「って言うわけ。だから、もう無理かなって。」

喫茶店で向かいに座っている真里先輩はサラッと言った。

『先輩は、それでいいんですか?』

先日聞いた、彼氏との話の続きだ。進展があったと言うのだが…

「うん。しょうがないかなって。彼氏の言い分も、わからなくはないし」

卒業後の就職先が決まっている彼氏の言い分は

【卒業後、音楽家として頑張るというの、悪い言い方をすればフリータと同じだ。数年後、結婚を考えているので、その数年後にもフリーターのようなことをしているようでは困る】

と言うものだ。

飽くまでも要約しているので冷たく感じるが、彼氏の方にも真里先輩を想う気持ちは充分にあるようだ。

だからこそ中々切り出せなかったのだろうし、話す時にもかなり言葉を選んでいるようだったと聞いている。

まぁ、俺がその顔も知らない彼氏のことを庇う理由もないけど。

つまり、気持ちはあるけど、立場もある。

先輩達は、大人になると言うことがどう言うことなのか、真剣に考えて話し合っていると言うことだ。

そして、今日聞いた、真里先輩の結論は、【別れて演奏を続ける】

ということだった。

演奏を続ける=別れるになってしまうのか、俺はそこがひっかかっている。

『彼の言い分は、僕にも理解はできますが、先輩が演奏を続ける=別れるになってしまうんですか?』

先輩は、少し悲しそうな顔になった。

困らせてしまった…まずい。

「うーん。どうだろ?私は、そう思ったけど。」

と言うことは、彼とは話していないのか…?

「それを聞くのって、かなり勇気がいるんだよね」

そうか、それもそうか。

『そうですね。すみません。』

「いやいや、樋口君が悪い訳じゃないよ!言うとおりだし。」

いや、突っ込み過ぎた。今回は、間違い無く俺が悪い。

俺も同じ立場だったとして、結に同じことが聞けるか?

【演奏を続ける=別れると言うことなら、付き合っていくには就職するしかないってことか?】

みたいなことだよな…。

かなり勇気がいる…。でも、俺は、それを聞かずに別れる方が嫌だと思う。

そもそも、結はそんなことは言わないと思うが、それは、俺達がまだ“大学1年“

だからだ。これが卒業が迫って、実際卒業して、何年も大して仕事をもらえないままバイト生活を続けて、30歳なんてことになったら…

おそろしい…なによりも、そんなことを結の口から言わせてしまうかも知れないと思うと…

先輩も、同じようなことを考えているのだろうか…思案顔になっている。

真里先輩は、男なら誰でも惹かれる美人だ。

目はぱっちりとした二重、鼻筋は綺麗に通り、小顔で、スタイルもいい。

芸能人かと思うくらいのオーラを持ち、音楽の才能にも恵まれていると思う。

なぜ、音楽大学に行かなかったのかと思うくらいだ。

こんなに素敵な人だ、彼氏だって別れたくはないだろうと思う。

『先輩…』

これは、賭けだ。

「ん?」

『もう少し、余計なことを言ってもいいですか?』

「うん、いいよ」

ふっと笑って答える。

『期限や、条件をつけて話してみたらどうです?』

「ん?どういうこと?」

『卒業後、何年以内に食べていけなかったら、諦めて就職する。みたいな話です。』

先輩は無言で先を促す。

『僕が話を聞いている限り、先輩も、彼氏も、お互いを想う気持ちは充分にあると思うんです。だから、お互いの考えの、間を取れないか考えてみたんです。』

『何年か後に、お互いの気持ちや立場、考えがどうなっているかだって、もちろんわかりません。でも、今、先輩達が別れたくないと思っているのは、事実だと思うんです』

『だから、結論を、一旦先延ばしにしてもいいと思います。』

「樋口君…」

『今の気持ちのまま、別れてしまったら、お互い引きずってしまうと思います。』

それは、悲しいだけの結末だ。絶対に避けた方がいい。

「ありがとう。確かに、そうかも」

『すみません、また、出過ぎたことを』

「もう、それはやめよ。私は、ありがたいって思ってる。本当だよ。」

それなら、いいですが…

「なんか、私達以上に私達のこと考えてくれてるよね。確かに、私達、ちょっと結論を焦っていたかも。」

「お互いに、気持ちがあるうちは、無理に結論を出さなくたっていいのかも。まぁ、彼が何て言うかはわからないけど。」

そう、だからこそ、俺もあまり大きなことは言えないのだ。

「でも、…」

「話し合ってみる価値はある」
『話し合ってみる価値はある』

先輩は、一瞬驚いた顔になって、その後、笑った。

「そうね、もう一度、話してみるよ。私がどれだけ本気で音楽をやっているかもわかってもらいたいし」

『そうですね。それがいいと思います。』

よかった。先輩に笑顔が戻っている。

「ありがとう、樋口君。」


今日はこれで解散になったが、来週はいよいよ例の楽団の本番だ。

心してかからないと。





週明け早々、結と久々に会う約束をしていた。

待ち合わせはいつも通り、学校の正門。

「お待たせ」

そう言って現れた結は、いつも通り綺麗だった。

『ん。行こうか。いつものお店でいいか?』


そう言って2人で歩き出した。

駅とは反対方向だが、実はいいお店はいくつかある。

この店も、もう何度目になるかな?

などと考えていると。

「なにかいいことでもあったの?」

俺の顔を覗き込んだ結が言った。

かわいい…

『いや、幸せだなぁと思って。』

本心だ。

「なにそれ!」

と言って笑った。



店に着くと、お互いいつものカフェモカを注文し、近況報告的にそれぞれのことを話した。

「ねぇ、今週末だよね?例の本番」

『うん。一昨日、最後のリハだったよ』

自然と話の流れは楽団のことと、真里先輩の話題になった。

隠し事をしているみたいになるのが嫌なので、相談を受けた話も俺から切り出した。

「そうなんだ、4年生にもなると、そう言う話にもなるか…」

『うん。俺も結も、将来のことは真剣に考えている方だと思うけど、実際4年生にならないとわからないこともあると思う。だけど』

「だけど?」

『俺は、結とは別れたくはないし、結にそう言う話をさせたくもない。』

返事がすぐになかったので、改めて結の顔みてみると、

ん?目が潤んでいる?

「うん」

いつだって真剣に考えてるよ。

結と、俺のことは、特に。

『だから、その時のことはその時にならないとわからないけど、不安にさせないためにも、頑張るよ。一緒に、演奏し続けるために。』

「うん、ありがと。私も頑張るよ。」

『たまには、散歩しようか。』

「うん、そうね!」


いつもの道を、手を繋いで歩く。

「そうそう、泊まりで遊びに行くの、どこにしよっか?」

『うん、色々考えたけど、イルミネーションが綺麗なところなんかどうだろう?都内か、横浜か』

「うん!いいかも!それなら都内のスポットで探してみよ!」

こういう時が、特に幸せを感じる。

ありがとう。結。

『結』

隣の結が俺の顔を覗き込む

「ん?」

『好きだ。すごく。これからも、ずっと一緒にいてほしい。』

あんまりかしこまらずに言ったつもりだったが、結は俺の顔をじっとみつめた。

その場に立ち止まる。

重なる目線と唇。

「どうしたの?今日は、いつになく気持ちを言葉にしてくれるね」

いつでもしっかりと伝えているつもりだ。でも、今日は特に、

『伝えたいんだ。なぜか、今日は特に。』

「大歓迎よ。いつでも。ありがとね。」

そう言ってもう一度唇を重ねる。

結。

『結、これからも、2人のことは2人で話し合っていこう。』

「うん、そうね。2人のことだもんね」



幸せだ。

結と一緒にいたい。

だからこそ、誰に聞かれても、プロですと名乗れるように、今からしっかり努力したい。

この時の決意は、俺達の人生に大きく影響を与えることになる。