戦地に舞い降りた真の聖女〜偽物と言われて戦場送りされましたが問題ありません、それが望みでしたから〜

「本日よりこちらに配属されたフローラです。よろしくお願いします」
「ああ。いらっしゃい。まぁ、そんなに畏まらず、楽にやってよ」

 ベリル王子に要望を出して、次の日には王都を出立して再び戦線へと向かった。
 今回配属するのは第二衛生兵部隊。

 そこに着くと、その足で司令室にいる部隊長のゾイスの元へ挨拶に向かった。
 ゾイスは歳はアンバーより若く見えるが、軍属の割には緩んだ身体の持ち主だった。

 初期のアンバーとはまた毛色の違った笑みを顔に貼り付け、右手に持つハンカチーフで額と首元の汗を拭いている。
 人を見かけで判断してはいけないけれど、あまり好ましいと思うような相手には思えなかった。

「それでは、早速業務に携わりたいのですがよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、ああ。まぁ、そんな気張らなくていいってば。えーっと、フローラ君だっけ? 君に会ったら聞きたい事があったんだ」

「なんでしょうか?」
「君さ。誰に取り入ったの? もし良かったら教えてよ。何? やっぱり女性の武器ってやつを使ったのかな? いいよねぇ」

 そう言いながらゾイスはすでに上がっている口角を更に上げる。
 どうやら侮辱を受けているようだ。

「なんのことだか分かりません。それでは、早く現場に慣れたいのでこれで失礼します」
「あ、そう。まぁいいや。所詮君は副隊長。部隊長の俺には逆らえないんだから、ちゃんと地位を弁えた行動を頼むね。それじゃ、行っていいよ」

 そう言いながら、ゾイスは手に持つハンカチーフを前後に振る。
 かなり良い性格の持ち主のようだが、私の目的は部隊長に気に入られることではない。

 にやけ顔の上官を無視するように、最低限の礼をしてから司令官室を後にした。
 そこではたと、この陣営の治療場の場所を聞くのを忘れたのに気付いた。

 通りすがりの兵士に自己紹介をしてから、治療場の場所を聞く。
 私が新しく配属された副隊長だと言った時には、かなり驚いた顔をしたが、胸につけてある徽章(きしょう)を見て納得したようだ。

 改めて軍特有の礼を私にしてから、丁寧な口調で案内してくれた。
 治療場に向かう間、私はその兵士に色々と聞いてみることにした。

「ここの衛生兵の人数を知っている?」
「はい。全部で三十名ほどだと思います」

「結構多いのね。それで、その中で回復魔法を使えるのは何人くらいいるのかしら?」
「回復魔法ですか? 誰がどのくらい使えるかまでは詳しく知りませんが、ここにいる衛生兵は全員使えるはずです。ご存知なかったのですか?」

 返答を聞いて、私は驚いた顔をしてしまった。
 以前いた第五衛生兵部隊の衛生兵は、今では全員が回復魔法を使えるものの、初めは数人しかいなかった。

 それが、ここでは全員が使えるというのだ。
 私は、この僥倖(ぎょうこう)に思わず顔を緩めてしまう。

 始めから使えるのであれば、それなりの素質を持つ者ばかりなのだろう。
 うまく訓練を行えば、その内解呪の魔法すら使いこなす者も多く誕生するかもしれない。

 私は喜び勇んで兵士に返答する。

「ごめんなさい。知らないの。ここの衛生兵が全員回復魔法を使えることに、何か理由があるの?」

 私の言葉を聞いた兵士は、少し考え込み、そして戸惑いを見せながらこう答えた。

「ここに所属するためには最低限回復魔法を元々使えることが条件なのです。ですから――」

 始めの言葉に、素晴らしいと思ったのも束の間、続く言葉は、あまり好ましいものではなかった。
 兵士の話はこういうことだった。

 衛生兵として送られる者は、回復魔法の適性を鑑みて女性、しかも危険な前線に送られるのは、一身上に様々な問題がある者ばかり。
 夫を亡くした未亡人や、雇い先から解雇を告げられたメイドなどだ。

 一方、回復魔法を教える施設などは一般的には無い。
 私も、父が家庭教師を呼び、様々な書物を買い与えてくれたからこそ、学ぶ事ができた。

 それにはそれなり以上の資金が必要だ。
 そして、夫や職を失った女性が、簡単に払えるような額では無い。

 人によってはその身を売った人もいるだろう。
 そうやってなんとか捻出した資金で、ようやく回復魔法の教えを乞い、身に付けて配属されたのがここいる大半らしい。

 彼女らの努力は買うが、そこまでしなければならない現状を再度理解し、私はベリル王子に再度教育機関の創設を打診することを心に決めた。

「着きました。ここが治療場です。今、呼び集めますのでお待ちください」
「いいえ。結構よ。挨拶なら作業をしながらでもできるわ。ありがとう。持ち場へ戻って大丈夫よ」

 そう言うと、兵士はまた一礼をしてその場から去っていった。
 一人残った私は、治療場の状況を確認するために一望する。

 広さは第五部隊よりも少し広いがそこまで変わらず、多少臭いや汚れが気になるものの、そこまで酷い状況にはなっていなかった。
 安心した気持ちで、治癒に当たっている人たちに目を移していく。

 確かに兵士が言っていた通り、その場にいる全員が回復魔法を使えるようだ。
 ほとんどが初級の回復魔法ではあるものの、手際よく負傷している兵士の傷を治していくのが見えた。

「なるほど。これならまずは大丈夫そうね――」

 そう独り言を呟いた矢先、一人の衛生兵の行動が目に付いた。
 その衛生兵は、右足を失った兵士の治癒に当たっている。

 その女性は先ほどから初級の回復魔法しか使っていないように思える人物だった。
 せいぜい出来ても傷口を塞ぐだけ、失った四肢を再生させるのには無理がある。

 もしかしたら、そのような魔法も使えるのかもしれないと、注視していると、果たして使ったのは、やはり初級の治癒の魔法だった。
 布で止血をしていた負傷兵の傷が光に包まれ、そして光が消える頃には傷口は塞がっていた。

 そこまでやると、衛生兵は立ち上がり、別の負傷兵の方へと向かう。
 もちろん、傷口は塞がったものの、脚は再生されておらず、失ったままだ。

 負傷兵は悔しそうな顔をして起き上がると、別の者から渡された木の棒を杖代わりにその場を後にしようとしている。
 他の衛生兵もその兵士に構う者は見当たらない。

「ちょっと! あなたたち! 何をしているの⁉」

 思わず私は叫んでいた。
 その声に、その場にいた全員が私の方を向く。

 見ていた限り、ごく少数ではあるものの、四肢を再生させることのできる中級の治癒の魔法を使える者も中にはいた。
 その衛生兵に任せれば、今目の前にいる杖を突いた兵士の脚を取り戻すことができたはずだ。

「なぜ、治せる者が治さないの⁉ この人の脚は⁉」

 状況が掴めていないのか、誰も何も言わず、不思議そうな顔を私に向ける。
 時間の無駄を感じ、私は目の前を通り過ぎようとしている脚を失った兵士に声をかける。

「その場に横になりなさい。やり直しよ。脚を、切るわね」
「あ、脚を切る? 何を言ってるんだ⁉」
「いいから、早くそこに横になりなさい。手遅れになりますよ」

 私は理解していないだろう兵士を無理やり横にさせる。
 そして、兵士の腰に差してある剣を抜き取り、刃を先ほど塞がれた脚の傷に当てる。

「な、何をする気だ⁉ 止めろ‼」
「私はあなたを、傷付けてでも治します!」

 説明している暇がないというわけではないが、説明したところでそれを受け入れる心の準備を待つほどの余裕がない。
 塞がった傷口が、()()()される前に早く治療しなければ。

 失った脚や腕すら再生できる治癒の魔法でも、一度回復魔法によって傷口を塞がれ、それを身体が覚えてしまった後には治すことができない。
 つまり、一度傷口を塞いでしまった彼の脚を取り戻すためには、再び傷口を開いてから再生させるしかないのだ。

 それも早くしないとこの兵士の身体がこれを自然だと認識してしまい、いくら傷口を開いても、再生することは困難になる。
 そのため、なるべく早くの処置が必要なのだ。

 私は兵士が制止しようとする前に、脚の傷口を取った剣で斬りつけた。
 一度は塞がった傷口から血が噴き出し、辺りを赤く染める。

「ぐぁぁああ‼」
「きゃあああ‼」

 兵士と、それを見ていた者たちが叫び声を上げる。
 私は構うことなく、脚を再生するための魔法を唱え、兵士に使った。

 魔法の光が兵士のあったはずの脚の形を作り、そして輝きを強めた後に消える。
 後には元の脚が、きちんと生えていた。

「な⁉ 俺の! 俺の脚が‼ ああ‼ ありがとう! ありがとうございます‼」

 何が起きたのか理解した兵士が、泣き顔でお礼を言ってきた。
 私は立ち上がると、剣についた血を布で拭うと兵士に返す。

「私は! 本日この部隊に配属された副隊長のフローラです! ここの状況の詳しい話は後で聞きます! 自分で治せないと判断した兵士は、全て私に任せなさい! 以上、自分の仕事に専念しなさい‼」

 私の言葉に、そして胸の徽章に状況を理解したのか、衛生兵たちは慌てた様子で治療に戻る。
 その内、一人がおずおずと私の元にやってきて小さな声を出した。

「あの……副隊長。私に彼は治せません……あの、それで……その……」
「分かったわ。自分のできる兵士の治療に専念なさい。そっちは私がやります」

 見ると、彼女が担当した兵士は、腹部に大きな傷を受けていた。
 外から見ただけでははっきりしないが、おそらく内部まで傷を受けているだろう。

 これを初級の治癒魔法で回復するには、何度も魔法をかけ、内部から外へかけて回復をする必要がある。
 それはある程度魔力操作ができないと難しく、それが出来ずに魔法をかけると、表層だけ傷が癒え、後から内部をきちんと治すのが逆に難しくなる。

 私は全体を一度に回復させる治癒の魔法を使い、腹部の傷を癒していく。
 絶望の顔を見せていた兵士は、先ほどのやり取りを見ていたのだろうか、私が癒すことを知ると、安堵の表情に変わった。

 結局、魔力枯渇で倒れるぎりぎりまで、多くの兵士を私が治癒することになった。



 一通りの治癒を終え、一度休憩するために自室に戻ろうとした途中で、兵士にゾイスが私を呼んでいると報告があった。
 私は頭痛を抱えながら、ゾイスの居る司令室へと足を運んだ。

「お呼びでしょうか?」
「ああ、君か。まったく。フローラ君、だっけ? 面倒なことをしてくれたね」

「面倒なこと……? とは、何のことでしょうか?」
「はぁ……君ね。この部隊の負傷兵の致死率がどれくらいか知ってる?」

 何のことを言いたいのか分からないが、王都からここに来る道中、この部隊のことを知ろうと報告書には目を通してある。
 確か記憶では、ここの致死率は極端に低く、5パーセント程度だったはずだ。

 私はそれを見て、大したものだと感心した記憶があるから、数値に間違いはないはずだ。

「確か、5パーセント程だったと記憶していますが……それが何か?」
「4.876パーセントだよ。君、これがどれだけ凄いか分かる?」

 確かに、私が配属されたばかりの時の第五部隊の致死率は40パーセントを超えていた。
 それから見れば、この数値がいかに低いかは言われなくても分かる。

「何でも君、他の衛生兵から負傷兵を奪っては治していったそうじゃないか。一体どう言うつもりだい?」
「同じ衛生兵でも、技能に未熟な者が居ます。治せない者に治療させては、完治はできません」

「完治したかどうかなんて関係ないんだよ! 生きてるか死んだかが重要なんだ! 君、報告書に完治率なんてどこにもないんだよ⁉ そんなこと気にしてどうすんのさ」
「仰っている意味が分かりませんが……?」

 私の返答にゾイスは一度息を吐き出し、更にまくし立てる。

「必要なのは、低い致死率と! それと延べ人数だよ! 君一人じゃ、人数増やせないだろ⁉ 何? 一人で三十人分働くの⁉ 働けないだろ‼ 余計なことしてないで、兵士なんて生きてりゃいいんだよ。生きてりゃ。腕が無かろうが、脚が無かろうが生きてりゃね!」

 私は唾を飛ばしながら喚くこの生き物を、目を細めて一言も返さずに見ていた。
 どうやらゾイスは、兵士の生き死にや健全な肉体を取り戻すことよりも、この部隊の成績、しかも上官に報告するための数値だけに興味があるようだ。

 私は冷めた目でゾイスを見つめる。
 その目線に気が付いたのか、少したじろいた後、ゾイスは更に言葉を発した。

「と、とにかく。余計なことは許さないよ。これは部隊長命令だ。君はそれを守る義務がある。分かったね? 分かったら、もう、行ってよし!」
「分かりました。失礼します」

 私は礼をせず、司令室を後にした。
 そして痛む頭に手を当て、思考にふける。

 ゾイスが言う通り、致死率を下げることには私も異存はない。
 治療できた兵士の人数が多いことが良いことなのも、問題はない。

 しかし目的が違う。
 おそらくゾイスは、自分の評価を上げることが目的なのだろう。

 私の考え方とは、根本的に違うのだ。
 そんな生き物が部隊長だというこの部隊を、今後どうすればいいか、私は深く考えていた。
 結局いい案が思い浮かばず、私は頭痛を抱えて自室へ戻ることにした。
 尽きた魔力を回復させるため休んでいると、扉を叩く音が聞こえ身を起こす。

「聖女様! こちらでしょうか?」
「開いているわ。入りなさい」

 ここに居るはずのない懐かしい声が聞こえ、私は不思議に思いながらも声の主を招き入れる。
 扉が開き、そこに立っていたのは第五衛生兵部隊で一緒に働いていたデイジーだった。

「聖女様‼」
「デイジー! 何故ここにいるの? あなた一人?」

「いいえ。私の他に、ここまでの護衛でクロムがおります」
「聖女様! またお会いできて嬉しいです‼」

 私の言葉に、デイジーが後ろに控えていたクロムを見せる。
 クロムは私の部屋に入っていいのか悩んでいるのか、外から身体を乗り出している。

「二人とも入っていいわ。よく来たわね。それで? どういうことか説明してちょうだい」
「実は、私たち。ここに転属になったんです」

 デイジーの言葉に私は驚く。
 別の部隊に転属というのはないことはないだろうが、私がここに配属された初日に、となると何らかの意図を感じる。

「実は、私たちも理由は詳しくは知らないんです」
「アンバー部隊長に、理由は聞くな。これは絶対命令だ。とだけ言われていまして」

 アンバーが本人たちにそう言うということは、かなり上の者から直接命令だったのだろう。
 私の脳裏には、身分をわざわざ隠さなければいけない、上位の者の顔が、一人だけ浮かんだ。

「でも! こうしてまた聖女様と一緒に働けるのが、私嬉しいです!」
「俺も、張り切って警護に当たりますよ‼ 魔獣なんてドンと来いです‼」

「ええ。私も嬉しいわ。デイジー。魔獣は来なければ、来ない方がいいのよ。クロム」

 私の言葉にデイジーは両手を胸の辺りで組んで、嬉しそうな顔を見せる。
 クロムは人差し指で頬をかいた。

「まぁ。それは言葉のあやと言いますか。でも! 聖女様のこと、全力でお守りしますので‼」
「ええ。ありがとう」

 おそらくベリル王子がこの二人をここに送ってくれたのは間違いないだろう。
 と、すればここの現状も知っていて、私を配属させたのだろうか。

 思えば、そもそも私がこの戦場に配属できたのも、ベリル王子の口添えだとルチル王子が言っていた。
 その時は、深く考えもしなかったが、ベリル王子の評判を考えると、考え無しにそんなことを言うはずがない。

 実際に、私は希望通りに前線に赴き、私の考えで第五衛生兵部隊の状況の改善に務めた。
 その結果、まだやり残したところはあるものの、私が居なくても、多くの負傷兵を助けることができる体制作りが出来たといえる。

 そんな中の帰還命令。
 そしてルチル王子の解呪と今回の配属先を変えられ、副隊長という任を与えられての配属。

 どれもベリル王子の考えあっての事のように思えて来て仕方がない。
 具体的に何か言われた訳ではないけれど、問題のある部隊に配属され、悩んでいたところにこうして助けとなる人物を送ってきたのだ。

「デイジー、あなたに頼みがあるの。お願いできるかしら」
「聖女様からのお願いを断るわけがありません‼ なんでも仰ってください‼」

 私の問いかけに、デイジーは喜色ばった表情を向ける。
 それを見たクロムは、自分も何かできることがないのかと物欲しそうな顔を見せている。

「そんな顔しないで。クロム。あなたにも、やって欲しいことがあるのよ。お願いできるかしら?」
「はい‼ もちろん。喜んで‼」

 二人の顔を見て思いついたことを、それぞれ伝える。
 この部隊の現状を聞いて驚いた顔をする二人だったが、私の要望を聞くと、二つ返事で早速動き始めた。

 私はできるだけ早く魔力を回復させるため、一度横になり仮眠を取った。



「一体どういうことだね⁉」

 誰かが叫ぶ声に目を覚ます。
 どのくらい寝ていたか分からないけれど、魔力枯渇による頭痛はすでに消えていた。

「何故、こんな兵士たちが俺の部隊に集まるんだ‼ 毒や呪いを受けた兵士はできるだけ受け入れないようにと言ったはずだ‼」
「しかし……今日からはそのような兵士も積極的に受け入れるようにと伝達があったはずですが……」

 どうやら叫んでいるのは部隊長のゾイスのようだ。
 おそらく、クロムに頼んだことがもう効果として現れたのだろう。

「どうしました? 何か騒がしいようですが、問題でも?」
「君か⁉ ふん‼ 今までどこへ行っていたんだ! いいご身分だな! 緊急事態だよ! 毒にやられた兵士がわんさかここに運ばれているんだ‼」

「それに何か問題が? 治せばいいではありませんか」
「馬鹿を言うな! ここにいる衛生兵で解毒の魔法なんて高等な魔法を使えるのは一人しかいないんだよ‼ 全員助けるなんて到底無理だ! せっかくの低い致死率に傷がつく‼」

 相変わらずの態度に、私は胸にムカつきを感じながらも、表情を変えることなく答える。

「問題ありません。その解毒の魔法を使える衛生兵の名は?」
「あ⁉ えーっと、そうだ‼ サルビアだよ! それがどうした‼」

「いえ。とにかく。問題ありません。私はこれから現場に行きますので、部隊長はどうぞ司令室へお戻りください」
「何が問題ないんだ‼ あー! どうすればいいんだ‼ 今まであんなに――」

 まだ喚き続けている生き物を置いて、私は治療場へと向かう。
 ゾイスの言う通り、先ほどまではほとんど見かけなかった、魔獣の毒を受けた兵士たちが多く居た。

「聖女様! こちらです‼」

 すでにデイジーは、兵士たちの解毒に当たっている。
 それを、一人を除いて他の衛生兵たちが遠巻きに戸惑いながら見つめていた。

「あなたがサルビアね。解毒の魔法はどのくらい?」
「新しくきた副隊長ですね? そうです。サルビアと申します。恥ずかしながら、解毒の魔法は初級がやっとです」

 長い黒髪を一つ、後ろで三つ編みにした女性に話しかける。
 サルビアはデイジーと共に、兵士の解毒に当たっていた。

「十分よ。今から私が選んだ兵士だけ解毒しなさい。それと、治癒は他の人に任せて。あなたは解毒だけに専念するのよ。いいわね?」
「はい。分かりました」

「これから私たち三人は解毒作業に専念するわ! 他の衛生兵は、解毒が済んだ兵の治癒に当たりなさい! ただし! 自分が完全に治せる傷だけを選ぶの! いいわね‼」

 私の言葉に、やっと自分たちがどうすればいいのか、方針が決まり安堵したように傍観していた衛生兵たちも動きだす。
 私はそれを見届けた後、腫れ上がった腕を押さえながら、苦しげな表情をする兵士へ解毒の魔法を唱えた。
「――という訳で、無事に全員の治療を完了しました。死者はゼロです」

 運ばれてきた大量の毒に侵された兵士たちの治療を終え、私は司令室に向かい、中でうろうろと歩き回っていたゾイスにそう報告した。
 私の報告を聞いたゾイスは、唾を撒き散らしながら私に叫ぶ。

「何が、無事に、だ‼ 無事なんかじゃないよ‼」
「しかし、部隊長の言う、致死率も延べ人数も十分だと認識していますが」

 私は平然と述べる。
 次に続く言葉は、予想ができた。

「実績を作ってしまったのが問題だ‼ できないことをできないことに文句を言う者はいないが、一度できてしまったことが、次にできなければまずいだろうが‼」
「仰ってる意味が、よく分かりません」

 実際のところ、ゾイスが何を考え心配しているかは、理解出来ている。
 今回は()()()()私とデイジーが配属された後だったから、解毒が間に合ったのだ。

 もし、元々いたサルビアだけでは全員を回復することはできず、対応できなかっただろう。
 つまり、もうゾイスは、どんなに私やデイジーが目障りになったとしても、新しい解毒の魔法の使い手が配属されなければ、私たちの治療を拒むことはできない。

「今は()()解毒をできる者が複数います。今後も積極的に治療に当たれば問題ないかと」
「う……だが! もし君たちに何かあったらどうするつもりだ! 一度受け入れてしまった者を移送するのは出来んのだぞ‼」

 正確に言えば、治療不可での別部隊への移送は評価として悪くなるから、できないということだろう。
 もっとも、私はそんなことをするつもりは毛頭ない。

 かといって、このままずっと三人だけで解毒の治療に専念するつもりもない。
 これは布石だった。

「お言葉ですが、実はデイジーはつい最近まで回復魔法を唱えることができませんでした。しかし、今は中級の解毒魔法まで扱うことができます」
「は! そんな馬鹿な話があるわけないだろう! そんな魔法を使えるやつがホイホイ戦場に送られる訳がない。今頃どこかの貴族のお抱えになってるよ」

「信じてもらえないなら、今日一緒に治療に当たったサルビアに聞いてもらっても構いません。彼女は確か初級の解毒魔法しか扱えませんでしたね? それ以上の魔法が必要な兵士が一人も居なかったとでも?」
「ぬ……おい! 誰か‼ 衛生兵のサルビアを呼んでこい! 今すぐにだ‼」

 ゾイスが叫ぶと、司令室の外に居た一人の兵士が、慌ててサルビアを呼びに向かった。
 その間に、私は話を続ける。

「それで、提案があります。ここの他の衛生兵にも才能がある者がまだいるかもしれません。その者たちに、訓練を行い、解毒魔法を習得させるのはいかがでしょうか?」
「はっ! 何を言い出すかと思えば。誰が教えるっていうんだい。都から使い手を呼んで教鞭でも取ってもらうつもりかい? 一体いくらかかると思っている。そもそもこんな所に来ようと思う物好きなんて居ないさ!」

 そんなやり取りをしている間に、呼ばれたサルビアが司令室へと入ってきた。
 部隊長のゾイスと副隊長である私が同席している司令室に一人だけ呼び出され、何事かと心配そうな顔をしている。

「ああ。来たようだね。さて。まずは君の嘘をサルビアに証明してもらおうか。サルビア、正直に答えたまえ。これは部隊長命令だ。今日新しく配属されたデイジーとかいう衛生兵が、君より上級な回復魔法を使ったというのは嘘だね?」
「いえ。本当です」

 何を聞かれるのかと身構えていたサルビアは、予想外の質問に拍子抜けしたのか、率直にそう答えた。

「うんうん。そうだろう。嘘だっ……なんだって⁉」
「ですから。本当です。デイジーさんと、そこにいらっしゃる副隊長は、私には到底治療できない毒を受けた兵士たちを治療しておりました。間違いありません」

「ば、馬鹿な⁉ もし嘘を言っていたら、ただじゃおかないぞ⁉」
「いえ。私に嘘をつく理由はありせんので」

 うろたえるゾイスを一瞥(いちべつ)し、私は口を挟む。
 これ以上は時間の無駄だ。

「私の話が嘘ではないとこれで証明されたようですね。それで、先ほどの話ですが、衛生兵の訓練を許可いただけるでしょうか?」
「しかし! 誰が教える⁉ 訓練の間、治療の手が足りなくなるだろう!」

「私とデイジーが交代で教えます。治療が疎かにならないよう、そこも私に考えがあります。さあ、どうか許可を」
「ぐぬぬ……もし! 何か問題があれば、君が全ての責任を取りたまえ‼ それが条件だ‼」

 私は笑みを作り、一度だけ頷く。

「問題ありません。では、すぐにでも。これで話は終わりですね? 失礼します。サルビアも。あなたには、別の用があるの。一緒に来てくれるかしら?」
「は、はい!」

 私はそのまま司令室を出ていく。
 サルビアは慌てた様子で、出る際にゾイスに一礼をしてから私の後を追ってくる。

「あ、あの。副隊長。私に用とはなんでしょうか?」
「ええ。今空いている人を集めて、ある物を作ってほしいの。そうね、色は……四つもあれば最初は足りるかしら。必要だったらその時に増やしましょう」

「色、ですか?」
「ええ。さぁ、始めるわよ! 人を集めたら、私の部屋に来てちょうだい。その時、四つの色が異なる布を、できるだけ持ってきて」

 私の言葉に、サルビアは戸惑いをにじませた返ことをしてから、他の衛生兵を呼びに行く。
 こうして、休憩中や非番だった衛生兵数人が私の部屋に集まった。

「よく来てくれたわね。休んでいるところ申し訳ないけれど、少し手伝って欲しいの」

 私の説明で、集まった衛生兵たちは布を細く切り裂いていく。
 やがて、色様々な何本もの細い布が出来上がった。

「さぁ。準備はこれで十分よ。ありがとう。これの使い方を説明するから。他のみんなにも説明したいから、治療場に移動しましょう」
「みんな少しだけ手を止めて。聞いてちょうだい」

 私はその場にいる全員に聞こえるように声を張る。
 指示通り、衛生兵たちは治療を止め、私と四つの色の細く切り裂かれた布を大量に持っている同僚たちに目を向けた。

「なるべく早く済ませるわ。今から私の前に一列に並んで、自分の使うことのできる回復魔法の種類を教えてちょうだい。正直に答えること。いいわね?」

 何が始まるのかと、不安げな顔を見せながらも、副隊長の私の命令に従い、一列に並ぶ。
 それぞれの申告に応じた色の布を手渡し、私は更に説明を続ける。

「今渡した布を、身体のよく見えるところに巻きつけてちょうだい。分かったと思うけれど、それぞれの色は自分の使える回復魔法の種類、つまり治すことのできる負傷の程度を示しているわ」

 今回用意された布の色は、緑、黄、赤、そして紫だ。
 緑色は初級の治癒魔法のみ使える者。

 黄色は四肢の再生なども可能な者。
 赤色はサルビア、紫色はデイジーのみが付けている。

 手渡された布を思い思いの場所に付けながら、色の意味は分かったものの、衛生兵たちはまだ釈然としていない顔をしている。
 全員に布が行き渡った後、布作りに携わった一人の衛生兵が、私に質問を投げかけてきた。

「副隊長。配り終わりましたが、まだこんなに布が余っています。こんなに作ってどうするんですか?」
「それはね。こうするのよ」

 私は、いくつかの布を受け取ると、その場で治療を今かと待ちながら、ことの成り行きを訝しげに見つめる負傷兵たちの元へ向かった。
 そして、その傷の程度や、毒の有無によって、布を巻きつけていく。

「さぁ。今つけた色と同じ兵の所へ向かって、治療を再開してちょうだい」

 その言葉に多くの者が私の意図を理解できたようで、各々自分が付けた布の色と同じ色を持つ兵の元へと向かい治療を始めた。
 それを見ながら、私は残りの兵士にも順に布を巻いていく。

「一体全体。これはなんの意味があるってんだ? あんたが考えたのか? 良かったら教えてくれ」

 布を巻きつけ終わる頃、一人の兵士が私に質問してきた。
 この兵士の布の色は緑色だ。

「誰が誰に回復魔法をかければいいか。それを分かるための印よ。あなたの色は緑。初級の回復魔法で十分。逆にあっちの彼は赤色。この場で治せる者が少ないから、それができる衛生兵に優先的に見させるの」
「へぇ! そりゃいいや。考えたもんだねぇ。あいつは俺のダチなんだ。どうか、助けてやってくれ。俺は独身だが、あいつにゃ帰りを待つ人が居るんだよ」

 私は兵士に微笑みを向けると、次の準備のため、治療場に兵士を受け入れる者たちの元へと足を運ぶ。
 そして、今私がしたように、負傷兵の怪我や毒の程度に応じて、受入れの際にそれに応じた色の布を巻くよう指示した。

 初めは戸惑っていたものの、しばらく指示を出してどの色を巻くべきか教えていると、私が指示を出さなくても適切な色の布を巻けるようになった。
 そして、私は一言だけ付け加える。

「もし、どの色よりも困難な兵士が居たら、布を巻かずにできるだけ速く私の元へ連れてきてちょうだい。いいわね?」

 これでひとまずの下地は出来た。
 治療の効率は上がり、また、治せる者が治すことが徹底できるだろう。

 私は再び治療場に戻ると、治療を続ける衛生兵たちにまた声をかけた。

「今度は手を休めずに聞いてちょうだい。あなたたちに伝えたいことがあるの。今日から、空き時間を使って、回復魔法の訓練を実施するわ。参加は任意。希望する者は、夕方、私の部屋へいらっしゃい」

 それだけ言うと、私は赤や紫の布を巻かれた兵士を優先的に治療を始めた。



「副隊長。失礼します」
「入りなさい」

 夕方、私の部屋に数人の衛生兵たちが訪れた。
 三十人全員が休憩時間な訳ではないが、思っていたより更に少ない。

「よく来たわね。嬉しいわ」
「あ、あの。副隊長。回復魔法の訓練って、本当ですか? あの、私、今より上手になりたい気持ちはあるんですが……あの、お金が無くて……」

 その一言に、私は自分のうっかりに気付いた。
 人が思ったより少ないのは、恐らく訓練に金が必要だと思ったからだろう。

 ここに居る者はほとんどが来る前に自費で回復魔法をなんらかの方法で学んだ者ばかりだ。
 無料で教わることができるなどと思いもよらないのだろう。

「説明が不足していたわね。後でみんなにも伝えてくれるかしら。訓練を受けるのに、費用は一切かからないわ」
「ほ、本当ですか⁉ それなら、今すぐにでも習いたいです! 私、初級の魔法しか使えなくて……」

 よく見ると、彼女は私が来た時に脚を失った兵士に回復魔法をかけた衛生兵だった。
 恐らく本人も、あの行動は本意ではなかったのだろう。

「ええ、もちろんいいわよ。あなたたちもいいのね?」

 私の問いに、この部屋に訪れた全員が頷く。

「それじゃあ、早速始めましょう。夕方と、朝方に訓練をするつもりだから出られる方に出て。まずは魔力操作から――」

 こうして、この第二衛生兵部隊での回復魔法の訓練が始まった。
 初めは数人の参加だったが、緑色だった者が次々に黄色の布に変わるのを見たせいか、徐々に参加者が増えていった。

 こうして、いつしか全員が治療の合間を縫って訓練に参加し、布の色を変えていく。
 自分や相手の今の状況や、成長が目に見えるからか、第五衛生兵部隊で訓練を実施していたよりも、やる気に満ちているようにも思えた。

 私もこの成果に満足しながら、日々の訓練をこなし、また毎日運ばれてくる兵士たちの治療に専念していた。



 そんなある日、夜眠れなかったため、外気にあたろうと建物の外に出た時のことだった。
 見回りの業務をちょうど終えたクロムと偶然出会した。

 クロムは私に気付くと、その人懐っこい顔に笑みを作り、声をかけてくる。

「聖女様! こんな遅くにどうしたんですか?」
「クロム。ご苦労様。少し夜風に当たろうと思ってね。今戻り?」

「ええ。これから戻って寝る所です。陣営の中とはいえ、外は危ないですよ。ましてこんな夜は、魔獣たちの天下ですからね」
「そうね。気を付けないとね。でも、そこら辺を少し歩くだけだから。クロムはおやすみなさい。ゆっくり休んでね」

 挨拶をしてその場を去ろうとしたところ、クロムが呼び止めるように声をかけてきた。
 私はその声に振り返り、もう一度クロムを見る。

「そんなに長くならないんですよね? それなら、部屋に戻られるまで、俺もお供しますよ」
「あら。悪いわ。本当に大丈夫だから」

「いいえ! 大丈夫なことなんてちっともないですから! ダメって言ってもついて行きますからね。それなら、始めから良いって言ってくれた方がいいと思いませんか?」
「うふふ。分かったわ。それじゃあ、少しの間だけ。よろしく頼むわね」

 護衛をお願いした途端、クロムは嬉しそうに握り拳を作ったのが見えた。
 私はなんだかその仕草が妙に可笑しくて、声を出して笑ってしまった。
「月が綺麗ですねー」

 クロムと並び、陣営の中を当てもなく歩いていると、突然空を見上げたクロムがそう言い出した。
 釣られて私も目線を上げると、確かに雲ひとつない夜空に、月が煌々(こうこう)と浮かんでいた。

「そうね。ねぇ。クロムは出身はどの辺りなの?」

 無言で歩き続けるのもなんだと、思い付いた話題を口に出してみる。
 私からの質問に、聞かれた本人は驚いたのか、目を見開いた。

「お、俺ですか。えっと、知っているかどうかわかりませんが、ロメル村っていう小さな村です。ここから北の方にあるマッカーブ山脈の麓にあるんです」
「あら。随分と寒い地域に住んでいたのね」

 マッカーブ山脈というのは、この国の最北に連なる山脈で、一年中冠雪している山も多いと聞く。
 今は辺りが暗く分かりにくいが、確かに北出身に多い、色白で透き通るような肌と、淡い青緑の瞳をしていたことが記憶から呼び起こされた。

「寒いですよ。冬は村から出ることもできないほどです。そんな暮らしが嫌で、村を飛び出したんですよ。俺」
「まぁ! それは大変だったわね。じゃあ、ここへは志願で?」

「はは。実はそうなんです。本当は街で暮らすつもりだったんですが、上手くいかなくて」

 クロムはバツが悪そうに頬をかく。
 そこで私は、こんな風に誰かの身の上を聞くのは初めての経験だと気付いた。

 私は改めてクロムを見つめる。
 それに気付いたのか、クロムは長いまつ毛が生え揃った大きな瞳を瞬かせた。

「あ、あの! 聖女様は、慕っている男性とかはいらっしゃらないんですか⁉」

 一瞬の間を置いて、クロムは少し身体を強ばらせながら、上擦った声でそんなことを聞いてきた。
 思わぬ質問に、私は少し考え込んでしまう。

 慕っている男性というのは、どういう意味の質問だろうか。
 会ったことはないが、攻撃や回復魔法の基礎となる魔力に関する著書を書いたオルマン伯爵には、尊敬の念を抱いてる。

 しかし、今までの話の流れで、そんなことを聞くような話はあっただろうか。
 適切な答えが分からず黙っていると、クロムは痺れを切らしたように、先ほどの自分の言葉を否定し始めた。

「ああ! 今の話は忘れてください! なんでもないんです。俺、何を聞いてるんだろ!」
「あら。そう? ごめんなさいね。いい答えが思い付かなくて――」

 そういい切ろうとした瞬間、陣営の見張り台から、敵襲を知らせる合図が鳴り響いた。
 私は驚き動きを止めるが、クロムはそんな私を自分の方に引き寄せ、辺りに警戒を向ける。

「聖女様! どうやら敵襲です! 早く建物の中へお戻りください‼」
「え、ええ! クロム、あなたは⁉」

「私は衛兵。この時のために私は居るのです。入口まで送りましょう。さぁ、早く‼」

 クロムに手を引かれる形で、私は建物の入口へと走る。
 もうすぐ入口へと辿り着くといったところで、目の前に何かが降りてきた。

 私は思わず声を上げる。
 目に入ったのは、黒い羽を持つ魔獣だった。

「くそっ! ガーゴイルか‼ こいつ、空を飛んで陣営の壁を越えやがった‼」
「クロム! 無理はしないで‼ 増援をっ‼」

 しかし、辺りを見渡しても近くに他の兵士の姿はなく、どうにか二人だけで切り抜けなくてはいけなさそうだ。
 ガーゴイルと呼ばれる、身体が石のような見た目をした魔獣は、牙が生え揃った裂けた口で威嚇の鳴き声を上げる。

 次の瞬間、鋭い爪が生えた腕を突き出し、私を庇うように前に立ったクロムに向かって、身体ごと突進してきた。
 しかし、クロムは動じることなく、両手で構えた剣を器用に振るって、ガーゴイルの腕を、そして羽の付け根を切り落とした。

 思わぬ反撃をくらいうろたえた様子のガーゴイルを、クロムは縦一文字に切り伏せる。
 初めて目の当たりにするクロムの実力に、私は目を白黒させてしまった。

「ふぅ……もう大丈夫です。さぁ、今のうちに中へ‼ 俺は、戻ります。あっちの塀の外に沢山群がって来ているようですから」
「ありがとう、クロム。助かったわ。本当に。でも無理はしないでね。死んでしまってはいくら私でも助けられないわ」

 私の言葉にクロムは目を細め、そして軍式の礼をする。

「承知しました‼ 副隊長の命令、必ずや守ってみせます‼」
「ええ。そうしてちょうだい。命令違反は、しないでね」

 クロムは一度頷くと、大量の魔獣が押し寄せているであろう、戦闘音が響く方へと走り出した。
 私はそれを見送ると、建物の中へと入り、寝ている衛生兵を起こしながら治療場へと向かう。

「聖女様、一体何事ですか?」

 今まで寝ていたのか、目を擦りながらデイジーが聞いてくる。

「敵襲よ! 前のようにここが襲われているわ。負傷兵が大量に運ばれる可能性が高いわ。心してちょうだい‼」
「わ、分かりましたぁ‼」

 状況が飲み込めたのか、デイジーは一気に目が覚めたようで、治療場へと向かう足を速めた。
 私は受入係に布をできるだけ速く、かつ正確に負傷兵に付ける様に指示を出した後、気を引き締め運ばれてくるであろう負傷兵を待ち構えた。
「焦らないで! 今まで通りにやればいいのよ‼」

 私は目の前の毒に侵された兵士の治療をしながら、誰にともなくそう叫んだ。
 予想していた通り、負傷する兵の数は多く、休んでいた者も含めて全員が対応に当たっていた。

 特に今回は大怪我をしたり、毒を受けたりしている兵士が多いため、一定以上の衛生兵に負担が集中していた。
 もし訓練を行うのが遅かったり、やっていなかったりすれば、状況はかなり悪くなっていただろう。

「副隊長! 急患です‼ 布なしです‼」
「分かったわ! すぐに行くわ‼」

 デイジーでも難しい、瀕死の負傷兵も何人か運ばれてきている。
 私がすぐに対応してなんとか一命を取り留めているものの、一度に来たらかなり難しい判断に迫られることになるだろう。

 どうやら、負傷した兵士たちのぼやきを聞いていると、兵士の質が悪い訳ではなく、統率がうまくできていないようだ。
 衛兵たちの指揮もここの司令官である部隊長の役目なはずだが、司令室にゾイスの姿が見つからないらしい。

 それでも、クロムを始め優秀な衛兵のおかげで、徐々に敵勢力の殲滅へと向かってはいるらしい。
 幸い、ここの部隊には衛生兵が多く、希望的観測ではあるものの、こちらが潰れるよりも早く事態の収束に向かいそうだ。

「副隊長! また布なしです‼ お願いします‼」
「今いく‼ デイジー‼ こっち代わってちょうだい‼」

 それでも今忙しいのには変わりなく、他の衛生兵たちも、次々と運ばれる目の前の兵士たちの治療を必死に行っていた。
 治療場は痛みで叫ぶ兵士の声と、治療にあたる私たちの声で満ち、周囲で起きていることには意識を向けることも難しい状態だった。

 そんな中、ある事件が起きてしまった。



――陣営内、某所――

「部隊長‼ 今までどこへ⁉」
「そんなことはどうでもいい‼ 腕を切られた! くそっ‼ 忌々しい魔獣め‼」

 部隊長の行方を探していた兵士の一人が、目的であるゾイスを見かけて声を上げた。
 それに対し、ゾイスは自分の右手を庇いながら叫ぶ。

「何をしておる‼ 早く俺を治療場へ運べ‼ 腕を切られたと言っているだろうが‼」
「は、はい! こちらへ‼」

 どうやら、ゾイスは敵襲があった際に建物の外に居たようで、ここへ向かう際に右手の手首から先を切り落とされてしまったようだ。
 止血は済んでいるものの、痛みのためか、額には脂汗が滲んでいた。

「部隊長が負傷した! 受け入れを頼む‼」
「何⁉ 分かった! 部隊長。怪我の程度を確認しますから、ひとまずこちらへ」

「確認するまでもないだろう‼ 腕を切られたのが見て分からんのか‼ さっさと治療を始めろ‼ 今すぐにだ‼」

 切り落とされた手首の先が無く、受付の判断で再生が必要な黄色の布を無事な左腕に巻かれたゾイスは更に声を上げる。

「なんだこれは‼ そんな訳の分からんことをしている暇があったらさっさと俺を運べ‼ いや! ここに衛生兵を呼んでこい‼ 今すぐにだ! 俺が誰だか分かっているだろうが‼」
「そ、それは……中では今も全員がそれぞれ治療に当たっています。呼ぶとなると時間がかかるかと……」

「馬鹿なことを言うな‼ お前、上官の命令に背くつもりか! 口答えは許さん! さっさと行け‼」
「は、はいぃ‼」

 ゾイスの言葉に受付の一人が慌てた様子で治療場に向かい、黄色の布をした衛生兵を探す。
 しかし、何処を見ても衛生兵の前には、同じ色を付けた負傷兵が多く運ばれていて、手が空いていそうな者は皆無だった。

 運が悪いことに、この時ゾイスの命令を受けた者は、どちらかと言えば気の弱い人間だった。
 ゾイスの言葉に逆らい、この治療場に連れてくることもできなければ、大勢の治療を待つ兵士を押し除けて、誰かをゾイスの元へとすぐに連れてくることもできなかった。

 そんなことなど知らずに、ゾイスは苦々しい顔をしながら、自分を治療する衛生兵が来るのを待っていた。
 しかし、ゾイスの思いとは裏腹に、なかなか衛生兵は訪れない。

 そんな中、一人の衛生兵が治療場から出てきた。
 それを見つけたゾイスは、怒鳴り声でその衛生兵に叫んだ。

「一体何をしていた‼ いつまで待たせる気だ‼ さっさと俺を治さんか‼」
「え……?」

 部隊長であるゾイスに怒鳴られた衛生兵は驚いて動きを止める。
 その腕には()色の布が巻かれていた。
 彼女は最近この部隊に配属されてきたばかりの衛生兵で、訓練を積んだ他の衛生兵とは違い、早々に魔力枯渇が訪れ、休憩に向かう途中だった。

 不幸は重なり、この時彼女は魔力枯渇に起因する頭痛があり、平常時に比べて思考が緩慢になっていた。

「何を呆けている! お前は衛生兵だろう! さっさと俺の手を治療しろ‼」
「は、はい‼」

 怒鳴り声による部隊長命令を受けた新人の彼女は、緊張のあまり深く考えることなく、指示通りに回復魔法を唱えた。
 ゾイスの手首の先が淡い光に包まれ、そしてすぐにその光は消えていく。

 苛んでいた痛みが無くなったことに満足しながら、ゾイスは自分の右手を目線まで上げた。
 そこにはきちんと()()()()()()()状態の、手を失ったままの腕先があった。
――治療場――

「おい‼ この腕を治せる奴‼ さっさとこっちへ来て治せ‼」

 突然治療場に男の叫び声が響き渡り、私は何事かと声のした方に目を向けた。
 声の主は部隊長のゾイスのようで、先がなくなった右手を振り上げ、喚き散らしている。

「部隊長。どうしました? 怪我をしたのなら、並んでいただければ順に治療します……それは……?」

 私はゾイスを無視するわけにもいかず、治療の手を休めることなくゾイスに声をかけた。
 しかし、振り上げている右手の先がすでに塞がれていることに気付く。

「馬鹿を言うな! そこら辺の雑兵と俺を同格に扱う気か⁉ そもそも、見ろ‼ 馬鹿で無能な衛生兵に治療を任せたら、この様だ」
「回復魔法を……すでにお受けになったのですか? そんなはずは……」

 私は目の前の兵士の治療を終え、ゾイスの方へと歩み寄る。
 見ればきちんと黄色の布が巻かれている。

 この色の衛生兵に治療を任せていれば、再生されずに治療を終えるなどはないはずだ。
 しかし、現実はすでに治療を終えていて、再生されぬまま傷口は塞がってしまっている。

 問題はこの治療がどれほど前に行われたかだ。
 もし十分な時間が過ぎてしまっていては、いかに私でも元に戻すことはできない。

「副隊長。そういえばお前は回復魔法に長けていると言っていたな? 気に食わんが、お前でいい。さっさと俺の腕を元に戻せ!」
「失礼ですが、部隊長。その腕の治療は誰が?」

「知るか! あんな無能の名前など。部隊長である俺の治療もろくにできない無能なら、さっきしこたましごいてやったから、外でぶっ倒れているだろう」
「なんですって⁉ 誰か‼ すぐに見に行って‼」

 私の叫び声を聞き、デイジーが真っ先に治療場の外へ向かった。
 私はそれを見届けてから、ゾイスの方へと向き合い語気を強めて言い放つ。

「あなたは一体何様のつもりですか⁉ 治療をした兵に暴力を振るうなど‼ そもそも、何故治療場に来なかったのですか⁉ その布の色についても報告書を何度も上げたはずです‼ お読みにならなかったのですか⁉」
「うるさい! 俺に口答えする気か⁉ お前が一体誰に取り入ったのか知らんが、俺を怒らせるとただじゃ済まないぞ⁉ 俺の後ろにはモリアゲート伯爵様がついているんだからな⁉」

 モリアゲート伯爵と聞いて、私は記憶の隅にある貴族たちの名前を思い出す。
 確か、モリアゲート伯爵は戦線から最も近い所に領地を持つ辺境伯で、随分な野心家だと知られている人物だ。

 この魔王討伐軍の中でもかなりの役職についていて発言権がある人物だというのは間違い無いだろう。
 だがそれがなんだというのだろう。

「後ろに誰が居ようと関係ありません。残念ながら、もうその腕の再生は不可能です」
「な、なんだと⁉ ふざけるな‼ いい加減なことをぬかしおって‼ もういい! おい! 誰でもいい‼ この腕を治した者には報奨金を出すぞ‼」

 ゾイスが右腕を上にかざしながらそう叫ぶが、誰も前に出る者は居ない。
 すでに固定化が済んでしまった傷を治すことなど誰にとっても不可能なのだ。

 もし、ゾイスが治療の不備に気付いた時に、すぐここへ向かっていれば可能だったかもしれない。
 しかしその最後の機会を、この男はあろう事か治療に当たった衛生兵の折檻(せっかん)の時間に費やしてしまった。

 同情の余地はもはやないだろう。
 自らの行いが招いた結果だ。

 いずれにしろ、私にできることはない。
 これ以上、ゾイスに付き合って他の兵士の治療の邪魔をするわけにもいかない。

「お分かりいただけましたか? ここに居る、いえ。世界中どこを探したとしても、一度固定化した傷を元に戻せる者は居ないのです。さぁ、部隊長へできる治療は済んでいます。お言葉ですが、他の兵の治療の妨げになるので。お引き取りを」
「ぐぬぬ……ふざけるなっ! お前たちも‼ 俺に逆らってどうなるか。思い知らせてやるかな‼ 覚えておけ‼」

「誰が、何を思い知らせてやるのかな? ゾイス部隊長殿」

 激昂したゾイスに向かって、凛とした女性の声が響いた。
 私も含め多くの者が、その聞く者に強制力を持つような声の主へと目を向けた。

 そこには数々の勲章を付けた、凛々しい顔付きの女性が立っていた。
 ふと、面識がないにも関わらず、私の頭の中に一人の女性の名前が浮かんだ。

「お前は、ダリア‼ こんな所に何故お前が⁉」
「おいおい。お前に呼び捨てされるほど仲が良かった覚えはないんだけどな。何故こんな所に居るかだと? 部隊長のお前がここに居ると聞いたから、わざわざ足を運んだのではないか」

 ダリアと呼ばれた女性は流れるような動きでゾイスの元まで近付くと、ゾイスを一瞥してため息をつく。
 恐らくこの女性はダリア・パルフェ。

 アンバーから聞いた第一攻撃部隊の部隊長だろう。
 にこやかな笑みを浮かべているが、薄寒いような圧力を感じる。

「最近後衛の陣営を魔獣が襲う事態が多発している。新しい総司令官がそのことを気にしていてな。私が良い案があると古い友人を紹介した所、採用され、襲われた陣営には即座に近い部隊が救援に向かうようになったのだがな」
「そ、そんな報告は聞いていないぞ⁉ そもそも! 主戦力であるお前の部隊がわざわざここに赴くとはどういうことだ⁉」

 ダリアの説明にゾイスはうろたえながら、疑問を投げかける。
 確かに最前線で戦いを繰り広げているはずの部隊の長が来るのは不思議だった。

「まぁ、聴け。私の古い友人なんだが、重い怪我を患っていてな。ああ。心配はいらない。もうすでに完治したらしい。喜ばしいことだ」
「なんの話だ! 何を言っている?」

「その友人の怪我を治してくれた聖女様が、この部隊に配属になったようだ。友人の恩人だ。放っておけずに来てしまった。という訳だ」
「聖女様だと⁉」

 ダリアの話を聞いて、アンバーのことを思い出す。
 恐らく、使い魔を伝令代わりに使っているのだろう。

 その後もダリアはゾイスに状況を説明していた。
 指揮を執るはずのゾイスの行方が分からなかったせいで、多くの兵士が無駄な負傷を受けたこと。

 ダリアの指揮と活躍により、すでに魔獣の群れの討伐は完了していること。
 その言葉を聞いた時には、その場にいる多くの兵が安堵の表情になった。

 そして、最後にダリアの口から、とんでもないことが発せられた。
 それを聞いた時、衛生兵の何人かは心当たりがあるのか、視線を下げていた。

「以上のように、危機はあったものの、魔獣は撃退した。しかしだ。ゾイス殿。お前は何をしていたのだ? いや、答えなくて良い。どうせ答えられないだろう。ここに証人が居る。この娘だ。見覚えが無い、とは言わせないぞ?」

 ダリアはそう言いながら一人の衛生兵を指差した。
 彼女は少し身をこわばらせている。

「どうやら他にもいるようだが……この娘に、立場を利用して暴行を働こうとしていたらしいな? しかも、魔獣が現れた時は、この娘を置き去りにして逃げ出したのだとか。まったく。どこまでもクズめ」
「し、知らん‼ 俺はそんなこと知らんぞ‼」

「見苦しいぞ。今回のことも含めてお前が今までやって来たことは報告済みだ。使い魔というのは便利なものでな。すでにお前の処遇については決定されている」
「ふ、ふざけるなぁ! そうだ! これは罠だ‼ 誰かが俺を陥れようとした罠だぁ‼ うぉぉぉおおお‼」

 支離滅裂なことを言いながら、ゾイスはダリアに向かって突進をした。
 しかし、ダリアはそんな突然の出来ことに眉一つ動かさず、一撃の元にゾイスを地に伏せさせた。
「色々騒がせて済まなかったな」

 ゾイスの取り押さえなどで、一時治療場は神妙な雰囲気に包まれた。
 そんな中、その間も負傷兵の治療を続けていた私の元に、再びダリアがやって来た。

「いえ。こちらこそ。事態の収拾、感謝します」
「ふむ。一応確認したい。アンバーの呪いを君が解いたというのは間違いないか?」

 ダリアの口から以前の上官の名前が出て、改めて私の予想が正しかったのが証明された。
 残念なことに使い魔については結局教わることが出来なかったが、確かにあの能力は伝達には有用だろう。

 別の部隊とはいえ、上位に当たる者に対して失礼と思うものの、治療の最中だったため顔だけを向けて私は答えた。

「はい。もし、おっしゃる方が第五衛生兵部隊の部隊長のことならば、間違いありません」
「そうか。あいつも私も半ば諦めていたんだ。旧友を救ってくれて私も感謝している。ありがとう。それにしても、よくあいつが治療を依頼するほどの信頼を得られたな?」

「いえ。アンバー部隊長から依頼された訳ではありません。私が無理やり治療を行いました」
「なんだと?」

 私の返答を聞いた途端、ダリアは目を丸くした。

「あっはっは! これは良い! あいつを無理やりにか! それはさぞ見ものだっただろう。私もその場で見ていたかったものだな」
「部隊長は……ゾイスは今度どうなるのですか?」

 盛大に笑って涙を滲ませるダリアに向かって、私は気になっていることを素直に聞いてみた。
 その途端、ダリアの顔から笑みが消え、険しい怒気のようなものが発せられた。

「ひとまず、色々と調べ上げたことに間違いが無いか取り調べを行う」
「そうですか……次の部隊長がまともな方であれば良いのですが……」

 恐らくゾイスは私の思いもよらぬことを色々としていたのだろう。
 ダリアがここに来たというのも、口では私のことを言っていたが、本当は最初からゾイスが目当てだったに違いない。

 ただ、前線の英雄たる彼女がわざわざ出向くほどの大それたことをゾイスがしていたとも考えにくい。
 彼女が来たという理由に、私に用があったというのもあながち嘘ではないのかもしれない。

「何を言っている? 自分で自分の心配をしてもしょうがないだろう」
「それは、どういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味だ。自分がまともかどうかは、自分が一番よく分かっているだろう」

 そう言いながら、ダリアは笑みを私に向けながら話を続けた。

「さっき言った通り、ゾイスは今回の件で正式に任を解かれた。部隊長不在の際は、副隊長がその任を代理するとは知らなかったのか?」

 そういえば、この部隊に来る際に目を通した資料の中にそんな内容が書かれていたのを思い出す。
 まさかそんな事態が実際に起こるとは思っていなかったから、頭の片隅に追いやってしまっていた。

「ところで、だ。実は今回私が来たのは他にも用件があるのだ。少し込み入った話になる。君も今は忙しいだろう。私はもう少しだけここに滞在する予定だ。手が空いたら、司令室に来てくれ」
「分かりました。あなたのおかげで既に新しく運ばれてくる兵士はほとんどいないようです。できるだけすぐに向かいますので」

 私のその返ことを聞くと、ダリアは再び笑みを私に向け、治療場から去っていった。
 治療場に残った私は、緊急性の高い負傷兵の治療を終えると、デイジーたちに後を託して司令室に向かった。



「お待たせしました」
「思ったより早かったな。入ってくれ」

 私は司令室に入ると、ダリアの他に思いもよらない見知った人物が居たことに目を止めた。

「アンバー部隊長! どうしてここに⁉」
「やぁ。久しぶりだね。聖女様。元気そうで何よりだ」

「なんだ、アンバー。本当に彼女を聖女様と呼んでいるのだな。私も呼ばなければ失礼に当たるか?」
「とんでもない。ダリア部隊長。お戯れを」

 いたずらっぽく笑みを浮かべながらそう言うダリアを否定しながら、私はアンバーに顔を向け、質問の返事を待つ。
 アンバーは髪を撫でつけながら、ダリアの方に一度顔を向け、口を開いた。

「どうしてもこうしてもさ。めんどくさい仕事を頼まれちゃったんだよ。聖女様も関係するんだけどね」
「アンバー。お前と違って未だに私は忙しいんだ。私の方から簡潔に説明させてもらうぞ」

 そう言いながら、ダリアは説明を始めた。
 ダリアの説明を聞き、私はこの決定の裏にはベリル王子が深く絡んでいるのだろうと考えていた。

 なんと、私とアンバー、そしてダリアでそれぞれの訓練部隊の育成を命じられたというのだ。
 ダリアは近接主体の戦闘を、アンバーは攻撃魔法をそれぞれ育成するらしい。

 そして、私は回復魔法の使い手、つまり衛生兵の育成の任を与えられた。
 それも、前線で実際の負傷兵の治療を行いながら訓練を行うとのことだった。

「衛生兵の育成に関しては異存ありませんが、色々と疑問点があります」
「何故、育成を前線で行うか、私やアンバーも育成に当たるのかか?」

 ダリアは私の疑問にこう答えた。
 どうやら、ゾイスが負傷兵に不完全な治療を施していたのは、本人は知らずとも狙いがあってのことだったらしい。

 実戦を積んだ兵士は、模擬戦などで訓練をした兵士よりも速く成長する。
 しかしいずれは怪我を負い、もし適切な治療が受けられなければ、兵士としては使い物にならなくなる。

 せっかく育った兵士が戦場を去っていく。
 このことが魔王軍との戦争が長引いている理由の一つだった。

 つまり、戦争を長引かせることを望んでいる者が居たのだ。
 その人物は、先ほどゾイスから聞いたばかりだった。

「モリアゲート伯爵に疑いの目を向けられぬよう、そして邪魔をされぬよう。私たち三人で精鋭部隊を作り上げるのだよ」

 そう答えたダリアの目には怒りの火が燃えていた。