「春多くん、ごめんね?」
「別にもういいよ。もちろん、次はないけど。あー、気ぃ使って疲れた」
疲れるなら、あんな上辺だけのイチャイチャな態度とらなきゃいいのに。
背もたれに寄りかかって大きく体を伸ばす春多くんを見て心底思うけど。
なんだかんだ仲良し夫婦を演じてくれて、真木ちゃんを安心させてくれたんだよね。と、無理やり気持ちを納得させる。
「でもあんな作り話、よくすらすら出てくるよね。全部、嘘だらけなのに」
「本当のことも入ってるよ」
「医大の6年生とかー、国試受かって医者になるってところでしょ?」
「それもだけど、実習であんたのこと可愛いって思ったのは本当だよ」
向かいに座る春多くんの手が伸びて、私の頬に触れた。そのまま、グイッと顔を上に持ち上げられる。
「真木さんだっけ?あの人のことは知らないけど、あんたの顔は覚えてた」
「ふ、ふーん」
フッと目を細める男の子が優しく見えるから、おかしいな、心臓がいつもより早く動き出す。
「あの日、可愛いお姉さんに拾われて気分が上がってたって言ったじゃん。誰でもいーわけじゃねーって」
「で、でも。どーせ、私のこと……愛してるのは嘘でしょ?」
唇を尖らせて、まるでふて腐れるように出た台詞。自分でも何を言ってるんだろうって思った。
これじゃ、まるで"愛して欲しい"みたいじゃない。と、気が付いて頬の熱が一気に上がる。
「なんだよ、そんな俺に愛して欲しいの?」
「ち、違っ、そういう意味じゃなくて…」
次の瞬間、春多くんが身を前に乗り出して近付いてきた。
それは、一瞬だけ唇が触れる軽いキス。
「んー、こうやって真っ赤な顔になるあんたは結構好きだよ」
「……なっ、」
「まぁ、あんたが望むなら、子供ごと愛してやるよ」
「…………」
「んじゃ。今度こそ、俺勉強するから。先、風呂入って寝てていいよ」
自身の部屋に入っていく春多くんの背中を見送って、パタンと扉が閉まる。
答えになってないし。普段は渡に触れようともしないのに、何でキスしたの?
力がフッと抜けてその場にペタンとしゃがみ込む。少ししてからそっと自分の唇に触れると、あの子の柔らかい体温が唇にまだ残っているのを感じた。
ズルい、ズルい。あの笑顔ズルくない──?
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(MiChi)
こんばんは!
この間はありがとうございました!
今度、遊びにきて頂きたいので、
お時間ある日、教えてください。
プレママ友達としてお腹の子供の事とか、
珠里さんと色々とお話したいです!
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テーブルの上では、真木ちゃんが届けてくれたスマホが静かに光っていた。
「鴨田さん体調は大丈夫かしら?もし、悪阻とかあったら遠慮なく言ってね」
「はい、ありがとうございます」
「あ、鴨田さん。それ重いから俺持ってくよー。モップの方よろしく」
「あ、ありがとう」
「ねぇ、性別分かったら言ってね!お下がりあげるからね」
「本当ですか!?嬉しいー」
妊娠3ヶ月に入ったけれど、今のところ悪阻は無い。変化といえば、少し疲れやすくなった事と眠気が異常なことくらい。
仕事場に妊娠の報告をしてから、同僚達は私の体を気遣ってくれる。年上のママさんも声をかけてくれるようになった。
肉体労働や煙草の煙など配慮までしてくれて、凄く恵まれてるなぁ、と思う。
「お疲れ様でーす」
挨拶をしてルンルンの足取りで職場を後にした。
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(Michi)
午前中、仕事なんですか?大変ですね。
簡単なものになりますが、お昼も作っておきます!
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今日は午前上がりの半日で、このままミチさんの家にお邪魔してお昼をご馳走になる事になっているのだ。
家に戻って着替えて、手土産のケーキも持って、エレベーターの3階ボタンを押した。
エレベーターを下りて、ミチさんに教わった部屋番の301号室のインターフォンに手を伸ばす。
「……ん??」
白い扉の表札にはローマ字で〈kagawa〉と表記されているから、一瞬、思考が止まった。
いや、待って、香川なんてどこにでもある名字だもんね。加川、賀川……かもしれないし。と頭を大きく横に振る。
──香川先生の奥さんが産婦人科の病院にいるの見ちゃったんだけど
以前、職場で耳に入ってきた噂話。
こんな、大きなタワマンに住めるのなんて高収入の人だろう。
例えば、お医者さんとか──。
「珠里さん!いらっしゃい!!」
その時、にっこり笑顔のミチさんが扉を開けるから、心臓が止まるかと思った。
「お、お邪魔しまーす」
「どうぞ」
玄関棚には可愛らしいぬいぐるみが飾られていて、リビングのカーテンもカーペットもピンクで統一されている。
同じ間取りなのに全然違うなぁ。
何もない、うちとは大違いだな。なんて、感心してる場合じゃない。
大きな木星のダイニングテーブルには、ミートソースパスタとスープ、サラダが準備されていた。
「わ、凄い!お洒落なランチみたいですね。これ、ミチさんが全部?」
「えぇ、簡単なものだけど」
全然、簡単じゃないし!!
それに、もし、本当に俊也さんの家だとしたらどうすればいいのだろうか。
「と、とても……美味しかったです」
「ふふっ、お口に合って良かったわ」
空になったお皿にフォークとスプーンをカタンと置く。
正直、全然味なんてしなかったけど。ミチさんがふんわり笑うから、申し訳ない気持ちになった。
「ねぇ、珠里さん。こっちきて。見せたいものがあるの」
ニコニコとする彼女が手招きをして、誘導されるまま、隣の部屋に足を踏み入れた。
「この部屋がね、赤ちゃんの部屋なの」
間取りからいえば、ここは私の部屋位置。
そこには、木製のベビーベッド、くるくる回るメリーの玩具、可愛らしい赤ちゃんの帽子や靴が並んでいる。
子供のための淡くて優しい色をした部屋。
「凄い、ですね。うちなんてまだ全然……あ、」
飾り棚に置かれる写真立てが目に入る。
そこに写っていたのは、ミチさんのウェディングドレス姿で。彼女の隣で幸せそうに笑うのは──、まぎれもなく俊也さんだった。
あぁ、ここは俊也さんの家なんだ。と、自分の足元に顔を向ける。
なんでだろう。驚きより、不思議と"やっぱり"と思う気持ちの方が大きかった。
「この子の妊娠も、主人ったらとても喜んでくれて」
「……」
「まだ性別分からないのに、色々と買いすぎなのは分かってるんですけど」
「……」
「珠里さん?どうかしました?」
「……あ、いえ。すっごく可愛い赤ちゃんのお部屋でびっくりしちゃって!」
「そんなこと、ありませんよ」
「うわぁ、旦那さん素敵な方ですね!お仕事何してるんですか?」
声が少し震えた。顔はちゃんと笑えてるだろうか。
「お医者さんなんです。といってもまだ独立してなくて、大学病院で働いているんです。珠里さんのご主人は?」
「わ、たしは……わた…」
「珠里さん?どうしました?気分悪いんですか?」
息が苦しい。胸が痛い。その場にしゃがみ込んだ。
"お昼ごはん体に合わなかったかしら?"なんて心配そうに慌てて覗き込んでくるミチさんの顔が見られない。
「あの、わ、たし……ごめんなさい。帰ります」
「え、大丈夫ですか?」
「はい、突然、ごめんなさいごめんなさい……」
急いで立ち上がって、部屋を出る。リビングに置いたままのバックを手に持った。
そのまま、玄関に向かって靴を履いて逃げるように後にすると、背後から「また遊びに来てくださいね」というミチさんの声が聞こえてきた。
目に焼き付いた、お似合いで幸せそうな2人の写真。あんなの見るんじゃなかった。
お家に帰らなくちゃ。ここじゃないとこへ逃げなきゃ。早く、早く──。
エレベーターまで走って、ボタンを押そうとした時、丁度その扉が開いて。
「珠里?こんなところで何をやってるんだ?」
私の目に飛び込んできたのは、俊也さんだった。
「しゅ、んやさん……」
「一体、何故ここに?まさか、うちを訪ねて来たのか?」
「えっと、違うんです。これは偶然で、本当に知らなくて……」
しどろもどろの言葉はまるで言い訳のよう。頭の中がぐるぐると回って何から説明していいか整理がつかない。
どうしよう。これじゃまるで──、彼の家まで押し掛けてきた女みたい。
「まさか、妻がお友達が遊びにくると言っていたのは、君のことだったのか?」
「……」
「もしかしたら妻は……いや、君の体は大丈夫かい?」
「え?」
眉を下げて顔を歪ませた彼が、大きな息を吐いた。次の瞬間、私の腕を引いて彼に抱きしめられていた。
煙草とコーヒーの香りが混じった香り。
大好きだった俊也さんの胸の中。
「珠里……、ちゃんと話がしたかった」
「……え?」
「ちゃんと話がしたかったんだ。子供の事も含めてきちんと話をするべきだと思っていた」
──堕胎してくれないか?
彼を避けていたのは私の方だ。
スマホも拒否して、病院でも彼が話しかけられないように常に誰かと動いていた。
もう、あんな胸を引き裂かれるような悲しい思いをするのは嫌だから。
「わ、私はもう話なんて無い!子供は、あなたの子じゃありません!俊也さんなんかの子供じゃない!!」
「珠里、強がらなくていいから」
「強がってなんかいません。父親は別にいるから、もう話しかけないで下さい!私のことは放っておいて!!」
彼の胸に手を当てて自身の腕を伸ばすと、俊也さんとの間に距離ができる。
「他に男がいたのか?」
「ち、がいます」
ぐっと握った拳が震えた。
もう、大丈夫だと思っていた。なのに、こんなにもまだ胸が痛いなんて。一瞬でも疑われたのが、全てを否定されたように感じて、泣きそうになった。
「あのときは、君の気持ちを考えずにとても酷いことを言ってしまった。申し訳なかった」
「……っ、」
「俺の子供として、やり直さないか?」
「…………え?」
「妻とは別れる。だから、俺の子として産んで欲しい。時間はかかるかもしれない。でも、必ず君を迎えに行くから」
目の前の俊也さんが、フッと口元を緩めて優しく私の頬に触れる。
「な、にを言っているんですか!?都合のいいこと言わないで下さい!私がどれだけ、苦しんだと……酷いです、な、何で、平気でそんなこと言えるんですか?」
マンションの廊下に私の叫び声が響き渡る。近所迷惑だとか、そんなことを考える余裕なんてなかった。
「それに、奥さん妊娠してるじゃないですか!?」
「は?妻は妊娠なんてしていないが」
眉を潜めて不思議そうに目を見開く彼が嘘をついているように見えなかった。
でも、あの子供の部屋は──?
「いや、正確にいえば。2年前、死産したんだ」
「えっ、」
「それから、妻はとても神経質になってしまった。子作りしても授からないし、行為は事務的に変化し会話も減って夫婦仲は冷えきっていったよ」
声のトーンを下げた俊也さんが、言いにくそうに口元を右手で覆う。
「気持ちを切り変えようと、準備していた子供部屋を片付けた方がいいと話すと、ヒステリックに怒り出して。家に帰っても休める雰囲気ではなかった。そんな時に君と出会った」
全然、知らなかった。俊也さんが奥さんとそんな状態だったなんて──。
彼女が部屋で苦しんでいる時に、私はあのアパートで彼との関係に溺れていたんだ。
「あの時、堕胎と言ってしまったのは動揺したからだ。君のご家族には不快な思いをさせてしまうかもしれない。けど、俺は君とならいい家族を築きあげられると思ってるんだ」
好きな人に、好きだった人に一緒になろうと言われて、全然、嬉しくない。
体中が拒否反応を起こして、足の指の先まで鳥肌がたった。
「いなくなって、君の存在の大きさに気が付いた。俺は珠里を愛してる……」
知らなかったじゃ済まされない。全身が震えた。
奥さんのいる相手と付き合うこと。
とんでもない過ちを、犯してしていたんだ。