駅の前で結と別れて、俺は打ち上げの会場へ向かった。

まっすぐ向かえば5分も掛からずに着く距離だが、少しだけ遠回りをする。

考えたいことがあったからだ。と言っても、悪いことではない。

むしろ、良いことだからこそ、噛み締めて考えたかった。




【恒星は、演奏家になるべきよ。】

結はさっき、俺にこう言った。

無論、今日の俺の演奏を聞いた上でそう言ったのだ。

これは予想外に嬉しい言葉だった。

結さらに、俺の演奏に【プロとしてあるべき姿を見出した】と言っていた。

お金をもらっている以上、しっかり仕事をする義務があるとは思っていたが、結からこんな言葉をもらえるとは思っていなかった。

この言葉だけでも、1年頑張ってきた甲斐があったと思えるくらいだった。

それは、俺が結の頑張りや出してきた結果を知っているからだ。

結は、この1年で誰よりも努力し、Aブラスに合格するという結果を出したのだ。

一時期悩んだこともあったようだが、俺に言わせればそんな必要は全くなく、むしろ結こそプロを目指すに相応しい人だと思っている。

そんな結に認められたのだ、嬉しくないわけがない。

しかし、考えたいこととは、結がその後に言ったことについてだった。

【恒星は、とにかく自分が演奏することだけを考えた方がいいと思う】

【確かに収入のことを考えたら、指導って大事だと思うけど…】

【でも、今こんなに実力が伸びていて、しかも演奏してる姿が、あんなに楽しそうなんだもん】

【きっと、誰かが見ていてくれると思う。これからも、いっぱい演奏できるよ!】

言っている結の方が輝いて見えるくらい、明るく話していた。

根拠はないけど、確信している。そんな感じだった。

しかしまぁ、俺の人生である。収入のために音楽とはまるで関係ない仕事をするよりは、
指導をしていた方がいいと思う一方で、学生の間は収入が少なくてもいいから練習に1番時間を費やしていたいとも思う。

この悩みは、正直今に始まった事ではないが、考えても意味がないのでスルーしてきた。

学生だからと言って、全くお金が必要ないわけではないし、かと言って遊ぶ金欲しさにバイトを最優先にいれることもない。つまり、今のところ、時間的な問題にはなっていないのだ。

では、結が言ったことはどういう意味だったのか…?

多分、【焦らず頑張って】ってことなんだろうなぁ。簡単に言えば。

指導の仕事を取れば確かに音楽に関わる時間が増えるし、音楽でお金をもらえている感覚になる。

でもそれは、【演奏でお金をもらっている】訳じゃない。

例え依頼が少なかったとしても、今は自分の演奏を買ってもらえるように磨き続けてほしいと、そういうことだろう。

そう簡単に仕事が来るようになったら誰も苦労しないよなと思うが、結があそこまで言うのだ、きっと今日の演奏が本当に良かったんだろう。

今日のところは、それでいいかなと思った。

さて、そろそろ打ち上げ会場に向かおう。

皆待っているはずだ。




打ち上げ会場は、駅の近くにあった中華料理屋を貸切にして行われていた。

2階の広間にテーブルで島をいくつか作り、料理が大皿で盛られている。

椅子は広間の端に並べられており、多くの人が立ったまま談笑している。

「あ、樋口君!お疲れ様!」

ちょうど入り口付近にいた真里先輩が声をかけてくれた。

『お疲れ様です。すみません、遅くなりました。』

「んん、大丈夫!それより、皆樋口君の話で持ち切りだよ!」

『えっ?そうなんですか?』

「うん!演奏、すっごくよかったって!」

そうなのか?そんなによかったのか?

「ほら、指揮者に挨拶にいこう!」

そう言って俺の手を取り、ドリンクカウンターに引っ張って行く先輩。

ちょっ!先輩?

『ちょっ!先輩!』

構わずぐいぐい引っ張っていく。

なんだってこんなはしゃいでるんだ!?

転びそうになり、周りの人の注目を集めながらドリンクカウンターにたどり着いた。

『烏龍茶をおねがいします。』

息を切らしながらなんとか注文して振り返ると、今度は落ち着いた表情で真里先輩が待っていた。

『お待たせしました。』

真里先輩は、静かに微笑んだままゆっくりと首を振る。

綺麗すぎる。そんな言葉が浮かんだ。

先輩は、セミロングのストレートヘアで、髪は年齢にしては暗めのダークブラウン。

背は俺と同じくらいなので、女性にしては高い。170cmくらいか。

モデル体型でスタイルもよく、さらに芸能人顔負けの美人。

もはや、欠点なんて一つもないと言っても過言ではない。

見た目のみならず、打楽器も上手い。その上頭も良い。

人生楽しいだろうなと思う。でも、羨ましいとは、あんまり思わない。

きっと本人にしかわからない苦労もあるはずだから。

それに、俺は俺だ。結局は、それに尽きる。

呆然とそんなことを考えていたら当の本人と目が合ってしまった。

「樋口君、今私に見惚れてたでしょ?」

なっ

『え?いや…』

よくもまぁ、そんなことをさらっと…

「うそうそ!いこっか!」

…美人とは恐ろしい。

『はい』




今日の指揮者でもあり、バンドの指導者でもある竹島さんのいるところへ2人で並んで向かう。

俺達が到着するくらいのタイミングで、ちょうど話していた団員数名が挨拶をして去っていくところだった。

「お疲れ様です。」

先輩が一歩前に出て挨拶する。俺も続いた。

『お世話になりました。』

「あぁ!お疲れ様です!こちらこそお世話になりました。」

竹島さんは、笑顔で対応してくれた。さらに続ける。

「2人とも素晴らしいです!こちらが何度も助けられました。どうもありがとうございます。」

そう言って頭を下げられた。先輩が答える。

「いえいえ、恐縮です。ありがとうございます。」

『ありがとうございます。』

その後は先輩主導で話をしていった。

もちろん俺のことも改めて紹介をしてくださったし、俺が名刺を持ってないとわかると、なんと直接連絡先の交換もしてくださった。

ありがたい。

後に挨拶を控えた団員が少し列になってしまったので、上手く話にオチがついたところでその場から離れた。

今度は打楽器の団員のところへ。

そこでは挨拶もそこそこに、その場を離れ、最終的に会場の端に並べられた椅子に座った。

料理を適当に取ってきて、食べながら先輩と話をする。

「樋口君さ、この依頼受けてからも本当に上手くなったよね。」

本心からの言葉であれば、大変ありがたい言葉だ。

今日の本番の為にできるようになったこともある。

それを他人に認められたらそれは嬉しいことだ。

『ありがとうございます。まだまだ、精進します。』

改めて先輩の顔を見ると、やけに真剣な表情だった。

「樋口君は、迷わず演奏家を目指した方がいい。」

真剣な表情のまま、結と同じことを言った。

『そう、でしょうか?』

「うん。」

即答だった。というか、真剣すぎてちょっと怖い…

「今日の演奏は、多分自分で思っている以上に良かったよ。団員も、指揮者も、お客さんも、樋口君の凄さは、わかってるよ。」

そこまで言い切るのか…4年生の首席にして、Aブラス合格者の真里先輩が。

Aブラスのオーディションでは確かに俺の方が点数は上だったが、奏者としての総合的なレベルは先輩の方が全然上なんだ。

でも、なんの根拠が…

「根拠はない。理屈じゃないのよ、こういうのは」

俺の心が読めているのか?w

それにしても理屈じゃないと言うのはどういうことなんだ?

「打ち上げ、もう直ぐ終わるから、ちょっと話そっか。」

『え?あ、はい』

「おつかれさまでーす!」

俺は気付いていなかったが、俺達に挨拶をしようと来てくれた団員だった。

これにも先輩主導で答えてくれた。

もちろん俺も話はしたが、この時は、先輩がこれからどんな話をするつもりなのかが気になって仕方がなかった。