そして、全てが止まった。
「週明けから全面休校。」
担任から告げられた時、私たちははっきり言って喜んだ。学校が休みになるって、なんでか嬉しいものだし、なにより憂鬱な学年末試験が吹っ飛んだのだから。
「ツイてるね、私たち。」
そんなことを友だちと話した記憶もある。このあと、どんな困難が自分たちを待ち受けているかなんて、全く思いも及ばなかった。
卒業式も中止、3年生たちは指定された時間に卒業証書を取りに行き、何のセレモニ-もなく、学校を後にして行ったそうだ。
終業式もなし、部活もなし。高校野球の春の選抜大会も中止になった。
3月が過ぎ、4月を迎えても状況は変わらず、入学式もなく、学校が再開されないから、当然始業式もない。
「緊急事態宣言」などという厳めしくも聞き慣れない言葉を耳にするようになり、学校だけではなく、社会生活にもこれまででは考えられなかった制限が加えられるようになった。人が集まる商業施設、観光施設等が軒並み休業に追い込まれ、県をまたぐ移動も禁じられた。企業はテレワ-クを推奨され、通勤する人がめっきり減った。
街から人影が消え、ステイホ-ムが叫ばれ、気が付けば土日でもないのに、家族全員が朝からずっと一緒に食卓を囲む日々。
せっかく出来た彼氏とも会うこともままならず、友だちともLINEや携帯で連絡を取るのが精一杯。私は呑気に快哉を叫んだひと月前の自分を呪った。
GWの言葉も虚しく響く中、5月になり、ようやく感染者数が下火になって来ると、社会生活の復活、学校の再開が現実のものとなって来た。
緊急事態宣言が解除され、私たちが学校に行けた時には、もう5月の終わりは目前となっていた。
だけどそんな私たちを待っていたのは分散登校。クラスが午前と午後に別れて、半分ずつ登校する。お陰で、進級に伴う新クラスのメンバ-を全て把握するのに、結構な時間を要す羽目になり、部活の新入部員勧誘もなかなか進まない。
中間考査も体育祭も中止。2年生にとっての一大イベントのはずの、修学旅行も無期延期。次から次へと起こる事態に追いつくのが精一杯。新クラスが全員顔を揃えた時には、もう普通の年なら夏休みも間近、なんて時期だった。
だけど、今年は休校によるカリキュラムの遅れを取り戻すべく、夏休みは大幅縮小。グルッと見渡した教室の中に、岡野くんの顔がないことを実感したのは、この頃だった。
「週明けから全面休校。」
担任から告げられた時、私たちははっきり言って喜んだ。学校が休みになるって、なんでか嬉しいものだし、なにより憂鬱な学年末試験が吹っ飛んだのだから。
「ツイてるね、私たち。」
そんなことを友だちと話した記憶もある。このあと、どんな困難が自分たちを待ち受けているかなんて、全く思いも及ばなかった。
卒業式も中止、3年生たちは指定された時間に卒業証書を取りに行き、何のセレモニ-もなく、学校を後にして行ったそうだ。
終業式もなし、部活もなし。高校野球の春の選抜大会も中止になった。
3月が過ぎ、4月を迎えても状況は変わらず、入学式もなく、学校が再開されないから、当然始業式もない。
「緊急事態宣言」などという厳めしくも聞き慣れない言葉を耳にするようになり、学校だけではなく、社会生活にもこれまででは考えられなかった制限が加えられるようになった。人が集まる商業施設、観光施設等が軒並み休業に追い込まれ、県をまたぐ移動も禁じられた。企業はテレワ-クを推奨され、通勤する人がめっきり減った。
街から人影が消え、ステイホ-ムが叫ばれ、気が付けば土日でもないのに、家族全員が朝からずっと一緒に食卓を囲む日々。
せっかく出来た彼氏とも会うこともままならず、友だちともLINEや携帯で連絡を取るのが精一杯。私は呑気に快哉を叫んだひと月前の自分を呪った。
GWの言葉も虚しく響く中、5月になり、ようやく感染者数が下火になって来ると、社会生活の復活、学校の再開が現実のものとなって来た。
緊急事態宣言が解除され、私たちが学校に行けた時には、もう5月の終わりは目前となっていた。
だけどそんな私たちを待っていたのは分散登校。クラスが午前と午後に別れて、半分ずつ登校する。お陰で、進級に伴う新クラスのメンバ-を全て把握するのに、結構な時間を要す羽目になり、部活の新入部員勧誘もなかなか進まない。
中間考査も体育祭も中止。2年生にとっての一大イベントのはずの、修学旅行も無期延期。次から次へと起こる事態に追いつくのが精一杯。新クラスが全員顔を揃えた時には、もう普通の年なら夏休みも間近、なんて時期だった。
だけど、今年は休校によるカリキュラムの遅れを取り戻すべく、夏休みは大幅縮小。グルッと見渡した教室の中に、岡野くんの顔がないことを実感したのは、この頃だった。