「ハヅキの…?」

「違うんですか?ここに来た時、そこに落ちてましたよ。」

そこ、と玄関近くを指差しました。

先生の家は表札のついた塀と、それと同じ塀がそれぞれ左右にあって、玄関まで一メートルくらいの芝生が敷いてあります。

左手に周ったらベランダに繋がる庭があって、右手は駐車場でした。
ハヅキくんの物か、三輪車も停めてありました。

「いや、有り得ない。家の周りは警察が何回も調べて…。」

「警察だって性能な機械なわけじゃないですよ。見落とすことくらいあります。ほら、探し物してる時って何回も見たはずなのに、いきなり出てくることありません?」

先生は缶バッジと私をぼんやり見比べて、「でも見覚えが無い。」って言いました。

「奥さんがハヅキくんに買ってあげたんじゃないですか?先生が知らなかっただけで。」

「…聞いてみるよ。」

缶バッジをポケットにしまおうとする先生の腕を掴んで、顔を近付けて言いました。

「キス、したい。」

「ふざけるな。」

「ふざけてない。」

先生はもう何も応えてくれないまま、立ち上がりました。

おうちの右手側の窓。
確かキッチンの位置。
磨りガラスになっていて、ぼんやり人影が見えました。

奥さんが立っていることが分かったからキスしたかったのに。
磨りガラス越しには見えないと思うけど。

「早く帰れよ。」

先生はもう私のほうは振り向いてくれないまま、家の中に入っていきました。

あーあ。放火でもしてやりたいな、なんて考えてしまったことも今、懺悔しておきますね。

いっそ死んじゃえ。
先生の亡骸だって私は愛せるのにって、そう思っただけです。

私の手元には、口実に使った陸上の冊子だけが残りました。