次の瞬間、哲也が奇声を上げて桧山一尉に体当たりしてきた。

 哲也はそんなに大きくないけど、サッカー部でそれなり身体も鍛えている。
 実際あの夜、私はのしかかってきた哲也から、逃れることができなかった。

 なのに、びくともしない。
 背の高い一尉の身体は、哲也が組み付いてうんうん押しても、根が生えたように動かなかった。

 反対に一尉が哲也の肩に手を掛けて、無造作に払うと、哲也は枯れ枝が風に吹かれるように、ころころアスファルトを転がっていった。

「ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょぉぉぉぉっ!!」

 転がされるたび、哲也は罵声を上げながら起き上がり、一尉に突進したけど、同じようにまた転がされるだけだった。

 そんなことが10回も繰り返されたあと、哲也はアスファルトの上に仰向けに転がったまま、動くのをやめた。
 そして両手で覆った顔から、低いすすり泣きが漏れ始める。

 私たちはそんな哲也の姿を、しばらく黙って見下ろしていた。

 やがて私は、静かに哲也に歩み寄ると、冷えたアスファルトに膝をついた。

「ごめんね、哲也。痛かったよね」

「……さくら……」

 私は砂まみれの幼なじみに、静かに語りかけた。

「ありがとう、哲也。あなたなりに、私を守ろうとしてくれたんだよね」

「……」

「でも──ごめんね、私は桧山さんが好き。哲也の想いには、応えられないよ」

「……」

「あの夜、酷いことを言ってごめんね。あなたの辛さ、あれから私にも分かったの。私が、桧山さんのことを好きになって」

「さくら……」

 遠い昔、二人でかけっこをして、木の根に(つまづ)いて転んだ哲也が、膝を擦りむいて泣きべそをかいていた姿を思い出していた。

「許して、哲也。私は桧山さんが好き。あなたがどれだけ想ってくれても、もう昔のようにはなれないよ」

 私はスポーツバッグからハンカチを取り出すと、それで傷だらけの哲也の額を拭って、そしてそっと、口づけした。

「今までありがとう、哲也。──さようなら」

 そして私は、静かに立ち上がった。

 哲也のすすり泣きが、低い慟哭に変わっていった。