神殺しのクロノスタシスⅣ

「ごめんね!はい、これは大丈夫だから。はい、これチョコ」

シルナが、急いでケーキの代わりに詫びチョコを出す。

が、

「…何だかこれ、一口齧られてるんですが…」

「えぇぇ!?」

クュルナが摘んだチョコは、何故か端っこがちょこっと欠けていた。

ネズミに齧られたみたいに。

更に、エリュティアは。

「もごっ…!?げほっ、げほっ!」

また噎せてる。

「大丈夫かエリュティア。しっかりしろ、何があった?」

「からっ…。辛い、これ…辛いっ…ごほっ」

辛い?チョコレートが?

よく確かめてみると、エリュティアの齧ったチョコレートの中には。

いつぞや、元暗殺者組が仕込んでいた、例のデスソースが。

まさかそんな。いつの間に、誰がこんな陰湿な悪戯を?

やっぱり、これは…。

よもやと思って、小人共を見ると。

奴らは、にやにやしながらこちらを見ていた。

よく見たら、それぞれの小瓶の底に、それぞれ赤い液体と、青い液体が溜まり始めていた。

あれが…奴らの感情ゲージなのか。

「お前らの仕業なのか?これ…」

「うん」

「そうだよ」

この野郎、悪びれもせず。

つまりこれは、全部この小人共の仕業で。

意図的に、クュルナとエリュティアに不運が起きるよう、操作しているのか。

クュルナは怒りを、エリュティアは悲しみを感じるように。

「この調子で、七日間じっくりかけて、僕は怒りを…」

「僕は悲しみを、君達に教えてもらうからね」 

…最低だ。

そして陰湿だ。

もう、既にこの時点で怒りも悲しみも感じてるよ。

「大丈夫。瓶がいっぱいになったら、ちゃんと解放してあげるからさ」

「そうそう。君達は、ただ感じてくれるだけで良い。楽なものでしょ?」

この小人、もう何回もぶん殴ってやりたいと思ったことだが。

やっぱりぶん殴ってやりたい。

何が楽なもんだ。ふざけるのもいい加減にしろ。

「この調子で、あと七日間…頑張ってね〜」

小人共に、へらへらと笑われ。

俺はこいつらをぶん殴りたい衝動を、必死に堪えるのだった。
――――――それから、クュルナとエリュティアに不幸が始まった。




…と、思ったのだが。





「…羽久、頭にガムついてる」

「…あぁ、知ってる」

さっき外の通路を歩いていたら、何処かから頭に、ベチャッ、と飛んできたんだよ。

もう、いちいちリアクションするのも面倒だから、知らない振りをしてたんだよ。

クュルナに、不幸が見舞われると思っていたら。

何故か、俺に不幸が降り掛かるようになった。










怒り、悲しみの小人と、クュルナとエリュティアがそれぞれ契約してから、今日で三日目。

俺は、数々の不幸に見舞われるようになっていた。

「髪に絡まってるよ、ガム」

「陰湿ないじめだねー」

「…別にいじめではないけど…」

頭の後ろに手を回してみると、ガムのベタベタが髪に貼り付いていた。

気持ち悪っ…。

無視していようと思ったけど、さすがに無視出来ない。

「あぁ…。あぁぁ〜…羽久…大丈夫?」

シルナが、あわあわしながら聞いてきた。

「大丈夫ではないだろ…」

一昨日、昨日と、こんなことばかりだ。

いや、日に日に酷くなっている。

「羽久、足元汚れてるよ」

令月が、俺の足元を眺めながら呟いた。

そうだよ。知ってる。

「さっき歩いてたら、突き飛ばされて水溜りに足突っ込んだんだよ」

「背中も汚れてるよ」

「さっき外で、泥団子が飛んできた」

もう、いっそコントなんじゃないかと思うよな。

不運とか、そういう次元を越えてるよ。

「可哀想だねー。ガム、俺の糸で取ってあげるよ」

「おぉ…ありがとう」

すぐりが得意の糸魔法を使って、俺の髪の毛にへばりついたガムを、こそげ取ってくれた。

ありがとう。

これで、少しはベタベタが何とかなるだろう。

「元気出して、羽久…!ほら、これ。私の秘蔵のチョコあげるから」

シルナが、お宝のチョコレートをくれた。

「あぁ、ありがとう…」

有り難くチョコレートを受け取って、口に放り込む。

が。

「…!?」

甘いはずのチョコレートは、何故か一口噛むなり、信じられない苦味を感じた。

漢方薬みたいな味がする。何だこれ?

「げほっ…がはっ…」

「え、だ、大丈夫!?」

「にっが…!何だこれ…!?」

一体、何が仕込まれてるんだ?

更に、俺の不幸はこれだけに留まらない。
「だ、大丈夫羽久!?ほらっ…せめてこれ、ホットチョコレート飲んで。美味しいから」

シルナが、ホットチョコレートの入ったマグカップを渡してくれた。

「あぁ、ありが…」

マグカップを受け取った、その瞬間。

何もしてないのに、マグカップの持ち手が、バキッと音を立てて壊れ。

そのまま、マグカップが俺の膝の上に落下。

同時に、カップに入っていた熱々のホットチョコレートが膝を汚した。

「あっつ!!」

「あわあわあわ。羽久大丈夫!?」

もう、何をしても全く上手く行かない。

どころか、何をしても、不幸しか生まない。

慌てて、シルナと天音が、ホットチョコレートで火傷した膝に、回復魔法をかけてくれた。

申し訳なくて泣きたい。

すると、天音があることに気づいた。

「…!…羽久さん、その頭の瘤…どうしたの?」

おぉ…天音。よく気づいてくれたな。

「あぁ、これな…。今朝、授業の為に教室に行こうとしたら…階段から…椅子が落ちてきて…」

「階段から…椅子…!?」

信じられない事態だと思うだろう?

俺も信じられなかったよ。

でも、実際転げ落ちてきた椅子が、脳天を直撃したら…信じない訳にはいかないだろう?

めちゃくちゃ痛かった。

「そ、そんな不幸なことが…何で羽久さんに…」

「あぁ…うん。それなぁ…」

俺も、この三日間、ずっと考えてるんだけど…。

「とはいえ、エリュティアさんも負けてないですよ」

俺が不幸に見舞われるのを見ながら、ナジュがそう言った。

あぁ、そうだな。

悲しみの青い小人と、契約してからというもの。

不幸の度合いで言うなら、エリュティアも俺と負けてないのだ。

その証拠に。

「…エリュティアさん…その、何でびしょびしょなんですか?」

天音が、恐る恐る尋ねると。

エリュティアは遠い目をして、悲しげに答えた。

「うん…実は、僕の頭上にだけ、ピンポイントで雨雲が発生してて…」

雨に打たれて、びしょ濡れだと。

空、快晴なのにな。

エリュティアの頭上だけに雨雲とか、どんなギャグ漫画だよ。

「しかも…拭こうと思って持ってきたタオルに…いつの間にか穴が空いてて…」

そう言って、エリュティアは巨大な穴の空いた、穴開きタオルを広げて見せてくれた。

これは切ない。

「いっそもう…傘を持って歩こうかと思ってるんだ…」

「…そうか…」

それは…悲しいな。
この三日間、俺もエリュティアも、ずっとこんな感じだ。

エリュティアは、まだ分かる。

悲しい出来事が、エリュティアの身に次々と降り注ぐ。

そりゃ悲しいだろう。

その証拠に、青い小人の感情の小瓶は、じわじわと、着実に中身が溜まってきていた。

一方、クュルナが契約した赤い小人の、感情の小瓶。

こちらも、同じくじわじわと中身が溜まっているのだが。

何故かクュルナが受けるべき(?)不幸は、全て俺に降り掛かってきている。

てっきり、契約者本人に不幸が起きるのかと思っていたのだが。

赤い小人の不幸の矛先は、何故か常に俺である。

意味分かんねぇ、と最初は思ったものだが。

何のことはない。

クュルナが契約したのは、怒りの小人だ。

契約者本人に不幸が降り注げば、それは契約者を悲しませるだけ。

怒らせることは出来ない。

でも、本人じゃなかったら?

自分の代わりに、親しい他人が不幸を被ることになったら?

その感情は、悲しみではなく、怒りに変わる。

その証拠に。

「…」

見てみろ。この、クュルナの眉間の皺。

美人が台無し。

クュルナも最初は、自分の身に不幸が襲って、それによって怒りを蓄積させられるもの、と思っていたらしいが。

蓋を開けてみれば、不幸な目に遭うのは自分ではなく俺だったと知って、今ではこの不機嫌っぷり。

見事に小人の策に嵌まり、じわじわと怒りゲージが溜まっている。

そりゃまぁ、気持ちは分かる。

自分が不幸な目に遭うだけなら、自分一人の責任でどうとでもなるけど。

自分のせいで他人が不幸な目に遭うと来たら、見過ごせない。

あの赤い小人も、それを分かっててやってるのだ。

で、それが何で俺の集中砲火に繋がるのかは、分からないが。

他の人間が不幸になるだけなら、俺でなくても良いのでは?

何故頑なに、俺ばかりが不幸に見舞われるのか…それは分からないけども。

見たところクュルナには効果抜群なので、小人の策は上手く行っていると言わざるを得ない。

腹立たしいことに。
「あー、もう駄目だ…。やめとこう。何かするのは駄目だ」

と、俺は呟いて、ただソファにもたれ掛かった。

何かをしようとすれば、必ず失敗して不幸な目に遭う。

何なら、職員室で書類仕事しようとしただけで、インクの瓶を書類の上にぶちまけ、ついでに窓から突風が入ってきて、書類を撒き散らす有様だから。

何をやっても裏目に出るなら、何もやらない方がマシ。

…なのだが。

「…わっ!?」

「は、羽久!?」

ただ、ソファにもたれていただけなのに。

突然ソファの背もたれが、ベキッ、と音を立てて壊れ。

俺は、背中から床に真っ逆さま。

ドスン、頭と背中を強打。

ついでに。

「羽久さん、だいじょ…うわっ!?」

エリュティアも、エリュティアで。

ただ俺を心配して、駆け寄ろうとしただけなのに。

突然、壁際に設置してある本棚の本が雪崩を起こし、エリュティアに直撃した。

二人して、床に沈没。

俺達は…もう、何をやっても駄目だな。

何もやらなくても駄目じゃん。

「…何だかコントみたいで、見てる分には面白いですね」

と、ナジュが他人事のようにポツリと言った。

…面白いですね、じゃねーよ。

こっちは、何も面白くないわ。

「…いい加減にしてください、この陰険小人」

とうとう、業を煮やしたクュルナが、赤い小人に食って掛かった。

そうなる気持ちは分かる。

「私を怒らせたいなら、私の身に何かして怒らせなさい。何で羽久さんを巻き込むんです」

クュルナ…ありがとうな。

しかし、赤い小人は、

「え?だって、この方が君を怒らせられるんだから、しょうがないでしょ?」

悪びれもせず、この態度。

「僕は君を怒らせるのが仕事なんだから、僕のやってることは間違ってないんだ。今だってそのお陰で、ほら。君は怒ってる」

あぁ、怒ってるな。

かつてないほどに、クュルナは怒りの炎を燃やしている。

「その調子で、どんどん怒ってよ。あー次は何をしようかな〜。空から金ダライとか落ちてきたら、面白いだろうな〜!」

そして、この挑発するような小人の態度。

クュルナでなくても腹が立つというものだ。

空から金ダライって、いつの時代だよ。

本当に起きそうだな。洒落にならんからやめろ。

相変わらずだが、この小人の舐めきった態度。

めちゃくちゃムカつくよな。

それに、青い小人も。

「もっともっと不幸な目に遭って、もっともっと悲しんでよ。悲しみっぷりが足りないよ」

何故か呆れたように、エリュティアにそんな我儘を言っている。

何だこの態度は。

「君はちゃんと悲しんで、僕に悲しみを教えるのが仕事なんだから。それすら満足に出来ないなんて、君は本当に駄目な人間だなぁ」

…こ、の、野郎…。

エリュティアを悲しませるのが目的の発言だと、分かってはいるものの。

それでも、ムカつくものはムカつく。

ふざけんなよ小人共。黙って聞いてりゃ。

「こいつら…いっぺん捕まえて、逆さに振ってやろうか。そうしたら、怒りも悲しみも分か…」

るだろう、と言ってやろうとしたら。

「あ!羽久さん、避けて!」

「え?」

天音が咄嗟に叫んだが、しかしあまりの怒りで我を忘れていた俺は、気が付かなかった。

気付いたときには、何処から現れたのか、金ダライが脳天を直撃。

ぐわんぐわんぐわん、と世界が数回回転し、そのままバタッ、と床に倒れた。

…今のは…効いたよ。

「あ、あぁぁ〜!羽久〜!しっかりして…」

シルナが駆け寄ってきたが、あまりの衝撃に、それさえ気づかなかった。

ただ、混濁した意識の中で、これだけは聞こえた。

「…本当にコントですね」

という、ナジュの呟きだけは。

コントじゃねーんだよ。ふざけんな。

と、言い返したかったが、もうそんな言葉も出てこなかった。
――――――…『白雪姫と七人の小人』から出てきた、赤い小人と契約してから、今日で五日目。

私の怒りゲージは、もう既に、臨界点を突破しつつあった。

叶うならば今すぐに、あの人の神経を逆撫でする天才である小人を、引き裂いてやりたいくらいに。




それなのに。





「いや〜、君は優秀だなー。まさか五日間で、こんなに溜まるとは」

怒りの小人は、赤い液体で満たされた小瓶を、満足げに揺らしながらそう言った。





その小瓶は、既に満タンに近いほどに液体が満たされていた。

あと二日と半分残っているのに、である。

「こんなに優秀だとは思わなかったな〜。七日かかると思ってたのに、この調子だと今日中にでも終わりそうだね!」

「…」

私は返事をする代わりに、赤い小人を睨みつけた。

この小人だけは、どうやっても許せないし、何回引き裂いても飽き足らない。

「何々?怒ってるの〜?」

この、終始人を小馬鹿にしたような、生意気な態度と言い。

「良いことじゃないか。早く終わるんだから。何で怒ってるのかな〜」

にまにまと、思わず殴りたくなるほどのにやけ顔と言い。

「あ、それとも〜?君のご執心の彼?が不幸な目に遭うのが、そんなに気に入らないのかな〜?」

「…黙りなさい」

私は、思わずそう言い返していた。

言い返しても無駄だし、逆に挑発させる原因となるだけだと分かっていても。

言い返さずにはいられなかった。

すると、案の定。

「あ、何だ図星か〜。そうだよね〜?自分のせいで自分のお気に入りの人が傷つくなんて、そんなの黙って見てられないもんね〜。でも、君は黙って見てるしかないんだもんね〜。不甲斐ない自分が嫌になるよね〜」

「…」

そう、その通りだ。

語尾をいちいち伸ばして喋る、この独特な言い回しが、非常に癪に障るけれど。

でも、言ってることは間違ってない。むしろ大正解だ。

自分の身に何か不幸が起きるなら、それは別に構わない。

どんな目に遭っても良い。私は。

でも…だけれど…羽久さんは。

私のせいで、羽久さんの身に不幸が起きるのは…黙って見過ごすことは出来なかった。

これだけは、五日間たっても、どうしても慣れない。

慣れてたまるものか。

私の怒りゲージが、小人の予想より早く溜まっているのはそのせいだろう。

私はどうしても、私のせいで羽久さんが不幸になるのが、耐えられないのである。
この五日間で、羽久さんがどんな不幸に遭ったと思う?

それはもう、数え切れないほど、計り知れないほどだ。

不幸な目、とは言っても、起きる事象は大小様々だ。

髪にガムがくっつくとか、ホットチョコレートを膝の上にぶちまけるとか。

それだけでも、私は非常に腹立たしかったけれど。

最近では、そういうことはなくなった。

今の羽久さんは、もっと悲惨だ。

見るに耐えない。

というのも、三日目を境に、羽久さんの身に起きる不幸のレベルが上がっている。

髪の毛にガムとか、頭に金ダライが落ちていたのが、可愛く見えるほど。

最初は「コントみたいだ」と笑っていたナジュさんも(実はこれにもちょっと苛ついていた)、笑えなくなってきているほどに。

最近の羽久さんは、不幸に遭う頻度がもっと上がっている。

もう、安全に校舎内を歩くことも出来ないほどに。

「…いたたたた…」

「あぁぁ…あぅあぅわー…。羽久大丈夫…?」

「あぁ…死ぬかと思った…」

今日の、羽久さんは。

頭と足に包帯を巻き、片腕にギプスを嵌めて、もう片方の腕で松葉杖をついていた。

何処からどう見ても…重傷者である。

こんな傷を作った原因は、勿論赤い小人にある。

全ては、私の怒りを駆り立てる為だ。

「頭は?頭どうしたの、羽久。その傷は」

「階段…の下を通りかかったとき、机が降ってきた…」

それに直撃したと。

最初の頃もそんなこと言ってたけど、あのとき降ってきたのは椅子だった。

今では、椅子から机にバージョンアップしている。

一体何があったら、どんなシチュエーションで、階段から机が降ってくるようなことがあるのだ。

このまま七日目を迎えたら、もう落ちてくるのは机じゃ済まないんじゃないだろうか。

と、思っていたら。

「それから…外を歩いてたら、上から煉瓦が落ちてきて…追撃された」

やっぱり、既に机どころではないものが落ちてきている。

煉瓦って。それはもう凶器だ。

ナイフが落ちてきても、何ら驚くことはない。

「何とか避けられないんですか?いつもの羽久さんの反射神経なら、容易に躱せるはずでは?」

と、尋ねるナジュさん。

その通りだ。

いつもの羽久さんなら、空から槍が降ってきたって、躱してみせることだろう。

あるいは、迎撃するか。

しかし。

「それが、何て言うか…避けられないんだよ、これだけは」

羽久さんは、痛みに顔をしかめながら言った。