時世(ときよ)は590年を過ぎ、倭国(わこく)は飛鳥の時代をむかえようとしていた。

大和においては、泊瀬部大王(はつせべのおおきみ)が豪族の有力者である蘇我馬子(そがのうまこ)の手によって、無惨にも暗殺されてしまった。
※泊瀬部大王:崇峻天皇

泊瀬部大王の即位については、もとより蘇我馬子の推薦によるものだ。
だが彼が即位してからも、実質的な実権は馬子が握っており、大王はそのことに対しひどく不満を持つようになった。

そしてその挙げ句の果てに、蘇我馬子を殺したいとまで彼は思うようになる。


そんなある日のこと、泊瀬部大王の元に1頭の猪が献上されてきた。
彼は献上された猪を見るなり、自身の笄刀(こうがい)をとりだして、その猪の目にいきなり突き刺した。
※笄刀:髪や身だし並み時に使う、櫛のような形をした道具。

「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」

彼は恨みのあまり、そのような言葉を口にする。それほどまでに蘇我馬子への不満をつのらせていたのだ。

だが不運にも、その後に蘇我馬子本人にもその話が伝わるかたちとなってしまった。

さらに泊瀬部大王が蘇我馬子を倒すため、おおくの武器を集めているという噂まで馬子の耳に入ってしまう。

そんな泊瀬部大王の態度を知った馬子はとても警戒する。そしてそんな彼をこのまま大王の座にいさせておくのも危ういと考えた。

かくして彼は、泊瀬部大王を暗殺することを決めた。


蘇我馬子は群臣に「東国の調を進める」と偽りを話した。そして大王もその儀式に出席させるように彼は仕向ける。

そしてその席にて、彼はその日付き添わせていた東漢駒(やまとのあやのこま)に、泊瀬部大王を暗殺させた。


だが東漢駒はその後、泊瀬部大王の妃で、蘇我馬子の娘でもあった河上娘(かわかみのいらつめ)を奪って自身の妻にした。
そしてそれを知った蘇我馬子は怒り、その結果、東漢駒は馬子に殺されてしまう。



こうして大和は、泊瀬部大王が亡くなったことで、新たな大王を決めないといけなくなってしまった。

そこで話し合いののち、泊瀬部大王の異母姉にあたる額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)を次の大王に立てることとした。

額田部皇女とは彼女の幼少期の名前で、その後彼女は炊屋姫(かしきやひめ)と呼ばれるようになる。
※炊屋姫:推古天皇

また彼女は、泊瀬部大王の2代前の大王であった渟中倉太珠敷大王(ぬなくらのふとたましきのおおきみ)の皇后である。
※渟中倉太珠敷大王:敏達天皇

そして大和にとっては、初の女性皇族での即位となった。

彼女は自身の即位にあたり、蘇我馬子を大臣(おおおみ)、そして彼女の甥でまだ20歳の厩戸皇子(うまやどのみこ)を新たに皇太子(ひつぎのみこ)とし、彼には摂政(せっしょう)を命じる。
※厩戸皇子:聖徳太子

こうして大和では、新たに大王となった炊屋姫と、厩戸皇子、蘇我馬子の3人による三頭政治が始まることとなった。