「俺は紫波倉會の鳴海。ウチは先代の頃から三浦屋に世話になってる。つまり、高尾大夫と繋がってるって事だ。さ、どうぞ。どちらさんも座ってください」

 宵や時雨と同じくらいの年齢の男は鳴海と名乗り、既に横並びに座っている三人の男の端に座る。それから、両手で正面の空いている席を案内するように指した。
 すでに座っている終夜の隣に、明依、時雨の順番で腰を下ろした。

 次にその隣に座っている男はおそらく四十くらい。髪をテキトーに後ろに束ねて、眼鏡をかけている。悪く言えば清潔感がない、よく言えばワイルドな男だった。

「俺は赤城学園理事長」

 理事長と言う役職は仕事で客から何度も聞いた。

「へー。赤城学園の」

 有名な学校なのか、明依の隣で時雨は感心したような声を出した。

「……の息子。赤城」
「息子かよ」

 あっけらかんという赤城に、時雨はじゃあもったいぶんなよとでも言いたげにそう言った。

「僕は竹下です。主に海外に向けて、日本の情報を売っています。情報屋、ですね」

 竹下はおそらく三十過ぎ。困り笑顔を作って話をする、どこかおどおどとした、本当にどこにでもいそうな男だった。
 現実の裏社会にはこんな男もいるのか。

 最後に視線を向けられた男は、この場の誰よりも凛と糸を張った様な雰囲気がある。

「株式会社シューネル代表取締役、天辻です」

 代表取締役、という言葉も吉原の座敷ではよく聞く言葉だ。
 しかし何でも自分の物。とでも言いたげないやらしい笑顔を浮かべて近寄ってくる〝代表取締役〟とは雰囲気が違う。

 吉野の選んだ人ならきっと、凄く魅力的な人なのだろうなと思った。

「吉野大夫から、あなた方の力になってほしいと頼まれました」

 天辻は表情を変えずにそう言った後、少し目を細めて明依を睨んだ。

「そのお陰で、もう少し吉原を出る気はないと言われ、身請け話はさらに延期になりました」

 寡黙な印象の天辻がさらりと、しかしここぞとばかりにそういう。そこには、どうしてもどうしても一言いいたい。という思いが透けて見えていた。

「しょげんなよ。男は堂々としといた方が評判いいぜ」
「堂々としています。彼女の意見を尊重していますから」

 鳴海の言葉に、天辻ははっきりとそう返す。
 自分の姐さんは本当に愛されているのだろうと、なんだか心の底から嬉しくなった。こういう強い想いがきっと、本当の愛なんだろう。何て、明依は自分には縁のない事を考えている。

 明依は四人の顔を見た。
 明らかにヤバい感じがする鳴海に、表側の人間のはずなのに危ない感じがする赤城。裏側の人間なのにとてもそんな風に見えない竹下。明らかにただ者ではない雰囲気のある天辻。

 つまり、天辻と理事長。の息子だけまともな人間という事だ。鳴海が最初に言った警察に顔がバレちゃいけない人たちというのは、自分達と本来関りを持ってはいけない人間という事だろう。

「で、終夜はずーっと吉原解放の為。この状況を叶える為に、吉原を離れて動き回っていたって事だ。ま、当てはぜーんぶ外れて手ぶらで吉原ご帰還だったんだけどな」

 確か終夜は、吉原の外で仕事をしていたと言っていた。終夜はそんなに前から、吉原解放について考えていた。それは宵の正体を知っていたからだろうか。

「悪いな終夜。何度も何度もふっちまって。美女の一声だったわ」

 そういう鳴海に終夜は、だるっ、という気持ちを余すことなく顔に出した。

「で、この花魁様が高尾大夫が表社会で生きていける様にって俺に頼んだ子ね」

 鳴海の言葉で、そこにいる全員の視線が明依に移る。

 高尾の客と吉野の身請け相手の天辻。
 二人が主郭の前で話した〝ビジネスの話〟というのはこういう事だったのか。と、ここまで来てやっと理解した。
 そして高尾の三浦屋に入って身を潜めて外界に出ろと言う提案。高尾は自分の領域(テリトリー)から離れた外界での一切を、この人に頼んだに違いない。

 高尾はおそらく、この一見軽薄にも見える男を心底信用しているのだろう。

「随分話が跳んだよなァ。……高尾大夫は、親父と作ってきた吉原解放の計画は全部アンタに預けるってよ、黎明大夫。可愛い顔して、とんだ人たらしだな」

 鳴海は興味津々と言った様子で少し身を乗り出して明依を見た。
 おそらく直球な美醜という意味で言ったのではないだろうが、〝可愛い〟と言われたことに少しだけほっこりした気持ちになった。

「吉原の中で()()生きていく覚悟があるからね。どうせずっと吉原にいるなら、少しくらい役に立ってもらおうと思って。みんなが興味持ってるって言えば連れ出す事にもそんなに反発はなかったし」
「お前、本当嫌われてんな」

 終夜の言葉に鳴海が楽しそうにそう言った。

 頭領になる予定の宵と一緒にいるという事は、つまりそういう事だ。
 しかしそんな言われ方をすると、なんでお前の思い通りにならなければいけないんだという終夜限定で発動する反骨精神が顔を出した。

「で、こっちのお兄サンが絶対等級頭領選抜三位の時雨サン」

 鳴海の言葉に何か特別返事をすることもなく、時雨は興味が無さそうに座ってる。

「いや、まさか。あなたが来てくれるとは思っていませんでした。時雨さん」
「来たくて来てるわけじゃねーよ。終夜サマに無理やり連れてこられたんだ」

 知り合いなのか時雨に興味があるのか。相変わらず困り笑顔でそういう竹下に、時雨はやる気のかけらもない口調で返した。

「すみませんね、時雨サン。野郎ばっかで味気なくって。後でウチの店で酒でも飲みましょうや。可愛い子、キープしときますから」

 鳴海はスマホを取り出して文字を打ちながら、時雨に向かってそう言う。
 「え、可愛い子」と呟いているあたり、おそらく時雨の中では今、〝女〟と〝洋服〟というキーワードが飛び交っているに違いない。

 それにしても、だ。
 この男、野郎ばっかって言わなかったか。
 女なんだが。
 さてはお前、終夜寄りの失礼なタイプの人間だな。しかも、自覚がない爆弾みたいなタイプの人間だ。そうに決まっている。と、明依は先ほど可愛いという一言に翻弄されたことなんてすっかり忘れて鳴海を警戒した。

「で、本題なんですがね。まずはお二人さんにわかる様に説明しますんで」

 そういう鳴海の言葉で、空気が少しだけ重たくなる。

「ここに集まったメンバーの目的は他でもない、吉原を解放。吉原の中で問題なのは、雇用形態。それの管理。遊女が一般社会に出る為の教育システムの構築。それから重要なのは、吉原解放の情報が出回らない為の根回し。これをそれぞれ分担しようってわけ。今回はその最終的な確認で集まってる。お付き合いください」
「……だから、何で俺まで」

 時雨は何度呟いても誰にも拾ってもらえない言葉をため息交じりに吐いた。

「では、私から。明確な勤怠制度の導入を推薦します」

 まず口を開いたのは天辻だった。

「時間数から金額を割り出して計測、記録するシステムは、すでに準備に取り掛かっています。全て管理室で管理し、個人の目標金額を超えた場合には妓楼にも通知が飛ぶようにしましょう」

 確かに今の制度は、この街に縛り付けられる期間が決まっているため明確に働く時間を記録してはいない。出来るなら、遊女たちはもっと働きやすくなるに違いない。

「俺は、親父の学校で使っているデジタル教材を横流しする」

 明依は少し考えた。少しの間でもちゃんと考えた。
 協力してくれるのは本当にありがたい話だ。しかし、親からしてみればろくでもない息子過ぎないか。しっかりと自分の中で結論が出た後でじっと赤城の顔を見た。

「二人とも、顔に出すぎだよ」

 隣に座っている時雨も同じ気持ちだったのか、淡々とそういう赤城を見ていた。

「申し訳ありません」

 気持ちはこもっていないが、建前上一応謝っておく事にする。

「念のための確認ですが。……操作方法やロックなど、そう言った事はおわかりですか」
「ああ。……うん。ま、何とかなるだろ」

 天辻は本当に本当に差しさわりのない様に、しかし淡々とそう口にした。それに対して赤城は、煮え切らない返事をする。

「……何かあれば早めにご連絡ください。対処します」

 天辻はそう言うと、名刺の裏に電話番号を書いて赤城に手渡した。赤城は「あーありがとう。天辻くん優しいねェ」と言ってポケットに突っ込んだ。

「で、俺は。主に日本国内に吉原解放がバレない様に情報操作や根回しに徹する」
「僕は主に海外に向けて情報を売っているので、これからは海外に吉原解放が漏れない様に情報を操作して売ろうと思います」

 鳴海がそう言った後で、竹下が口を開いた。明依と時雨へ向けた説明が一通り終わり、辺りはシンと静まる。竹下は自分のせいだと思っているのかおどおどとしていた。

 まさかこの短時間でこんなところまで話が進んでいるとは思いもしなかった。

 きっと高尾は、暮相と共に念入りに準備を進めていたに違いない。
 それから終夜も、吉原を解放するために動き回ったと想像するのは難しい話ではなかった。

 自分は今、吉原を背負ってここにいるのだという実感がひしひしと湧いてきた。

 そして、ただのお飾りではなく。少しでも役に立てる様にと頭を働かせる。

 天辻は吉野は身請けまで話が進んだ仲。高尾と鳴海も先代からの仲。しかしその他の二人は、本当に信用して大丈夫なのか。
 そんなことを言い始めれば、四人とも部外者な訳で。そこまで考えて自分は随分と閉鎖的な考えをしているのではないかと思い、ちらりと終夜を見た。

「大丈夫。ちゃんと交換条件だから」

 終夜はこちらを見ずに、あっさりとそういう。それから天辻を見た。

「私は、身請け話を引き合いに出されていますので」

 不幸の最中申し訳ないが、吉野にまだ吉原にいると言われた時の天辻を妄想するとなんだか面白くなってしまう。気にしていないフリをして、心底ショックを受けたに違いない。

「俺はもうなんでもいいよ。あんな美女とお近づきになれるなら」
「あんな美女?」

 時雨と明依は同じタイミングでそう呟いた。

「天下の勝山大夫。それに傾城・夕霧大夫!二人とも男の夢を体現した様な女じゃないか」
「いや、確かに勝山大夫も夕霧大夫もいい女だよ。でもさ、だからってそれに人生賭けるなんて馬鹿げてるとは思わねーの?」

 呆れたようにそういう時雨に明依は思った。正気を失って全財産払って遊女を買うと言ってはいなかったか。

「夢に賭けないなら、何の為に生きてんだって話だろー。いや、いいねェ。勝山大夫に夕霧大夫」

 確かに勝山も夕霧も美人だ。しかし、こんな厄介そうな男を相手にしないといけないなんて二人とも大変だなと思ったが。勝山と夕霧が男に翻弄されている姿なんて微塵も想像がつかないので、きっと適当に流して金だけ落とさせるんだろう。

「僕は逃亡者の一部が吉原に逃げ込めるようにと条件を出しています。つまり僕に金を払った犯罪者を、ほとぼりが冷めるまでの隠れ蓑として吉原をにいさせてほしい。セキュリティさえ潜ってしまえば、あの街以上に安全な場所はこの世のどこにもないですから」
「で、もしその犯罪者が何か吉原の街に被害を及ぼしたら?」
「それはもう、僕の手が及ぶ範疇じゃありませんから」

 終夜の含みを持った問いかけに、竹下はあっさりとそう言った。それはつまり、消していい。という事だろう。竹下の裏の顔を見た気がした。
 それから明依と時雨は、鳴海に視線を移した。

「ウチの親父は、事あるごとに『高尾大夫に世話になったが何も返してやれなかった』と嘆いてる女々しい男だったモンでね」

 鳴海は小馬鹿にしたようにそういう。しかしそこには、ありったけの親しみが込められている気がした。

「カネもモノもヒトも、全部親父から受け継いだモンだ。アンタらの為に使える事を光栄に思うね」

 高尾ならあの穏やかな様子で親身になって話を聞いたに違いない。鳴海はきっと、先代の恩を返そうとしている。
 それが、仁義というヤツだろうか。

 自分は何もしていない。そんな自覚が確かに明依の中にはあった。
 しかし、あの高尾の心を動かした事。夢を語った事。そんな自分を明依は、誇りに思っていた。

「ちゃんと信用できる人間を集めてる。後は吉原の上が腐らない限り、大丈夫」

 終夜はいつもの飄々とした様子でそういう。
 明依は笑顔でこくりと頷いた。終夜は明依をみると、優しい顔で薄く笑った。それに絆されそうになったが、この男から今夜の約束をなかったことにされている事を思い出して、ちょっと腹が立った。

「じゃあ、もう終わりという事でいいですか?」

 空気を読まず、天辻はそう言って時間を確認した。

「早急に港へ戻りましょう」
「なんか予定?」
「今日は久しぶりに吉野大夫と会う約束をしています。一分、いや一秒だって待たせたくない」

 聞いた鳴海は「いいねェ」と茶化す様にそう言ったが、天辻は全く動じていなかった。

「じゃ、話は終わりね」
「あれれ。終夜ちゃーん。どこいくの~?」

 終夜はあっさりとそう言って、炎天たちが待っている出入口とは逆側へと歩いた。鳴海がおどけた様子で声をかけるが、終夜は無視して出入口を開ける。

「終夜くん。海外で怪しい動きがあります。吉原のメンテナンスの時期と重なっているのが気になる。気を付けて」
「うん。ありがとう」

 竹下の言葉にそう言うと、終夜は出入口を締めて外に出た。
 いや、なんで自分だけ外行くの?さっきのほんのちょっといい雰囲気は?自己中かよ。と思った。

「俺の知ってる終夜って男は用心深くって滅多に他人を信用しないヤツのはずなんだが。……単独行動派のアイツが警備を付けてまで、連れてきたお二人さんに興味がある」
「俺はどうせ、明依のついでだよ」
「そうか。じゃ、黎明大夫。アンタもしかして、アイツと客以上の関係?」

 鳴海は楽しそうに、明依にそう問いかける。

「私たちの関係に特別な名前はありません。それどころか、あの男は私の客でもありませんから」
「ええー!!じゃあ、終夜くんは何度もチャンスがあって圧倒的な権限も持っているのに、君を抱いてないって事!?それ、ちょっといいね。もし俺だったら、あんなことやこんなことを、」
「品性のかけらもない話はやめてください」

 赤城が驚愕として口にする言葉を、天辻は冷たい声で遠慮なく遮った。

「へー。アンタまだ終夜に手ェ、出されてないの?じゃ、俺とどう?」

 誰彼構わず抱こうとするなんて、どこの時雨だよ。と思いながら、明依は鳴海に対してあくまで毅然とした態度を保った。

「遠慮いたします。高尾大夫に言いつけますよ」
「そりゃ困る」

 鳴海はそう言うと、手を後ろについて少し体勢を崩した。

「ところでさ、黎明大夫。アンタ、アイツが初めて人を殺した時の事、知ってる?」

 世間話の様な軽い口調で始まる話題。
 裏社会の人間の間では、こんな言葉が当たり前に飛び交っているものなのだろうか。

「……知りません」
「あいつはガキの頃。両親を殺したヤツを手にかけた。でもそれは、復讐なんて可愛い理由じゃなかったんだが。……この話、気になんない?」

 『終夜はさ、希望を持たないようにでもしてるの?』
 そう聞いた時、終夜はこう答えた。
 『そんなモノ、初めて人を殺した時に見つけて、どっかで失くした』

 他人からこんな話を聞いていい訳がないのに、
 どうしても、終夜の過去に触れたい。