「店長、戻りました」

 キリヤの事務所でいくつか伝票をピックアップしてから一階の店舗へ戻った。
 店舗には常時、二、三人のスタッフがいて、主に店頭販売を行っている。それ以外に、宿泊予定のお客様からのご注文を事前に聞いたり、宿泊部さんとの引継ぎ等も行う。ブーケやアレンジメントの作成や、経理などの事務仕事は主に地下の事務所で行うことになっている。私は基本的に、店頭販売担当だ。
 
「お帰り、桃花。伝票ありがとね」

 伊藤店長は四十代の女性で、私のことを「桃花」と呼んで可愛がってくれる。今まで出会った中で一番好きな上司だ。

「あ。そうそう、馬場君からこれ預かってるの」

 そう言って私に手紙のようなものを差し出した。

「私にですか?」

「そうよ。『ミツバチちゃん』に渡してほしいって、二十分前くらいにここへ来て」
 
 何となく、中身は察しがついている。午前中に聞かれたから。「デートするなら遊園地か水族館、どっちがいい?」って。どうしてその二択しかないんだろうと思ったけれど、幸い遊園地も水族館も好きだ。でも、何処へ行くかよりも「誰と」行くか、が重要なんだけどな。そう思いながらも、「水族館かな」と答えた。

 案の定、封筒の中にはいつの間に用意したのか、水族館のチケットと、小さなメモが入っていた。
 
『今度の休み、デートしてください。馬場』
 
 お互いのラインも知っているのに、わざわざこんな誘い方をしてくるあたり、嫌いじゃない。可愛いな、と思ってしまう。馬場君は二つ歳下だけど、私をミツバチちゃんだなんて呼んで、しょっちゅう絡みに来る。明るくて素直な性格の彼は、キリヤの他のスタッフにも人気がある。誰とでも仲良くする彼にとって、私もまた大勢の中の一人なんだと思っていた。他愛も無い話でラインの画面がすぐに埋まってしまうような仲。
 
 だけど、こうしていざデートに誘われてしまうと、嫌でも実感する。
 
 ああ、私が一緒にいたいのは馬場君ではなくて、あの人——小鳥遊さんなんだ、って。
 
「愛されてるわねえ、桃花」

 メモを覗き見て、からかうように伊藤店長が私を小突く。
 愛されたいのは彼にじゃないんです……。そう心で呟きながら、ガラス張りの壁の先を見つめる。
 そこには、フロントカウンターでお客様に笑いかけている小鳥遊さんの姿があった。