「へー。なかなか可愛いじゃん」

 男達からの品定めするような気色悪い視線に、全く動じていないフリをする。
 仕事柄たくさんの男と関わっていると、何となくわかるものだ。どいつもこいつも、男よりも女が下だと思っているタイプ。

「これだから、女は面倒で嫌いなんだ」

 吐き捨てる様にそういう終夜に、金髪の男は豪快に笑った。

「味方に裏切られて泣き言か?それとも予定が狂って悔しいのか?」

 形勢逆転した男は、上機嫌にそう言って終夜を見ている。

「俺は好きだぜ。手に余る女はよ。いい女程、男の手の上では踊らないもんだ。女の我儘はよォ、おーおらかな気持ちで受け入れるのがいい男だぜ」
「後で覚えてろよ」

 やはり上機嫌でおちょくる態度の男とは相反して、普段口調だけは穏やかなくせに、明らかに普段とは違う様子で呟く終夜。その言葉は、男ではなく自分に言っていると明依は察していた。

 後ろでカチャという音がする。終夜が拳銃でも出したのだろうか。もしそうなら、裏切り者として背中から撃たれる可能性もあるのか。

 そんなことを考えていると、金髪の男は霞の手を乱暴に放した。そして、いやらしい笑顔を浮かべながら、明依に向かって差し伸べる様に手を出した。

「いいか?お前はさ、自分で選んで俺らの所に来るんだぜ。後ろにいるその男を裏切って、俺らの所に自ら来る。わかる?黎明チャン」

 無理矢理ではないところが、またいやらしいな。そんな事を思いながら、覚悟を決めて明依は手を伸ばす。

 しかし、誰かにがっちりと肩を掴まれ、男の手を取る事は叶わなかった。

「一体どの見世の遊女()かしら」

 艶があり愛らしい声だった。

「この私を差し置いて松ノ位の価値を語る世間知らずは」

 明依は思わず目を見開き、振り返った。

 圧倒的な品格。
 明らかな差。

 誰もが息を呑んでその美貌に見惚れている。
 間違ってもこの人の名前の後ろに、子どもによく似合う愛らしい敬称なんかつけられないだろう。

「扇屋の夕霧大夫よ。私にしなさい」

 颯爽と現れて一瞬にして格の違いを見せつける夕霧の綺麗な口元は、弧を描いている。
 さすがに想定外だったのか、あの終夜でさえ目を見開いて夕霧を見ていた。

「夕霧大夫」

 ぽつりと明依がそう呟くと、金髪の男は乾いた笑いを漏らした。

本物(マジモン)じゃねーか、夕霧大夫。……で?なに隠してんだ?拳銃(チャカ)か?」

 そういう男に、夕霧はキョトンと不思議そうな顔をした。

「何も隠してないけど?」
「じゃあどうしてわざわざ庇う?」
「疑っているの?私が、あなたに逆らうって?」

 案外用心深いのか、男は何も言わず、じっと夕霧を見ていた。

「じゃあ、確認してちょうだい」

 そう言った夕霧は前帯に手をかけて解くと、何のためらいもなく着物の重なりを掴んで左右に大きく開いた。

 その着物の下は、相変わらず抜群のプロポーション。
 もし本当に晴朗がこの身体をたったひと時だけでも自分のモノにしているのなら、なんか羨ましいな。なんてイカれた考えが浮かぶくらい。

 女の明依ですら、どこを見ていいのかわからず、その身体に釘付けになっていた。

「ほら、ちゃんと見なさいよ。疑ったのはあなたでしょ?」
「俺は好きだぜ。お前みたいな女はよ、夕霧大夫。いいぜ、お前に決まりだ」

 その言葉を聞いた夕霧は、明依の肩を掴み直すとぐいっと引いて自分の後ろに移動させた。
 男は先ほど明依にしたように、夕霧に向かって手を差し伸べる。それに夕霧も薄い笑顔を浮かべて手を伸ばした。その動きの一つさえ、美しい。

 夕霧は薄い笑顔には明らかな違和感がある。
 どうして笑っていられるんだろう。どこかに連れていかれるかもしれない。いいように利用されるかもしれないのに。
 それなのに夕霧は、余裕たっぷりの様子で笑っている。

 全てが自分の手の内だ、とでも言いたげに。

 夕霧は金髪の男の手を確かめる様に握った。
 それから男の腕を引っ張り、バランスを崩して前のめりになる男の腹に、膝を深く沈ませた。

 うめき声をあげる男を自分から引き離すと、夕霧の長い脚から繰り出された綺麗な回し蹴りが男の首に容赦なく入った。
 軽やかな動きとは相反して、男は大門の向こうに吹っ飛ばされ、支えようとした男たちが何人も巻き添えになり、その場に倒れ込む。

 一瞬。誰も反応できないくらい、本当に一瞬の出来事だった。
 薙ぎ払ったようにその場が静まり返る。
 縛りをなくして優雅に夕霧の身体に絡んでいた着物が、ふわりと地面に着地する様を、誰もがただ眺めていた。

「私は好きじゃないわ。でも、おおらかな気持ちで受け入れてくれるのよね」

 男はおそらく油断していたのだろう。しかし、もし身構えていたのだとしても同じ結末だったに違いない。

 あっさりついた決着に、誰も何の言葉も出なかった。

 この人はもしかして、〝陰〟なのか。
 そんな事を考えている明依を他所に、夕霧は平然とした顔で着物を着直している。

 夕霧に吹っ飛ばされた男は、どうやら気を失っているらしい。大勢の男たちは、急に首領を失って言葉にもならない様子で完全に時が止まっていた。

「知らなかったよ。まさかアンタが私の事を〝非力なお姫様〟だと思っていたなんて」

 その声に、明依はとっさに振り返った。

「嬉しいねェ。抱いてやろうか?終夜」

 唖然としている終夜の肩を、勝山が抱いている。
 終夜は状況を理解したのか、乾いた笑みを漏らした。

「言葉の綾ですよ、勝山大夫」

 その後ろからは吉野と高尾が歩いてくる。
 高尾の少し前を歩いていた梅雨は途中で足を止めて、高尾に道を譲る様に避けた。

 突然の松ノ位の集合に状況を理解できないのは、相変わらずどちらも一緒だ。

「この街は血の気が多いヤツばかりなんだ。取り返しがつかなくなる前に、殿方にはちょいと引いてもらおうか」

 勝山がそう言いながら、終夜から手を放した。

「黎明を連れて行かせるわけにはいかないものでな。この遊女の行く末には、吉原の未来と莫大な金が絡んでいる」
「この子、案外図太いんだから自分でどうにかするわよ。そうなったらなったで」

 まるで守る様な事を言う高尾に対して、夕霧はテキトーな口調でそういう。
 あなたじゃないんだから多分どうにもできないです。という言葉は飲み込んだ。

「黎明」

 どうすればいいのかわからずに、その場に立ち尽くしている明依を吉野が呼んだ。

「こっちにおいで」

 その優しい声に張っていた糸が緩んで泣きそうになりながら、吉野のところへと歩いた。

「チッ、造花街の売春婦風情が」

 向こうの誰かがぼそりという。
 妙にはっきりと聞こえた言葉に、吉原側にピリッとした雰囲気が流れた。

 この男たち、本当に女を何だと思っているんだ。

「ちょっと、」
「こちらに分があるんだ!!一度痛い目を、」
「一晩だ」

 明依の言葉を炎天が遮る。しかし、それをまるで聞こえていない様子で高尾はそう言って、すっと人差し指を出した。肌にしっかりと沿う手袋に覆われていて、透き通るような白い肌は見えなかった。

「この場所では、その売春婦風情のたった一晩、たった身一つにお前様らの年収程の価値がある。どうだ、男は好きだろう?年収やらと、自分の価値を金で測る話が」

 高尾は鼻で笑い、挑発的にそう言った。
 よく見てみれば、自分以外の松ノ位はあそこまで言われても微塵も心が揺れていないらしい。誰一人動じず、薄笑いすら浮かべている。

 すぐに誰かに感情を揺らされる自分との格の違いを見せつけられたようで、少し恥ずかしい気持ちになる。

「内輪揉めしている最中ならこの吉原をどうこう出来ると思っていたのなら、至極浅薄な考えだ。もう少し考えて行動した方がいい。この吉原を相手取って本当に恐るべきは、主郭の裏社会への影響力ではない」

 どういう意味だろう。そう思っている明依に、勝山は呆れた様に溜息をついて腰に手を当てた。

「リーノのヤツはこのことを知ってるんだろうね」

 勝山が放った言葉に、男たちは目を見開いた。

「マルコ議員はお元気かしら?」

 聞いたことのない名前だが、男たちにはそれが誰だか明確にわかるらしい。だんだんと見るからに顔が青くなっていく。

「同じ立場の人間が吉原に手を出さない理由がわかったか?」

 高尾が冷静に、確認するような口調で問いかける。

「わかりやすく言ってあげましょうね。あなたたちが普段、地面に額をこすりつけるくらい頭を下げる人達はね、大体みーんな、私たちの誰かと繋がっているわ」

 夕霧が言うとなんだかエロいな。なんて状況違いなことを考えている。

「覚えておくんだね。この吉原を相手にするって事は、ここにいる薄汚い売春婦の客までも敵に回すって事だ」

 勝山がそう言うと、男たちは息を呑む。
 もし本当に四人の客たちが動くのなら、国くらいは簡単に動いてしまいそうだ。

「上がり花もなくてごめんなさいね。でも、遊女は気まぐれなもので。誰一人としてお茶所か、口一つ聞く気はありません」

 穏やかな口調でそういう吉野は、真っ直ぐに男たちを見据えた。

「どうぞお引き取りを」
「ここは女の街、吉原でありんす」

 凛と立って言い放つ吉野と高尾の背中は、余裕の笑みで往なす勝山と夕霧の背中は、もうすぐ近くにあるものだとばかり思っていた。

 とんだ勘違いだったらしい。

 明依は以前、表座敷で行われた宴会の事を思い出していた。
 酔っぱらって右も左もわからない男は、「やっぱりさァ、女の価値は若さだよなァ!」と大声で言い、周りの男たちもそれを見て笑っていた。

 きっとあの男たちは、本当の〝女〟というのを知らなかったのだろう。
 女の魅力が若さだなんて、浅はかだ。
 その〝若さ〟のせいでこの四人にまだ追いつけないのなら、そんな価値のないものは今すぐに捨ててしまいたい。
 こんな立派な女性に、なれるのなら。

 とっくに戦意喪失した男たちは統一感のかけらもなく、すっかりしおれた様子で帰っていく。

 終わったのか?そう思いながら、明依はぼんやりとしたまま男たちの背中を眺めていた。

「しゃんとしな!黎明!」
「はいッ!」

 勝山の言葉に思わず間髪入れずに返事をして背筋を伸ばした。

「愛嬌振り撒くだけのくだらない女になるんじゃないよ。そんなものは、自分で自分を守れない人間のやる事だ。身体に傷がつこうが、手足が無くなろうが、女の本当の魅力はそんなところにはない」

 勝山は珍しく、真面目な口調でそう言った。

「どんなピンチでも、どっしり構える。……胸を張りな。今日のアンタは、なかなか立派だったじゃないか」

 ニカっと屈託のない顔で笑う勝山の笑顔に、明依は思わず泣きそうになった。
 もっともっと強くなろう。もっともっと努力しよう。そう思わせてくれる人が側にいるのは、幸運な事だ。

「ちょっと待ちなァ!!」

 ドン!と地面に音を響かせたのは、ふくよかな女性だった。
 とてもとてもふくよか、豊満。とにかく、大きい。迫力のある女性だった。

「なーにあっさり引き下がろうとしてるんだい!!ここを取れれば、ウチはもっとデカくなれるんだ!!」

 響き渡る様な大声を出す女に、凄い度胸だと思いながら明依はその状況を眺めていた。

「〝あの人〟ごと吉原をいただくよ」

 〝あの人〟とは誰なのか。やはり頭領を殺すつもりなのか。
 安心したのもつかの間、向こうに士気が戻り始めてきた。