神殺しのクロノスタシスⅣ

殺戮は、10分足らずで終わった。

元々が小さい村だ。村人の数も、そう多くはない。

四、五人は小屋から出て逃げたけど。

すぐ追いついて、しっかりとどめを刺しておいた。

…終わった。

「殺しましたよ、ちゃんと…」

記憶を失って、川辺に倒れていた僕を助けてくれた女の子も。

僕にあれこれと世話を焼き、家にいさせてくれたご婦人も。

薬湯を作って飲ませ、松葉杖まで作ってくれたご主人も。

村への滞在を許可してくれた村長も。

果物をくれたおばさんも。

野菜をくれたおじさんも。

自家製のチーズをくれたお姉さんも。

荷物を持ってくれたお兄さんも。

その他大勢、見ず知らずの僕を、温かく受け入れてくれた村人も。

皆殺しましたよ。

この世界に、僕は一人きり。

全員殺しましたよ。ほら。

これが望みだったんでしょう?こうして僕に、再び手を汚させることが。

満足でしょう?

「ど…どうして…」

「…あぁ、あなたですか」

いつの間にか、目の前に知らない女が立っていた。

凄惨な殺人現場を見て、わなわなと震えている。

村人ではない。

僕が役目を果たしたから、出てきたんだろう。

この異次元世界を作った張本人。

確か…そう、『サンクチュアリ』だ。『サンクチュアリ』のメンバー。

魔封じの石…ならぬ、賢者の石を強奪して、僕達を異次元世界に引っ張り込んだ人物。

「趣味の悪い世界を作ったものですね。お陰で、大勢死にましたよ」

死ななくても良い人が、大勢犠牲になった。

あなたのせいですよ?

…って、僕が言えた義理じゃないか。

「何故心を折られない…!?お前は、お前自身の罪悪感で潰されるはずだ…!」

と、女が叫んだ。

成程、やっぱりそれがこの世界の目的。

僕に再び、あの日の再現をさせ。

僕が罪悪感に押し潰されて、自爆することを狙ったんだろう。

まぁ…悪くない試みだったとは思いますよ。

ただ、相手が悪かったというだけで。

「僕はね…天音さんほど、優しくはないですから」

やっぱり、天音さんじゃなく、僕が異次元世界に来たのは正解だった。

あの人だったら、あまりに優しくて…優し過ぎて…こんなことは出来なかっただろうから。

僕が適任だった。

自分の目的の為なら、誰でも平気で殺す、人でなしで人殺しの僕の方が。

「こんな罪悪感…程度で、潰されるほど…良心なんか残っていないんですよ」

学院長は、常々自分を悪党だと思いこんで、自己嫌悪に襲われている節があるが。

僕に言わせれば、学院長なんて可愛いものだ。

あの人は確かに、世界から見れば悪党なのかもしれないが。

彼には免罪符がある。

孤独だったから。愛が欲しかったから。手に入れた愛を手放したくなかったから。そんな、真っ当な免罪符が。

しかし、僕にあるのは何だ?

学院長のような大義名分はない。僕は、ただの死にたがりだ。

ただの死にたがりに殺されるなんて、僕に殺された人は報われない。

僕の方が、よっぽど生きてる価値のない最低のクズだよ。

生きてる価値なんてないと分かっていながら、でも死ぬことも出来ないんだよ。

だから、罪を重ねる。

いくつもいくつも。数え切れないくらいの罪を。
…さぁ。

もう、終わりにしよう。

こんなくそったれな世界なんて。

「…残念でしたね。賢者の石は、返してもらいますよ」

「…!待っ…!」

「待ちません。さようなら」

僕は、両剣に渾身の魔力を込めた。

僕は学院長や天音さんと比べると、魔力量には劣るが。

幸い、僕は不死身なんでね。

死ぬまで魔力を使おうと、僕は死なない。

思う存分、限界を越えて魔力を注ぎ込めば良い。

僕は、限界を訴える身体を無視して。

渾身の魔力を注いだ両剣で、この世界をまるごとぶった切った。







世界が、白い光に包まれた。





…。

…気がついたとき。

僕は、イーニシュフェルト魔導学院の医務室にいた。

「あ…気がついた?」

「…天音さん…」

ベッドの脇に、天音さんが座っていて。

僕に、回復魔法をかけているところだった。

その理由は簡単だ。

僕今、身体が言うことを聞かない。

魔力の消費が激し過ぎて、起き上がるのも辛い。

我ながら、生死を問わず魔力をぶち込んだらしい。

全く。不死身じゃなかったら死んでたな。

すると、案の定。

「魔力…使い過ぎだよ。君のことだから、後のことは考えずに、限界を越えて魔力使ったんでしょ」

バレてるし。

「回復魔法…僕には使わなくて良いですよ…。死ぬほど魔力使っても…僕は死にませんし…」

「関係ない。良いからじっとしてて」

有無を言わせない、ってことですか。

「…命を大事にしてって、何度も言ってるのに…」

「…」

命を…大事に…か。

さっき、大勢殺してきた僕に対する、皮肉ですかね?

…で、それはともかく。

「…う、くっ…」

「え、ちょ!起き上がっちゃ駄目だよ!」

僕は、言うことを聞かない身体に鞭打って。

無理矢理、上体を起こした。

慌てて天音さんは杖を置き、僕を止めようとしたが。

僕は、そんな天音さんの背中に腕を回した。

「えっ?」

「…天音さん」

あなたに、言わなければならないことがある。
今更こんなことを言ったって、どうにもならないし。

死んだ人は、僕を許さない。

だからこれは、単なる僕の自己満足だ。

「…ごめんなさい、天音さん」

「…え…?」

「あなたの幸せ…。あなたの大切な人の幸せを…壊して、ごめんなさい…」

「…」

罪悪感で僕を潰すのが、あの異次元世界の目的だったらしいが。

あれは、本当に良い線行ってましたよ。

危うく潰されるところだった。

危うく呑まれるところだった。

確かに僕には、罪悪感ですり潰されてしまうほどの良心は残っていないけど。

痛いところをグサリと刺されて、大出血して、ついでにその傷口に塩をたっぷり塗りつけられた…くらいには。

罪悪感で、心が痛かったりするんですよ。

妙なところで繊細なんでね、僕の心は。

だから、今更謝ることで、自分の罪悪感を少しでも癒やそうとしている。

本当に、最低の人でなしですよ。

救いようがない。こんな人間は。

だから、思いっきり罵って欲しい。

今更何言ってんだこの馬鹿、死んだ人に土下座しろ、と罵倒して欲しい。

その方が、ずっと楽になる。

…けれど。

「…大丈夫?異次元世界で…随分辛い思いしたんだね」

…ほら、これだよ。

あなたはこうして、こんなろくでなしにも、誰にでも、優しいから。

僕を責めることはない。

「やっぱり、僕が行けば良かった…」

まさか。

「あなたは無理ですよ…。優し過ぎて…他人を傷つけられないから」

「…それは君もでしょ?」

何を言ってるんだか。

「僕ほどの悪党が、優しいなんて有り得ない…」

「本当に悪党だったら、謝ったりもしないし、後悔もしないよ」

「…」

…それは…。

…物は言い様、って奴では?

「自分の罪を、自分の弱さを、自分の愚かさを知ってる人は、それだけ人に優しく出来るってことだから。君がいつも、僕達の代わりに自分の命を張るのは、そういうことでしょ?」

「…そういうことなんですかね?」

「自覚がないんだ?じゃあ、やっぱり君も、根は優しい人なんだよ。罪悪感なんて、元々優しい人しか感じないものなんだから」

…成程。

表裏のない、忌憚なき意見をありがとうございます。

…あなたの心には裏がないから、読み甲斐がありませんね。

「…済みません」

「随分、異次元世界でいじめられたみたいだね。身体が疲れてるときは、余計に心も弱くなるものだよ」

そうかもしれませんね。

「学院長と羽久さんも、何だか一悶着あったみたいだし」

え。

「そうなんですか…?」

「うん…。異次元世界って、相手を精神的に傷つけるみたい」

…最低ですね。
 
「酷いことしますよ、本当…。性格悪いですね」

人のことは言えませんけどね。

天音さんもそう言って良いんですよ。
…ん?ってことは。

「羽久さんと学院長も、もう戻ってきてるんですね」

「うん、昨日戻ってきたよ。二人共ほとんど同時に帰ってきたみたい」

えー。

僕一日遅れじゃないですか。

まぁ、僕結構異次元世界で、のんびりしてましたからね…。

記憶、思い出すにも時間かかってたし…。

「二人共かなり魔力を消費してるから、大人しくしててって言ってるんだけど…。全然言うこと聞いてくれないよ」

と、天音さんは嘆くように言った。

ドクターストップを無視する人が多過ぎますね。

何なら、僕も無視したいところだったけど…。

「君はちゃんと大人しくしててね。魔力消費量、学院長達より多かったんだし。少なくとも三日は休んでること」

わー。しっかり予防線を張られた。

「気持ちを落ち着ける為にも、休む時間は必要。良い?勝手に動いちゃ駄目だからね」

「…分かりましたよ…」

僕も、精神世界でリリスに慰めてもらいたいですからね。

でも、その前に。

「賢者の石は?僕がいた異次元世界の賢者の石は、何処に?」

僕、帰ってきたとき、魔力使い過ぎて意識なかったんですよ。

気がついたら、学院に戻ってきていたけど。

「あぁ、大丈夫だよ。君は異次元世界を出て、魔法陣があった『サンクチュアリ』の本拠地に転送されて…。そこに倒れてたところを、警備してた聖魔騎士団の人に発見されたんだ」

うわー、想像しただけで間抜けな図。

「賢者の石は、君が手に握ってたらしいよ。回収して、今は学院長が保管してる」

「そうですか。じゃあ…これで、例の赤い水晶玉と合わせて、四個揃ったってことですね」

「あ…いや、そのことなんだけど…」

「…?」

顔を曇らせた、天音さんの心を読んで。

どうやら、僕らが想定していたよりも、事態はより複雑だということを知るのであった。
――――――…皆、そろそろお忘れのところかもしれないが。





学院長と羽久が、魔法陣に入る前に。

揃って、魔法陣の中に飛び込んだ二人組がいる。







…ハッと、気がついたとき。


僕は、木の上にいた。

木の幹に足をかけ、枝に手を伸ばしているところだった。

が、いきなり意識が覚醒した為に、身体から力が抜けていたらしく。

幹から足を滑らせた僕は、ふわり、とスローモーションのように仰け反り、このままだと地面に向かって真っ逆さま。

手を伸ばしても、最早枝に手が届く距離ではなかった。

「きゃぁぁっ!」

落下している僕を見て、誰かが悲鳴をあげていたが。

落ちるのはもう仕方がないので、僕は頭を上にして、落下に備えて受け身を取った。

時間にして、1秒足らずの出来事だった。

僕は敢え無く、どすん、と地面に落下。

しかし受け身を取っているので、身体はノーダメージである。

どんな体勢からでも、瞬時に受け身を取れるよう、散々訓練されてきた身だ。

こういうときは、役に立つ。

…が。

「…令!大丈夫!?」

知らない女が、素っ頓狂な声をあげて僕に駆け寄ってきた。

…令?

それって、僕のこと?

「僕の名前、令月…」

「怪我はしてない!?何処か痛いところは!?…まさか、あんなところに登るなんて!そんな危ないことをしないの!」

「…」

怒涛のように畳み掛けられて、返事に困る。

…この人誰?

「怪我は!?」

まず何よりも、怪我をしているか否かが心配であるらしく。

真っ青な顔をして、怪我はないかと尋ねてくる。

「してない」

身体を確かめるまでもなく分かる。

まさか10階建てのビルから落ちた訳でもなし。

見上げてみると、僕が落っこちた木は、精々3メートルもない低木。

僕にとっては、ちゃぶ台から飛び降りるのと同じことだ。

本能的に受け身を取ったけど、別に受け身を取るまでもなかったかもしれない。

しかし。

「もうっ…!あんなところに登るなんて!怪我をしたらどうするの!?」

その女は、泣きそうな顔で言った。

…何がそんなに心配なんだろう…?

「あんな渋柿を取る為に…!」

…渋柿?

言われて、木を見上げてみると。

確かにそれは、柿の木だった。

実がたわわに成っているけど、あれって渋柿なんだ。

…干し柿にしたら、美味しいよね。
あんなちっぽけな柿の木から落ちたところで、僕は全然ノーダメージなのだが。

例の女が、まるで大怪我でもしたかのように騒ぐので。

その後、僕は病院に連れて行かれた。

病院は好きじゃない。特に注射は嫌いだ。

注射はしないで、と看護師に頼んでみたが。

我儘言わないの、と言われた。

僕は針が嫌なんじゃない。何を注射されているのか分からないのが嫌なのだ。

こっそり神経毒でも混ぜられていたらどうしよう、って…不安になることない?

え?ならない?

…変わってるね。

とはいえ幸い、注射はされなくて済んだ。

代わりに、レントゲンなるものを撮られた。身体の中の写真らしい。

例の女と共に、診察室に呼ばれ。

ハゲ頭の医者に、「何処にも異常はないですね」と言われて初めて。

その女は、涙を流さんばかりに安堵していた。

大袈裟過ぎる。

別に、何処も怪我してないのは分かりきっているのに。

怪我していたら、痛みで分かる。

痛みで分からない怪我は、怪我にカウントされない。

放っとけば大体治る。

それが僕の持論だったのだが…。

どうやらこの女は、医者のお墨付きをもらわなければ、気が済まなかったようだ。

更に。

「あんな危ないことするなんて…。怪我がなかったから良かったようなものの…」

帰ってからも、ぶつぶつと文句を言われた。

大袈裟だな。

…ところで、この人は誰なんだろう?

この女、僕のことを何故か「令」と呼ぶ。

僕の名前は令月なのだが…。敢えて略称で呼んでいるのだろうか?

僕にとってこの人は初対面なのに、あだ名で呼ばれるのって、何だか嫌だな…。

と、思っていたら。

「良い?令。もうお母さんを心配させないでね。お願いだから」

その女は、僕に向かってそう言った。

…お母さん?

この人、僕にとって母親なのか?

これは青天の霹靂だった。
僕には、母親の記憶はほとんどない。

覚えているのは、僕を人買いに売り飛ばした母親の姿。それだけだ。

僕にとって母親というのは、ただそれだけの存在だった。

あのまま実家にいても、僕がまともに育っていたとは思えないし、何なら捨てられて乞食になっていた可能性もあるので。

ある意味では、あの時点で売られて良かったのだろうと思う。

…で、それは良いとして。

この人、僕の母親なのか?

僕は、まじまじと母親(仮)の顔を見上げた。

…。

本物の母親の顔なんて、よく覚えていないけど。

でも、こんな顔ではなかった気がする…。

じゃあ、やっぱりこの人は、僕の母親の役割を与えられただけの偽物?

だってここって、何でもありの異次元世界、なんでしょ?

…そう。

僕は知る由もないことだが、僕の場合、先発した四人や、不死身先生とは違って。

異次元世界にやって来た経緯を、きちんと記憶してこの場所にいた。

僕と『八千歳』は、魔法陣に飛び込んで、異次元世界をぶっ潰し。

魔封じの石とやらを回収する為に、ここにやって来たのだ。

そのやり方は分からないけど。

でも多分、何とかなるだろう。

出来れば、『八千歳』に遅れたくはないなぁ。競争してるし。

『八千歳』はいつでも仕事が早いから、もう帰ってるかも。

帰ってから、「『八千代』ってば遅いんだから」って、溜め息つかれたくない。

出来るだけ、早めに帰るとしよう。

…だから。

「ねぇ」

僕は、母親(仮)に声をかけた。

「?どうしたの、令?」

令じゃないけど。僕。

まぁ、呼び名は大して問題ではない。

それよりも。

「この世界って、どうやったら出られるの?魔封じの石を持ってるのは誰?」

分からないことは、素直に聞いてみれば良い。

だから僕は、この異次元世界の住人に、直接尋ねてみた。