「支配人支配人! 聞いてくださいよぉー」
昼の休憩時間中、洗面台の前で歯を磨いている俺のところに馬場がやって来た。
「ふぁんは、ほうほうひい(何だ、騒々しい)」
馬場は気にするでもなく、喋り続ける。
「ミツバチちゃんね、遊園地か水族館だったら水族館の方が良いらしいンすよー。俺、水族館てあんま行かないンすよね。魚しかいないのに、あれって楽しいっすか? まあでも、女子はああいうの好きな子多いですよねー。でも、遊園地の方が良くないっスか? どう思います?」
何の話だ⁉︎ と、イライラしながらも俺は冷静に口をゆすぐ。制服に歯磨き粉が飛んだら後が大変なのだ。
「ミツバチちゃん、ではなく『三橋さん』だろう。失礼なあだ名を付けるんじゃない」
平静を装うも、内心気が気ではない。もうあだ名なんかで呼び合う仲なのか? それに何だって? 水族館? おい嘘だろ、まさか彼女とデートする気か⁉︎
「……何処へ行くかよりも、誰と行くか、じゃないのか?」
少なくとも俺はそうだ。三橋さんと一緒に行けるのなら、何処でも構わない。
「そうか、確かに……。うん、そうっすね。さすが支配人! あざっす!」
何をそんなに納得したのかはわからないが、深々と頭を下げると馬場は満足した顔で洗面所を去って行った。
……何をやっているんだ、俺は。
小鳥遊航、三十三歳。二十歳でヘルメース・トーキョーへ入社して早十三年。ハウスキーピングから始めて、ベルボーイ(当時はそう呼んでいた)、ドアマン、リザベーションと、一通り宿泊部門を経験した後、現在はフロント支配人を任されている。昇進は、他の同期に比べると早い方かもしれない。
真面目に、実直に、ゲストファーストで。
常にそう心掛けてやってきたつもりだ。
ホテルの仕事は変化の連続だ。日々、滞在するゲストが入れ替わり、日本全国、ひいては海外からもやって来る。突き付けられる要求は三者三様、人の数だけ答えがあり、それにどう応えるかがホテルマンの腕の見せどころだ。満足して帰っていくゲストの顔を見ることができた時、それまでの苦労が一瞬で吹き飛ぶ。その快感が忘れられず、この仕事を続けていると言っても過言ではない。
フロントスタッフは基本的にカウンターから出ない代わりに、ロビー全体を常に見渡すことに気を配っている。案内を必要としている人がいないか、迷っている人、困っている人がいないか、それを察知し、いち早くベルスタッフへ伝える。だからという訳では無いが、俺は普段から周りにいる人間の動きについ目がいってしまう。
——そう、三橋さんと出会ったあの朝もそうだった。
昼の休憩時間中、洗面台の前で歯を磨いている俺のところに馬場がやって来た。
「ふぁんは、ほうほうひい(何だ、騒々しい)」
馬場は気にするでもなく、喋り続ける。
「ミツバチちゃんね、遊園地か水族館だったら水族館の方が良いらしいンすよー。俺、水族館てあんま行かないンすよね。魚しかいないのに、あれって楽しいっすか? まあでも、女子はああいうの好きな子多いですよねー。でも、遊園地の方が良くないっスか? どう思います?」
何の話だ⁉︎ と、イライラしながらも俺は冷静に口をゆすぐ。制服に歯磨き粉が飛んだら後が大変なのだ。
「ミツバチちゃん、ではなく『三橋さん』だろう。失礼なあだ名を付けるんじゃない」
平静を装うも、内心気が気ではない。もうあだ名なんかで呼び合う仲なのか? それに何だって? 水族館? おい嘘だろ、まさか彼女とデートする気か⁉︎
「……何処へ行くかよりも、誰と行くか、じゃないのか?」
少なくとも俺はそうだ。三橋さんと一緒に行けるのなら、何処でも構わない。
「そうか、確かに……。うん、そうっすね。さすが支配人! あざっす!」
何をそんなに納得したのかはわからないが、深々と頭を下げると馬場は満足した顔で洗面所を去って行った。
……何をやっているんだ、俺は。
小鳥遊航、三十三歳。二十歳でヘルメース・トーキョーへ入社して早十三年。ハウスキーピングから始めて、ベルボーイ(当時はそう呼んでいた)、ドアマン、リザベーションと、一通り宿泊部門を経験した後、現在はフロント支配人を任されている。昇進は、他の同期に比べると早い方かもしれない。
真面目に、実直に、ゲストファーストで。
常にそう心掛けてやってきたつもりだ。
ホテルの仕事は変化の連続だ。日々、滞在するゲストが入れ替わり、日本全国、ひいては海外からもやって来る。突き付けられる要求は三者三様、人の数だけ答えがあり、それにどう応えるかがホテルマンの腕の見せどころだ。満足して帰っていくゲストの顔を見ることができた時、それまでの苦労が一瞬で吹き飛ぶ。その快感が忘れられず、この仕事を続けていると言っても過言ではない。
フロントスタッフは基本的にカウンターから出ない代わりに、ロビー全体を常に見渡すことに気を配っている。案内を必要としている人がいないか、迷っている人、困っている人がいないか、それを察知し、いち早くベルスタッフへ伝える。だからという訳では無いが、俺は普段から周りにいる人間の動きについ目がいってしまう。
——そう、三橋さんと出会ったあの朝もそうだった。