母方の故郷は日野で、
母の幼い頃には
まだ土葬だったそうだ。

それこそ酒樽みたいな桶に、
白装束の故人を
折り畳んで縛って入れる。
桶に紐を掛けて、
男2人で棒を通して担ぐのだ。

ちなみに体が入らないと
色々、、折るそうだ。

島の埋葬も
かなり土葬が残っていて、
最後まで習慣が残る地域では、
今でも
盆の最後には火祭りがある。

文字通り
火だらけになる盆の行事で、
集落の墓地で親族が、
火の玉に
紐を付けたものを、
ファイアーダンスさながら
家族の男衆で振り回すのだ。

紐が切れた時には
本当に悲惨で、
火の玉が先祖の墓に火を付ける。

それを
女衆で踏んで
消して回というのだから
文字通り命懸けで
盆を送る。

何故そんな火祭りをするのかと
思うのだが、
何かの文献で、
土葬の文化が濃い所程、
火祭り的な行事が
盆には多く、
土葬により空気中に飛ぶリンを、
焼く意味がある
とかなんとか。

とにかく
島の葬儀は、
わたしが幼い時でも
祭壇を家族が
立てなくてはいけないし、
女衆で故人に
死に装束を着せないといけない。
子供とってそれは容赦なく、
5つ年上の従姉は
泣いて嫌がった。

わたしはというと、
実は祖母に
長男の1番上の娘として、
家の奥向きを
綿々と教えられ、
小学二年生で
お経を読めるように
躾けられたから、
黙々と物言わぬ祖母に
白旅装束を着せた思い出がある。

祖母は
胃がんの治療で
都会の病院で亡くなり、
葬儀をする時には
当時の葬儀屋がどこも、
島まで祖母を
運んでくれなくて、
結局
叔父が自分で、
トラックを運転して運んだ。

長距離を走って
トラックごと船で渡る強行軍。

他の親族は
高速艇で島に先回りして、
祭壇を家に組むのだ。
家の窓を外して篝火を焚いて。
目の回る慌ただしさ。

トラックが車寄せまで
乗り上げて、
そこからは男衆が
おぶって
家の和室に寝かせた。
そこでようやく
死に装束を着せるという塩梅。

死んだ祖母の身体は
関節こそ硬くなっていたけど、
肌はやたら水々しくて
柔らかかった。

足に履かせた鞋とか、
五円玉を紐に通してもたせるとか
お遍路の装束だったが、
1つだけ違うのが、
頭に△の布をつける。
よく昔話にでてくる、
死んだ人のシンボルだ。

祖母の乾いた手を
覚えていたから、
水々しい肌のギャップが
幼いわたしには不思議で。

まあ、あとから
水が出てくるモノだとは
知らなかっただけだが。

そんな
昔の葬儀事を
おじゅつさんの読経を聞きながら
わたしは
思い出していた。
殆ど逃避だが。

島のホールは、
公民館に毛が生えた感じの
場所で、
イマドキな
花の生け込みとかもなく、
白菊の花が並んでいるだけの
古いタイプの葬儀セットに
なった。

祖母の時みたいな旅装束でもなく
普通に死に装束で。

先生として島に、
少なからずも
名を馳せた叔母の葬儀にしては
地見だが、
でもそんなことは
些末な事に思える。

というのも

葬儀が始まる前に
例のごとく
姉妹ケンカが勃発したのだ。
もう80のいい年をしての
姉妹ケンカ。

葬儀はケンカがツキモノだと、
セレモニーホールで働く
友人は言い、
ほとんどが、
お金に纏わるケンカらしい。

が、今目の前で繰り広げられる
ケンカは別次元だった。
もう只の兄弟ゲンカレベル。

とにかく
この姉妹達は仲が悪い。
やれ、喪服のアクセサリーで
自分よりも多く付けているやら、
弁当を先に食べるなやら。
葬儀の間も
何かにつけて、
大声を出して罵りあう。
挙げ句、
見えの張り合いで
姪のわたしを呼びつける。
叫び声で、
もう読経の声が聞こえない。

「勘弁してくれ、、」

妹叔母の子供達は
諦めの様相で
どうせ身内だけだからと、
とにかく
めちゃくちゃな葬儀風景に、
見ぬふりを決め込んでいる。

それよりも、
お互いが
何かを探り合いの視線だ。

式前の
『遺産は無い』
発言が効いたのか。

喪主の父をサポートする
わたしが、
意識を飛ばしそうになるのを
堪えていると、
なんと
このカオスの中
隣から嗚咽が聞こえてきた。

父だ。
70超えた男が、
むせび泣いている。
少しだけ、
わたしの胸も熱くなる。

男と女の違いなのか、
仲の悪い姉妹達の問題なのか。

とにかく父が人目憚らず、
あんなにも泣く姿は
後にも先にもないかもしれない。

実際、
妻である母が後に亡くなるが、
その時でさえ
号泣とかしていないだから。

結局、父にとっても
叔母は
マドンナだったのだろう。

父が号泣する声と、
妹叔母がケンカする声に
読経が合わさって

わたしは
どこか異次元に思えて、
ちょっと
ファンタジーな気分になった。