そして。
俺とシルナは改めて、エヴェリナ・オーネラントという生徒を巡る、一連の経緯を話した。
本人の意志に関係なく、学院をやめさせられそうなこと。
その原因は、恐らくエヴェリナの母親にあること。
その母親は、シルナを筆頭に、魔導師を毛嫌いしていること。
けれどエヴェリナ本人は、学院に戻ることを望んでいるであろうということも。
一通り話し終えると。
「皆、どう思う?どうしたら解決すると思う?」
シルナは、全員に意見を求めた。
すると、真っ先に手を上げたのは。
何故か、教師ではなく、生徒のすぐりだった。
「そんなの簡単じゃん!その母親が邪魔なんでしょ?」
「じゃ、邪魔って言うか…お母さんを説得しないと、学院には戻れないだろうね」
「なら、その母親を消せば良いんだよ。それで一件落着だね」
涼しい顔して、何を言い出すんだお前は。
その短絡的で、過激で、浅はかな思考。
まさに元暗殺者。
邪魔者と見るや、即座に抹殺。
でも、そうじゃねぇから。
そういうの求めてるんじゃないから。
「馬鹿言うんじゃない。なんて方法考えるんだ、お前は」
「え?嫌なの?」
当たり前だろ。
嫌とかそういう問題じゃなくて、犯罪だからな。
大体母親が突然死したら、それはそれでエヴェリナが悲しむだろうが。
彼女にとっては、それでも母親なんだぞ。
「じゃあ、別の方法があるよ」
と、挙手したのは。
そのすぐりの相棒、令月。
おぉ。お前なら、もう少しマシな案を、
「殺すんじゃなくて、一定期間隔離しておけば良いんだよ。行方不明を装って。で、そのエヴェリナって人が学院を卒業したら解放して…」
違う。そうじゃない。
殺さなければ良いとか、そういう問題じゃない。
駄目だこいつらは。
発想がもう、完全に元暗殺者のそれ。
過激過ぎて、議論にもならない。
「あなた達…。もう本当に、学生寮に帰りなさい」
これには、イレースも血管浮き立たせてて小言。
最早、この場で一緒に議論する余地もないほど、意見が過激過ぎる。
イレースも、そう判断したのだろう。
その通りだ。
なら代わりにイレース、お前が何か良い代案を…。
「そういう面倒な親がいる生徒は、いっそ退学させれば良いんです」
…忘れてた。
イレースもイレースで、なかなか過激な発想の持ち主だったんだ。
元暗殺者組に比べれば、ちょっとマシってだけで。
「そ、そんな、イレースちゃん!退学させない為に、話し合ってるのに」
と、シルナが抗弁するも。
「この場を宥めすかして、学院に戻らせて…その後はどうするんです?そこまで強硬に学院に戻らせることを拒んでいるなら、今回で終わりじゃありませんよ、きっと」
イレースは、きっとシルナを睨んで言った。
そ、それは…まぁ…。
「何かある度に、娘を家へ戻せ、退学させろ、とグチグチグチグチ、文句言ってくるに違いありません。そんな面倒な保護者を、いちいち相手していたらキリがない。いっそ望み通り、退学させた方がスッキリするでしょう」
一理ある、と思ってしまった自分がいる。
確かに、今回何とか説得して、エヴェリナ母を納得させたとしても。
あの剣幕だったのだ。また何かしらのきっかけで、「やっぱりやめさせる!」と言い出しかねない。
その可能性は、常に付きまとっている。
「ましてやその生徒、一年生なんでしょう?これから先六年も、そんなモンスターペアレントに付き合ってやる義理はありません」
と、バッサリ切り捨てるイレース。
ま、まぁ…。常日頃、学院に寄せられる、様々なクレームに対応しているイレースにしてみれば…。
そんな下らない苦情に、毎回付き合ってやれるか、という思いがあるのだろうが…。
それは分からなくもないのだが…。
「でもでも!本人は学院に戻ってくることを望んでるんだよ!?」
あくまで、本人の意志を尊重したいシルナ。
しかし。
「そうは言っても、その生徒は、所詮まだ子供でしょう。世話をしているのも、学費を出しているのも、そのモンペ親です。彼女を保護する権利を持っているのも、親なんですから。私達が口を挟んだところで、『娘は返さない』と言われれば、それまででしょう」
「う、うぅ…」
言われれば、そうだ。
エリュティアの親みたいに、いっそ諦めて。
「お前なんざもう知らん!勝手にしろ!」と言ってくれれば、こちらも勝手にするのだが。
エヴェリナ母の場合、あくまでも子供の為を思って、退学を希望してるんだもんな。
あくまで、エヴェリナの親権を手放す気はないのだ。
あれはあれで、娘の将来を願っての行動。
俺達が口を挟むのは、余計なお節介なのだ。
でも、でもだからってな…。
「本人が、本気で魔導師になりたい気持ちがあるのなら、学院になど通わず、独学でも魔導師にはなれます。本人がその気なら、いずれ上がってくるでしょう」
イレースはあくまで、親が退学させたいのなら、勝手に退学させることを推奨。
「でも、エヴェリナちゃんは…イーニシュフェルト魔導学院を出て、魔導師になることを望んでるんだよ?」
「そんなこと言ったって、仕方ないでしょう。親が反対してるんだから。子供である以上、親に逆らってまで出来ることはたかが知れています。自分の家はそういう家なのだと納得するしかありません」
イレース…手厳しいな。
でも、その意見も正しいのかもしれない。
俺達が何とかしようとしても、結局彼女の親が納得しなければ、どうしようもない。
エヴェリナの養育権を持っているのは、彼女の両親なのだから。
「下手に父兄を敵に回して、学院の印象を悪くしたくもありません。その生徒には気の毒ですが、ここは諦め…」
と、イレースが言いかけたら。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
天音が、イレースの言葉を止めた。
「やめさせること前提で話すのは、やめようよ…。僕達にとっては彼女は、大勢いる生徒の一人だけど…彼女にとっては、ただ一回きりの人生なんだから…」
おっ、天音。
お前良いこと言うな。
「そう…。そう、そうだよ天音君!その通りだよ!」
シルナが、歓喜のあまり天音を抱擁していた。
やめてやれ。おっさんの抱擁ほど、気色の悪いものはない。
「ま、ましてや、魔導師を目指すにしても、退学なんかしたら、彼女の経歴に傷が付くし…。その後の人生にも関わるから…」
シルナの抱擁を受けながら、天音が言った。
その通り。
俺達にとってエヴェリナは、大勢いる生徒の一人だが。
エヴェリナにとっては、自分のこれから先の人生を、大きく左右する出来事なのだ。
もしここで退学させられれば、恐らく一生思い続けるだろう。
「あのとき、イーニシュフェルトを卒業出来ていれば…」と。
なまじうちの学院は、入学するだけでも、かなり箔が付くからな。
天下のイーニシュフェルト魔導学院に、入学はしたのに、一年生の夏で退学、地元の中学校に入ります…なんて。
彼女の学歴に、大きな傷をつけることになる。
何処に言っても、誰にでも聞かれ続けることになるだろう。
「何で、イーニシュフェルト魔導学院やめたの?」と。
その理由はああでこうで、母親が反対したから仕方なく…と、答え続けなければならない。
きっとその度に、今回のことを思い出して嫌な気分になるだろうし。
最悪、その恨みが母親に向くことにもなるかもしれない。
エヴェリナがもっと大きくなったとき、「お母さんがあのとき、私を退学なんかさせたから」と、深刻な親子喧嘩が勃発しかねない。
親子の関係に、深刻な不和を残すことになりかねないのだ。
その点では、慎重にならなければならない。
天音の言う通り、エヴェリナの人生が懸かっているのだから。
「仰ることはご最もですが、しかし現状、我々に出来ることがありますか?」
イレースが、天音を黙らせる一言を言った。
「…それは…」
「我々は、所詮一介の教師に過ぎません。何とかしてあげられるものなら、してあげたいですが…。しかし、どうにもならないこともあります。ましてや、私達は全員、魔導師なんですから」
…え。
「パンダ学院長への言動を見るに、そのエヴェリナの母親は、恐らく魔導師排斥論者なんでしょう」
イレースに言われて、俺達はハッとした。
…言われてみれば、あのエヴェリナ母の言い分。
シルナのみならず、魔導師そのものを否定していた。
そして、その魔導師の筆頭に立つシルナを、見たくもないほどに毛嫌いしていた。
それはつまり、エヴェリナの母親が…魔導師排斥論者だから。
そう考えれば、説明がつく。
「そうか…。今、魔導師排斥運動が高まってるから…」
「この間の、シャネオン駅爆破事件で、余計拍車がかかったんでしょう。入学時はまぁ渋々我慢したけど、今回の件で、やっぱり我慢ならなくなった…ってところでしょうね」
成程。有り得る。
「全く、頭の堅い連中ですよ」
と、嘆息するイレース。
…いや、多分お前には言われたくないと思うが…。
なんて、考えたのが間違い。
ずっと黙っていたナジュが、目を輝かせた。
「イレースさんイレースさん、羽久さんが、イレースさんの方が頭が堅いと、」
「黙ってろ馬鹿ナジュ!」
嬉々として報告すんな!つーか読心をやめろ。
危うく、俺が殺されるところだったろうが。
「…今何か言いました?」
「いや、何も言ってない。話を続けよう」
イレースの雷魔法と戦うのは、シルナ一人で充分だ。
…ともかく。
「相手がマジで魔導師排斥論者なら、俺達がいくら説得しても、聞く耳持ってもらえんぞ」
「あ、羽久さん無理矢理話変えようとしてるー」
ナジュ黙ってろお前馬鹿。
「ここにいるのは、皆魔法使える人だけだもんね…。魔導学院なんだから、当たり前だけど…」
「シルナの言葉なんか、いくら説得しようが、まず言葉を聞いてももらえないだろうしな」
実際、シルナが何を言っても、「詐欺師!ペテン師!」だったもんな。
俺だってイレースだって天音だってナジュだって、魔導師なんだから。
俺達がいくら、何を言おうと。
言葉での説得は、無理に近い。
だって俺達の言葉は、全部魔導師の言葉なんだから。
とても、あの頑固なエヴェリナ母に届くとは思えない。
「…」
一同が、無言になったのを見て。
何を思ったか、令月が、懐から小刀を取り出した。
「…やっぱり消す?」
おい、何言ってんだやめろ。
「俺も加勢するよ」
すぐりが、両手にピン、と糸を張った。
やめろって。
お前らに狙われたら、俺達だって生きて帰れるか。
消す?じゃねーんだよ。アホの発想。
「消す以外の方法を考えるんだ」
「…そんなこと言われても…」
「あ、良いこと思いついた『八千代』」
困りかけた令月に、すぐりが何やら名案を思いついた。
何だ?
「捕まえて、洗脳すれば良いんだよ。檻の中に入れて、『お前は魔導師を崇拝する、お前は魔導師を崇拝する』って延々聞かせてさ。簡単でしょ」
「成程、さすが『八千歳』。頭良い」
頭おかしい、の間違いだろ。
何を考えてるんだ。
こいつらさっきから、発想が暗殺者過ぎるぞ。
「駄目に決まってるだろ、馬鹿かお前らは」
ろくな案を考えやしない。
学生寮に追い返すぞ。
…すると。
「全く皆さん、不甲斐ないですねぇ」
これまで、横槍を入れる以外は黙っていたナジュが、やれやれ、とばかりに言った。
…何だと?
「じゃあ、お前には何か良い案があるのか?」
「まぁまぁ、僕に任せてくださいよ。ここは、イーニシュフェルト1のイケメンカリスマ教師の出番ですね。…あ、羽久さんにも協力してもらうので宜しく」
「…」
…なんか、俺だけ巻き込まれんの、すげー嫌なんだけど。
しかし現状、何の打開策もない(元暗殺者組の提案は論外)ので、否が応でも、ナジュの提案に乗るしかなかった。
で、そのナジュの提案が、何だったかと言うと。
俺はその翌日、再び。
南方都市、シャネオンにいた。
…なんか、最近俺、ここに来ること多くね?
しかも、今回の同伴者はナジュである。
一番一緒にいたくない(読心魔法があるから)奴と、こんな遠方まで…。
「そんなぁ、そう言わないでくださいよ。俺とあなたの仲じゃないですか」
ほら。俺何も言ってないのに、平気で心読んで会話してくるし。
先が思いやられる。
「それで?どうするんだよ」
これ以上、読まれたくもない心を読まれる前に。
さっさとやるべきことを済ませて、学院に戻りたい。
「決まってるでしょう?突撃訪問ですよ」
やはりか。
まぁ、わざわざシャネオンまで来たんだから、そうだろうとは思っていたが。
「また、門前払い食らうんじゃないか?」
「あれは学院長が訪ねていったからでしょう?僕と羽久さんだけなら、話聞いてくれますよ」
「でも…俺達だって魔導師なんだぞ?エヴェリナ母が魔導師排斥論者なら、俺達のことも拒絶するだろうに」
「歓迎はされなくても、話くらいは聞いてもらえるでしょう」
「何でそう思うんだ?」
ナジュにしては、いやに楽観的…かと思いきや。
「だって、僕、これ持ってきてますから」
と、言って。
ナジュは、ぴらっ、と紙切れを掲げて見せた。
おま、それ…!
「退学届じゃないか…!何で持ってきたんだよそんなの?」
エヴェリナ母の手に渡ったら、すぐさま記入して、提出されかねない。
「『お望み通り持ってきましたよ、でもその前に、ちょっとお話させてください』くらい言わなきゃ、また門前払いでしょ。手ぶらじゃ入れてもらえませんよ」
そ、それはそうかもしれないが。
「それに、いくら退学届を提出されたって、こちらが受理しなかったら、退学は成立しません。記入用紙渡したから即退学、にはなりませんよ」
「そうだけど…。でも、退学届を渡すのは危険だろ…」
こっちは退学届に記入したんだから、さっさと受理しろ!と言い張ることが出来るんだぞ。
あまりに危険な綱渡りだ。
「だから、そもそもこのくらいの『誠意』を見せないと、まず話し合いの機会さえ持たせてくれないんですって」
「う…」
「まずは、同じテーブルに着かなきゃ話にならない。門前払いよりはマシでしょう」
…悔しいが、ナジュの言う通りだ。
俺達は、エヴェリナ母にとって敵なのだから。
交渉をするには、こちらもある程度の覚悟を決め、誠意を見せなければ。
そもそも、話し合いにさえ応じてもらえない。
「分かったよ…。でも、絶対退学は認めないからな。俺じゃなくて、シルナが」
「知ってますよ。だから、これはあくまでパフォーマンスです」
見せるだけ、ってことだな?
本気で退学させる気はないんだよな?
「そういうことですね」
そうか。なら良い。
「よし…。じゃあ、行くか」
「えぇ。いざ、打倒頑固主婦」
その言い方やめろ。
そして、辿り着いたオーネラント宅。
この家に来るのは、これで二度目だな。
二階を見上げてみたが、やはりカーテンは閉め切られ、エヴェリナの姿は見えなかった。
でも、多分あの部屋にいるんだよな…。
自分の運命はどうなってしまうのかと、不安を抱えながら…。
…心配するな。絶対、俺達が何とかしてやるからな。
「…格好良いこと言いますね」
「言ってねぇから。勝手に心を読んで、言ったことにするな」
これだから、ナジュ同伴は嫌だよ。
「さぁて、じゃあ押しますかー」
と、ナジュは躊躇なくインターホンを押す。
これで留守でした、とかだったら嫌だけど。
幸い、ちゃんとドアが開いた。
「…どちら様ですか?」
出てきたのは、不機嫌そうな顔の中年女性。
エヴェリナ母である。
惜しい。これがエヴェリナ父だったなら、ワンチャン快く家に上げてくれたかもしれないのに。
父親の方が、気性が穏やかそうだったから。
しかし、ナジュは気にしない。
「こんにちは、奥さん。いやぁ、突然お訪ねして済みません」
にこりと、人の良い笑みを浮かべてそう言った。
傍目から見れば、好青年に見えるのだろうが。
俺は、こいつの本性を知っているせいか、めちゃくちゃ胡散臭く見えた。
こういう奴が詐欺師になるんだよ。
「あぁ…はい」
イケメンカリスマ教師を自称するだけあって、ナジュの笑顔は、それなりに効果的だったようで。
エヴェリナ母は、少し扉を開けた。
どうやら門前払いはされそうもない…か?
ってか、ナジュの悪どい笑顔に騙されるなよ。
詐欺師だって絶対。
そしてナジュは、扉が充分開かれたのを確認してから。
「実は僕は、イーニシュフェルト魔導学院から来たんですが」
ようやく、身分を明かした。
若干心を開きかけていたエヴェリナ母は、それを聞いて顔を堅くした。
ヤバいか、と思ったが、しかし扉を開けてしまった手前、バンと閉じるようなことはしなかった。
相手に扉を開けさせてから、身分を明かすとは。
ナジュ、マジで詐欺師説。
しかし、今はそれが見事に刺さってるぞ。
「イーニシュフェルト魔導学院ですって?何をしに…」
と、エヴェリナ母がつっけんどんに言おうとしたが。
「いやはや先日は、うちの頑固ジジィ、いえ、学院長が失礼をしました」
ナジュはエヴェリナ母の言葉を遮って、深々と頭を下げた。
…今お前、シルナのことを頑固ジジィ呼ばわりした?
シルナ泣いてるぞ。
「あなた、それは…」
また、エヴェリナ母が何か言おうとしたが。
「全く、如何せんうちの学院長は、我々教員達も手を焼くほどに、頑固で、古めかしい考え方をしてましてね。先日は、お宅の事情も顧みずに、一方的に押しかけてしまって、大変申し訳なかったです」
ナジュはエヴェリナ母に何も喋らせず、続けざまにそう言って。
また、大袈裟なまでに頭を下げた。
一方的に押しかけてるのは、シルナじゃなくてナジュのように見えるのだが。
しかし。
「本当に済みませんね。いや、常日頃、我らの学院長の身勝手さには、辟易してるんですよ。全く、先日はさぞや不快な思いをされたことでしょう?僕達も困ってるんですよ。誠に申し訳なく…」
ナジュの、怒涛のような謝罪の連鎖に。
「えぇと…はぁ…はい…」
エヴェリナ母は戸惑いながらも、しかし昨日のように、唾を飛ばして逆ギレすることはなかった。
「あのような学院長で、恥ずかしいばかりです。ねぇ、羽久さん。あなたもそう思いますよね?」
ナジュは、同意を求めてこちらを見た。
顔は、いかにも辟易している、といった表情だったが。
その目は、真剣そのものだった。
そのとき俺は、ナジュの狙いが分かった。
「そ、そうだな。先日はそちらの事情も考えず、勝手に押しかけて、本当に申し訳なかったです」
俺は、ナジュに合わせるようにして言った。
「先日失礼なことをしてしまったので、今日はまた改めて、学院長に代わりまして、伺った次第です。どうぞ、話し合いの場を持たせて頂けませんか?」
ナジュはまたしてもあの、人を騙す笑顔を浮かべて言った。
これはナジュの戦術である。
まず、シルナを敢えて悪者にして、槍玉に上げ。
「あくまでも悪いのはシルナ」だったことにして、自分は関係ないみたいな顔をし。
とにかく、しこたま謝る。
相手に反論する余地を与えず、謝り倒す。
人間、めちゃくちゃ謝ってきてる相手には、大きく出られないものである。
実際エヴェリナ母も、あまりに謝られまくって、怒るどころか戸惑っている。
そこに、ナジュがとどめを入れた。
「今日は、奥様がお望みだった退学届の記入用紙を持参してきました。どうか、中でお話させて頂けませんか?」
「…!」
エヴェリナ母が、表情を変えた。
出た、ナジュの切り札。
可能な限り第一印象を良く見せた後、餌をチラつかせる。
そして。
「…どうぞ」
エヴェリナ母の、鉄壁の要塞が崩れた。
「ありがとうございます。では、お邪魔しますね」
こうして、俺とナジュは。
ようやく、オーネラント宅の敷居を跨ぐことに成功したのだった。
――――――…その頃、イーニシュフェルト魔導学院では。
「は…へ、くちゅんっ、くちゅんっ」
続けざまに、くしゃみが出た。
ズズッ、と鼻を啜る。
「何です。良い歳したおっさんが、無駄に可愛いくしゃみをするんじゃないですよ、気色悪い」
イレースちゃんが、物凄く辛辣。
酷くない?今の聞いた?ねぇ。酷くない?私くしゃみしただけなのに。
「誰か、私の噂してるのかなぁ…?あっ。二回だったから、誰かが私の悪口言ってる?」
嫌なんだけど。
「馬鹿馬鹿しい。そんなジンクス、嘘っぱちです。くしゃみはくしゃみです」
イレースちゃんは、バッサリと切り捨てた。
…夢がない…。
「くしゃみが二回…誰かが自分のことを呪ってるんだっけ?」
「それは三回でしょ。二回は、寿命が二年縮んだんだよ」
「あ、そうだった」
と、恐らくジャマ王国の「くしゃみジンクス」を話している、令月君とすぐり君。
…知りたくなかったなぁ、そんなジンクス…。
くしゃみ二回で、寿命が二年縮み。
くしゃみ三回で、誰かに呪いをかけられている。
「…すぐり君。くしゃみが四回出たら、どんな意味があるの?」
知りたくないけど、何となく気になったら、聞かずにいられなかった。
が、
「四は『死』だからね〜。もうすぐ死ぬって意味」
やっぱり、聞かなければ良かった。
くしゃみが四回出たら、身の回りに気をつけよう…。
って言うか、ジャマ王国の「くしゃみジンクス」、怖過ぎない…?
私、ルーデュニア人で良かった…。