二人の子供を寝かしつけた由利は夫の宗久と珈琲を飲みながら話していた。
「今回も論文は梨田由利じゃなくて吉野由利で書くのか。旧姓がペンネームになってしまったな。」
「そうね。孝謙天皇と弓削道鏡だけなら梨田由利でもいいけど吉備由利も絡んできたらやっぱり吉野由利の方がいいかなって勝手に思ってるだけ。大ちゃんがどうしても梨田にしろって言うんなら考えるよ。 名前変えたら何買ってくれる。」
「あのな。」
 由利少し甘い口調で喋ったのだが宗久は疲れているのか簡単に返事をしただけだった。
「それでね、大ちゃん。今日、弥生さんの幽霊を二回も見たんだよ。」
 由利は宗久が那須大八郎宗久と同じ字を書くので夫を〈大ちゃん〉と呼んでいる。

「幽霊を見た割には楽しそうだな。先生が一緒だから正体もすぐに判ってしまったのか。」
「そうじゃないの。最初に会った弥生さんに似た人の名前が漢字の〈五月さん〉。で、次に会った高校生の女の子がひらがなの〈さつきちゃん〉だったの。そのさつきちゃんの方だけど高校生の弥生さんにそっくりだって先生は言ってた。」
 仕事で疲れているはずの宗久が〈高校生の弥生〉と聞いた途端に目をキラキラさせて由利に言った。
「弥生さんにそっくりな女子高生なら見たかったな。めちゃくちゃ可愛かったんだろう。」
 由利は宗久に自分の方から〈可愛かったよ。〉と言うつもりだったが、久しく見ていない夫のキラキラした表情にカチンとしてしまった。
「ふうぅん、大ちゃんもやっぱり若い()がいいんだ。」
 宗久が高校時代の弥生に興味を示したので、由利はその矛先を弥生ではなく宗久に向けた。
「何、勝手な妄想して怒ってるんだ。」
 宗久は少し呆れた表情で笑っていた。
 由利はアルバイトで初めて修一郎の会社に行った日を思い出した。あの日、大学に入学したばかりの自分を睨みつけた二児の母親の弥生と今の自分は同じ表情をしているのだろうか。真面目な顔をして考え込んでいる由利を宗久は怒っているのかと気になった。
「ごめんな。女子校生の由利も可愛かったんだろうけど今も可愛いよ。」
 由利は宗久の補漏(フォロー)に、
「女子校生の私は写真でしか見たことないでしょ。(なま)由利ちゃんを見せたかったな。」
と少し拗ねて言った。