日本人ではないのかもしれないと考えてすぐ、それも違う予感がした。全体的な色素の薄さがそう思わせたのかもしれない。

「驚いたか」
「……はい。……すごく」

 話しかけられても、はっと意識が戻ることはなかった。余りに幻想的で、美しすぎて。
 明依がそう言うと、高尾は薄く笑った。その途端、自分の中で高尾という人間のイメージが既に構築されていることを知った。予想した通りの女性だ。凛と糸が張り詰めた様でいて、穏やかな川の流れの様な。

「色素の薄いこの見てくれは、生まれつき。私のような見た目は人間だけではなく動物界ではごく稀に生まれてくる。……火傷の痕。これは自分でつけた」

 高尾は自分の左顔面についた痛々しい火傷の痕に指先で軽く触れた。薄い色の髪が高尾の動きに合わせて肩から滑り落ちた。

「私は体質的に長時間、日の光に肌を晒す事が出来ない。それでも私の母親はこの容姿と体質を個性だと言って褒めて育ててくれた。だから私は他人と違う事に誇りすら持っていた」

 だから高尾は滅多に人前に出ないのだと納得がいった。
 それから頭をよぎったのは夕霧だった。彼女がもし最初から高尾の様に自分の容姿の美しさを個性だと前向きに受け取っていたなら、彼女の人生は少し違ったものになっていたのかもしれない。育つ環境、言葉というのはこれほど大事なのかと思っていた。
 それと同時に、どうして火傷の痕を自分でつけなければならなかったのかと疑問に思うのは当然の事だった。

「父も最初の内は母と同じように私の容姿を褒めてくれたが、ある日を境にかわってしまった。母が病気で死んで再婚してからだ。父は再婚相手に娘がいるとだけ伝えていて、この容姿の事について話していなかった。だから私の容姿を気味悪がった。父もそれに段々と影響されていった。……人間関係というのはとても大切だ。周りにいる人間の影響で、時には自分の本質までわからなくなってしまう。私は相変わらず自分に誇りを持っていて、何を言われても堂々としていた。……それなのに、どうしてだろうな。気づいたら私は、親が鍋で沸かしていた湯を顔にかけていた。心配してほしかったのか、本当に消えてしまいたかったのか。あの時は本当に、どうかしていたんだと思う」

 高尾は遠い記憶を探る様に目を細める。その様子は少し、もの寂しそうにも見えた。

「私の気が触れたと思ったんだろうな。それから間もなくしてどこかへ売られた。いろんな場所を転々とした後、この吉原の施設に入り、生まれつき身体が強くない私は陰になることもできず、遊女の見習いとしてとても小さな見世に入った。それからどんどんと、人の顔を見る事が出来なくなっていた。会話も、挨拶さえも。長時間外に出る事が出来ない私は、妓楼の中に籠る様になった」
「もしかして、それで今も、妓楼の中にいるんですか?」
「心配をかけるような言い方をしたな。今は違う。これが私の売り方というだけだ。妓楼の中は外に比べると平凡だが、退屈はしない。梅雨がいる」

 そういうと高尾は梅雨の方向を向いた。梅雨は相変わらず無表情だったが、ほんの少しだけ嬉しそうにも照れているようにも見える。きっとこの二人にだけ通じる何かがあるのだろう。

「ある日、妓楼に一人の女がやってきた。本当に綺麗な女でな、どこかの国のお姫様かと思ったよ。その女は私に世話役になる気はないか、と聞いた。私が世話役なんて向いていないと伝えるとその女はこう言ったんだ。でも私は一度見た時からあなたの美しさが頭から離れない、だから諦められない、と。そう言われて初めて、私は自信を失っている事に気が付いた。その時の衝撃は、きっと生涯忘れないだろうな。どうして今の今まで気付かなかったんだと本気で思った。そしてずっと俯いていた私は、こんな綺麗ものを見る機会すら失っていたのだと、損をした様な気分になったものだ。その女について行くことを決めた。それが、先代の吉野大夫だ」

 先代・吉野大夫の世話役。それが高尾と当代の吉野。それならば吉野と高尾、それから死んだ頭領の息子暮相は、本当に明依と日奈と旭の関係に似ている。それなのに道を違えた。何ができるわけでもない。それがなんだか、他人事とは思えなくなっている。

「私は良くも悪くも一度見たら絶対に覚えてもらえる。これは吉原という女ばかりの世界で生きる為の、私の武器だと思った。人間は自分と大きく違う何かを恐れる事と、それを受け入れる度量がない人間がこの世界にいるという事はもうわかっていた。だから私は、私を認めてくれる人間を心の底から大切にすることに決めた。そしてどうすればそれが伝わるかと考えた。まず、客が馴染みになるまでは顔を隠す事にした。それから、みんなが私の事を覚えているのに私が忘れるのは不公平だと思い立ってからは、いつどこで誰とどんな話をしたのか、絶対に忘れないように工夫している」

 そう言われて明依ははっとした。普通に話をしていたが、この人はとんでもない記憶力という特殊能力の持ち主だった。しかし〝特殊能力〟というには不自然な言い方をする高尾に疑問を抱いた所で、高尾は明依の目の前に一冊の分厚いノートを放り投げた。それは紙の様子から、少し褪せて劣化していた。
 それを拾って目を通した。そこには、夏祭りで宵と会った日付、場所。それから〝15くらいの少女〟という文字がある。それは先日偶然高尾にあった日に彼女が言っていた情報と完全に一致していた。

「話をした人を全員、こうやって記録しているんですか」

 唖然としてそう問いかける明依に高尾はこくりとうなずいた。

「毎日毎日眺めていたからな。もうほとんど覚えているんだが、忘れては困るから月に一度は全ての記録に目を通す様にしている」

 もう、言葉にすらならなかった。

 『お前は欠点を克服しようと思ったこと。自らの意思で足りないものを補う努力をしたことはあるか』
 『自分自身に問いかけ、自分という人間を受け入れる覚悟を持ったことはあるか』
 あれほど理解が出来なかった高尾の言葉を、今はあっさりと飲み込むことが出来た。高尾という人間の努力。消えない傷痕ごと自分を受け入れる。
 火傷の傷跡を。そうなるまで追い詰めた自分自身を許すという事。
 胸の胸から肩口まで走る刀傷を。その原因を作った終夜を許すという事。

「黎明。私を受け入れてくれて、ありがとうな」

 その言葉に、不覚にも泣きそうになる。
 高尾が本当に、綺麗に笑うから。

「私の方こそ、ありがとうございます」

 やはり高尾を見た時に感じた安堵感は間違いではなかった。
 許された気がした。今の今まで張っていた糸も強がりも全部見透かすような言葉選びは、同じ姐を持った吉野によく似ている。
 松ノ位と名の付く女性は、本当に素敵な人ばかりだと心底感じていた。

「聞いていた話と随分違うって言うのはさ、高尾大夫。俺のセリフだよ」

 穏やかな空気を裂く様な冷たい言葉に、梅雨が終夜に視線だけを向ける。明依ははっとした後、終夜に顔ごと視線を移した。終夜はあの無機質な顔で、高尾を見ていた。

「俺は黎明を吉原から追い出してほしいと言ったんだ」
「かわいい子には旅をさせよという言葉を知っているか、終夜」

 そう言われた瞬間、終夜が高尾の方へと力強く畳を踏みつけて歩いた。しかし梅雨は、流れるような動きで終夜と高尾の間に入り込む。押しのけて進もうと腕を伸ばす終夜の手首を、梅雨が掴んだ。それと同時に、終夜が梅雨の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「離せよ。死にたいの?」

 冷たく言い放ちながら近い距離で視線を絡ませる終夜に臆する事なく、梅雨は胸ぐらに伸びた終夜の手首を確かめる様にゆっくりと掴んだ。

「女の子に手出すなんて、みっともないと思わないの!?」

 明依はしばらくその場で唖然としていたが、我に返ってそう言いながら駆け寄って終夜の腕を握った。しかし、まるでとても重たい物質を相手にしているかのように、びくともしなかった。

「そんな崇高な思想、俺が持ってると思う?……お前も陰ならさ、わかるよね。自己責任だって」

 明依はぞくりと背中を這う様な嫌悪感に肩を浮かせた。とうの梅雨は相変わらず無表情で、しかし終夜の目をまっすぐに見ていた。その様子を見て、梅雨は本当に陰なんだとただ納得していた。

「離せ」

 梅雨に言ったのかそれとも自分に言ったのか、明依はわからなかった。
 梅雨は軽く首を振った。明依がそれを認識するより前に、終夜は明依の腕を振り払った。あっさりバランスを崩して、明依はその場に倒れ込んだ。
 一瞬顔をしかめた内に、終夜は梅雨の足を払う。

「終夜!!」

 名前を呼んでも、彼は満月屋の座敷で晴朗と向き合っていた時の様に動きを止めてはくれなかった。
 梅雨は少しだけバランスを崩して、後ろの足を引いて持ち直そうとしたが、終夜がそれよりも早く強い力で腕を押し込んだ。梅雨はあと一歩足を引けば高尾を巻き込むと判断したのか。終夜が入れた力を流す様に身体を捻って倒れた。梅雨が身体を強く畳に打ち付けるより前に、終夜は梅雨の頭から髪飾りの簪を抜き取って先端を梅雨に向けた。
 明依は何を考えるよりも先に、顔を逸らして強く目を閉じた。
 まもなく梅雨が畳に身体を打ち付けたのか鈍い音が聞こえてからは、音が途絶えた。

 終夜が人を殺した。
 朔を殺した所を直接見た。楪達を殺したと本人の口から聞いた。もしかすると終夜は、この短い間に他にも人を殺したのかもしれない。
 そういう人間と知っていたはずなのに、気持ちの整理がつかなかった。

 明依は自分の終夜に対する感情の変化をひしひしと感じていた。
 自分の見ていないところなら人を殺してもいいなんて思っているつもりはなかった。ただ、言葉を選ばずに言うのなら、見たくなかった。
 終夜が人を、殺すところなんて。

「……なんでお前がここに居るんだよ」

 怒りや驚きそれから湧き出るような憎しみ。それに例えようのないもどかしさの様なものが入り混じって不明確になって震えた、でも確実な感情がこもった終夜の声だった。
 明依はゆっくりを目を開けながら顔を上げた。

「俺の守りたい人が、ここにいるから」

 そこには銃口を眉間に突きつけられて動きを止めた終夜と、終夜に銃口を突きつけながら冷静な様子で彼を見下ろしている宵がいた。