ハルたちの、朝顔の、お姫様。
憎たらしいことにえっちゃんが王子だけど、ふたりがお似合いなことは変わらない。
……でもハルが言いたいのは、そんなことじゃない。
「ケンちゃん」
「ん?」
「アレなにぃ?」
「……なんだろうなぁ」
朝顔の姫は、えっちゃんの彼女の雫ちゃん。
それは全員共通の認識のはずなのに、最近朝顔のたまり場に出入りしてる女がいる。幹部室にはえっちゃんが入れてないけど、下のフロアにはほぼ毎日来てる。
えっちゃんにベタベタくっついて、離れない女。
檜山 瑠里香。高校は別だけど、鼓曰く、えっちゃんのもうひとりの"幼なじみ"。
えー。ちょっとブスすぎない?
そこらの女よりかは可愛いかもしんないけど、雫ちゃんを知ってるハルからすれば、瑠里香はだいぶブスだと思う。
「……なんでえっちゃんはあの女入れてんのぉ?」
雫ちゃんが南に行って、まだ1ヶ月も経ってない。
なのにほかの女?
でもえっちゃんの口ぶりからして雫ちゃんと別れてるわけでもないし、浮ついた気持ちもなさそう。
だからこそ余計に倉庫に女を出入りさせてるのも、ベタベタを拒まないのも意味がわからない。
「幼なじみにも、色々あるんじゃね?」
「ふぅん。……キッモ」
雫ちゃんに言いつけていいかな。
……でも悲しませたくないなぁ。ハル、雫ちゃんがえっちゃんと一緒にいて幸せそうな姿見るの好きだし。
「……すごいムカつくんだけどぉ」
頭の上に手を伸ばし、前髪のピンをとめ直す。
雫ちゃんから前にもらった、プレゼント。
こんなハルのことを受け入れてくれる、数少ない友達のひとり。
大好きな大好きな雫ちゃんを泣かせるようなことがあるなら、ハルほんとに許さないからね?
「ハル」
「なーに、静」
雫ちゃんは雫ちゃんで、南で上手くやってるらしいけど。
……でも本当の居場所は、朝顔なんだから。
「"あまり口出すな"」
「………」
「越からの伝言だ」
「……、今のえっちゃん、過去一ウザいね」
雫ちゃんが帰ってくる居場所を作っておかなきゃいけないはずなのに、ほかの女の子に気を取られてるえっちゃんなんて嫌いだ。
それなら別れてくれた方が何百倍もマシ。
「まあいいや、」
雫ちゃんには、ハルがいるから。
別にほかの男が嫌われようが、別れようが。──ハルがそばにいてあげるから、なんの問題もないもんね。
◇
「お誕生日おめでとうございます! 稜介さん!」
パパンッと。
小気味良い音を立てるクラッカー。さすがに驚いたのか稜くんはぱちぱちと瞬きしたあと、「ありがとう」と柔和に笑った。
「お誕生日おめでとう、稜くん」
やっぱりお祝いは、みんなからしてもらった方が嬉しいだろうから。
たまり場でみんなでお祝いしたいというわたしのわがままを、まつりを筆頭にみんなが聞いてくれた。
「ありがとう雫ちゃん。
……もしかして、雫ちゃんが計画してくれたの?」
「え、なんでバレたの?」
幹部の誕生日に下っ端たちがお祝いするのは、彼岸花では一応恒例行事らしい。
彼等が幹部になったのは本当に最近だけど、お祝いされることくらいはわかってると思うのに。
「なんで逆にバレねーと思ってんだよ」
「飾り付けもケーキも、"女の子"って感じだもんねえ」
「うそ? そんなに分かりやすい?」
確かに、飾り付けはわたしがやりたいと言ったから、わたしの欲しかったものを下っ端の子たちに買ってきてもらって。
稜くんが幹部室にいる間に、飾り付けもしたけど。……そんなに分かりやすい?
「分かりやすいっていうかー。
しずくんらしくて良いよね、って褒め言葉だよー」
ニコニコ。
咲ちゃんがそう言ってくれて、普段スキンシップの少ない稜くんが、珍しくわたしの頭を撫でてくれた。
「それならよかった。
姫として出来ることなんて、これくらいでしょ?」
北にいた時から、幹部のお誕生日を祝う時はわたしが主役。だからこういう仕事は慣れてる。
当時は幹部じゃなかった越たちのお祝いも、個人的にしてたし。
「いや。オメーの仕事は他にもある」
「そうだよ~。
稜介に構いすぎで、うちの総長拗ねてるぞ~」
快斗と優理にそう言われて、まつりの方を見る。
彼は何も言わずにわたしたちのそばで話を聞いてるだけで、拗ねてるようには見えないんだけど。
そのままジッと見つめていたら、彼とばっちり目が合ってしまって。
「雫」と呼ばれてしまえば、わたしに逆らう術はない。
「……なぁに? まつり」
近づいて、まつりを見上げる。
稜くんのお誕生日ケーキ、準備したいんだけどな。
「、」
まつりの指が、わたしの髪を優しく耳に掛ける。
近づいたくちびるが耳たぶに触れて、そこから紡がれる言葉はひどく甘い。
「お前にもっと触れたい」
「っ……!」
っ、今!? 今それ言う必要ある!?
いくら声がわたしにしか聞こえないからって、このタイミングで言わなきゃいけないの!?
しかも内容が内容だから、不可抗力に頬が染まる。
声が直接流し込まれて、背筋がゾクッとして。
「……そそる顔すんなよ」
っ、誰かこの人を止めてくれないかな……!!
助けを求めて振り返るけれど、4人は話に夢中でわたしのヘルプには気づいていない。
その間もまつりはわたしの頬を愛でるように撫でて、綺麗な指に顎先を持ち上げられる。
「っ、だ、だめ、」
「………」
キスされるとわかって、彼の口元を手で覆う。
そうすればまつりは不機嫌そうに眉間を寄せたけれど、どう考えたってまつりが悪いと思うの。
「みんながいる前で、恥ずかしいし……」
そしてこれを言わされているこの現状も恥ずかしい。
まつりにしか聞こえないように小声で伝えたら、彼はわかってくれたのか指を離す。ホッとしたのも束の間、また彼がわたしの耳にくちびるを寄せて。
「じゃあ、ふたりの時にするしかないな」
「っ……」
っだから、この人は、もう……!!
惜しみなく言葉で伝えてくるから、それにいちいち動揺してしまう自分がいやだ。何事も無かったかのように離れて、涼しい顔で。わたしだけを、そこに取り残して。
「っ、あ……! そうだ、ケーキ!」
ようやく本題を思い出して、テーブルに置かれていたケーキへ駆け寄る。
そこへ『1』と『6』のろうそくをさし、稜くんに近くへと来てもらった。
「お歌うたうー?」
「……、みんな歌ってくれる?」
いつの間にかそばにいた咲ちゃんが抱きついて聞いてくるけど、下っ端のみんなはともかく幹部たちが乗ってくれるとは思えない。
実際、振り返ったら目を逸らされたし、稜くんも苦笑してる。
「姫! 俺らが歌いますよ!」
「ほんと? じゃあお願いしようかな」
「了解っス!」
そして一見コワモテなのに、この誕生日会の準備を率先してくれた下っ端のみんなは、ろうそくに火をつけたあと意気揚々と稜くんにハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。
……誰かさんたちも見習ってくれないかな。
「稜くん、ほら消して」
歌が終わると同時に、彼の背中をとんと押す。
ふー、と稜くんが火を吹き消したことで広がる、下っ端の子たちみんなからの「おめでとうございます」の声。
それに、かき消されてはしまったけれど。
隣にいたわたしには、確かに稜くんの「ありがとう」というつぶやきが聞こえた。
「はやく切り分けよーっ、ケーキケーキっ」
「あー、俺そんなにいらねーわ」
「まつりもそんな食わねえだろ~?
余ったら雫ちゃんと咲耶で好きなだけ食いな~」
「え、わたしもそんなに食べられないけど。
っていうかみんな、甘いものそんな好きじゃないのね」
「じゃあ残ったらぼくもらうー!」
わいわいと騒がしいその空間で、思わずくすりと笑みがこぼれる。
……なんだか懐かしいなあ、この感じ。ついこの間まで朝顔にいたから、まだそんな昔の話ってわけじゃないのに。
みんなが"雫ちゃん"、"姫"って、普通に呼んでくれるから。
なんだか錯覚してしまいそうで、すこしだけ怖い。
いつかはここを離れる日がくる。
そしてその時わたしは、彼等を当然のように裏切らなきゃいけない。──それが本来の、役目だから。
「雫ちゃん」
「え? ああ、稜くん。どうしたの?」
「どうしたの?はこっちのセリフだよ。
彼岸花唯一の女の子が、みんなから離れて2階上がっていくもんだから心配もするでしょ」
「まつりには、
上に飲み物取りに行くって言ったんだけど、」
「ただ飲み物取りにきたって顔じゃないけどね」
幹部室に備え付けられた、キッチン。
グラスを出したところまではよかったけれど、冷蔵庫を開けることも無くジッとしているのを見られてしまったらしい。……というか。
「俺が入ってきたことにも気付いてなかったでしょ?」
「あ、バレちゃった?」
稜くんが部屋に入ってきたことにすら気付かなかった。
にこりと笑ってみるけれど、稜くんの目は誤魔化せない。この人だって、伊達にまつりのそばにいて、彼岸花の副総長をやってるわけじゃない。
「……なんかあった?」
「ううん。何もないわよ」
「快斗と、何かあったでしょ」
ピンポイント。
名前を言い当てられて、笑ってしまったのは無意識だった。本当に、よく見てる。名前を出されなかったら、このまま嘘とバレていても誤魔化そうと思ったのに。さすがは彼岸花の副総長。
「快斗って。
……どちらかといえば真っ直ぐな人じゃない?」
「そうだね。
悪く言えばバカだなってこともよくあるけど」
「でもなぜか、接するのがむずかしいのよ」
感情が表に出やすくて、なおかつストレートでわかりやすい。
それなのに、なぜか掴めなくて。距離感が分からなくなる時があるのだ。だからわたしはこの間、自分の発言を、自分で疑った。
『キスでもする?』
あの時快斗は怪訝な顔をしたけれど、それが正解。
わたしにもわからないわたしの言葉を、他人が理解できるわけがない。
「嫌いなわけじゃ、ないのよ」
「知ってるよ。
それにたぶん、あいつもそう思ってる」
「………」
「ああ見えて、結構快斗は器用なとこあるんだけど。
それでも雫ちゃんのこと嫌ってたら、姫にすることなんて絶対に認めなかったと思うよ」
「そう、かな」
「うん。
だってあいつ、本当に不満なことがあれば、教師だろうとまつりだろうと食ってかかるよ」
見てる方がハラハラするけどね、と。
稜くんのその言葉からして、思い当たる節があるらしい。
たしかに快斗は、物怖じせず相手に何でも伝えてしまうようなタイプの人だ。
わたしにだって、"清楚じゃないビッチ"なんて言ってきたくらいだし。
……わたしの、考えすぎ、なのかな。
「まあでも、たしかに変だよね」
「……へん?」
「ううん、こっちの話。
とにかく、快斗はバカ正直だから。雫ちゃんの心配するような、嫌われてるなんてことは無いよ」
それは俺が保証する、って。
稜くんのその言葉が心強くて、さっきとは違う笑みがこぼれた。誕生日の主役に励まされてどうするの。……、って、あれ?
「稜くん、なんでここにいるの?」
そもそも今日の主役がどうしてここにいるんだ……!
首を傾げて尋ねれば、彼は「息抜きだよ」と微笑む。
「ずっとみんなの相手してたら疲れるでしょ?」
「……やっぱり稜くんって、父親ポジションよね」
「俺に子どもなんていません」
くすくす。ふたりで笑い合って、目的である飲み物をグラスに注いでから「そろそろ戻るわ」と彼に告げる。
稜くんは一息ついてから戻るようで、幹部室を出ようとドアノブに手をかけた時。
「あ、雫ちゃん。今日の帰りなんだけど、」
優しい声に呼び止められて、くるりと振り返る。
それを相槌と受け取った稜くんは、そのまま言葉を続けた。