もう授業がないから、先生には会えなくて、そのまま高校2年生が終わった。3月の下旬だというのに、まだ桜は蕾があるかどうかも怪しい。本当にこの春咲いてくれるか不安なくらい枝が剥き出しで寒そう。そしてまた10日間くらい学校は休み。部活はあるが先生が来てるとは限らないし、登校するたびに駐輪場を見るが先生のバイクはたまになかったりする。結局春休み中は一度も先生には会えず、桜が満開に咲いた頃、私は高校3年生になった。
選択科目が違うから、玲奈と萌音とはクラスが離れ、悠乃とは同じクラスで愛理とも隣のクラスになるという不満なクラスに配属された。先生しかこの学校に政治経済を教えられる先生がいない、と聞いて政経を履修したが、4月からここよりレベルの低い学校から着任した白髪しかない口調の遅い先生が担当教科になりひどく落胆した。なんのために履修したと思っているんだ、と担当教科の先生を決めた人に文句を言う。今年は一切関わりがなくなった。なんの接点もない。会う理由もない。先生の授業、あれが最後だったのか、と1ヶ月前の授業を思い出す。続きなんて存在しなかったあの授業を。先生がいなくて萎えながら出席した先輩の卒業式で、校長先生が『人には、必ずこれが最後、というのが存在します。それは、ある日いきなり訪れるのです。昨日まで一緒にお風呂に入っていた小学生の子が、急に今日から1人でお風呂に入る、と言うなど、次が必ずあるという保証は少ないことが多いです。これが最後、というのをみんな後から知るのです。だから、いつも大切に時間を過ごしてくださいね。これからの皆さんのご多幸を心からお祈りしています。』と挨拶をしているのを思い出す。
本当にいきなり訪れた、先生の授業の最後。50分間、凝視しても許されたあの時間。これからの長い人生、一生受けることのできないだいすきな山野先生の授業。あれが、最後だったのか。あれで、最後だったのか。ショックで頭を鈍器で殴られたような感覚になり思考力が鈍る。卒業までにあと何回先生の姿を見られるのだろうか。あと何回話せるだろうか。きっと、指で数えて片手で足りるくらいだろう。
そんなの嫌。とても小さくつぶやく。その小さなつぶやきは誰にも届かない。
せっかく知り合えたのに。せっかく、好きになれたなのに。