1
僕の名前は勇気。
ママが強い男の子になれますようにって、つけてくれたんだ。
だから、僕はいつか絶対強くなりたい。
大好きなママを守れるぐらいの男の子に。
2
僕には年の離れたおにぃがいる。
7歳上のお兄ちゃん。すごく身体が大きくて、頭もいい。
県内でもトップクラスの高校に入れたんだ。
柔道をやっていて、全国大会でも優勝するほど強い。
おにぃは僕にとって、憧れの人かな。
3
ある日、おにぃに聞いたんだ。
「ねぇ、どうやったらそんなに強くなれるの?」
「おにぃだって、別にそこまですごくないよ。この家で一番強いのはパパだよ」
僕はビックリした。
パパは確かに大人だけど、身体の大きさじゃ、おにぃの方が大きいもん。
おにぃは柔道だってやってるし……二人が戦ったらきっとパパが負けそう。
「どうして?」
「あのな、パパはおにぃよりも頭が良いし、昔は不良も倒したことあるんだぞ」
そう言うおにぃの目はキラキラと輝いていた。
パパの話をするおにぃは嬉しそう。
4
でも、僕はあまりパパが好きじゃない。
夜遅くまで帰ってこないし、早くに帰って来ても酔っぱらってる。
日曜日も家にいるけど、ずっと怒った顔して怖い。
僕の大好きなママと話すとき、必ず「おい」とか「おまえ」としか呼んでくれない。
休みの日は、いつもパパがママに命令して、お弁当を作らせる。
パパは遊園地とか、公園とか、海に連れて行ってくれるけど、ママが準備していると怒り出す。
「おまえはついてくるな!」
僕はいつもそれを見ていて悲しかった。
みんなで仲良く遊びに行けたらいいのに……。
なんでそんないじわるするんだろう。
5
小学校で仲が良くなったひろみちゃんが、家に遊びにきたときだった。
ひろみちゃんとゲームをして、盛り上がった。
遊んでいる最中、ひろみちゃんが僕の番なのに……。
「勇気くん、ちょっと貸してよ!」
「なんで? いま僕の番だよ!」
少しケンカっぽくなっちゃった。
コントローラーを取り合っている時、僕のひじがひろみちゃんの頬にぶつかった。
「うわぁん!」
泣き出したひろみちゃんを見て、僕は困った。
「ごめん、ひろみちゃん……」
「ひどぉい!」
6
泣き声を聞いたおにぃが、僕の部屋に入ってきた。
顔を真っ赤にして怒っている。
「勇気! お前、女の子に手を出したのか!」
鬼のような怖い顔で怒鳴ってきた。
「ち、ちがうよ……これはちがくて…」
「女に手を出す男は最低だって、いつも言っているだろ!」
僕が言い訳する間も与えてくれず、おにぃに右足を蹴られた。
何回も何回も……強い力で。
「うわぁん! ごめんなさぁい!」
「いいか、女に手を出すなよ!」
ひろみちゃんもおにぃの姿に、ビックリしていた。
7
そんなことがあって、僕は毎日おにぃに説教された。
「事故だとしても、女の子には絶対に手を出すなよ!」
「わかった。約束する……けど、なんでダメなの?」
僕がそう聞くと、おにぃは顔を真っ赤にして怒る。
「ダメなもんはダメなんだよ! 勇気は強い男になりたいんだろ? 女の子を守れるような男にならないと……」
そうか、女の子に手を出すってことは、弱い男がすることなんだ。
「わかった! 絶対に守るよ!」
8
ある夜、僕はおしっこをしたくて、自分の部屋からトイレのある廊下に向かった。
おしっこをしている最中に、なにかが割れる音が聞こえてきた。
僕はその音の方に、こっそり近づく。
リビングから怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだこれは!」
パパの声だった。
ドアの隙間から明かりが漏れている。
覗くと、床に割れた白いお皿の破片があった。
それをママが困った顔で拾っている。
9
僕はドキドキしながら、その光景をじっと見つめていた。
「腐っているんじゃないのか、このメシは!」
「今日作ったばかりです……」
ママは怒られて泣きそうな顔をしていた。
「さっさと捨ててこい!」
「はい……」
酷いや、僕も夕方にあの料理を食べたけど、腐ってなんかない。
ムカついたから、パパに一言文句を言ってやろうと、ドアノブに手を回した瞬間。
おにぃがそれを止めた。
「勇気……ダメだ。部屋に戻れ」
10
それからも、パパはママに酷いことばかり言っていた。
決まって酔っぱらっているときなんだけど……。
怒ってこう言うんだ。
「恩にきせやがって!」
僕は、一体なんのことだろうって、不思議に思った。
頭の良いおにぃなら、知っているかもしれない。
11
「ねぇ、おにぃ。『おんにきせる』ってどういう意味?」
勉強していたおにぃはそれを聞いて、すごく驚いていた。
鉛筆をポロッと落としちゃうぐらい。
「勇気、それ、どこで覚えたんだ?」
「え? なんかパパが酔っぱらうと毎回言うから……」
おにぃは深く息を吐くと、真面目な顔でこう言った。
「この話はパパに絶対内緒だぞ?」
「うん」
12
おにぃが教えてくれた。
パパとママが結婚した時、今とは違って、ママが働いていて、パパが大学生だったらしい。
先に仕事をしていたママがパパを『やしなっていた』んだって。
だから、パパはそれを気にしているらしい。
おにぃは付け加えるように、こういった。
「でもママよりパパの方がすごいんだぞ! パパは頭が良いから出世してえらい人なんだ」
「そっか……」
13
おにぃの言った通り、パパはすごかった。
今年も会社で一番成績が良かったらしく、またえらい人になった。
そのご褒美として、なんとハワイ旅行をプレゼントされたんだ。
僕はすごく興奮した。
でも、いざハワイに行く準備をママがしていると、パパは怒ってこう言った。
「おまえは来るな! おまえが来たらなにも楽しくない!」
「はい……」
ママだって毎日、家族のために料理や洗濯、いろいろ頑張っているからご褒美をもらってもいいはずなのに。酷いや。
14
いつも家にいるはずのママが、急にいなくなった。
僕は心配で近くの駅まで探しにいった。
すると、改札口からスーツを着たかっこいいママが出てきた。
「あら、勇気どうしたの?」
ママはキョトンとしていた。
「心配したよ、ママ……どこにいってたの?」
「ママね、ちょっとお仕事はじめたの」
「ええ、ママが?」
僕はすごく驚いた。
15
ママが言うには、保険のセールスをしているらしい。
ただ「パパには内緒ね」と釘をさされた。
僕はママと指切りげんまんした。
でも、パパが働いていて、お金もたくさんお家に入るのに、なんでママが働く必要があるんだろう?
産まれてからずっと、ママはお家のお仕事をしているイメージが強いから、なんだか不思議だなぁ。
16
ママが外でお仕事を頑張っているし、僕も学校でなにかをがんばろうと思った。
最近、成績が良くないから、算数の勉強に力を入れよう。
ママが夕方まで帰ってこないけど、一人でも勉強できるぞ。
毎日、がんばった。
けどテストの時期になって、結果は悪いまま。
「僕はダメだなぁ……」
おにぃと違って、頭が良くないんだ。
17
だから、おにぃに質問した。
「ねぇ、おにぃはどうやって、そんなに頭がよくなったの?」
「おにぃだって、最初は成績悪かったぞ」
「そうなの?」
「うん、頭のいいパパに教えてもらったから、ここまで成績があがったんだ」
「へぇ」
知らなかった。僕はそれを聞いて思った。
じゃあ僕もパパに教えてもらおうっと。
18
冬休みに入る前に、僕はパパに言った。
「ねぇパパ、お勉強教えて」
「ああ、任せておけ」
パパは自信たっぷりに答えた。
これで、僕もおにぃみたいになれるぞ!
嬉しくてたまらなかった。
19
それから毎日、パパがつきっきりで勉強を教えてくれた。
ただ、パパの教え方はとても厳しかった。
少しでもわからない問題があると、すぐに怒る。
「バカ! なんでこんなこともわからないんだ!」
「ごめんなさい」
「勇気、おまえはバカなんだから、暗算するな!」
「はい……」
毎日、夜遅くまで怒られた。
お仕事が休みに入ったパパは、朝からお酒を飲んでいた。
だから、自然と怒り方が怖くなっていく。
酷い時は、夜中までご飯を食べさせてもらえず、頭がぐちゃぐちゃになるまで勉強をさせられた。
20
そして、年が明けて、お正月を迎えた。
けど、僕はお年玉ももらえず、遊びにいくことも許されず、教科書とにらめっこ。
トイレ以外は部屋から出してもらえなかった。
勉強をしているというより、パパに怒られないように少しでも問題を間違いたくなかった。
必死になればなるほど、空回りして頭に入らない。
時折、おにぃが部屋に入って「なんでこんな問題もわからないんだ!?」と文句を言ってくる。
だって、わからないものはわからないよ。
21
そんな楽しくない悲しい毎日が続いて、僕は心も身体もボロボロになっていった。
パパは日に日にお酒を飲む量が、増えていく。
僕が間違えると、お説教に力が入って、たまに頭を強く叩かれた。
その回数が少しずつ増えていく。
パパの怒鳴り声と、振り上げる手が怖くて怖くて仕方なかった。
22
もう僕は限界だった。
頭を強く叩かれて「うわぁん!」と泣き出しちゃった。
パパは泣く僕を見て、さらに怒りだす。
「これぐらいで泣くな! やかましい!」
キッチンでお酒のおつまみを作っていたママが、ボソッと呟いた。
「そんな教え方だからダメなのよ……」
パパはその言葉を聞き逃さなかった。
「なんだと!」
顔を真っ赤にして、ママのところへずかずかと突っ込んでいく。
23
「おまえは黙っとけ! 俺のやり方に口を出すな!」
キッチンでスープを作っていたママの右足を思いきり蹴った。
「いたい!」
ママは痛みのせいか、目をつぶって床に倒れる。
そんな姿を見ても、パパは気にせず、ママを蹴り続けた。
「この、この……おまえはいつも俺に恩をきせやがって!」
「やめて、痛い!」
酷いや。女の子のママに、男の子のパパがあんな風に蹴るなんて……。
許せない!
24
怖いのと、辛いのと、悔しいのと、いろんな気持ちが頭の中を駆け巡った。
その時、騒ぎに気がついたおにぃが、リビングにやってくる。
「おい、勇気! おまえがちゃんと問題を解かないから、パパとママがあんな風になっちゃんだろ! おまえが悪い!」
僕はそれを聞いて、腹が立った。
「おにぃのウソつき!」
「え?」
「女に手を出す男は最低だって、言ったくせに! パパは悪い! おにぃは強いんだから倒してよ!」
僕が泣きながら叫ぶと、おにぃは黙ってうつむいてしまった。
「無理だよ……パパは強いから」
「もういい!」
25
僕は近くにあった鉛筆を手にすると、ママを蹴り続けるパパにこう叫んだ。
「ママをいじめるな!」
「なんだと!? パパが悪いのか!?」
「悪いよ!」
尖った鉛筆をパパに向ける。
「勇気! なんだその顔は!? 勉強を教えてやったのに!」
「おまえなんか、強くない! 女の子を守れない弱い男だ!」
「なんだ、その言い方は!?」
持っていた鉛筆を手で叩き落とされる。
そのあと、僕はパパにお腹を思いきり蹴られた。
子供の僕は、軽々と宙に飛び上がり、キッチンの棚に頭をぶつけた。
26
気がつくと、僕は暗闇の中にいた。
なんか頭がガンガンする。
声が聞こえてきた。
「ママが我慢してれば、パパも警察に連れていかれなかったのに!」
「だって、勇気があんなことになってるのに、黙ってられないでしょ?」
「とにかく僕は反対だ! 僕はパパと残るからね!」
「待ちなさい! あなたも勇気と一緒に……」
どうやら、ママとおにぃが言い争っているみたい。
僕はベッドの上で寝ていた。
壁一面、真っ白な所。きっと病院だ。
27
ゆっくりと、起き上がろうとする。
それに気がついたママが、僕を抱きしめる。
「ごめんね、勇気……ママのせいで、ケガさせちゃって」
ママは涙をポロポロと流していた。
それを後ろで見ていたおにぃが、僕に言った。
「おまえが悪い……。おまえがパパにあんなことを言わなかったら、今まで通り暮らせたんだ…」
おにぃは悔しそうな顔をして、病室から出ていった。
「ママ、僕はなにか悪いことをしたの?」
「ううん、あなたはママを守ってくれたいい子よ」
28
幸い、僕の頭のケガは大したことなかった。
少しの間、意識がなくなっていたみたい。
次の日、ママが小さなカバンを一つ持って病院に訪れた。
そして僕にこう言った。
「勇気、ママと一緒についてきてくれる?」
「いいよ」
「すごく遠いところよ?」
「ママと一緒ならいいよ」
29
その晩に、僕とママは夜行バスに乗った。
ママが育った遠いところに行くんだって。
おにぃはついてこなかった。
家族がバラバラになってしまったけど、僕は間違ったことをしてないと思う。
だって、僕は強い男になりたいから……。