めるよりはるかに難易度の高いことだった。
 正直なところ、私も書物で知識として知ってはいるものの、実際にへその下で魔力を練ってみろと言われても、実現することはできない。

「心苦しいけれど、ロベリア。あなたが、魔力の練り方を自力で直さなければ、あなたは一生回復魔法を使うことはできないわ」
「そんな! それは、困ります……私、衛生兵になって、兄を……アイオラにもしものことがあれば助けたい一心で!」

 ロベリアはこの戦場に赴くには若いとは思っていたが、なるほど、どうやら志願兵だったようだ。
 できるかどうかも定かではないのに、衛生兵を志願したということは、よほど兄が心配なのだろう。

 しかし、私にできるのはここまでだ。
 あとは、自分で魔力の練り方を直すしか方法はない。

「冷たいことを言うようだけれど、ロベリア。間違っていることは教えられても、どうすれば正しい方法で出来るのかは、あなたにしか分からないわ」
「はい……」

「そうね……今日から、治療場での業務は休止しなさい。そして、どうすれば魔力の練り方を変えられるか、それを試行錯誤しなさい」
「分かりました……でも、どうやったら違いが分かるんですか?」

 聞かれて私は頭を回転させた。
 私も違和感を感じただけで、魔力に触れたとしても、正確にどちらの魔力の質なのかまでは自信がない。

「そうね。実際に回復魔法を使ってみるしかないでしょうね。出来るようになったと思ったら、治療場に顔を出しなさい。実際に負傷兵に回復魔法をかけて確認する他ないわ」
「分かりました。それでは……失礼します」

 こうしてロベリアは間違って身に付けてしまった魔力操作を修整するために、ひたすら自己訓練にあけくれていた。
 しかし、しばらく経ってもロベリアが治療場に顔を出すことはなかった。

 そんなある日のこと、いつも通りひっきりなしに負傷兵が運ばれてきていた治療場に、血相を変えたロベリアが飛び込んできた。
 その形相は、成功した喜びを持っているようにはとても見えない。

 ロベリアは辺りを見渡した後、私を見つけて、駆けつけてくる。
 そして開口一番にこう言った。

「部隊長‼ 兄が‼ アイオラがここに運ばれたって本当ですか⁉」
 私の声を待たずに、ロベリアは辺りを見渡し、はっと息を飲んだ。
 視線の先にはたった今治療を受けている一人の青年がいる。

「兄さん! アイオラ兄さん‼」
「その声は……ロベリアかい?」

 ロベリアが走り寄り声をかけるが、アイオラはロベリアが見えていないようだ。
 よく見ると、ロベリアに向けた目は光を失っていた。

「兄さん! まさか。見えないの⁉ ああ、神様‼」
「大丈夫。心配しないで。きっとここの人たちが治してくれるさ」

 ロベリアとよく似た顔をしたアイオラが、微笑みながらそう答えた。
 しかし、無理をして笑っているのがはっきりと分かる。

「部隊長! 損傷した目を再生させたはずなのですが、上手くいきません!」
「なんですって? 状況を出来るだけ詳しく説明して」

 アイオラの腕に巻かれている布の色は黄色。
 再生が必要な傷を受けた者に付けられる色で、治療に当たっている者のリボンタイを見れば、問題ないはずだ。

「それが……間違いなく治療し、傷も癒えているはずなのですが……」

 説明によれば、アイオラは両目に大きな傷を負って運ばれて来たらしい。
 それ以外の傷も多くあったが、それは後回しにして一番重度な目の治療を最初に行った。

 これまでにも目の再生を経験したことはあるらしく、特に心配もせずに回復魔法を使い、無事に目は再生した。
 その後身体の傷を治療している間に異変に気付いたという。

『衛生兵さん。僕の目は、治ったのですか? 何も見えないのですが』

 アイオラがそんなことを言い出したのだという。
 慌てて確認したが、問題なく目は再生し、傷も跡形もなく消えていた。

 それでも視力を取り戻さないアイオラに、彼女は再度回復魔法をかけてみた。
 しかし結果は変わらず、一向に視力を取り戻す様子がないアイオラに困っていたところ、ロベリアが来たのだとか。

「そんな! 部隊長! お願いです‼ 兄を! アイオラ兄さんを治してください‼」
「落ち着いて。あなたに言われなくてもそのつもりよ。アイオラというのね。ちょっとその目をよく見せてもらうわよ」

 確かに治療に当たった衛生兵の言う通り、外から見た限りは問題なく治療されているように見える。
 私は試しに、魔力で目の内部に問題がないかを確認してみることにした。

 純粋な魔力の流れ方は、物によって様々で、片方の手から放出させた魔力をもう片方の手で受け取るように流すと、間に挟んだ物の様子が内部まで見られるのだ。
 私は右手でアイオラの両眼を押さえ、後頭部に左手を当て、魔力を流した。

 魔力の強さをいくつか変え、流れやすさで内部を立体的に確認していく。
 すると、アイオラの目に重大な問題があることが分かった。

「こんなことが……アイオラの目の裏側辺りに、小さな魔獣が潜んでいるわ。恐らくアイオラの目が見えないのは、その魔獣のせいね……」
「魔獣が⁉ ああ、兄さん‼ どうすれば‼」

 魔獣を駆除しなければ、アイオラの視力が戻ることはないだろう。
 しかし問題はその場所だった。

 これがもし腕や足ならば、切除して回復魔法で再生すると言うこともできる。
 もちろん目も治療できるのだが、よほどうまくやらなければ、治療する前にアイオラを殺しかねない。

 生きていれば救えるが、死んでしまった者を生き返らすことは、どんな回復魔法を以てしても不可能だ。
 しかし、思い悩んでいる暇もそんなにないだろう。

 目の裏に潜んでいる魔獣が、そのまま大人しくしている保証はない。
 もしかしたら、魔獣自身がアイオラを傷付け、死に至らしめてしまう可能性も高い。

「魔獣だなんて……ああ、私に魔獣を倒す力があったらどんなに良かったか。回復魔法すらろくに使うことのできない私は肝心な時に役に立てない!」

 ロベリアは私の話を聞いて再び嘆き始めた。
 しかし、その一言が、私にある可能性を示唆した。

「魔獣を倒す力。攻撃魔法。そうよ。もし、そんな力が使えれば……」

 ロベリアが回復魔法を使えない理由は、魔力を練る方法が間違っているからだ。
 しかし、それはある可能性を示していた。

 確かに女性は回復魔法を、男性は攻撃魔法を扱うことに長けると言われている。
 私もなんの疑問を持たずに、回復魔法だけに専念してきた。

 だけどロベリアが実際に見せてくれたように、女性でも攻撃魔法用の魔力を練ることは可能なのだ。
 私は頭の中で、ロベリアの魔力を感じた時のことを思い出す。

 そして、学んだ知識を総動員して、腹部の下側で魔力を練ることを試してみた。
 いつもと違う感覚に、強いもどかしさを感じながらも、頑張ってみたができない。

 やはりロベリアが回復魔法に必要な魔力を練ることが未だにできないように、私も一朝一夕でできることではないらしい。
 諦めかけた時、目の前のアイオラが不思議そうな顔をしながら声をかけてきた。

「衛生兵さんは魔力を練ろうとしているのですか? 何故だか知りませんが、酷く苦戦しているように思いますが」
「あなた、分かるの?」

「いい方法を知っています。妹も、ロベリアもこれで魔力を練ることができるようになりました。手を。私の両手をそれぞれ握ってください」

 そう言ってアイオラは、自分の手を前に差し出す。
 私は一瞬戸惑ったが、アイオラの手を握った。

 ちょうど二人の腕で輪を作るような形になった私は、アイオラが何をするのか見逃すことの無いように、全神経を集中する。
 ロベリアが学んだ方法、つまり、攻撃魔法に必要な魔力を練る方法をアイオラが教えてくれる可能性にかけた。

「それじゃあ、行きますよ? 力を抜いて。楽にしてください。徐々に暖かくなる場所がありますから、そこを意識するんです」
「暖かくなる場所……」

 アイオラが言った途端、繋いだ右手を通じて、アイオラの魔力の波動が流れ込んで来るのを感じた。
 それは私の身体を通り、やがて左手からアイオラへと戻っていく。

 その魔力の波動によって、私は腹部が温かくなるのを徐々に感じた。
 本で学んだ、攻撃魔法にための魔力を練るための器官があると言われる場所だった。

「すごいわ! アイオラ!! ありがとう! もう大丈夫。あとは一人でやるわね!!」

 私は先ほど熱を帯びた場所に意識を集中し、魔力を練り始めた。
 やがて普段とは異なる波動を持つ魔力を手の平に集めることに成功した。

 問題はこの新しい魔力を上手く扱えるかどうかだ。
 上手くいった喜びを押し殺し、真面目な口調でアイオラに話しかける。

「アイオラ。はっきりと言うわ。よく聞いてちょうだい。今あなたの頭の中には魔獣が潜んでいる。その魔獣は放っておけばやがてあなたを内部から殺すかもしれない」

 アイオラはその見えない視線を私に向け、じっと聞いていた。
 隣ではロベリアがすすり泣きをしている。

「回復魔法は魔獣を倒す力はない。もし物理的に排除しようとしても場所が悪い。最悪その行動があなたを死なせてしまうかもしれない」
「つまり、僕が助かる手段はない。と言うことですね」

「いいえ。可能性はあるわ。でも、今からやることは私も初めての試み。上手くいく保証も失敗した時にどうなるかも分からない。それでも、私はあなたを救いたいと思っている。受け入れる覚悟はあるかしら」
「どうせ死ぬかもしれないのなら。何にだってすがってみたい。僕は死にたくない。ロベリアを、妹を悲しませたくないんです」

 アイオラははっきりと強い口調でそう答えた。
 アイオラの承諾を得て、私はおそらく人類で初めてとなる試みを行う。
 頭の中に先ほど魔力で読み取った、アイオラの頭の中に居る魔獣の位置を思い浮かべる。

 右手を正面から当て、後頭部に当てた左手に向け、攻撃魔法に適した魔力を流し込む。
 問題は加減だ。

 強過ぎればアイオラの頭の中を損傷し下手をすれば死に至らしめてしまう。
 弱過ぎれば魔獣を殺すことが出来ずに、下手をすれば余計な刺激を魔獣に与えてしまうことになるかもしれない。

 私は慣れない操作ながらも、まずは極力弱い力から、徐々にその出力を上げていく。
 上げていく間に、初めはじっとしていたアイオラの顔が苦痛に歪む。

「これ以上は無理なようね」

 私は慌てて出力を弱める。
 そしてもう一度従来の魔力を練り直し、アイオラの頭の中を覗く。

 魔獣は何事もなかったかのように、先ほどと同じ場所に居た。
 刺激で動き出さなかっただけでも幸いと思うべきか。

「これじゃあダメだわ。魔獣を殺す前にアイオラの身体がまいってしまう。何かいい方法は無いかしら……」
「部隊長! 兄は、アイオラは助かるんでしょうか⁉」

 悩んでる私に、堪えきれなくなったのか、ロベリアが話しかけてくる。
 心配なのは分かる。

 私だってどうにかして助けてやりたい。
 だけど、この魔獣を倒すには私一人では無理なようだ。

「私一人では……? ロベリア‼ あなた、元の魔力の練り方は、まだ覚えているわね⁉」
「え……? 元の魔力ですか? 覚えているも何も、どんなに頑張ってもあれ以外出来なくて……」

「それでいいの。あなたに手伝って欲しいことがあるわ。あなたの力で、アイオラを救えるかもしれない!」
「本当ですか⁉ わたしに出来ることなら、なんでもやります‼ やらせてください‼」

 私はロベリアに魔力を練るように伝える。
 そして練った魔力を右手に集めさせた。

 私の指示に従い、ロベリアは器用に魔力を操作する。
 回復魔法に適した魔力ではないが、魔力操作については優秀なようだ。

 魔力を溜めた右手を、こめかみの位置に当てさせ、反対側から挟むように左手を添えさせた。
 私が手を当ててる位置から、ちょうど交差するようになっている。

「そこから決して手の位置を動かさないでね。ロベリア、右手から左手にかけて、アイオラの頭を通して、その魔力を移動させてみて。一度に流し過ぎないよう、注意してね」
「こうですか?」

 アイオラに当てた私の手を通じて、ロベリアの魔力の波動が伝わってくる。
 どうやら上手くいっているようだ。

「上手よ。そのまま少しずつ出力を上げていってちょうだい。待って! これ以上は危険。少しだけ出力を下げた状態で続けてちょうだい」
「分かりました……あの、これで本当に兄が助かるんですか?」

「確証はないわ。でも、やらなければ確実に助けられない。だったら、やるべきでしょう?」

 そう言って、私も自分の右手から左手にかけて、魔力を流し込む。
 少し扱いが慣れてきたのか、攻撃魔法に適した魔力でも、中の様子が分かるようになってきた。

 私の時同様、ロベリア一人では、アイオラに危害を与えない程度の出力しか出せず、魔獣を倒すことは出来ない。
 では二人なら?

 交差するように魔力を当てて、その交わる点に魔獣が居たら?
 二人分の魔力を受け、耐えられないのではないだろうか。

 私は徐々に出力を上げていく。
 すると、アイオラの中にいる魔獣に異変が生じ始めた。

 明らかに苦しそうに、その小さな体を小刻みに震わせている。
 アイオラもその様子が自分の体内で分かるのか、顔をしかめている。

 そして、先ほど確認したアイオラの耐えられるぎりぎりの所まで出力を上げた時、魔獣は動くのを止めた。
 念の為しばらく様子を見てみたが、どうやら完全に息絶えたようだ。

「ロベリア。もう止めて大丈夫よ。あなたのおかげで、無事にアイオラの中の魔獣は倒せたわ。お礼を言うわね。ありがとう」
「本当ですか⁉ ああ、兄さん‼ 良かった……本当に良かった‼ ありがとうございます‼ ありがとうございます‼」

「何がどうなったんです? 私は……本当に助かったのですか?」
「ええ。間違いなく、あなたの目の裏の魔獣は倒したわ。さぁ、もう一度目の治療をしましょう。今度こそ視界が取り戻せるはずよ」

 私は再び本来の回復魔法のための魔力を練り始める。
 そして、アイオラに回復魔法を唱えた。

 白い光が私の手を伝わり、アイオラの両目の周りを包み込む。
 やがて光が消えると、アイオラの目に光が点っていた。

「ああ……ああ。見えます。ああ! ロベリア! こうやって再びお前の顔を見ることが出来るなんて‼」
「兄さん‼ 本当に良かった‼」

「あなたのおかげで、これからの治療の新しい可能性が見いだせたわ。ありがとう」
「そんな! お礼を言うのは俺の方です‼ ありがとうございました‼」

 アイオラは見えるようになった目で私をしっかり見つめ、そして深々と頭を下げた。
 ロベリアも隣で兄と同じように頭を下げている。

「ふふ。兄妹というのはいいものね。ところで……ロベリアは回復魔法を使えるようにならないと、ここに残ることが出来ないというのは覚えているかしら?」
「あ……あの! もう少しだけ時間をください‼ なんとか、何とかしてみせますから‼」

「いいえ。きっと一人では無理よ。でもね。両方使うことが出来るようになった私のアドバイスを受けながらなら、直ぐにできるようになると思うわ。あなたの魔力操作の実力があればね」
「え⁉ お願いします‼ 私、頑張りますから‼」

 もう一度下げたロベリアの頭を私は優しく撫でる。

「さぁ。頭を上げなさい。下げている暇があったら、訓練するわよ!」
「はい‼」

 数日後、練る魔力の感覚の違いや、気を付ける所はどこかを私から教わったロベリアは、回復魔法に必要な魔力を練ることが出来るようになった。
 こうして、第一期訓練生の全員が、無事に回復魔法を習得した。
 ロベリアとアイオラの出来事からしばらく経ったある日のこと、私に一通の通達が届いた。
 差出人はカルザー、衛生兵部隊の長官で現在部隊長を務める私の直属の上官にあたる。

 内容は『可能な限り至急、本部に出向くこと』。
 几帳面な字面の直筆で、そうとだけ書かれていた。

「長官に呼ばれるとは、何かあったかな?」

 私は思考をめぐらせるが、特に思い当たることはなかった。
 カルザーとは、部隊長に任命された時に挨拶で顔を見せたきりだ。

 アンバーの話によると、カルザーはモスアゲート伯爵と懇意らしい。
 つまり警戒すべき相手と言うわけだ。

 しかし、表向き私はベリル王子とモスアゲート伯爵の確執など知らないことになっている。
 変に警戒を見せる訳にもいかない。

「ちょうど第一期が無事全員回復魔法を習得したところだし、行くなら今かな」

 ベリル王子が送ると言っていた第二期訓練生はもう少し先になるらしい。
 もし訓練生が来たら忙しくなるだろうから、行くなら今がちょうどいい。

 いずれにしろ上官が可能な限り至急と言っているのだから、今すぐ行くに越したことはないだろう。
 私はそう思い、早速本部へ向かう支度をして、副隊長のデイジーに留守を頼んだ。

「行ってらっしゃいませ。聖女様。いくら護衛が付くとはいえ、道中はお気を付けくださいね」
「ええ。気を付けるわ。と言っても、私が出来ることはないけれど」

 こうして私は、数名の護衛を引き連れ、本部のある陣営に向かった。

「第二衛生兵部隊、部隊長フローラ、長官の命令により、参上しました」
「ああ。よく来てくれたね。まぁ、固くならずに、ゆっくりしてくれたまえよ」

 長い口ひげを生やした白髪の老人。
 これが私は初めて会った時のカルザー長官の印象だった。

 確かに見た目は間違いはない。
 ただ、挨拶の時目を合わせてから、私はその認識を改めた。

 歳は確かにとってはいるが、カルザーは老人などという生易しいものではない。
 一癖も二癖もあるその本当の顔を、シワが刻まれた笑みを浮かべるその顔の裏に隠し持っていると確信した。

「それで……忙しいところ呼び寄せたのは他でもない。部隊のことで大きな変更があってね。流石に書面で伝えるだけでは悪いだろうと思い、ここへ呼んだというわけなんだ」
「大きな変更ですか? それはどのような?」

「うん。今、第二衛生兵部隊は魔王討伐部隊の前線から見たら、かなり後方に位置しているね?」
「そうですね。そもそも衛生兵部隊はどの部隊も、治療中の襲撃を危惧し、前線から離れた所にあると聞いていますが……」

 カルザーは私の答えに嬉しそうな顔をして頷く。
 この嬉しそうな、という表情が、私にとって吉なのか凶なのかは不明だ。

「その通り! だからね。前線で怪我をした兵士たちはそれぞれ階級や症状などで、各衛生兵部隊へ振り分けられるんだけど、今のままじゃ時間がかかる。そうだろう?」
「おっしゃる通りですね。移動中に怪我を悪化させる兵士も多いと聞きます」

「そこでだ! 君の部隊を、まるまる最前線に移動しようと思ってね。どうだい? 素敵な考えだろう?」
「最前線にですか⁉」

 またもやカルザーは嬉しそうな顔をして頷いた。
 どうやらカルザーの嬉しそうな顔は、私にとっては凶だったようだ。

 確かに私も言った通り、負傷兵の移動時間の問題は気付いていた。
 カルザーの言うように、最前線に衛生兵部隊があれば、より早く治療が受けられ、無用な苦しみは避けられる。

 しかし逆を言うと、今まで以上に負傷兵がひっきりなしに治療場へ訪れることになるだろう。
 第一期訓練生を指導していて分かったことだけれど、指導を行えば行うほど、自分の時間が少なくなっていく。

 もし最前線に部隊を移動したら、本来の治療が忙しすぎて、指導を行う余裕は大きく制限されるだろう。
 そうすれば、第二期訓練生を育てることは難しいだろう。

 確かに未来のために今を切り捨てるという考えは好きではないが、これは明らかに訓練生の訓練の阻害を目的としたものだと見ていいだろう。
 そうでなければ、私たち第二衛生兵部隊だけを最前線に送るというのは無理がある。

「君は分け隔てなく苦しむ負傷兵を治癒してくれる人物だと聞いているよ。まさか断りはしないだろうね?」
「ベリル王子、いえベリル総司令官には既に話は通ってるのですか?」

「うん? 何故ここで総司令官の名前を君が口にするのかね。君の直属の上官は私だ。私とその上のやり取りの是非を君が気にする事はない」
「失礼しました。忘れてください」

 ベリル王子に許可を取っているかどうか。
 確かに私が口に出していい問題ではない。

 それを分かった上でカルザーは、許可を取っているかどうかをうやむやにした。
 もし仮に私がこのことをベリル王子に直接伝えでもしたら、情報系統を乱したとして罰を受ける可能性まである。

 いずれにしろ、ここで断るという選択肢は私には無い。
 一度目をつぶると、今後の動きを瞬時に思い浮かべる。

「分かりました。このフローラ。長官の期待に添えるよう、精一杯頑張らせていただきます」
「赤い布が足りないわ‼ もっと持ってきてちょうだい‼」
「黄色の患者! こっちです! そっちはもっと重篤な患者用です!!」

 狭い治療場の至る所で悲鳴に似た叫び声が飛び交う。
 私は額に流れる汗を拭う暇すらなく、ひたすらに運ばれてくる兵士たちの治療に専念していた。

「いてぇ! いてぇよぉ‼」
「うわぁぁぁ!! こっちに来るなぁ!! あぁぁぁ!! ああああ!!」

 目の間に運ばれてくるのは呪いを受けた兵士たち。
 弱い【痛み(ペイン)】だけならまだデイジーも対応できるが、【恐怖(フィアー)】に侵されている者までいる。

 隣では【痛み】の呪いを受けた兵士を何とか落ち着かせようと優しく声をかけるデイジーが、悪戦苦闘していた。

「大丈夫よ。落ち着いて。深呼吸を。動いていたらうまく治療できないわ」
「いやだぁあぁぁ! 痛いぃぃぃ!! 痛いんだよぉぉ!! 助けてくれ! 殺してくれー!!」

 痛みのせいで、屈強な兵士すら、気が狂ったように叫び続けている。
 今思えば、クロムが瀕死の状況で【痛み】に侵されていたのに、あれだけ自制心を保っていたのは凄いことだったのだろう。

 呪いを受けた兵士たちの多くは泣き、叫び、そして暴れまわった。
 なんとか数人がかりで押さえつけ、その隙に治療を施すのだが、これが一苦労だった。

「ロベリアが魔力枯渇です! 休ませます!!」
「分かったわ! 他の人も無理をしないで! 休むのも立派な仕事よ!」

 同期の休憩を代わりに告げてきた衛生兵に私は視線を動かすことなく叫んで返す。
 治療が忙しすぎて、横を振り向く暇すら惜しいのだ。

 数週間前に戦闘の最前線に繰り出された私たち第二衛生兵部隊は、苦戦を強いられていた。
 とにかく負傷兵が多すぎるのだ。

 前線ではこれほどまでに負傷兵がいたのかと驚くほどの数が、休むことなく運ばれてくる。
 その中には猛毒や呪いを受けた兵士も少なくない。

「きっと、前線から後衛の衛生兵部隊まで運ばれる間に、助からなかったのね……」

 猛毒は速やかに全身の周り、患者を死に追いやる。
 そして止むことのない痛みや恐怖は、受けた本人を自死へと誘っていたのだろう。

「もう少しだけ辛抱して! 今治すから‼︎」
「聖女様! 布なしです! 毒と呪いの複合です‼︎」

「すぐに運んで‼︎ 順番に並べるのよ‼︎ デイジー! 代わりにこっちをお願い‼︎」
「分かりました‼︎」

 初期の解呪を覚えたデイジーがいてくれたおかげでなんとかなっている。
 しかし、私たちも万能ではなく、すでに間に合わなかった犠牲者も出始めていた。

「人手が! 人手がまるで足りないわ‼︎」
「部隊長! 本部からの伝達ですがどうしますか⁉︎」

 休む間もなく回復魔法を施していた私の元に、衛兵が一人駆け寄ってくる。
 その表情はどうすればいいか分からず、オロオロとした様子だ。

「読んでる暇なんてないわ! あなた! そこで読み上げなさい‼︎ 私に聞こえるようはっきりと!」
「し、しかし……軍の重要機密の印が押されていますが……」

「構わないわ。この問答すら時間の無駄だと言うのが分からないの? 早く読みなさい!」
「わ、分かりましたァ‼︎」

 私に促されて衛兵は手に持った伝達の封を切り、中から紙を取り出すとはっきりとした声で読み始めた。

「第二衛生兵部隊長フローラに告げる。本日より、衛生兵の増員を送ることとする。衛生兵部隊長官カルザー」

 文章はたったそれだけだった。
 しかし、その分の意味を私はしっかりと理解した。

「まさか! このタイミングで訓練兵を⁉︎」

 元々は私の部隊、第二衛生兵部隊には回復魔法を使うことのできない衛生兵を、訓練兵として集める予定だった。
 その訓練兵たちは表向きはみな、既に回復魔法を使える立派な衛生兵ということになっている。

 モスアゲート伯爵にバレずに前線の戦力を増強するための、ベリル王子主導の戦略のはずだが、その訓練兵が今送られてきたと言うのだ。
 足りない人員を補う戦力として。

 これがもし、ベリル王子の名で出された伝達や、ダリアもしくはアンバーだったら話が違っていただろう。
 しかし、書かれていたのは長官カルザー。

 彼がモスアゲート伯爵の息がかかった人物だと言うことは間違いない。
 その彼が増員という形で訓練兵を送ってきたということは……

 私が、どうするか思案していたところに、窓から一匹の黒い鳥が飛び込んできた。
 突然の闖入(ちんにゅう)に驚きの声をあげる者もいる。

 しかし私はこの鳥に見覚えがあったので、驚くことなく、私の肩にとまった黒い鳥に耳を傾ける。
 すると黒い鳥の嘴から、聞き覚えのある男性の声、アンバーの声が聞こえてきた。

「大変だよ。聖女様。どうやら(やっこ)さんに計画がバレたらしい。僕やダリアのところは元々実戦で鍛える計画だったから問題ないけど、問題は聖女様のところだ」

 私は治療を続けながら、黒い鳥を介して伝達されるアンバーの言葉に注意深く聞き入った。

「そっちも今最前線でてんやわんやだろ? そんなところにろくに使えない訓練兵さ。しかも名目上は増員って話でね。鍛える暇もなく、増員したのに成果は変わらず。奴ら聖女様を戦場から追い出すつもりだよ!」

 予想通りの展開に、私は一度深い息を吐く。
 確かに人手は足りず、増員が欲しいと願ったが、それは回復魔法が使える衛生兵、つまり使い物になる人物としてだ。

 ここでの訓練兵は、足手まといとまでは言わないが、期待する援助にはならないだろう。
 しかも名目上はきちんとした衛生兵を送ったというのに、状況が改善しないとなれば、部隊長である私に何らかの罰を与えることもできる。

 流石に命に関わることはないだろうが、これ以上戦地に関わりの持てないような処遇を受けることだってできるかもしれない。
 そこまで考えて、もう一度、息を強く吐き出した。

「思い通りにさせるもんですかっ! 訓練兵の訓練の時間が取れないなら、私たちも実地で訓練させてあげればいいのよ!」

 私が意気込んでいる間に、件の訓練兵たちがぞろぞろと治療場へと訪れてきた。
 みな、困ったような、不安そうな顔をしている。

 彼女らは事情をほとんど知らないはずだ。
 回復魔法の訓練を無償で行え、衛生兵として職を持つことができるとだけ聞き、この戦場に来たのだろう。

 そんな彼女らが最初に訪れた場所が、最も危険で過酷な最前線の治療場だとは夢にも思わなかったに違いない。
 しかし、私も彼女らも泣き言を漏らしても事態は一向に改善しないのだ。

 いまだにオロオロと、どうすればいいのか分からないまま立ち尽くす白いリボンタイを付けた訓練兵たち。
 彼女らに私は立ち上がり大声で今後のことを手短に伝えた。

「ようこそ! 第二衛生兵部隊へ! 部隊長のフローラよ! 見て分かる通り、一人でも手助けが必要な状態なの。ただし、手取り足取り教えている暇は残念ながら無いわ。一人ずつ、緑色のリボンタイをしている衛生兵の元に行き、実際に治療しながら、回復魔法を覚えなさい‼︎」
 訓練兵が来てから一週間が経った。
 初めは教える側も教えられる側も戸惑っていたものの、少しずつ慣れてきたようだ。

 第二衛生兵部隊にいる緑色のリボンタイをしている衛生兵は、全員が私やデイジーから訓練を受けている。
 どうすれば回復魔法を使えるようになれるか、一から知っているという訳だ。

 何も知らない訓練兵に、一から教えるとしても、問題はないだろう。
 逆に初めから回復魔法が使えた者だと、使えない者の感覚というの理解できず、そこでつまずく危険性があった。

 また、緑色の負傷兵は時間的余裕もある。
 中には早くしろと怒鳴り出す兵士もいたが、私が気に食わないなら治療しないと言うと、誰もが大人しくなった。

 少し大人気ない言い方かもしれないが、いちいち時間をかける余裕もない。
 前線に来てから、今までより精神的に強くなったようにも思う。

 そうやって先輩の仕事を見ながら、都度練習し、訓練兵は実地で訓練を行っていく。
 魔力操作をし、回復魔法を唱える様子を実際に見ていた方が、実感が湧きやすいのか、今までよりも習得が早いようにも見えた。

 少しだけある休憩時間、隊長用の執務室で魔力を回復させるために休んでいると、サルビアが報告しにきた。
 私が休んでいる間はデイジーが必ず治療場にいるので、訓練兵の伝言はサルビアに頼んでいる。

「回復魔法を使えるようになってきた者も増えてきたようです」
「思いつきの方法だったけれど、なかなかうまくいっているみたいね。これからは、上の方にも取り入れるわよ。まずはサルビア、あなたも紫色を付けれるようになりなさい」

 既に毒の治癒を行える赤色のリボンタイを付けれられる衛生兵は、サルビアだけではなくなっていた。
 しかし、初級の呪いを解呪できる者が付けることが許された紫色のリボンタイは、いまだにデイジーだけだった。

 ちなみに、元々は紫は強い毒の解毒だけで、呪いの解呪は私だけしかできない布なしだった。
 しかし、部隊の能力が向上するにつれ、黄色以上の要求はそれぞれ変わっていった。

 初めは色を増やすことも検討したけれど、あまり増やすと負傷兵に布を巻く際に、煩雑(はんざつ)だということで、色の数はそのままにすることにしたのだ。

「紫色のリボンタイですか……本心としてはすぐにでも付けられるようになりたいところですが……」
「あなたには付けられる才能があるわ。自信を持ちなさい。以前よりも扱える魔力は格段に増えているはずよ。あとはきっかけだけ」

「ありがとうございます。しかし……その……コツと言いますか。限られた時間ですが、暇がある時には訓練をしていますが一向に」
「ええ。分かっているわ。あなたは努力をしている。だから、今日から私と一緒に布なしの対処をしてもらうわ」

 伝えた瞬間、サルビアの目が見開いた。
 驚きと興奮の様子だ。

「本当ですか⁉︎ 聖女様の治癒を近くで見ることができるなんて! ありがとうございます‼︎」
「お礼を言っている場合じゃないのよ。サルビア。治療はできるだけあなたが担当するの。もちろんできないことをやらせるつもりはないけれど」

「どういうことですか?」
「訓練兵と一緒よ。治療場で治療を施しながら、あなたに解呪の魔法を教えるわ。つまり実地訓練ね」

「え⁉︎ でも、呪いを受けた兵士たちは、みんな気が狂いそうな状態ですよ? 私が失敗したら……」
「少なくとも呪いですぐに死ぬことはないわ。長期間放置されてしまえば精神が病んでしまうこともあるけれど。治療場で過ごす時間程度では、そんなことも起きないでしょうね」

 私が今からやろうとしていることは、やられる負傷兵からみれば、たまったものではないことは十分理解している。
 しかし、今のままではデイジーと私のどちらも手を空けることができない。

 もしサルビアがデイジーの負担を減らすことができれば、少なくとも私かデイジーの手が空く時間を捻出することができるかもしれない。
 訓練兵が白色から緑色になるための訓練ならば、今のやり方で問題がない。

 しかし、黄色や赤色になるためには適さない。
 時間経過の結果、出血や毒によって命を落とす危険が圧倒的に高くなるからだ。

 どうしても次の段階に行くためには、実地ではない、これまで通りの訓練も必要だ。
 つまり、逼迫(ひっぱく)していない状況での訓練だ。

 それを実現しなければ、求めた増員にはなりえない。
 もしここが以前のような後衛に設置された陣営だったのであれば、緑色でも十分戦力になっただろう。

 しかし、前線は予想していた以上に、重篤な負傷兵が多い。
 小さな傷を治すことしかできない衛生兵では不十分なのだ。

 サルビアが解呪の魔法を習得するまで、負傷兵には今よりも多少の痛みが伴う。
 それは必要な痛みだと思うしかない。

 私は神ではないのだ。
 今この瞬間、全ての衛生兵を私と同じ程度の回復魔法の使い手にする方法があるのなら、喜んでこの身すら投げ出そう。

 しかしそれは起こり得ない。
 ならば、着実に一歩一歩進んでいくしかない。

「あなたが解呪の魔法を習得することは、今後の第二衛生兵部隊全体にとって、とても重要なことなの。サルビア、やってくれるわね?」
「……分かりました! できるだけ早く習得するように、精一杯頑張らせていただきます‼︎」