学園の中庭を走り抜けて、私は誰にも見つからない場所は無いか必死に探した。
すると講堂が目に入った。確かあそこの用具室は鍵もかかっていないし、普段は誰も出入りする事が無かったはず…。
私は必死で用具室まで走ると、そっとドアを開けて中を覗きこんだ。埃を被った床の上には乱雑に折りたたみテーブルや椅子、木箱などがおかれており、窓にはすすけたカーテンがぶら下がっている。

よし…この部屋なら誰も来ないだろう…。

そして私は中へ入ると…。

「ウワアアアアアアンッ!!」

大声で涙が枯れるまで泣き続けた―。


それから約30分後…。

「うっわっ!な、何…この顔…!」

持っていた手鏡で覗き込んだ私の顔は目も当てられないような酷い有様だった。
赤く充血した目はパンパンに瞼が腫れている。鼻もほっぺも真っ赤になっており、目も当てられないほど悲惨な顔になっていた。

「どこまでも冴えない顔は泣くととんでもない事になってしまうのね…」

せめて私がナディアの様に恵まれた容姿を持っていれば、幾ら泣いてもこんな風に崩れる事は無かっただろう。
ナディアが羨ましい…。彼女ならリアムと並んで歩けば誰もが振り向く美男美女のカップルとして羨望の眼差しで見つめられるだろう。しかし私がリアムと並んで歩けば、女性達からは嫉妬の目で見つめられ、男性達は好奇心旺盛な目で見つめてくるのだ。
きっとリアムは美しくない私に飽き飽きしていたんだ。そしてナディアに恋をしてしまった。だけど優しいリアムの事だ。きっと彼からは私に別れを告げる事は出来ないだろう。
だったら…。
嫉妬にまみれて別れを拒むより、私の方からリアムに別れを告げてあげれば私の事を理解ある女性として、リアムの心に美しい思い出として少しの間は記憶の片隅に残してくれるかもしれない。

「どうせリアムからは私に会いに来る事は今迄一度も無かったし、この先もそんな日は来ないと思うから…私から別れを告げてあげなきゃいけないわね」

立ち上がって制服に付着した埃をパンパンはたいてもう一度手鏡を覗きこむと、大分腫れの引いた顔が映し出された。よし、この位なら違和感は無いだろう。


そっとドアを開け、辺りをキョロキョロ見渡しながら誰もいない事を確認した私は用具室を後にした。

ハア…結局お昼ご飯は抜きになってしまった…。


 午後の授業は私の好きな歴史の授業だった。いつもの私なら先生の言葉を一言一句聞き逃すまいと、必死の思いで授業に集中するのだが、今日の私は昼休みに見た光景が頭から離れてくれず、気付けば授業の終わりの鐘の音が鳴っていた。
そして私の歴史のノートは白紙の状態で、その事に気付いた私は頭の中が真っ白になってしまった…。


放課後―

憂鬱な気分が復活してくる。いつもの私ならリアムの教室に迎えに行き、2人で一緒に帰るのだが、きっと私が教室に行けばリアムは嫌がり、ますます私は嫌われてしまうに決まっている。
なのに…悲しい事に気付けば私の足はリアムのいる教室へと向いていた。
教室を覗いてみると、案の定リアムの姿が見当たらない。2人は同じクラスメイト同士なので、私に鉢合わせになるのを避ける為、さっさと教室を出て行ったのかもしれない。

「ああ、クリスティーナ。又来たんだな?」

ヒューゴが再び声を掛けてきた。

「え、ええ…。リアム様を迎えに来るのは毎日の私の日課ですので…」

内心の動揺を悟られないように無理やり笑顔で答えると、ヒューゴは困った顔を見せた。

「クリスティーナ、リアムはさっきナディアと一緒に教室を出て行ったんだよ。部活の練習があるからって言って…。ほら、あの2人は同じ演劇部に所属しているだろう?これから学園祭までの2か月間は練習で忙しいらしいんだ」

「そうですか…。なら仕方が無いですね!では私は帰宅部なので家に真っすぐ帰る事にします。それではヒューゴ様、失礼します」

わざと明るい声で言い、ヒューゴに背を向けて帰りかけるといきなり彼に呼び止められた。

「クリスティーナ、なら俺と一緒に帰ろう。よし、ちょっと待っていてくれよ?」

ヒューゴは私の返事も聞かずに急いで自分の席へ行くと鞄を持って走ってきた。

「よ、よし。帰ろう!」

だけどヒューゴは確か美術部だったはず。学園祭では美術部の絵の展覧会を毎年開いている。今年も開くはずだから…。

「駄目ですよ、ヒューゴ様っ!貴方は美術部員ですよね?早く部室へ行かないと!」

しかしヒューゴは首を振った。

「いや、今年の俺の絵のテーマは肖像画なんだ。だから…クリスティーナッ!お、俺に協力してくれっ!」

ヒューゴの顔は真っ赤になっていた—。



「えっと、つまりヒューゴ様は人物画を描くのが苦手なので克服する為に今年の文化祭の出展作品に人物画を選んだと言う訳ですね?」

ここは学園の近くにある学生達に人気のカフェ。

私はストロベリーミルクを飲みながら目の前に座るヒューゴに尋ねた。

「あ、ああ。そうなんだ」

何故かヒューゴはストローでアイスカフェオレをぐるぐるかき回しながらモジモジしている。きっと私に人物画を描くのが苦手だという事をバラしてしまった為に照れているのだろう。

「でもヒューゴ様も物好きですね。どうせ人物画を描くのなら私みたいな平凡な顔では無く、それこそ同じクラスのトーレス様にお願いすれば…」

しかし、そこまで言って私は気付いた。そう言えば、ナディアはリアムと今一緒に過ごしているんだっけ。
2人が微笑みあって見つめている姿を想像し、私の胸はズキリと痛んだ。

「どうしたんだ?クリスティーナ?顔色が悪いみたいだぞ?」

「い、いえ。そんな事はありませんよ?ヒューゴ様、やはり私のような地味な顔の女の肖像画は題材として相応しくありませんよ。なので別の方を当たって下さい、お願いします」

そしてテーブルの上に自分の分の飲み物代をチャリンと置いた。

「すみません、お先に失礼します」

「え?お、おいっ!クリスティーナッ!」

ヒューゴの声が追いかけてきたが、私は構わず店を後にした。だって今日は歴史の授業をまともにうけていないのだからっ!

「急いで家に帰ってノートをまとめなくちゃ」

そして私は足早に家に帰り、その後たっぷり2時間かけて歴史のノートをまとめ上げた…が、改めてノートを読み直し、愕然としてしまった。
何とノートに書かれた人名が全てリアムとナディアの名前で埋め尽くされていたのだ。

「うう…」

な、何て事…!

その後1時間かけて、ノートに書かれた人名を全て書き直した。

「や…やっと…直せたわ…」

ペンの持ち過ぎで痺れてしまった右手をブンブン振りながら、私はこれからの事を考えた。
私とリアムは親同士が勝手に決めた許嫁同士で、そこに政略結婚のような意図は何も無い。おまけに許嫁と一言で言っても、私とリアムが8歳の時に親同士の口約束で決まった事なのだ。なので私達がこの婚約の話は無かった事にして下さいと言えば、あっさり私とリアムの婚約は解消する事が出来るだろう。

だけど…。

私はテーブルの上に突っ伏すと言った。

「私はまだリアムを手放したくない…。だって今もこんなに好きなのに…。だけど、私はリアムに幸せになって貰いたい…」

そして顔をあげて、窓から見える月を眺めた。今夜の月は上弦の月。

「決めた…。次の月が満ちた時、リアムに私から別れを告げよう。どうせもう私とリアムは学園で一緒に居られる事も無くなったんだし…少しくらいお別れを伸ばしても…いいよね…?」

そして私はレターセットを引き出しから取り出すと再びペンを取った。これから毎日、満月になるまでリアムとの楽しかった思い出を手紙に書こう。今迄リアムと一緒に居られてどれだけ私が幸せだったか、感謝の意を述べた手紙を渡して最後に別れを告げよう―。