赤川蘭子は放送の終了後プロデューサーに呼ばれた。

〈私の友達は興梠(コオロギ)さんが好きなんです。〉の放送に関してだった。

「〈変わった苗字、紛らわしい苗字〉をテーマにしている時にコオロギと言うと苗字の興梠を連想してしまう。個人情報の開示と解釈されても仕方ない。以後、気を付けるようにしてください。実際、名字が興梠さんの周辺では若干の問題も発生してこれがクレームに発展した場合、君には番組を降りてもらうことになる。」

 赤川はショックだった。自分の友人内広舞が傷ついているのを助けようと思って公共の電波で喋ってしまい、それが放送局内で物議を醸し出してしまった。個人情報の問題にまで発展するとは考えてもみなかった。同時に延岡動の企画の目的が一体何だったのだろうかと疑念も生じた。

 延岡動は漫画家志望だった。以前、放送局のイベント ルームで個展を開いた事がある。 そこに興梠修一郎もやってきた。そのあと延岡は[ 原作;興梠修一郎・劇画;延岡動]で作品を発表すると再三放送していたのだが企画は実現しなかった。
 この事があってから延岡は〈いつかあいつを掌で転がしてやる〉と敵意ともライバル意識とも取れる発言を繰り返していた。赤川はこれをあくまでも原作者と漫画家との駆け引きだと受け取っていた。