そこからメッセージのやり取りを繰り返すにあたり、お互いに案外気が合うこと、話やすいことに気づく。
リリーはこの時、男友達がほしく、刺身はこの時、別の女性と付き合いそうだったが、「男友達がほしい」という彼女に1度だけでも会ってみたいと思っていたこともあり、2人は会う約束をする。
・・・・が、しかし。
前日の夜に、約束した当日のお昼頃にどうしても抜けられない用事がリリーにできた。
さらに刺身も会社でトラブルが起き、午前上がりが取り消しになった上に、残業確定になってしまう。
お昼にお茶だけという約束だったが、リリーから「20時以降ご飯に変更して欲しい」と提案される。
夜に会うことに内心、どきどきし始める刺身であった。
刺身は仲の良い上司に「2時間だけ残る。その間に仕事を捌くから、今日だけはお願いします、20時には帰らせて」と悲願し、日頃の行いが良いという理由で早上がりに成功する。
リリーの提案で現地集合することになり、仕事終わりのスーツ姿で刺身は急いで居酒屋へ向かう。
最寄り駅に着いたとき、なんとなくスマホを見るとリリーからメッセージが届いていた。
【リリー:着いた?】
【刺身:うん。今駅前に着いたとこ】
【リリー:刺身、今日スーツ?】
【刺身:そうだよー^^】
「刺身ー!」
声のする方に振り返った瞬間、プロフィール画像の顔を想像していた刺身の目の前に現れた美女に刺身は絶句する。
「・・・え?」
「ん?」
「・・・え?」
「あれ?違う人?」
「いや・・・刺身です」
「あはは!やっぱ刺身や。良かった。お仕事お疲れ様」
「・・・・・・初めまして」
「初めまして!」
「顔が違いすぎる」
「・・・え。プロフ写真の顔、タイプやった?」
「いや違うけど・・・・逆詐欺やん」
「逆詐欺って何?いこ!お腹減ったー」
綺麗な黒の長髪をなびかせ、刺身の手を引っ張るリリー。
なんでこんな美人が彼氏も結婚もできず、残ってるんだと少しショックを受ける刺身。
この日、刺身はリリーに一目惚れしてしまう。
その後、リリーから世にいう「高校教師と生徒が恋愛すること」くらいリリーにとって気が合う男性からの好意は「悪」とされていることを聞かされ、刺身は緊張で吐きそうになる。
「刺身、お酒飲む?ビール?」
「うん。ありがとう。そっちは?」
「あたしお酒飲めないけど、1杯だけ付き合う。カシオレね。女子ぶってごめん」
「何それ」
カシオレ飲むんだ。
お酒弱いんだ。
ん?
女子ぶってって何。
体育会系なん?
ここで刺身は2回キュンとしたという。
「刺身、お刺身好きなんよね。何盛りが良い?」
かわいい。
綺麗。
そして、気が利く。
手が小さい。
顔が小さい。
「かんぱーい!」
さらにリリーは、かなりのゲーマーらしく、結構親しくなってから話さないと引かれてしまうくらいの課金癖のある刺身の話にも否定せず受け入れ、「わたしも占いにそれくらいお金払ってるから引かないよー」と笑うリリーに刺身は会った初日に完全に心臓を射止められる。
「こんな話して気が合う男の友達欲しかったんよー」
「・・・本当にいないの?」
「うん、1人も」
「1人も?!」
「いないよ。なんか・・・いつも恋愛が入ってくんの。こっちがそういう目で見てんのかもしれないから、わたしが悪いんかなって思ってたけど、違った。断ってもいつも通りにしてほしいのに気まずくなるんよね」
「・・・ふーん」
モテる男、刺身にもリリーのその気持ちはよく分かった。
「刺身って公務員?」
「ううん、会社員。○○企業の」
「そうなんや!ってか、○○企業って大手やん」
「うん」
「良かったー!公務員じゃなくて」
ん?良かった?
・・・何が?
◯◯企業ってだいぶとすごいよ?
「やっぱり女の子は公務員が良いの?安定してるから?年収良いから?」
少し不貞腐れた表情で尋ねる刺身にリリーはあっさり、さらっと返答する。
「うーうん!占い師の人に結婚相手は公務員にしなって言われたから!」
「え?」
「んふふ」
なに、んふふって。
かわいっ。
いや、待って待って。
「・・・将来安定してるからとかじゃなくて?」
「うん!」
「年収良いからでもなくて?」
「年収とか興味ない。そりゃ安定した方がいいのは確かやけど・・・わたしも働くし、2人で協力して過ごしていけたらそれだけで良いかなーって」
なんなん、この子。
「・・・ちなみにバツイチは?」
「気にしないよ」
「え、子持ちやったら?」
「全然大丈夫」
「抵抗ないん?」
「・・・そりゃ離婚した理由は聞きたいけど、特には気にせんかな。いくらでもいるしね、今の時代」
何やねん、この子。
・・・・・好き。
刺身は女性と食事をする際、必ず職業や年収の話になるときは公務員と対等に戦える自分が働く会社である「○○企業」に誇りを持っていた。
しかし、今日ほど公務員が良かったと思った日はない。
刺身が公務員でなかったこともあり、リリーの眼中に完全に入らなくなってしまったと悟ったその瞬間「お前は正式に友達に認定!」されたように感じ、刺身は勝手に失恋して心で泣いた。
まあ、友達としているのもいいか、と自分の心を落ち着かせ、鯛の刺身を頬張る刺身。
その後、久しぶりに飲んだお酒が美味しかったのか追加で3杯飲んだリリーと、胸がいっぱいで食が進まず、お酒ばかり進んで酔っぱらった刺身は、終電を当然のように逃す。
酔っぱらいの2人はそのまま向かう先は、ラブホテル一択だった。
そこは流れのまま至ってしまう刺身とリリーであったが・・・・
「・・・・身体の相性めっちゃいいやん」
と情事後、刺身はリリーが隣で眠る夜中、感動のあまり、1人でこっそり泣いた。
完全に射止めたいが、リリーには脈がなく、心動かなかったようで。
「刺身、今いい感じのひといる?」
「いないかな」
「彼女は?」
「いないよ!」
「他にセフレは?」
「ん~・・・に、2、3人たまに会うくらい」
かなり動揺する刺身。
時たま噓をつき、時たま正直に答える矛盾が炸裂する刺身。
「おっけー!じゃあ、お互い誰かと付き合うまでは、わたしをセフレの中の1人に入れてよ。あと、友達で公務員いたら紹介して~!んじゃね~」と言われ、リリーと携帯番号を交換し、ご飯代とホテル代として手渡された2万円札を何度拒否しても無理やり渡してきるリリーに折れ、刺身は半泣きのまま朝帰りする。
刺身はその日中に中途半端にしていた女性には「付き合えません。本当にごめんなさい」と謝罪し、身体の関係があった子たちとも丁重に縁を切った。
その夜、リリーから電話がかかってくる。
どきどきしていた刺身が電話に出ると、「実家で一緒に暮らしている父親が再婚し、新しい奥さんが引っ越してくるから、家を出てほしいと言われている。どうしよう・・・」という内容だった。
刺身は「近々更新時期になる為、引っ越そうと思っていたが、今住んでいる2LDKに以前ルームシェアしていた友人が出て行き、部屋が1つ空いてるからそこに引っ越してこない?」とリリーにルームシェア(同棲し、あわよくばリリーを射止めて結婚したい)を提案した。
「え!?いいの!?・・・でも」
「友達としては気合うし、めっちゃ好きだけど、結婚したいとかのタイプじゃないから安心して!」と心を殺して伝える刺身。
「・・・最高の友達をもったよ、刺身!よろしくお願いします」
もしかしたら、新手の詐欺かもしれない。
もしかしたら、新手のパラサイトかもしれない。
半信半疑だったが、何とか射止めたい男刺身と、楽観幸運女リリーとのセフレ関係且つ、2人の騒がしくもゆるいルームシェアの幕が開ける・・・。
『え?!?!何それ?!そこまで話進んでたの?!その子、どんだけフッ軽なん』
『新手のパラサイトって。通帳とかクレジットカードは持ち歩いときなよ』
「めっちゃ良い子やから。リリーはそんなことしない子やから」
『引っ越しいつ?手伝うよ〜』
リリーと刺身の嵐のように終わった初アポの数日後、今日もオンラインでお酒を飲みながら、仲良く会話する晋太郎と愉快な仲間たち。
時計の針が午前2時を回る深夜、翌日全員が休みの日を狙い、夜な夜な酒とつまみとゲームのコントローラーを片手に会話が弾む。
「・・・ごめんやけど来てほしくない。桔平だけ」
『え、なんでーよ』
「桔平公務員やし、リリーが桔平のドタイプな子やし、会ったらシェアハウス戻せって絶対言ってくるもん」
『馬鹿め。公務員は否定せんし、ドタイプなのも期待するけど、お前が公務員じゃないから仕方ないやん、諦めるか転職しな』
ちなみに。
晋太郎はシェアハウスのことは3人に話していたが、セフレになっていることは伏せていた。
「・・・転職しようかな・・・」
『まじかーー!!ごめんってーー!!嘘だよ、俺は転勤でやむを得ずそこ出たんよ。しかも俺、遠距離向かんし』
『遠距離て。京都駅から大阪駅くらいの距離やんか』
『遠いんよ、それが。浮気した元カノが言ってたんやしそうなんよ』
「元カノもう出てこなくていいよ。うるさい」
桔平は高校教師をしている。
転勤の兼ね合いで、ルームシェアしていた場所から通うより、学校の周辺にある借家に住んだ方が断然近く、担当する部活動の朝練にも間に合うことに気づき、仕方なく転居していった。
体育会系で、上半身のガタイが良く、下半身は華奢で、足が長いからよく見えるタイプの男。
女子高生にモテるらしく、告白されたり、バレンタインのチョコをもらったり、プチ青春を味わっているらしいが「可愛いが年齢がタイプじゃない」と聞いてもないのに晋太郎たちに話してくるウザいところがある。
とは言え、桔平と晋太郎はアプリなんかしなくてもモテるのだが、仲の良い友人の「風間」の為にしていた。
『16日やったら、俺空いてるから手伝いに行けるよ〜』
友人その2、風間は不動産で働く、優しく、男からは人気もので好かれるが中学生の頃から女子には極度の人見知りが発動し、挙動不審になってしまうところがある。
社会人になってから桔平の勧めで会った女性に緊張のあまり、不自然すぎて通報されてしまう過去を持つ。
「ありがとう。助かるよ。16日リリーも空いてるか聞いてみる」
『おーーい、晋太郎ちゃん、風間ちゃん。俺抜きで話進めないで。僕ちんも行きますよーーっと!』
『ごめんやけど、俺は行かれんかな』
友人その3、遥は妻子持ちの男。仕事は介護士。
妻子がいると何かと出かけられない事があるが、ここの夫婦は意外とどちらも遊ぶことには抜かりない。
子育てを押し付ける訳でもなく、お互いに助け合い、育児家事仕事を両立し、共働きで暮らしている。
しかし、ダメな日はダメである。
そんな高校時代から続く仲良し4人組でやっている晋太郎たちは、私生活は緩く、のほほんと暮らしていた。
リリーには正直者と化す晋太郎は、とりあえず桔平を紹介することにした。
【刺身:夜遅くにごめん。友達が16日、引っ越しの手伝いに来てくれるそうなんやけど、いる?】
【リリー:全然起きてるよ(^^)ありがとう!重い荷物お願いしたかったんやけど、刺身だけにお願いするのは気が引けて・・・助かる♡】
「ハートやん・・・かわいっ・・・」
『おい、声漏れてんぞ!ってかハートって何?!何の話してんの?!おい!教えて!!』
『桔平うるさいよ』
『てか晋太郎!コントローラーは動かしてーーー、晋太郎くん、お前のターンだよーーー』
『桔平うるさいって』
『音下げな』
今はリリーに返信するしか頭にない晋太郎にはオンラインゲームに集中したい彼らの声はもはや聞こえていない。
【刺身:じゃあ、16日の午前中にお願いするけど予定は大丈夫?仲良い友達やから紹介したかったし、荷解き終わったらみんなでご飯行こう】
【リリー:おっけ!よろしくお願いします。こっちも大事な友達連れて行きます】
【刺身:了解!1人公務員いるよ^^】
【リリー:やっば!!刺身!!大好き!!】
【刺身:当日荷物運ぶから迎えに行くよ^^】
【リリー:え!!ありがとうしか言えない。ごめんね、ありがとう】
【刺身:気にしなくて大丈夫だよ】
【リリー:ありがとうございます。ほんとに感謝しかない。っていうか、今電話できる?大丈夫?】
「え!?電話!??今!?」
『え!!電話?!何?!え!!』
「ちょっとごめん。リリーから電話あるから一旦抜けるわ」
『抜けることないじゃん!オート放置して電話出てきなよ』
「あ、その手が。ありがと風間!行ってきます!すぐ戻る」
『てんぱってんな、晋太郎』
♪~♪~♪
「もしもし!」
『あ、刺身?ごめんね夜遅くに』
「いいよ!友達とゲームしてて。まだ起きてるから大丈夫!」
『あ!ゲームしてたんだ・・・ごめん!』
「ううん!どした?何かあった?」
『一言直接お礼が言いたくて・・・本当にありがとう!頭が上がりません』
「わざわざ電話くれたんや。いいのに」
『ううん!それだけじゃなくて!』
「うん?」
『刺身の本名聞いてないな・・・と思って』
「ああ。そうやった。俺もリリーの本名知りたい」
晋太郎はこのとき、心の中で「本当は会った瞬間からずっと知りたかったけどね!」と思っていた。
『わたし、おかぞえあんずって言います!』
「かわいい名前」
『えへへ~。「木」書いて下に「口」の杏ね』
「俺はかしわだしんたろうって言います。晋太郎の晋は普通の「普」の上の「ちょんちょん」が無いやつです。あとは桃太郎と同じ」
『めっちゃわかりやすいやん。ありがとう』
その日、2人は初めて「刺身」「リリー」から「晋太郎」「杏」と名前で呼ぶ合うようになる。
『引っ越してから、ちゃんと家のルール教えてね』
「ルールとかないよ、過ごしたいように生活してよ」
数分会話した後、電話を切った浮かれ気味の晋太郎が部屋に戻ると「全員退出しました、お疲れ様です」というメッセージと「GAME OVER」とディスプレイに表示されていた。
グループメッセージに桔平から【遅いのでみな眠ります。勝敗は晋太郎だけ敗北してレベルが落ちています。すまん】とだけ送られてきており、晋太郎はいない間に桔平がズルしたことだけ悟ったが、心がふわふわしていたため怒りはなかった。
【晋太郎:リリー16日大丈夫やって!引っ越し午前中に終わらせてみんなでご飯行こうってことになったから!】
【風間:良かった!晋太郎の車に荷物乗せるん?】
【晋太郎:うん!その予定にしてる】
【風間:俺も車出すし、荷物多いなら言ってね】
【晋太郎:ありがとう(T_T)】
【桔平:風ちゃん、朝迎え来てー】
【風間:いいよ!】
【遥:いいなあ。また紹介してよー】
引っ越し当日。
「おはようございます。晋太郎さんとシェアハウスさせてもらう杏です。こっちは大学時代からの友達の芽生です。今日はよろしくお願いします!」
「・・・・え・・・かわっ・・・」
桔平と風間は杏の顔を見て、面食らうさなか、晋太郎は律儀に芽生と挨拶する。
「どうも。晋太郎と言います。決して嫌な思いはしないよう配慮したうえで生活していきますのでご安心ください」
「杏の友達の芽生です。杏から話は聞いてます。杏料理は出来ませんが、掃除と洗濯はちゃんとできる子です。どうかよろしくお願いします」
「お見合い前かよ、お前ら。運ぶぞーー」
杏の荷物は少なく、全て晋太郎の車中には乗ったが、後部座席はまるまる埋まり座れるところがなくなってしまった。
人見知りしない芽生は、助手席に桔平を乗せた風間が運転する車へ。
杏は晋太郎が運転する車へ乗ることになり、「それじゃあ、晋太郎の家に向かうよ」と風間たちのグループが先に杏の実家を引き上げた。
杏と晋太郎が忘れ物がないか部屋を見渡し、最終確認をしていると、きれいな女性が杏と晋太郎がいる部屋の扉の前で杏を呼んだ。
隣にいた杏の表情が少し険しくなるのを晋太郎は見逃さなかった。
「杏ちゃん」
「・・・何ですか。恵吏子さん」
「ごめんね、和真さんと大事なこの家奪っちゃって」
「・・・いえ・・・お父さんは?」
「1階にいるよ」
「・・・・っ」
杏はその女性に何を言いたげであったが、口ごもる。
咄嗟に晋太郎は杏の肩を叩き、彼女に呼びかけた。
「杏、お父さんに挨拶してきなよ。ここは俺が見とくよ」
「あ・・・うん。じゃあ、下に行ってる」
晋太郎は第一印象で恵吏子を「意地悪そうな人だな」と思った。
「あなたが杏ちゃんとルームシェアしてくれるって人?」
「・・・はい」
「わたしは杏ちゃんのお父さんの再婚相手です」
「・・・はぁ」
「杏ちゃん、すごいパパっ子なんだけど、一度家を出たなら2度と戻ってこないでねって友達のあなたからも言ってくれない?」
「・・・」
晋太郎は赤の他人である恵吏子の発言に違和感と敵意が芽生える。
「俺は杏の味方です。杏の家だからいつ杏がここに帰るかは彼女が決めることです。帰りたいときに帰ってきていいし、あなたに権利はありません。旦那さんの子どもを大切に思えないひとがいるこの家には杏を返したくはないので帰らせませんけど」
晋太郎は「失礼します」と伝え、1階に降りる。
「・・・もう絶対煙草の火付けっぱなしで寝ないでね。お湯を沸かしたままどこか行ったらだめだよ・・・それから・・・」
「杏、もう良いから行きなさい」
「・・・うん」
悲しそうな杏がリビングの扉を閉め、玄関で靴を履く。
そんな杏に晋太郎は「挨拶できた?」と声を掛けた。
「うんっ。これで良い!やっとやから。行こう、晋太郎」
「分かった。でも外で煙草吸っていい?杏は先に車の中に乗ってて」
「玄関に灰皿があるからそこで吸っていいよ」
いろんな家族がいて、いろんな家族の形がある。
その人にしか分からない感情やその人にしか気づくことが出来ない痛みや喜びや気づきがある。
人には誰だって、これ以上は踏み込んでほしくない領域として線引きしているところがある。
安易にその中を無理にこじ開けて、心の中をすべて見せてほしいとは言わないけど。
いつか、いつか杏の心の中を俺にも見せていいくらい近づくことができたら。
目を離さずに彼女の真実が知りたいし、ちっぽけな願いや思いでさえも、捨てずに拾い集めてあげたいなと、煙草を吸いながらたそがれる晋太郎であった。
「まだ何にも杏のことを知らないけど、杏の家族の話をいつか本人から聞けたらいいな」
ガラッ。
「・・・・あれ」
「あ・・・すみません」
玄関前で煙草を吸っていた晋太郎がいる近くの部屋の窓から無精髭の男性が顔を出した。
「・・・杏さんのお父さんですか?」
「・・はい」
「あ、杏さんとルームシェアする晋太郎と申します・・・。杏さんなら車に乗ってるので、ここにはいませんよ」
「・・・そこの灰皿取ってくれます?」
玄関前の地面にある灰皿を見つけた晋太郎は窓から覗く杏の父親に灰皿を手渡す。
「いつもは外で吸われてるんですか?」
「うん。昔煙草の火を消し忘れてうたた寝してボヤ起こしたことあるから」
「・・・」
「杏が厳しいから、外で吸ってるんよ」
「じゃあ、杏さんいなくなっちゃうんで、家の中で吸えるようになりますね」
「・・・吸わないよ」
「え?」
「煙草はあの子がいなくなっても外で吸うし、ガスの元栓ちゃんと切って寝るって言っておいて」
「ん・・・?ガス?」
「うん、湯を沸かしてるのを忘れてイヤホンしながら寝ちゃった時があって、空焚きのままだったの。警報機が鳴り響いてるのに気づかなかったんだよね・・・帰ってきた杏に起こされて、めちゃめちゃ怒られて、イヤホン捨てられたの。ボヤのときは起きてきた杏に水を掛けられて免れたけど、怒り狂ってカートンで買ったたばこも全部水浸しにされた」
「・・・」
なんじゃこの親。
「爆発して死ぬかもしれなかったし、火事で死ぬかもしれなかったんだけど、いつも杏が近くで助けてくれたんだよね」
「・・・」
「父子家庭でひとりっ子だから、きょうだいもいない。俺の母親がずっと杏を見ててくれてたんだけど、あいつが高校生の時に亡くなった。あの子はいつも自分より、俺や周りの人間の目を気にして息をしているような子やから・・・・まあ、なんだ。杏をよろしくね、少年」
「・・・あの」
「ん」
「杏が鬱陶しいから追い出したんじゃないんですか?」
「ちがうよ。杏が自分を第一に考えて行動して、幸せになってほしいから追い出したんだよ。ここにいたら、杏は俺のことばっかりになるからね。また遊びにおいで、少年。はい、これ。杏が初給料で買ってくれた俺のスマホの電話番号!じゃあな」
ぴらっと殴り書きで書かれている携帯番号。
不器用なひとなんだ。
きつい言葉で突き放して、追い出したくせに。
本当は杏がだいすきな人なんだ。
「手見上げ持ってきます。またお話聞かしてください」
何かが終わったようで始まる音がした。
「晋太郎、遅いよ」
「ごめんごめん、行こうか」
「お父さんと何か話した?」
「うん!杏からの約束は絶対守るからって言ってたよ」
「・・・約束?」
少し間があったが、理解できたのか、杏は笑った。
かわいい。
また少し、好きになった。
「お腹すいたね。みんな待ってる」
杏の実家から晋太郎が住むマンションまでは車で30分くらいのところにある。