由利は防波堤の先端でストレッチをしている少女に近付いて行った。修一郎の距離からは二人が何を話しているのか分からないのだが、由利が手を振ったので車を降りて二人に向かって歩き始めた。風のない穏やかな午後でジャージだと少しは暑いかなと修一郎は勝手に考えた。

 修一郎が二人の所に辿り着くと少女は笑顔で
「こんにちわ。」
と言った。
 由利はすでに少女の名前を聞いていた。
「お父さん、驚かないで。彼女の名前は〈東郷さつき〉。〈さつき〉は平仮名の〈さ・つ・き〉なんだって。今、高校二年生、陸上部で短距離やってるの。」

 少女が言った。
「由利さんから聞きました。今日はさっきも五月って言う女の人に会ったそうですね。面白ぉい、きゃはははは。」
 少女のハキハキした知的な喋りとは対照的な笑い方だった。
 修一郎は運命の女神か魔界の魔女のいたずらではと渋い顔をした。笑い方が機嫌の良い時の弥生にそっくりだ。そして何より東郷は弥生が結婚する前の旧姓だった。
 さつきは喋り終わるとまたストレッチを始めた。両手を上げたり後屈をすると引き締まった腹部が剥き出しになる。由利は修一郎の視線を追った。やはり顔ではなく腹を見ていた。さつきは修一郎の視線に気付いていないのかお構いなしにストレッチを続けている。
 由利はさつきに声をかけた。
「さつきちゃん、少しサービスが良すぎる。お父さんがどこを見ていいのか分からなくて困ってるわ。」
 さつきはストレッチを止めて喋り始めた。
「それじゃぁ私の腹筋でも堪能してください。試合のユニフォームなんてお腹モロ見えです。こんな具合に。」
 さつきは左手でジャージの上を捲ると右手でジャージの下を下着の辺りまで下げた。ビキニと同じぐらい露出した腹部には呼吸の度にシックス・パックの腹筋が浮かび上がる。さつきは腹筋を掌で擦ったり人差し指でへその周りを撫でながらニコニコしている。そして
「 もういいですか。」
とジャージを元に戻した。
 由利が
「練習の邪魔をしてごめんなさいね。」
と言うと!さつきは
「お疲れ様でした。」
と言って走り始めた。

 二人は車に戻るために歩き始め、修一郎が由利に尋ねた。
「どうして父と娘にしたんだ。先生と助手でも良かっただろ。」
「私も何でそう言ったのかなって不思議なんです。それで、さつきちゃんには父は修一郎、母は弥生って言っちゃいました。」
 由利は修一郎に言うとペロッと舌を出した。
「それにしてもさつきちゃん、弥生と同じようなことするな。」
「走りながらのストレッチですか。」
「いや腹筋を見せた方だ。」
「先生と二人の時は弥生さんもそんなことするんですね。」
「二人で会議の後片付けをしてた時、弥生がトイレからファスナー上げ忘れて戻ってきたからベージュのパンツが丸見え。弥生は〈きゃはははは、誘ってるんじゃないからね。あぁ恥ずかしい。〉って言いながらシャツをめくって腹出して〈昔は腹筋割れてたのに。〉って擦ってたな。」
「この近くの子だったら通えばまた会えるんじゃないですか。しばらくここで打ち合わせしましょうか。」
「姿が見えるのは僕と由利ちゃんだけだったりしてね。」
「先生、怖いこと言わないでください。」
 由利はそう言ったが修一郎は続けた。
「車に乗ったら勝手に走り出し海にドボン。海の中で弥生の笑い声が聞こえるかもね。お昼に会った五月さんも買った品物とレシートだけが路地裏にポツリと残ってるのかな。」
「先生、本当にやめてください。」

 車の停めてある場所に戻り、乗り込もうとする修一郎に由利が言った。
「先生、冗談でも海に向かって走らせてブレーキが効かないとか言わないでくださいよ。」