結さんと海でのデートをした次の日からは、本格的にオーディションの準備を開始した。
まず、早起きすること。オーディション当日のだいたいの演奏時間に合わせて体を慣らしておく。
課題の通しは何度も人に聞いてもらった。
増田先輩や、打楽器の同期、それから、結さん。
中でも結さんには一番聞いてもらったし、一番聴いた。
練習において一番重要で、一番不足しがちなことは、大学に入って困らなくなった。
早起きを始めて約2週間経った頃、体も大分慣れてきたし、課題曲も大分頭に入ってきた。
特にオケスタの何曲かは聴いたことのない曲もあったので覚えるだけでも大変だった。
一つできるようになると、一つ気になるところが出てくる。
そんなことを繰り返しながら毎日を過ごすので、夏休みの感覚は全然なかった。
むしろ、毎日合宿しているような気分だ。
大変な毎日ではあるけど、同時に恵まれてもいた。
練習環境はもちろん、同じ楽器にどこまで行っても追いつける気がしない先輩、つまり目標がいること。それと、楽器は違っても同じく合格を目標にしている仲間がいること。
言葉は交わさなくてもほとんど毎日顔を合わせたし、その度に、今日も頑張ろうと思えた。
結さんにとって俺も、同じような存在でありたいなと思う。
課題が一通り形になってからは、普段できないような細かい部分を基礎から直していく。
例えば、ある曲を練習している時に、上手くいかない原因が左手にあると発見したら、その曲を何度も練習して直すのではなく、基礎練習のレベルまで遡って直す。
本来基礎練習とはそう言うものなのだが、基礎ばかりやりすぎると、どうしても自分の弱点が見つかりにくくなる。それはつまり、基礎練習に慣れ過ぎていると言うことだ。
だから俺は、曲の中で自分の弱点を見つけたら基礎練習で試し、その基礎練習ではうまくできているのであれば基礎練習の譜例を替えて練習し、弱点がむき出しになったらその譜例を集中して練習した。
効率は悪いかもしれないが、本当の意味で弱点を克服しようと思ったらこれしか思いつかなかった。
幸い時間はある。
日によっては半日以上一つのことを練習していたりもした。
そんなある日のこと。
その日はまだ早い時間だったが周りには残っている学生はいなくなっていた。
早いと言っても19時前だ。夏休み中にこの時間まで練習している学生はそもそもそんなに多くはない。
居るとすれば結さんと、クラの藤原先輩、打楽器の増田先輩と俺くらいだ。今日に限っては俺以外の3人もいないけど…。
集中が切れてしまった…。
今日はもう帰ろうかな。
連日の練習で疲れを感じ始めていたので、帰ることにした。
休息も大事だ。
片付けも早々に学校を出た。
外は暗くなっていたが、日中はすっきりと晴れていたためか、気温は高かった。
少し時間があるので、駅までゆっくり歩くことにした。
こういう日は、考え事をするのにちょうどいい。
8月も後半に差し掛かり、オーディションに向けて本格的に取り組む学生も増えてきた。
俺は、自分の実力が確実に上がってきていることを実感していたし、結さんもどんどん成長していると感じていた。
結果がどうなるかはわからないが、この経験は将来必ず役に立つ時が来るだろう。
そうだ、そろそろ夏の終わりのデートについて決めないとだな。
明日にでも連絡してみよう。
1人電車に乗る。
何をするでもなく座って過ごしていた俺は、何故かさぎりと別れた時のことを思い出していた。
正確には、別れた次の日のことだ。
俺は、その日も1人電車に揺られていた。方向も時間帯も真逆だけど。
あの日から今まで、より一層音楽に集中し、ただただ頑張ってきた。
別れたことを辛いと感じる時もあったが、やりたいことがあるだけ、俺はまだいいと思っていた。
そんな日常を過ごす中で、結さんの存在は俺にとってどんどん大きいものになり、気づけば一緒にいることも増えた。今では、辛いと感じる時にはお互いに支えになれるような関係を築きつつあるとも思っている。
仲間という意味では、結さんだけ出なく、増田先輩を始め多くの素晴らしい学生と知り合うこともできた。
俺は、別れた後の喪失感よりも、この充実感の方が大きかったのでここまで頑張ってこられたんだ。
対してさぎりはどうだったんだろう?
まぁ、俺が考えても仕方がないことなんだけど…。
新しくできた彼氏とやらに依存してなきゃいいけど…。
いや、俺が考えるべきことは、未来のことであって過去のことじゃないはずだ。
さぎりのことを考える時間があったら結さんのことを考えよう。
全てはオーディション後だ。
俺は、自分の気持ちからはもう目を逸らさない。逃げる理由も躊躇う理由もないのだ。
ということは、考えるべきことはタイミングだけだ。
もしそれでうまくいかなかったとしても、告白するタイミングを逃すよりはいい。
よし。
海に行った時に告白しよう。
場所は、リボンを渡したあの場所がいいだろう。
小山駅に着いて、いつもの通りに改札に向かう。
いつもどの車両に乗るか決めている俺にとっては電車を降りてから改札までの道のりもいつも同じだ。
違ったのは、改札を出てからだった。
「恒星?」
いきなり声を掛けられた。
知っている声だ。
振り返ってみると、さぎりが立っていた。
なんとも間が悪い…。
『おぅ。』
これしか言えなかった。
その場にいても気まずいだけなので、そのまま行こうとすると
「ねぇ、待って。」
もう一度振り返る。
「ごめんね、いきなり呼び止めたりして…。」
呼び止められた後、どうしても話がしたいというので、駅を出て話すことになった。
あまりにも地元過ぎるので、一旦別れてそれぞれ公園に向かうことにした。
付き合っていた頃によく座っていたベンチだ。
『まぁ、いいけど。待ってたのか?』
まさかとは思うが…。
「うん、何となく、今日は会える気がしたから」
どういうつもりなんだ?
「今日も、学校?」
こう聞かれては答えるしかない。
『うん。休み明けにオーディションがあるから』
「そう、なんだ。ごめんね。忙しいのに」
構わないがなんなんだ…今更。
答えようがないので黙ってやり過ごした。
「恒星は、しっかりした人だから、私と別れてからも、きっと気持ちを切り替えて前に進めてるよね?」
だったらなんだ?
「それに比べて私は、全然ダメで…。」
これにも答えようがないので黙っていた。
「私、恒星に甘えすぎだよね…。」
それはそうかもな。
「でも、何だかあのまま喧嘩で終わってしまっては、ちゃんと別れられてないような気がして…」
何を今更。もう4ヶ月が経とうっていうのに。
『それで、今更何を話そうって言うんだ?』
「ごめん…。」
何が
『この間、って言っても随分前だけど、君が男と一緒に歩いてるのを見たよ。俺とはもう別れているんだから、それをどうこう言うつもりはないけど、もし付き合ってるなら、俺と会っていることはその男に対して失礼じゃないか?』
「それは…そうかもしれないけど…。」
肝心なことには答えない。
なんなんだ。
『悪いけど、俺からはもう話すことはないんだ。俺は、さぎりだけが悪かったとは思ってない。強いて言えば、他人のことを首を突っ込んできた男が悪い。』
「そうじゃないよ…悪かったのは私。」
『さぎりがそう思うならそれでもかまわない。もういいだろう?4ヶ月も前に終わった話だ。』
「私は、あの時…本当は恒星に助けて欲しくて…」
さぎりは泣きながら話し始めた。
聞かずに帰ろうかとも思ったが、諦めた。
ここまできたら、聞くだけは聞こう。
「でも、バイトの、大久保さんのこととか、相談したら怒らせてしまったから、なにも言えなくて…」
黙っていた。
正直今更聞かされても気分が悪くなるだけだ。
でも仕方ない。
これで前に進めるようになると言うなら話が終わるまでは聞こう。
「私も、本当は自分が動かなきゃだめだってわかってたけど、バイトでの人間関係もあるし、どうしていいかわからなくて…」
わかっていないのはそれだけじゃないんだけどな。
「ごめんね。」
今更謝られてもどうしようもないけど…。
『さぎりが今言った事も間違いではないと思うけど、さっきも言ったように、俺はさぎりだけが悪いとは思ってない。バイトのことも、ちゃんと相談に乗れなかったのも事実だし。』
「でも、それはやっぱり私が」
『今更謝ってどうしたいんだ?お前が100%悪いと罵られにきたのか?』
「ごめん、そうじゃない」
『さぎりがどういうつもりで今日俺のところに来たかは知らないけど、話すなら俺もあの時の気持ちを言うよ。それしかできないからな。』
「うん。」
『俺がわかってほしかったのは、俺にも事情はあるし、忙しい時だってあるってことだ。そりゃそうだよな?同い年なんだし、お互い大学に入って、新しい環境になったばかりだったんだから。』
さぎりは黙っている。
『だから、バイトでのことをちゃんと相談に乗れなかった俺も悪いけど、自分で考えて行動する前に(どうしよう?)だけ言われても正直腹が立ったよ。一緒に考えることはできても、俺が言ったことが全て正しい答えだとは限らないんだから。それは、わかるよな?』
「うん」
『申し訳ないけど、俺にはあの時、どうしてもさぎりが自分で考えてどうにかしようとしているようには見えなかった。実際は違うのかもしれないけど。だから、あまり相談に乗る気になれなかったし、ただ(助けて)だけ言われてもどうしてほしいかもわからなかった。それには、俺が忙しかったと言うのもあるし、余裕がなかったのも事実だよ。』
ここで一旦言葉を切った。
『だからこそだろ。これからはちゃんと話をする時間を作ろうって言ったんだ。そしたら、いきなりバイト先の店長が出てきて訳の分からないことを言われた。正直腹が立たない方がおかしいと思う。で、次の日また会いにきて、(どこにもいかないで)と。どこまで甘えたら気が済むんだろうって思った。俺だけじゃなく、別の男にも甘えて、店長にも甘えて。最後にまた俺に甘える。もう、耐えられなかった。これが本音だよ。で、さぎりは今更俺に会いにきて何が言いたいんだ?』
「あの時、私が余計なこと言わなければよかったんだよね。」
『それは違うと思う。むしろあの時また隠されていたら、後でもっと酷いことになってたと思う。』
「そっか」
嫌な沈黙だ。
思っていたことを先に全部言ってしまった手前、話しにくくなってしまった。
『さぎりは、なにがしたいんだ?別れた時のことなんて、何回話しても気分がよくなることはないんじゃないのか?』
「そうだよね…。私、なにがしたかったんだろう?」
全く…。
あんまり言いたくないけど、仕方ないか。
損な役回りだな…。
『違っていたら聞き流してくれていいんだけど、多分、謝ってすっきりしたかっただけなんじゃないか?』
それまでほとんど無表情だったさぎりの顔に明らかな変化があった。
そりゃそうだよな。
こんなこと言われれば誰だって腹が立つよな。
でも、多分外れてないと思うぞ。
さぎりは、何か言いたそうに、大きく息を吸い込んだが、言うのをやめたみたいだった。
大きく息を吐いて、諦めたような、悲しくなったような顔をした。
「そうかもしれない…。」
引き下がるのか。
結局なにもわかってないじゃないか。
『さぎりが今考えなきゃいけないのは、今の彼氏のことだろう。俺に謝ったって、所詮は過去のことなんだし。こんな話をしていたらお互いにあの時の気持ちに戻って喧嘩になるだけだ。俺はもう、あの時のことは気にしない。だから、もういいだろう?多分、さぎりは俺に許されたかったんじゃなくて、自分に許されたかったんだと思うよ。はっきり言うけど、そんなことに新しい彼氏を巻き込んではいけないと思う。』
なんでこんなことまで俺に言わせるんだ。
「…」
「そのとおりだね。ごめんね。私に必要なのは、自分で考えて、反省して、それから前に進むことだったんだね…」
そうだよ。
そんなの最初からわかりきっていることだし、何度もそう言っただろう。
『そうだよ。さぎりは、多分最初からわかっているんだよ。目を逸らす癖がついてしまっていただけで。それは、俺にも責任があるよ。ごめん。』
これも、本心だ。
「どうして?」
少しは自分で考えろ。
『付き合っていた頃、俺はさぎりに相談せずに結論を出すことが多かったからだ。もちろん、そうなるに至った理由はさぎりにもあるけど、今はおいておくとして。だから、さぎりは、自然と俺に答えを委ねるようになって言ってしまったんだと思う。』
それを依存て言うんだ。
とは言えなかった。言うまでもなく、気付いていると思ったからだ。
「確かに、そうだね。」
『だから、俺とはもう一緒にいない方がいい。俺と一緒にいたら、さぎりはどんどん自分で考えて行動できなくなっていくと思う。もし、このままじゃ嫌だと思うなら、これから自分で考える覚悟をするんだよ。それができるようになったら、今の彼氏とは一緒に考える関係を作っていけばいいんじゃないか?俺に言えるのは、ここまでだよ。』
なぜ俺が新しい彼氏とのことまで考えなきゃいけないんだ
「うん。ありがとう。」
『いや、いい。俺達が友達に戻るにはまだまだ時間がかかると思う。だから、話をするのは今日で最後にしよう。もう、会わない方がいいよ。』
「わかった。最後に、一つ聞いてもいい?」
全く。しょうがないな。
予想外に遅くなってしまったけど、仕方ないか。
今日で最後にした訳だし、さぎりはもう大丈夫だろう。
これで俺も心置きなく結さんに告白することができるんだ。
そう思ったら、今日の出来事は悪いことだけではない。
さて、明日からはちゃんと告白の時の事を考え始めよう。
まず、早起きすること。オーディション当日のだいたいの演奏時間に合わせて体を慣らしておく。
課題の通しは何度も人に聞いてもらった。
増田先輩や、打楽器の同期、それから、結さん。
中でも結さんには一番聞いてもらったし、一番聴いた。
練習において一番重要で、一番不足しがちなことは、大学に入って困らなくなった。
早起きを始めて約2週間経った頃、体も大分慣れてきたし、課題曲も大分頭に入ってきた。
特にオケスタの何曲かは聴いたことのない曲もあったので覚えるだけでも大変だった。
一つできるようになると、一つ気になるところが出てくる。
そんなことを繰り返しながら毎日を過ごすので、夏休みの感覚は全然なかった。
むしろ、毎日合宿しているような気分だ。
大変な毎日ではあるけど、同時に恵まれてもいた。
練習環境はもちろん、同じ楽器にどこまで行っても追いつける気がしない先輩、つまり目標がいること。それと、楽器は違っても同じく合格を目標にしている仲間がいること。
言葉は交わさなくてもほとんど毎日顔を合わせたし、その度に、今日も頑張ろうと思えた。
結さんにとって俺も、同じような存在でありたいなと思う。
課題が一通り形になってからは、普段できないような細かい部分を基礎から直していく。
例えば、ある曲を練習している時に、上手くいかない原因が左手にあると発見したら、その曲を何度も練習して直すのではなく、基礎練習のレベルまで遡って直す。
本来基礎練習とはそう言うものなのだが、基礎ばかりやりすぎると、どうしても自分の弱点が見つかりにくくなる。それはつまり、基礎練習に慣れ過ぎていると言うことだ。
だから俺は、曲の中で自分の弱点を見つけたら基礎練習で試し、その基礎練習ではうまくできているのであれば基礎練習の譜例を替えて練習し、弱点がむき出しになったらその譜例を集中して練習した。
効率は悪いかもしれないが、本当の意味で弱点を克服しようと思ったらこれしか思いつかなかった。
幸い時間はある。
日によっては半日以上一つのことを練習していたりもした。
そんなある日のこと。
その日はまだ早い時間だったが周りには残っている学生はいなくなっていた。
早いと言っても19時前だ。夏休み中にこの時間まで練習している学生はそもそもそんなに多くはない。
居るとすれば結さんと、クラの藤原先輩、打楽器の増田先輩と俺くらいだ。今日に限っては俺以外の3人もいないけど…。
集中が切れてしまった…。
今日はもう帰ろうかな。
連日の練習で疲れを感じ始めていたので、帰ることにした。
休息も大事だ。
片付けも早々に学校を出た。
外は暗くなっていたが、日中はすっきりと晴れていたためか、気温は高かった。
少し時間があるので、駅までゆっくり歩くことにした。
こういう日は、考え事をするのにちょうどいい。
8月も後半に差し掛かり、オーディションに向けて本格的に取り組む学生も増えてきた。
俺は、自分の実力が確実に上がってきていることを実感していたし、結さんもどんどん成長していると感じていた。
結果がどうなるかはわからないが、この経験は将来必ず役に立つ時が来るだろう。
そうだ、そろそろ夏の終わりのデートについて決めないとだな。
明日にでも連絡してみよう。
1人電車に乗る。
何をするでもなく座って過ごしていた俺は、何故かさぎりと別れた時のことを思い出していた。
正確には、別れた次の日のことだ。
俺は、その日も1人電車に揺られていた。方向も時間帯も真逆だけど。
あの日から今まで、より一層音楽に集中し、ただただ頑張ってきた。
別れたことを辛いと感じる時もあったが、やりたいことがあるだけ、俺はまだいいと思っていた。
そんな日常を過ごす中で、結さんの存在は俺にとってどんどん大きいものになり、気づけば一緒にいることも増えた。今では、辛いと感じる時にはお互いに支えになれるような関係を築きつつあるとも思っている。
仲間という意味では、結さんだけ出なく、増田先輩を始め多くの素晴らしい学生と知り合うこともできた。
俺は、別れた後の喪失感よりも、この充実感の方が大きかったのでここまで頑張ってこられたんだ。
対してさぎりはどうだったんだろう?
まぁ、俺が考えても仕方がないことなんだけど…。
新しくできた彼氏とやらに依存してなきゃいいけど…。
いや、俺が考えるべきことは、未来のことであって過去のことじゃないはずだ。
さぎりのことを考える時間があったら結さんのことを考えよう。
全てはオーディション後だ。
俺は、自分の気持ちからはもう目を逸らさない。逃げる理由も躊躇う理由もないのだ。
ということは、考えるべきことはタイミングだけだ。
もしそれでうまくいかなかったとしても、告白するタイミングを逃すよりはいい。
よし。
海に行った時に告白しよう。
場所は、リボンを渡したあの場所がいいだろう。
小山駅に着いて、いつもの通りに改札に向かう。
いつもどの車両に乗るか決めている俺にとっては電車を降りてから改札までの道のりもいつも同じだ。
違ったのは、改札を出てからだった。
「恒星?」
いきなり声を掛けられた。
知っている声だ。
振り返ってみると、さぎりが立っていた。
なんとも間が悪い…。
『おぅ。』
これしか言えなかった。
その場にいても気まずいだけなので、そのまま行こうとすると
「ねぇ、待って。」
もう一度振り返る。
「ごめんね、いきなり呼び止めたりして…。」
呼び止められた後、どうしても話がしたいというので、駅を出て話すことになった。
あまりにも地元過ぎるので、一旦別れてそれぞれ公園に向かうことにした。
付き合っていた頃によく座っていたベンチだ。
『まぁ、いいけど。待ってたのか?』
まさかとは思うが…。
「うん、何となく、今日は会える気がしたから」
どういうつもりなんだ?
「今日も、学校?」
こう聞かれては答えるしかない。
『うん。休み明けにオーディションがあるから』
「そう、なんだ。ごめんね。忙しいのに」
構わないがなんなんだ…今更。
答えようがないので黙ってやり過ごした。
「恒星は、しっかりした人だから、私と別れてからも、きっと気持ちを切り替えて前に進めてるよね?」
だったらなんだ?
「それに比べて私は、全然ダメで…。」
これにも答えようがないので黙っていた。
「私、恒星に甘えすぎだよね…。」
それはそうかもな。
「でも、何だかあのまま喧嘩で終わってしまっては、ちゃんと別れられてないような気がして…」
何を今更。もう4ヶ月が経とうっていうのに。
『それで、今更何を話そうって言うんだ?』
「ごめん…。」
何が
『この間、って言っても随分前だけど、君が男と一緒に歩いてるのを見たよ。俺とはもう別れているんだから、それをどうこう言うつもりはないけど、もし付き合ってるなら、俺と会っていることはその男に対して失礼じゃないか?』
「それは…そうかもしれないけど…。」
肝心なことには答えない。
なんなんだ。
『悪いけど、俺からはもう話すことはないんだ。俺は、さぎりだけが悪かったとは思ってない。強いて言えば、他人のことを首を突っ込んできた男が悪い。』
「そうじゃないよ…悪かったのは私。」
『さぎりがそう思うならそれでもかまわない。もういいだろう?4ヶ月も前に終わった話だ。』
「私は、あの時…本当は恒星に助けて欲しくて…」
さぎりは泣きながら話し始めた。
聞かずに帰ろうかとも思ったが、諦めた。
ここまできたら、聞くだけは聞こう。
「でも、バイトの、大久保さんのこととか、相談したら怒らせてしまったから、なにも言えなくて…」
黙っていた。
正直今更聞かされても気分が悪くなるだけだ。
でも仕方ない。
これで前に進めるようになると言うなら話が終わるまでは聞こう。
「私も、本当は自分が動かなきゃだめだってわかってたけど、バイトでの人間関係もあるし、どうしていいかわからなくて…」
わかっていないのはそれだけじゃないんだけどな。
「ごめんね。」
今更謝られてもどうしようもないけど…。
『さぎりが今言った事も間違いではないと思うけど、さっきも言ったように、俺はさぎりだけが悪いとは思ってない。バイトのことも、ちゃんと相談に乗れなかったのも事実だし。』
「でも、それはやっぱり私が」
『今更謝ってどうしたいんだ?お前が100%悪いと罵られにきたのか?』
「ごめん、そうじゃない」
『さぎりがどういうつもりで今日俺のところに来たかは知らないけど、話すなら俺もあの時の気持ちを言うよ。それしかできないからな。』
「うん。」
『俺がわかってほしかったのは、俺にも事情はあるし、忙しい時だってあるってことだ。そりゃそうだよな?同い年なんだし、お互い大学に入って、新しい環境になったばかりだったんだから。』
さぎりは黙っている。
『だから、バイトでのことをちゃんと相談に乗れなかった俺も悪いけど、自分で考えて行動する前に(どうしよう?)だけ言われても正直腹が立ったよ。一緒に考えることはできても、俺が言ったことが全て正しい答えだとは限らないんだから。それは、わかるよな?』
「うん」
『申し訳ないけど、俺にはあの時、どうしてもさぎりが自分で考えてどうにかしようとしているようには見えなかった。実際は違うのかもしれないけど。だから、あまり相談に乗る気になれなかったし、ただ(助けて)だけ言われてもどうしてほしいかもわからなかった。それには、俺が忙しかったと言うのもあるし、余裕がなかったのも事実だよ。』
ここで一旦言葉を切った。
『だからこそだろ。これからはちゃんと話をする時間を作ろうって言ったんだ。そしたら、いきなりバイト先の店長が出てきて訳の分からないことを言われた。正直腹が立たない方がおかしいと思う。で、次の日また会いにきて、(どこにもいかないで)と。どこまで甘えたら気が済むんだろうって思った。俺だけじゃなく、別の男にも甘えて、店長にも甘えて。最後にまた俺に甘える。もう、耐えられなかった。これが本音だよ。で、さぎりは今更俺に会いにきて何が言いたいんだ?』
「あの時、私が余計なこと言わなければよかったんだよね。」
『それは違うと思う。むしろあの時また隠されていたら、後でもっと酷いことになってたと思う。』
「そっか」
嫌な沈黙だ。
思っていたことを先に全部言ってしまった手前、話しにくくなってしまった。
『さぎりは、なにがしたいんだ?別れた時のことなんて、何回話しても気分がよくなることはないんじゃないのか?』
「そうだよね…。私、なにがしたかったんだろう?」
全く…。
あんまり言いたくないけど、仕方ないか。
損な役回りだな…。
『違っていたら聞き流してくれていいんだけど、多分、謝ってすっきりしたかっただけなんじゃないか?』
それまでほとんど無表情だったさぎりの顔に明らかな変化があった。
そりゃそうだよな。
こんなこと言われれば誰だって腹が立つよな。
でも、多分外れてないと思うぞ。
さぎりは、何か言いたそうに、大きく息を吸い込んだが、言うのをやめたみたいだった。
大きく息を吐いて、諦めたような、悲しくなったような顔をした。
「そうかもしれない…。」
引き下がるのか。
結局なにもわかってないじゃないか。
『さぎりが今考えなきゃいけないのは、今の彼氏のことだろう。俺に謝ったって、所詮は過去のことなんだし。こんな話をしていたらお互いにあの時の気持ちに戻って喧嘩になるだけだ。俺はもう、あの時のことは気にしない。だから、もういいだろう?多分、さぎりは俺に許されたかったんじゃなくて、自分に許されたかったんだと思うよ。はっきり言うけど、そんなことに新しい彼氏を巻き込んではいけないと思う。』
なんでこんなことまで俺に言わせるんだ。
「…」
「そのとおりだね。ごめんね。私に必要なのは、自分で考えて、反省して、それから前に進むことだったんだね…」
そうだよ。
そんなの最初からわかりきっていることだし、何度もそう言っただろう。
『そうだよ。さぎりは、多分最初からわかっているんだよ。目を逸らす癖がついてしまっていただけで。それは、俺にも責任があるよ。ごめん。』
これも、本心だ。
「どうして?」
少しは自分で考えろ。
『付き合っていた頃、俺はさぎりに相談せずに結論を出すことが多かったからだ。もちろん、そうなるに至った理由はさぎりにもあるけど、今はおいておくとして。だから、さぎりは、自然と俺に答えを委ねるようになって言ってしまったんだと思う。』
それを依存て言うんだ。
とは言えなかった。言うまでもなく、気付いていると思ったからだ。
「確かに、そうだね。」
『だから、俺とはもう一緒にいない方がいい。俺と一緒にいたら、さぎりはどんどん自分で考えて行動できなくなっていくと思う。もし、このままじゃ嫌だと思うなら、これから自分で考える覚悟をするんだよ。それができるようになったら、今の彼氏とは一緒に考える関係を作っていけばいいんじゃないか?俺に言えるのは、ここまでだよ。』
なぜ俺が新しい彼氏とのことまで考えなきゃいけないんだ
「うん。ありがとう。」
『いや、いい。俺達が友達に戻るにはまだまだ時間がかかると思う。だから、話をするのは今日で最後にしよう。もう、会わない方がいいよ。』
「わかった。最後に、一つ聞いてもいい?」
全く。しょうがないな。
予想外に遅くなってしまったけど、仕方ないか。
今日で最後にした訳だし、さぎりはもう大丈夫だろう。
これで俺も心置きなく結さんに告白することができるんだ。
そう思ったら、今日の出来事は悪いことだけではない。
さて、明日からはちゃんと告白の時の事を考え始めよう。