しかも、今回の同伴者はナジュである。
一番一緒にいたくない(読心魔法があるから)奴と、こんな遠方まで…。
「そんなぁ、そう言わないでくださいよ。俺とあなたの仲じゃないですか」
ほら。俺何も言ってないのに、平気で心読んで会話してくるし。
先が思いやられる。
「それで?どうするんだよ」
これ以上、読まれたくもない心を読まれる前に。
さっさとやるべきことを済ませて、学院に戻りたい。
「決まってるでしょう?突撃訪問ですよ」
やはりか。
まぁ、わざわざシャネオンまで来たんだから、そうだろうとは思っていたが。
「また、門前払い食らうんじゃないか?」
「あれは学院長が訪ねていったからでしょう?僕と羽久さんだけなら、話聞いてくれますよ」
「でも…俺達だって魔導師なんだぞ?エヴェリナ母が魔導師排斥論者なら、俺達のことも拒絶するだろうに」
「歓迎はされなくても、話くらいは聞いてもらえるでしょう」
「何でそう思うんだ?」
ナジュにしては、いやに楽観的…かと思いきや。
「だって、僕、これ持ってきてますから」
と、言って。
ナジュは、ぴらっ、と紙切れを掲げて見せた。
おま、それ…!
「退学届じゃないか…!何で持ってきたんだよそんなの?」
エヴェリナ母の手に渡ったら、すぐさま記入して、提出されかねない。
「『お望み通り持ってきましたよ、でもその前に、ちょっとお話させてください』くらい言わなきゃ、また門前払いでしょ。手ぶらじゃ入れてもらえませんよ」
そ、それはそうかもしれないが。
「それに、いくら退学届を提出されたって、こちらが受理しなかったら、退学は成立しません。記入用紙渡したから即退学、にはなりませんよ」
「そうだけど…。でも、退学届を渡すのは危険だろ…」
こっちは退学届に記入したんだから、さっさと受理しろ!と言い張ることが出来るんだぞ。
あまりに危険な綱渡りだ。
「だから、そもそもこのくらいの『誠意』を見せないと、まず話し合いの機会さえ持たせてくれないんですって」
「う…」
「まずは、同じテーブルに着かなきゃ話にならない。門前払いよりはマシでしょう」
…悔しいが、ナジュの言う通りだ。
俺達は、エヴェリナ母にとって敵なのだから。
交渉をするには、こちらもある程度の覚悟を決め、誠意を見せなければ。
そもそも、話し合いにさえ応じてもらえない。
「分かったよ…。でも、絶対退学は認めないからな。俺じゃなくて、シルナが」
「知ってますよ。だから、これはあくまでパフォーマンスです」
見せるだけ、ってことだな?
本気で退学させる気はないんだよな?
「そういうことですね」
そうか。なら良い。
「よし…。じゃあ、行くか」
「えぇ。いざ、打倒頑固主婦」
その言い方やめろ。
そして、辿り着いたオーネラント宅。
この家に来るのは、これで二度目だな。
二階を見上げてみたが、やはりカーテンは閉め切られ、エヴェリナの姿は見えなかった。
でも、多分あの部屋にいるんだよな…。
自分の運命はどうなってしまうのかと、不安を抱えながら…。
…心配するな。絶対、俺達が何とかしてやるからな。
「…格好良いこと言いますね」
「言ってねぇから。勝手に心を読んで、言ったことにするな」
これだから、ナジュ同伴は嫌だよ。
「さぁて、じゃあ押しますかー」
と、ナジュは躊躇なくインターホンを押す。
これで留守でした、とかだったら嫌だけど。
幸い、ちゃんとドアが開いた。
「…どちら様ですか?」
出てきたのは、不機嫌そうな顔の中年女性。
エヴェリナ母である。
惜しい。これがエヴェリナ父だったなら、ワンチャン快く家に上げてくれたかもしれないのに。
父親の方が、気性が穏やかそうだったから。
しかし、ナジュは気にしない。
「こんにちは、奥さん。いやぁ、突然お訪ねして済みません」
にこりと、人の良い笑みを浮かべてそう言った。
傍目から見れば、好青年に見えるのだろうが。
俺は、こいつの本性を知っているせいか、めちゃくちゃ胡散臭く見えた。
こういう奴が詐欺師になるんだよ。
「あぁ…はい」
イケメンカリスマ教師を自称するだけあって、ナジュの笑顔は、それなりに効果的だったようで。
エヴェリナ母は、少し扉を開けた。
どうやら門前払いはされそうもない…か?
ってか、ナジュの悪どい笑顔に騙されるなよ。
詐欺師だって絶対。
そしてナジュは、扉が充分開かれたのを確認してから。
「実は僕は、イーニシュフェルト魔導学院から来たんですが」
ようやく、身分を明かした。
若干心を開きかけていたエヴェリナ母は、それを聞いて顔を堅くした。
ヤバいか、と思ったが、しかし扉を開けてしまった手前、バンと閉じるようなことはしなかった。
相手に扉を開けさせてから、身分を明かすとは。
ナジュ、マジで詐欺師説。
しかし、今はそれが見事に刺さってるぞ。
「イーニシュフェルト魔導学院ですって?何をしに…」
と、エヴェリナ母がつっけんどんに言おうとしたが。
「いやはや先日は、うちの頑固ジジィ、いえ、学院長が失礼をしました」
ナジュはエヴェリナ母の言葉を遮って、深々と頭を下げた。
…今お前、シルナのことを頑固ジジィ呼ばわりした?
シルナ泣いてるぞ。
「あなた、それは…」
また、エヴェリナ母が何か言おうとしたが。
「全く、如何せんうちの学院長は、我々教員達も手を焼くほどに、頑固で、古めかしい考え方をしてましてね。先日は、お宅の事情も顧みずに、一方的に押しかけてしまって、大変申し訳なかったです」
ナジュはエヴェリナ母に何も喋らせず、続けざまにそう言って。
また、大袈裟なまでに頭を下げた。
一方的に押しかけてるのは、シルナじゃなくてナジュのように見えるのだが。
しかし。
「本当に済みませんね。いや、常日頃、我らの学院長の身勝手さには、辟易してるんですよ。全く、先日はさぞや不快な思いをされたことでしょう?僕達も困ってるんですよ。誠に申し訳なく…」
ナジュの、怒涛のような謝罪の連鎖に。
「えぇと…はぁ…はい…」
エヴェリナ母は戸惑いながらも、しかし昨日のように、唾を飛ばして逆ギレすることはなかった。
「あのような学院長で、恥ずかしいばかりです。ねぇ、羽久さん。あなたもそう思いますよね?」
ナジュは、同意を求めてこちらを見た。
顔は、いかにも辟易している、といった表情だったが。
その目は、真剣そのものだった。
そのとき俺は、ナジュの狙いが分かった。
「そ、そうだな。先日はそちらの事情も考えず、勝手に押しかけて、本当に申し訳なかったです」
俺は、ナジュに合わせるようにして言った。
「先日失礼なことをしてしまったので、今日はまた改めて、学院長に代わりまして、伺った次第です。どうぞ、話し合いの場を持たせて頂けませんか?」
ナジュはまたしてもあの、人を騙す笑顔を浮かべて言った。
これはナジュの戦術である。
まず、シルナを敢えて悪者にして、槍玉に上げ。
「あくまでも悪いのはシルナ」だったことにして、自分は関係ないみたいな顔をし。
とにかく、しこたま謝る。
相手に反論する余地を与えず、謝り倒す。
人間、めちゃくちゃ謝ってきてる相手には、大きく出られないものである。
実際エヴェリナ母も、あまりに謝られまくって、怒るどころか戸惑っている。
そこに、ナジュがとどめを入れた。
「今日は、奥様がお望みだった退学届の記入用紙を持参してきました。どうか、中でお話させて頂けませんか?」
「…!」
エヴェリナ母が、表情を変えた。
出た、ナジュの切り札。
可能な限り第一印象を良く見せた後、餌をチラつかせる。
そして。
「…どうぞ」
エヴェリナ母の、鉄壁の要塞が崩れた。
「ありがとうございます。では、お邪魔しますね」
こうして、俺とナジュは。
ようやく、オーネラント宅の敷居を跨ぐことに成功したのだった。
――――――…その頃、イーニシュフェルト魔導学院では。
「は…へ、くちゅんっ、くちゅんっ」
続けざまに、くしゃみが出た。
ズズッ、と鼻を啜る。
「何です。良い歳したおっさんが、無駄に可愛いくしゃみをするんじゃないですよ、気色悪い」
イレースちゃんが、物凄く辛辣。
酷くない?今の聞いた?ねぇ。酷くない?私くしゃみしただけなのに。
「誰か、私の噂してるのかなぁ…?あっ。二回だったから、誰かが私の悪口言ってる?」
嫌なんだけど。
「馬鹿馬鹿しい。そんなジンクス、嘘っぱちです。くしゃみはくしゃみです」
イレースちゃんは、バッサリと切り捨てた。
…夢がない…。
「くしゃみが二回…誰かが自分のことを呪ってるんだっけ?」
「それは三回でしょ。二回は、寿命が二年縮んだんだよ」
「あ、そうだった」
と、恐らくジャマ王国の「くしゃみジンクス」を話している、令月君とすぐり君。
…知りたくなかったなぁ、そんなジンクス…。
くしゃみ二回で、寿命が二年縮み。
くしゃみ三回で、誰かに呪いをかけられている。
「…すぐり君。くしゃみが四回出たら、どんな意味があるの?」
知りたくないけど、何となく気になったら、聞かずにいられなかった。
が、
「四は『死』だからね〜。もうすぐ死ぬって意味」
やっぱり、聞かなければ良かった。
くしゃみが四回出たら、身の回りに気をつけよう…。
って言うか、ジャマ王国の「くしゃみジンクス」、怖過ぎない…?
私、ルーデュニア人で良かった…。
――――――…話を戻して。
南方都市シャネオンにある、オーネラント家にて。
俺とナジュは、ようやくこの家のリビングに入れてもらえた。
前回、話も聞いてもらえず、門前払いを食らったことを思えば。
マジで凄い進歩だと思うよ。
やべぇな、マジでもう。
ナジュの手口が、詐欺師過ぎて。
皆、訪問販売や宗教勧誘には気をつけろよ。ナジュみたいな、顔だけは良い訪問員には、特に要注意だ。
良い顔して良いこと言ってるように見えても、中身、腹黒どころじゃないから。
漆黒の腹だよ。
「本当に済みませんね、いきなり訪ねてきてしまって。ご迷惑だったでしょう?」
「…いえ…」
昨日とは打って変わって、静かなエヴェリナ母。
ナジュの、無駄に人の良い笑顔と、終始低姿勢のせいで…怒るに怒れないのだろう。
「ところで奥さん、今日は、ご主人はご在宅ですか?」
と、ナジュは笑顔のまま尋ねた。
「主人ですか?…書斎にいますけど…」
「あぁ、それは良かった。宜しければ、ご主人も同席の上で、お話させて頂けませんか?」
ピンと来た。
さっきナジュは、俺の心を読み、この家は母親より、父親の方が気性が穏やかだと知り。
その上で、あわよくば父親を味方につけようと、この場に呼ぼうとしているのだ。
「やはり、大事なお嬢さんの将来に関わることですから。ご主人も同席された方が良いかと…」
なんて、もっともらしいこと言って。
単に、味方増やしたいだけだからな。詐欺師舐めたらいかん。
そして、エヴェリナ母は、その詐欺師の罠にハマる。
「…分かりました。呼んできます」
そう言って、エヴェリナ母は席を立ち、書斎に向かった。
…リビングに、俺とナジュの二人きりになった瞬間。
「…さっきから、僕に対して失礼過ぎません?誰のお陰で、ここまでこぎ着けたと思ってるんですか」
「仕方ないだろ。お前が詐欺師なのが悪い」
「僕の何処が詐欺師ですか。こんなにイケメンで、人の良い善良な人間はいませんよ」
「その笑顔で人を騙し、読心魔法で相手の心境を伺いながら、シルナを悪者にして人の家に上がり込む奴が、何だって?」
「しっ…っつれいな…」
「ほら、もう戻ってきたぞ」
ナジュとの、僅かなお喋りの後。
エヴェリナ母が、夫であるエヴェリナ父を連れて、リビングに戻ってきた。
途端、ナジュの詐欺師モードが再発動。
「これはこれは、旦那さんまで呼びつけてしまって、大変申し訳ない。お忙しいところを…」
「あ、いえとんでもないです。娘の為に、わざわざ足を運んで頂いて…」
やはり、エヴェリナ父は、エヴェリナ母よりずっと話が分かる人のようで。
ナジュと違って演技ではなく、本当に申し訳なさそうな顔で、頭を下げた。
良かった。
エヴェリナ父がいてくれれば、もしエヴェリナ母がヒートアップしても。
何とか、緩衝材の役目を果たしてくれそうだ。
「それで、今日はお嬢さん…エヴェリナさんのお話をしに来たんですが…」
ナジュは、相変わらず微笑みを絶やさずに言った。
「聞いたところによると、エヴェリナさんを学院から退学させたいとか?」
「えぇ。そのつもりです」
エヴェリナ母は、先程とは打って変わって、きっぱりと答えた。
その話ならもう議論の余地なし、と言わんばかりの強硬な態度である。
この鉄壁を崩すのは、容易ではないぞ。
「それはまた、急なお話ですね。どうなさったんですか?」
分かってる癖に、とぼけた聞き方しやがって。
白々しいったらない。
「大体、私は娘を魔導学院なんかに入れるのは反対だったんです」
魔導学院「なんか」とまで言われてしまった。
悪かったな。魔導学院「なんか」で。
「魔導師を育てる学校だなんて…。詐欺師を育てる学校の間違いだわ」
「こ、こらお前…。やめないか…」
吐き捨てるように言ったエヴェリナ母を、エヴェリナ父が諌めようとしたが。
エヴェリナ母は、今度はキッ、と夫を睨んだ。
「あなたがそんな態度だから、あの子が我儘になってしまったんじゃないの。私は反対してたのに、イーニシュフェルトなんか受験させて、なまじ受かったものだから、良い気になって…」
「そ、それは、でもエヴェリナ自身もそう望んでたし…」
「あの子は、ただあのシルナ・エインリーに騙されてるだけなのよ。あの白々しい能天気な顔ったらないわ。あの顔で、人を騙すのよ。信じられないわ」
いや、どっちかと言うと。
今あなたを騙してるのは、白々しい笑顔を浮かべている、目の前の読心魔法教師なんだが?
そっちは疑わないのか?
「それから、今回のシャネオン駅の事件で確信したわ。あの事件は、魔導師排斥論者が起こした事件だそうね」
「えぇ、そう報道されてますね」
と、ナジュが答えた。
ちなみにあの事件の犯人は、無事捕まった。
エリュティアの努力の賜物である。
しかし。
「やっぱりね。魔導師なんて所詮インチキ呪い師だって、皆分かってるのよ。だからあんな事件が起きたんだわ」
そう捉えるのか、あんたは。
あの事件を聞いて、「魔導師排斥論者怖い」と思うのではなく。
「やっぱり魔導師排斥論者は正しいんだわ!」と思ったのか。
「私と同じ意見の人がいる!やっぱり私は間違ってない!」という、確信を得てしまった。
だから、エヴェリナを学院に返すことを拒んだのか。
「だから娘は絶対、イーニシュフェルト魔導学院になんか返しませんよ」
固い決意を感じる。
この難攻不落の要塞を相手に、どう立ち回れば良いのか…。
ナジュは、しばしエヴェリナ母に好きに言わせ、その様子を観察していたが。
「…でも、奥さん。イーニシュフェルトを退学させて、それからどうするんです?」
「そんなの決まってるわ。地元の中学校に転校させます」
本人の意志に関係なく、かよ。
「成程。でもそれって、学歴から見たら、凄く不利になると思いません?」
「…何ですって?」
お、ナジュの奴。
攻め込む隙を見つけたな?
「だってお嬢さん、一度はイーニシュフェルト魔導学院に入学してますから。一学期だけいて、そこから退学して、地元の中学校に転校…なんて、他人が見たら、何かあったのかと余計な勘繰りを入れらますよ、きっと」
「…」
そこまでは、考えが及んでいなかったのか。
エヴェリナ母は、一瞬返す言葉もなく口を噤んだ。
「良くも悪くも、我が校はエリート校と言われてますからね。そのエリート校をたった一学期でやめて、地元に帰る…なんて、やっぱり良い目では見てもらえませんよ」
こいつ、言い方は丁寧なように見えるが。
要するに、脅してるだけだからな。
「お宅の娘さん、学歴に傷がつくけど良いの?一生『あそこの娘さんって…』みたいにひそひそ言われるけど良いの?」って。
性悪な奴だよ。
「折角国内最難関と言われてる学校に合格して、しかもお嬢さん、成績も良いですからね。授業についていけてないのならともかく、今やめるのは勿体無くないですか?」
笑顔で追い詰めていくスタイル。
やっぱり詐欺師だわ。
「お嬢さんの学歴の為にも、ここは一旦六年間、お嬢さんをイーニシュフェルトで預からせてもらえませんか?」
「…」
口を噤み、こちらを睨むエヴェリナ母。
イレース並みの敵意を放ってるぞ。
あの目を前に、よくもまぁ笑顔で、つらつらと白々しいことばっか言えるもんだ。
「それにほら、イーニシュフェルト魔導学院を卒業したからって、必ず魔導師にならなきゃいけない訳じゃありません。学歴はあくまで、お嬢さんの経歴に箔が付いたということにして、別の道を進むという手段もありますよ」
まぁ、確かにそうなんだけど。
過去にそういう生徒も、全くいなかった訳じゃないんだけど。
国内最難関の魔導学院を、まるまる六年通って卒業しておきながら。
魔導師とは一切関係のない、普通の職につく生徒は、非常に稀だ。
しかもその頃には、エヴェリナもほとんど大人になっている。
自分の人生を、自分で決める権利を持てる年頃だ。
親の制止なんて、あってないようなもの。
六年後に従順になることを期待するのは、あまりにも無謀…だが。
ナジュが、あまりにももっともな顔して、もっともなことを言うので。
成程確かにそうだな、と思わせてくる。
本当に詐欺師だ。
相手にそう思い込ませる、その技術が凄い。
やっぱり詐欺師だわ。
敵に回したくない。もとは敵だったけれども。
「どうでしょう?ねぇ、お父さん」
ナジュは、敢えてエヴェリナ父の方に同意を求めた。
まずは、父親の方を味方につけようと思ったのだろう。
そして、実際。
「う、うん…。確かにそうだな。ともあれ、エヴェリナの望むように…」
と、味方になってくれそうな雰囲気を出したが。
エヴェリナ母は、夫が敵に回ろうとしているのを察知し。
伝家の宝刀、逆ギレを始めてしまった。
「何よ、あなたまで言いくるめられて!」
自分も言いくるめられている自覚、あったのか?
「さっきから聞いてれば、自分達に色の良いことばかり言って。そうやって、結局なぁなぁに済ませようとしてるんでしょ!?」
おっ、よく気づいた。
良いぞお母さん。詐欺師の手口にハマるな。
「私は騙されないわよ!御託は良いから、さっさと退学届を出しなさい!」
交渉は決裂、と言ったところか。
しかし。
「でもですね、奥さん。お嬢さんの人生は長いんです。一度傷ついてしまった学歴は、取り戻せませんよ?ましてやこの思春期の時期に…」
余程、このエヴェリナ母の中では、先程ナジュが言った「学歴に傷がつくこと」を気にしているらしく。
なおも、そこを起点にナジュが攻め込もうとするも。
「余計なお世話よ!うちの問題に、教師ごときが首を突っ込まないで!」
そんな自分の迷いを晴らすように、怒鳴り散らすエヴェリナ母。
駄目っぽいぞ、これ。
すると。
「お、お前やめないか。折角先生方が来てくださったのに…」
「あなた、そんな弱気でどうするのよ!エヴェリナが、詐欺師に育てられようとしてるのよ?それを止めないなんて、あなた父親なの!?」
「で、でもな…エヴェリナの将来なんだから、エヴェリナ本人が…」
「あの子はまだ子供なんだから、親が軌道修正するのは当然でしょ!」
「そんな。エヴェリナだって、小さい子供じゃないんだから…」
「あなたもエヴェリナも騙されてるのよ!今何とかしないで、エヴェリナの将来が台無しになったらどうするの!?」
夫婦喧嘩、勃発。
「…親のエゴですよねー」
「…全くだな…」
を、傍目に俺達教師陣もひそひそ話。
すると、そのときだった。
「お母さん!お父さんも、やめて!」
恐らく、上で聞いていたのだろう。
耐えきれなくなったエヴェリナ本人が、現場に駆けつけてきた。
こんな醜い大人同士の争い、絶対に子供には見せたくなかったのに。
来てしまったか。まぁそうなるよな。
学校の先生が二人も家にやって来て、リビングから母親の怒鳴り声が聞こえたら。
自分のせいで、こんなにも言い争っていると思えば…割り込まずにはいられまい。
「も、もう良いから…!私、イーニシュフェルト魔導学院をやめるから。それで良いでしょ?」
おい、ちょっと。
なんてことを。
「私、もう我儘言わないから。だから喧嘩しないで。もう良い、もう良いから…」
何がもう良い、だ。
「エヴェリナ…!お前、本気で言ってるのか?今ここで諦めたら、一生後悔するかもしれないんだぞ」
俺は、思わず口を挟まずにはいられなかった。
こんなこと言ったら、余計エヴェリナ母の怒りの炎に、油を注ぐようなものだが。
しかし、言わずにはいられなかった。
「う、うん…。良い、良いです」
エヴェリナは、涙目で頷いた。
本気かよ。
「私はもう、学院をやめます。魔導師にもなりません。それで良いでしょ?」
何が良いんだよ。
何も良くないだろうが。そんな泣きそうな顔して。
「だから、先生。退学届をください」
「…」
ナジュは、そう頼み込むエヴェリナを、しばしじっと見つめ。
そして。
「…分かりました。あなたがそうしたいのなら、そうすれば良いでしょう」
あろうことか、ナジュは退学届の記入用紙を、エヴェリナに渡した。
ちょ、何やってんだナジュ。
「ただし、よく考えて。冷静になって、よくよく考えて。イーニシュフェルト魔導学院に入学するまでのことを、入学式を迎えた日のことを、よく考えて。家族ではなく自分の為に、どうしたいのかちゃんと考えてください」
「…」
「本当に覚悟が決まったら、これを送ってください。そうでないなら、受け取りませんから。良いですね?」
エヴェリナは、ぶるぶると退学届を受け取り。
ぎゅっと目を瞑って、頷いた。
「宜しい。…では、我々は帰りましょうか羽久さん」
「は!?いや待てよ、まだ話は…」
全然終わってないし、何ならこのまま、エヴェリナは退学届に記入してしまいそうだ。
それだけは止めなくては。
しかし。
「ここまで拗れたら、何言っても通じないでしょ。僕ら、邪魔なんですよ」
ナジュは小声でそう言って、くるりと踵を返した。
そんな…。
「では、お邪魔しましたー」
俺は、半ばナジュに首根っこを掴まれるような形で。
なんとも混沌とした空気の中、オーネラント家を後にした。