そしてやってきた夏祭り当日。
全員浴衣で合わせようということになり、凛は青色の浴衣を着ていくことにした。
赤い金魚が描かれている浴衣は、昔母が使っていたものだ。
午前中はメイクやヘアセットをしっかりとして、三時から着付けが始まった。
五時集合だから、まだ余裕はある。
ただ母が不器用で…
「ちょっと!もう四時半だよ!?まだ終わらないの!?」
「待ってねー…帯が…ありゃ、こりゃどっから出てきてるの?」
「まさかまたやり直しじゃないでしょうね」
鏡越しに母を見れば、照れたように笑って紐を解いている。
呆れて大声で祖母を呼ぶ。
一番最初から祖母に任せようとしていたけれど、母がどうしてもやりたいと言うのでとりあえず任せておいた。
けれどもう我慢が出来ない。
「えぇ呼んじゃうのぉ?」
「あと三十分しかないんだから諦めなさい!」
これではどちらが親か分からない。
そのまま鏡をみつめていると、後ろのドアから祖母が覗いてくるのが見える。
「どうしたんだい」
まだ年齢が若い祖母が尋ねる。
「おばあちゃん、ちょっと着物どうにかしてよ。お母さん時間かかりすぎるの。あと三十分しかないんだよ。」
「お着物かぁー。懐かしいわ、よし、やってあげる。ほらおどきなさい」
母は頬を膨らませてその場をどき、どうにか覚えたいのか祖母を見つめている。
「母さんだってできないんじゃないのー?」
「お馬鹿ね、二年前まで着付け教室やってて忘れるわけないでしょうが。あんたなんか今年の正月に教えたのに覚えてないじゃない。」
「覚えられるわけないでしょうよこんなの。一体どうやって昔の人は覚えたのよ。」
この歳になっても親子喧嘩をする二人に呆れてしまう。
二人の会話を聞きながらぼーっとしていると、祖母が凛の両肩をポンっと叩いた。
「はい、完成。あら、着物も似合う大人になったわね。金髪は気に入らないけど」
母と違って五分程で終わった。
母と同じなのは、褒めてから貶すタイプということだ。
「やば、めっちゃ可愛い!ありがと!」
お礼を言って、時間が無いので直ぐに自分の部屋に駆け上がる。
鞄を持って部屋を出ると、祖母が立っていた。
後ろにはひょっこり覗いている母もいる。
「びっくりした。どうしたの?」
「あんたその鞄で行くの?」
祖母が見たのは凛がいつも愛用しているスケルトンバッグだ。
サイズも丁度良くていつも使っているが、まぁ、着物には合わない。
「これしかないから…」
「お祭りなんてそんなに使うものないだろうから、これを使いなさい」
祖母は着物と同じ柄の小さい手提げの巾着袋を出した。
「なにこれ、鞄?」
「まぁ、鞄と同じだよ。これで行きなさい。玄関にも下駄置いてあるからね」
「ほんと!?ありがとう!」
すっかりお祭り気分になって「行ってきます!」とすぐさま駆け出す。
ドアを開けると、母に声をかけられた。
「ちょっと凛、待って」
「なに?」と振り返ると、母が心配そうな顔をしてみている。
「男の子も来るんでしょう?慣れてるかもしれないけど、変なことされないようにね」
「…うん、大丈夫。行ってきます」
心配性の母には男と遊んでいることはあまり言っていない。
長い間付き合えた人のことは言っているけれど、普段の事は友達と遊んでいることにしている。
ドアを開けて、下駄を鳴らしながら急ぐ。
母のせいで時間が少し遅れそうだ。
下駄だから上手く走れず、早歩きをしながらスマホを取り出す。
渚にメールを打ちながら交差点を曲がる。
『なぎごめん、ほんのちょっとだけ遅れそう』
渚は直ぐに既読をつけ、返信をくれた。
『わかった、大丈夫だよ。後どのくらい?』
数分で着くと伝え、スマホを祖母がくれた巾着袋に入れる。
もっとスピードをあげて角を曲がると、歩いていた着物姿の男性にぶつかりそうになった。
「うわっ…とっと、危ない…」
男性が振り返って少し体を支えてくれる。
「大丈夫ですか。」
男性のメガネがきらりと光って少しズレる。
すらりと長い二本の指でクイッと持ち上げる。
なんだか見た事のある顔だ。
でも、どこで見たのかが思い出せない。
(えっ、ちょっとかっこいいかも…)
そんなことを考えていたら、男性の腕に支えられていることに気付いた。
「あっ、す、すいません、ありがとうございます。」
立ち直すと、男性は何事も無かったかのような顔で「はい」と言ってスマホをいじり出した。
(…女の子に興味無さそう。)
そんな偏見を残して、「じゃあ」と走り出す。
顔を上げると祭りの提灯が見始めた。
鳥居の前には、集合した渚達がいる。
遠くから見ても男子軍は結構なイケメンには見える。
「お待たせ!ごめんなさい待たせて」
「全然いいよ!数分しか経ってないし」
同級生の遥斗が話しかけてくる。
遥斗は渚が狙っているからあまり絡んではいけない。
そう自分に言い聞かせて、「ありがとう、ごめんね」と返して他の人を見る。
女子は全員揃っているけれど、男子軍が…。
「あれ?一人…休み?」
「あぁ、まだ来てないのよ。後輩の夏希って奴。」
渚が答えると、他の男子軍が凛に話しかける。
「よっ、俺一個上の…」
「佐藤先輩!知ってますよ!なぎから聞いてます。」
ニッコリ笑って答えると、先輩も笑顔になる。
それを見たもう一人も、すぐさま凛の方に寄ってくる。
「お、俺…」
「葵、大地くん!知ってるよ!」
名前を覚えておいた方が好感度が上がる事は今までの合コンで学習済みだ。
「そ、そう。覚えててくれてるんだ、良かった」
大地はそう言って、先輩と同じように笑った。
更には先輩と目を合わせて頷いている。
これは狙われる可能性が高い。
(よくよく考えてみれば、何故狙ってない人に媚びを売ってしまったんだ…)
反省して凹んだ顔をする。
渚が肘でつつきながら、「さすがじゃん凛。まぁ慣れてるだけあるね」と小声で言ってくる。
「合コンじゃないって言ったくせになによ」
そう言って肘を押し返すと、渚はえへへっと笑って誤魔化している。
すると突然渚が「あっ!」と声を上げた。
渚が見ている方を見ると、先程ぶつかりかけた男性が歩いてくる。
「来た来た!八瀬くん!」
八瀬…
「えっ、八瀬ってあの…!?」
「そうそう、もう一人の後輩の子。仲良くない人には名前で呼ばれたくないらしいから八瀬って呼んであげて」
「う、うん…」
頷くもののさっきのイケメンが八瀬だとは思わずに唖然とする。
八瀬はメガネを外して着物にかける。
顔を上げて直ぐに凛と目が合う。
凛は動揺していても、八瀬は平然とした顔で近寄ってきて、ポケットに手を突っ込んだまま、顔をじーっと間近で見つめてくる。
周りの人達は口を開けて二人を見つめる。
「えっ…と…?」
「やっぱ、さっきの人だ。なんだ、同じグループなんですね。」
「え、知り合い?」
渚に言われて二人して同じ体制のまま横を向く。
「違いますよ、さっきこの人ぶつかりそうになってちょっと話しただけです。」
凛の代わりに言ってくれる横顔を見ると、鼻筋も高くまつ毛も長い。おまけにシュッとした輪郭に目が離せなくなる。
八瀬がポケットに手を突っ込んだまま体を起こす。
「なんだ、そういう事か。」と渚は納得している。
「なんですか?」
八瀬の顔をずっと見つめているのに気付かれたのか、凛に尋ねてくる。
「えっ、う、ううん!なんでもないよ。よろしくね八瀬くん」
「はい」
「とりあえず歩こっか!」
渚が皆を動かし始めている内に私は下駄を履き直す。
少し走ったせいで下駄の尾がズレてしまった。
「あっ、ちょっと…待ってよっ!」
紐を直しながらそう言っても他の人の話し声に遮られて聞こえないのか、そのまま見えない所へ進んでしまった。
「どうしよう…」
人混みのせいで完全に何も見えない。
男子軍だって狙っているのなら待っててくれればいいのに。
拗ねながらも悩んでいると、横にずっと止まっている足があることに気付いた。
その体を見上げると…
「八瀬…くん?」
「終わりました?」
腕を組んで夜空を見つめている八瀬がそこには立っていた。
視線を下げて見てくる目を唖然として見つめると、「さっきからなんなんですか。人の顔見つめて」なんて愚痴愚痴言っている。
「八瀬くん、なんでいるの?」
「いや女の子一人置いてきぼりにする方がおかしいでしょ。」
狙っている訳でもなく、カッコつける訳でもなく、八瀬は平然とそう言った。
ゆっくりと立ち上がっても、八瀬の身長は越えられない。
「…ありがとう。」
「そんなこと言ってる時間があるならさっさとアイツら探しますよ。」
そう言ったので先に歩き出すと思えば、「紐大丈夫ですか」と心配しながら後ろに着いてくれる。
こんな対応をしてくれた男子は初めてかもしれない。
ただ相変わらず凛は、今までの男にしてきたような態度しか取れなかった。
「…いないね?」
「そうですね、…ったく。勝手に誘っといて置いてくとか凄い人達ですね。」
「あっちも今頃探してるかも」
嫌味っぽく言われた言葉は、渚を貶された感じがして、フォローを出した。
「今俺たちが進んでるのは一本道で、あっちも探してたらとっくに合流してます。」
正論で返されて何も言えなくなる。
少しでも場を盛り上げる為に、男が好きそうな話題を出す。
「八瀬くんって、彼女いるのー?」
「いたらこんなとこ友達と来てません」
「だ、だよねー…。じゃあ好きなタイプは?女優さんとかでもいーよ?」
めげずに質問すれば、隠すつもりもないため息が出てくる。
「別にタイプとかないです。好きになればその人だけだと思うんで。」
「そういう感じかぁー。かっこいいのに勿体なーい!じゃあアタックしかないかなぁー?」
凛が近寄って言うと、またため息を吐いて屋台と屋台の間に入っていく。
「どうしたの?」
「ごめんなさい、僕そういうの無理です」
「…え?」
「なんかそういう、人を弄ぶようなの、僕好きじゃないです。なんなら嫌いです。」
「い、いや…その…八瀬くん…」
「誰でも引っかかると思わないでください」
ハッキリ言われて心にグサッと刺さる。
今までやってきたことが全て馬鹿にされたような気がする。
確かに馬鹿みたいなことだったけれど、こんなに言われたことは無い。
「探す気がないなら僕も探さないですぐ帰ります。」
表情を変えずに道を引き返そうとする八瀬の服を引っ張る。
俯いたまま言う言葉を考えていると、八瀬が振り返る。
「はぁー…なんですか。言いたいことあるならさっさと言わないと行きますよ」
「…ごめんなさい。」
心の弱い凛は、それしか言えなかった。
ずっと黙っている八瀬が怖くて堪らない。
恐る恐る顔を上げると、八瀬の表情は相変わらず変わっていない。
ずっと凛の顔を見つめていて、「ごめんなさい。」ともう一度言うと、八瀬はぶはっと吹き出した。
「?」
「あのねぇ…そんなに謝られて、こっちだって困りますよ。僕が何かしたみたいなの、やめてくださいよ。」
優しく笑って掴まれていない方の腕で眼鏡をかけた八瀬に見とれてしまう。
「嫌いって言っただけですよ。僕にしなければ別になんでもないじゃないですか。僕が先輩みたいになるのやめてくださいよ」
「さぁ、探しましょ」と腕を掴まれたまま歩き出そうとしている。
小さく頷いて見ると、周りを見渡す大きな背中に圧倒される。
男とはいつも腕を組んで横歩きしていたから、あまり背中は見た事がない。
思ったよりも、八瀬は対して酷い人では無いのかも。
そんなことを思っていると、遠くから渚の声が聞こえてきた。
「おーーい!!!」
声の方を見ると、残りのメンバーが集まっていて渚が手を振っている。
屋台の並んでいる裏側に空間があり、そこに居たようだ。
この祭りに来るのは初めてで、よく分かっていなかった為、見つからなかったのだ。
渚の方に歩いていくと、「ごめんね置いてって」とすぐさま謝っていた。
「大丈夫だよ。」
八瀬を掴んでいた手を離して、胸の前で手を広げる。
八瀬は全く気にしていないようだったが、凛は気まずくて目を見れなかった。