殺戮は、10分足らずで終わった。
元々が小さい村だ。村人の数も、そう多くはない。
四、五人は小屋から出て逃げたけど。
すぐ追いついて、しっかりとどめを刺しておいた。
…終わった。
「殺しましたよ、ちゃんと…」
記憶を失って、川辺に倒れていた僕を助けてくれた女の子も。
僕にあれこれと世話を焼き、家にいさせてくれたご婦人も。
薬湯を作って飲ませ、松葉杖まで作ってくれたご主人も。
村への滞在を許可してくれた村長も。
果物をくれたおばさんも。
野菜をくれたおじさんも。
自家製のチーズをくれたお姉さんも。
荷物を持ってくれたお兄さんも。
その他大勢、見ず知らずの僕を、温かく受け入れてくれた村人も。
皆殺しましたよ。
この世界に、僕は一人きり。
全員殺しましたよ。ほら。
これが望みだったんでしょう?こうして僕に、再び手を汚させることが。
満足でしょう?
「ど…どうして…」
「…あぁ、あなたですか」
いつの間にか、目の前に知らない女が立っていた。
凄惨な殺人現場を見て、わなわなと震えている。
村人ではない。
僕が役目を果たしたから、出てきたんだろう。
この異次元世界を作った張本人。
確か…そう、『サンクチュアリ』だ。『サンクチュアリ』のメンバー。
魔封じの石…ならぬ、賢者の石を強奪して、僕達を異次元世界に引っ張り込んだ人物。
「趣味の悪い世界を作ったものですね。お陰で、大勢死にましたよ」
死ななくても良い人が、大勢犠牲になった。
あなたのせいですよ?
…って、僕が言えた義理じゃないか。
「何故心を折られない…!?お前は、お前自身の罪悪感で潰されるはずだ…!」
と、女が叫んだ。
成程、やっぱりそれがこの世界の目的。
僕に再び、あの日の再現をさせ。
僕が罪悪感に押し潰されて、自爆することを狙ったんだろう。
まぁ…悪くない試みだったとは思いますよ。
ただ、相手が悪かったというだけで。
「僕はね…天音さんほど、優しくはないですから」
やっぱり、天音さんじゃなく、僕が異次元世界に来たのは正解だった。
あの人だったら、あまりに優しくて…優し過ぎて…こんなことは出来なかっただろうから。
僕が適任だった。
自分の目的の為なら、誰でも平気で殺す、人でなしで人殺しの僕の方が。
「こんな罪悪感…程度で、潰されるほど…良心なんか残っていないんですよ」
学院長は、常々自分を悪党だと思いこんで、自己嫌悪に襲われている節があるが。
僕に言わせれば、学院長なんて可愛いものだ。
あの人は確かに、世界から見れば悪党なのかもしれないが。
彼には免罪符がある。
孤独だったから。愛が欲しかったから。手に入れた愛を手放したくなかったから。そんな、真っ当な免罪符が。
しかし、僕にあるのは何だ?
学院長のような大義名分はない。僕は、ただの死にたがりだ。
ただの死にたがりに殺されるなんて、僕に殺された人は報われない。
僕の方が、よっぽど生きてる価値のない最低のクズだよ。
生きてる価値なんてないと分かっていながら、でも死ぬことも出来ないんだよ。
だから、罪を重ねる。
いくつもいくつも。数え切れないくらいの罪を。
…さぁ。
もう、終わりにしよう。
こんなくそったれな世界なんて。
「…残念でしたね。賢者の石は、返してもらいますよ」
「…!待っ…!」
「待ちません。さようなら」
僕は、両剣に渾身の魔力を込めた。
僕は学院長や天音さんと比べると、魔力量には劣るが。
幸い、僕は不死身なんでね。
死ぬまで魔力を使おうと、僕は死なない。
思う存分、限界を越えて魔力を注ぎ込めば良い。
僕は、限界を訴える身体を無視して。
渾身の魔力を注いだ両剣で、この世界をまるごとぶった切った。
世界が、白い光に包まれた。
…。
…気がついたとき。
僕は、イーニシュフェルト魔導学院の医務室にいた。
「あ…気がついた?」
「…天音さん…」
ベッドの脇に、天音さんが座っていて。
僕に、回復魔法をかけているところだった。
その理由は簡単だ。
僕今、身体が言うことを聞かない。
魔力の消費が激し過ぎて、起き上がるのも辛い。
我ながら、生死を問わず魔力をぶち込んだらしい。
全く。不死身じゃなかったら死んでたな。
すると、案の定。
「魔力…使い過ぎだよ。君のことだから、後のことは考えずに、限界を越えて魔力使ったんでしょ」
バレてるし。
「回復魔法…僕には使わなくて良いですよ…。死ぬほど魔力使っても…僕は死にませんし…」
「関係ない。良いからじっとしてて」
有無を言わせない、ってことですか。
「…命を大事にしてって、何度も言ってるのに…」
「…」
命を…大事に…か。
さっき、大勢殺してきた僕に対する、皮肉ですかね?
…で、それはともかく。
「…う、くっ…」
「え、ちょ!起き上がっちゃ駄目だよ!」
僕は、言うことを聞かない身体に鞭打って。
無理矢理、上体を起こした。
慌てて天音さんは杖を置き、僕を止めようとしたが。
僕は、そんな天音さんの背中に腕を回した。
「えっ?」
「…天音さん」
あなたに、言わなければならないことがある。
今更こんなことを言ったって、どうにもならないし。
死んだ人は、僕を許さない。
だからこれは、単なる僕の自己満足だ。
「…ごめんなさい、天音さん」
「…え…?」
「あなたの幸せ…。あなたの大切な人の幸せを…壊して、ごめんなさい…」
「…」
罪悪感で僕を潰すのが、あの異次元世界の目的だったらしいが。
あれは、本当に良い線行ってましたよ。
危うく潰されるところだった。
危うく呑まれるところだった。
確かに僕には、罪悪感ですり潰されてしまうほどの良心は残っていないけど。
痛いところをグサリと刺されて、大出血して、ついでにその傷口に塩をたっぷり塗りつけられた…くらいには。
罪悪感で、心が痛かったりするんですよ。
妙なところで繊細なんでね、僕の心は。
だから、今更謝ることで、自分の罪悪感を少しでも癒やそうとしている。
本当に、最低の人でなしですよ。
救いようがない。こんな人間は。
だから、思いっきり罵って欲しい。
今更何言ってんだこの馬鹿、死んだ人に土下座しろ、と罵倒して欲しい。
その方が、ずっと楽になる。
…けれど。
「…大丈夫?異次元世界で…随分辛い思いしたんだね」
…ほら、これだよ。
あなたはこうして、こんなろくでなしにも、誰にでも、優しいから。
僕を責めることはない。
「やっぱり、僕が行けば良かった…」
まさか。
「あなたは無理ですよ…。優し過ぎて…他人を傷つけられないから」
「…それは君もでしょ?」
何を言ってるんだか。
「僕ほどの悪党が、優しいなんて有り得ない…」
「本当に悪党だったら、謝ったりもしないし、後悔もしないよ」
「…」
…それは…。
…物は言い様、って奴では?
「自分の罪を、自分の弱さを、自分の愚かさを知ってる人は、それだけ人に優しく出来るってことだから。君がいつも、僕達の代わりに自分の命を張るのは、そういうことでしょ?」
「…そういうことなんですかね?」
「自覚がないんだ?じゃあ、やっぱり君も、根は優しい人なんだよ。罪悪感なんて、元々優しい人しか感じないものなんだから」
…成程。
表裏のない、忌憚なき意見をありがとうございます。
…あなたの心には裏がないから、読み甲斐がありませんね。
「…済みません」
「随分、異次元世界でいじめられたみたいだね。身体が疲れてるときは、余計に心も弱くなるものだよ」
そうかもしれませんね。
「学院長と羽久さんも、何だか一悶着あったみたいだし」
え。
「そうなんですか…?」
「うん…。異次元世界って、相手を精神的に傷つけるみたい」
…最低ですね。
「酷いことしますよ、本当…。性格悪いですね」
人のことは言えませんけどね。
天音さんもそう言って良いんですよ。
…ん?ってことは。
「羽久さんと学院長も、もう戻ってきてるんですね」
「うん、昨日戻ってきたよ。二人共ほとんど同時に帰ってきたみたい」
えー。
僕一日遅れじゃないですか。
まぁ、僕結構異次元世界で、のんびりしてましたからね…。
記憶、思い出すにも時間かかってたし…。
「二人共かなり魔力を消費してるから、大人しくしててって言ってるんだけど…。全然言うこと聞いてくれないよ」
と、天音さんは嘆くように言った。
ドクターストップを無視する人が多過ぎますね。
何なら、僕も無視したいところだったけど…。
「君はちゃんと大人しくしててね。魔力消費量、学院長達より多かったんだし。少なくとも三日は休んでること」
わー。しっかり予防線を張られた。
「気持ちを落ち着ける為にも、休む時間は必要。良い?勝手に動いちゃ駄目だからね」
「…分かりましたよ…」
僕も、精神世界でリリスに慰めてもらいたいですからね。
でも、その前に。
「賢者の石は?僕がいた異次元世界の賢者の石は、何処に?」
僕、帰ってきたとき、魔力使い過ぎて意識なかったんですよ。
気がついたら、学院に戻ってきていたけど。
「あぁ、大丈夫だよ。君は異次元世界を出て、魔法陣があった『サンクチュアリ』の本拠地に転送されて…。そこに倒れてたところを、警備してた聖魔騎士団の人に発見されたんだ」
うわー、想像しただけで間抜けな図。
「賢者の石は、君が手に握ってたらしいよ。回収して、今は学院長が保管してる」
「そうですか。じゃあ…これで、例の赤い水晶玉と合わせて、四個揃ったってことですね」
「あ…いや、そのことなんだけど…」
「…?」
顔を曇らせた、天音さんの心を読んで。
どうやら、僕らが想定していたよりも、事態はより複雑だということを知るのであった。
――――――…皆、そろそろお忘れのところかもしれないが。
学院長と羽久が、魔法陣に入る前に。
揃って、魔法陣の中に飛び込んだ二人組がいる。
…ハッと、気がついたとき。
僕は、木の上にいた。
木の幹に足をかけ、枝に手を伸ばしているところだった。
が、いきなり意識が覚醒した為に、身体から力が抜けていたらしく。
幹から足を滑らせた僕は、ふわり、とスローモーションのように仰け反り、このままだと地面に向かって真っ逆さま。
手を伸ばしても、最早枝に手が届く距離ではなかった。
「きゃぁぁっ!」
落下している僕を見て、誰かが悲鳴をあげていたが。
落ちるのはもう仕方がないので、僕は頭を上にして、落下に備えて受け身を取った。
時間にして、1秒足らずの出来事だった。
僕は敢え無く、どすん、と地面に落下。
しかし受け身を取っているので、身体はノーダメージである。
どんな体勢からでも、瞬時に受け身を取れるよう、散々訓練されてきた身だ。
こういうときは、役に立つ。
…が。
「…令!大丈夫!?」
知らない女が、素っ頓狂な声をあげて僕に駆け寄ってきた。
…令?
それって、僕のこと?
「僕の名前、令月…」
「怪我はしてない!?何処か痛いところは!?…まさか、あんなところに登るなんて!そんな危ないことをしないの!」
「…」
怒涛のように畳み掛けられて、返事に困る。
…この人誰?
「怪我は!?」
まず何よりも、怪我をしているか否かが心配であるらしく。
真っ青な顔をして、怪我はないかと尋ねてくる。
「してない」
身体を確かめるまでもなく分かる。
まさか10階建てのビルから落ちた訳でもなし。
見上げてみると、僕が落っこちた木は、精々3メートルもない低木。
僕にとっては、ちゃぶ台から飛び降りるのと同じことだ。
本能的に受け身を取ったけど、別に受け身を取るまでもなかったかもしれない。
しかし。
「もうっ…!あんなところに登るなんて!怪我をしたらどうするの!?」
その女は、泣きそうな顔で言った。
…何がそんなに心配なんだろう…?
「あんな渋柿を取る為に…!」
…渋柿?
言われて、木を見上げてみると。
確かにそれは、柿の木だった。
実がたわわに成っているけど、あれって渋柿なんだ。
…干し柿にしたら、美味しいよね。
あんなちっぽけな柿の木から落ちたところで、僕は全然ノーダメージなのだが。
例の女が、まるで大怪我でもしたかのように騒ぐので。
その後、僕は病院に連れて行かれた。
病院は好きじゃない。特に注射は嫌いだ。
注射はしないで、と看護師に頼んでみたが。
我儘言わないの、と言われた。
僕は針が嫌なんじゃない。何を注射されているのか分からないのが嫌なのだ。
こっそり神経毒でも混ぜられていたらどうしよう、って…不安になることない?
え?ならない?
…変わってるね。
とはいえ幸い、注射はされなくて済んだ。
代わりに、レントゲンなるものを撮られた。身体の中の写真らしい。
例の女と共に、診察室に呼ばれ。
ハゲ頭の医者に、「何処にも異常はないですね」と言われて初めて。
その女は、涙を流さんばかりに安堵していた。
大袈裟過ぎる。
別に、何処も怪我してないのは分かりきっているのに。
怪我していたら、痛みで分かる。
痛みで分からない怪我は、怪我にカウントされない。
放っとけば大体治る。
それが僕の持論だったのだが…。
どうやらこの女は、医者のお墨付きをもらわなければ、気が済まなかったようだ。
更に。
「あんな危ないことするなんて…。怪我がなかったから良かったようなものの…」
帰ってからも、ぶつぶつと文句を言われた。
大袈裟だな。
…ところで、この人は誰なんだろう?
この女、僕のことを何故か「令」と呼ぶ。
僕の名前は令月なのだが…。敢えて略称で呼んでいるのだろうか?
僕にとってこの人は初対面なのに、あだ名で呼ばれるのって、何だか嫌だな…。
と、思っていたら。
「良い?令。もうお母さんを心配させないでね。お願いだから」
その女は、僕に向かってそう言った。
…お母さん?
この人、僕にとって母親なのか?
これは青天の霹靂だった。
僕には、母親の記憶はほとんどない。
覚えているのは、僕を人買いに売り飛ばした母親の姿。それだけだ。
僕にとって母親というのは、ただそれだけの存在だった。
あのまま実家にいても、僕がまともに育っていたとは思えないし、何なら捨てられて乞食になっていた可能性もあるので。
ある意味では、あの時点で売られて良かったのだろうと思う。
…で、それは良いとして。
この人、僕の母親なのか?
僕は、まじまじと母親(仮)の顔を見上げた。
…。
本物の母親の顔なんて、よく覚えていないけど。
でも、こんな顔ではなかった気がする…。
じゃあ、やっぱりこの人は、僕の母親の役割を与えられただけの偽物?
だってここって、何でもありの異次元世界、なんでしょ?
…そう。
僕は知る由もないことだが、僕の場合、先発した四人や、不死身先生とは違って。
異次元世界にやって来た経緯を、きちんと記憶してこの場所にいた。
僕と『八千歳』は、魔法陣に飛び込んで、異次元世界をぶっ潰し。
魔封じの石とやらを回収する為に、ここにやって来たのだ。
そのやり方は分からないけど。
でも多分、何とかなるだろう。
出来れば、『八千歳』に遅れたくはないなぁ。競争してるし。
『八千歳』はいつでも仕事が早いから、もう帰ってるかも。
帰ってから、「『八千代』ってば遅いんだから」って、溜め息つかれたくない。
出来るだけ、早めに帰るとしよう。
…だから。
「ねぇ」
僕は、母親(仮)に声をかけた。
「?どうしたの、令?」
令じゃないけど。僕。
まぁ、呼び名は大して問題ではない。
それよりも。
「この世界って、どうやったら出られるの?魔封じの石を持ってるのは誰?」
分からないことは、素直に聞いてみれば良い。
だから僕は、この異次元世界の住人に、直接尋ねてみた。