「あ、行こっか」

 カメラを持った彼女は走り出した。

俺はすぐにその後を追いかける。

肩までの髪が目の前で揺れ、シャンプーの匂いがわずかに漂う。

張り付いた舞台下で、役者に向かって構えたレンズの、その映し出す画面を見るフリをしながら、ずっと彼女の横顔を見ていた。

彼女はしゃべり始めた主役を撮ることに夢中で、レンズの位置がおかしくなっていることに気づかない。

声を出してしまったら、それが録音されてしまうから、俺はカメラを持つ彼女の細い手に触れないよう、そっとその角度を変えた。

目線だけで彼女は見上げる。

「うん」とだけうなずいて、俺は画面を指さした。

すぐに彼女も気づいて、小さくうなずく。

再び撮影に集中する彼女の横で、俺は満足していた。

床につく手が痛いとか、ずっとしゃがんで動き回っている膝がおかしいとか、そんなことすらどうだっていい。

体育館での、1日目の撮影が終わった。

「この後どうする?」

「ゴメン、私はミーティングがあるから……」

「俺たちも出た方がいいのかな」

「あ、それは大丈夫だと思う。何か連絡があったら、私からするし」

「そっか」

「ね、夜にオンラインで、いま撮った動画見ながら話し出来る?」

「あぁ、いいよ」

「じゃまた後で! メッセ入れるね」

 手を振ると、彼女は演劇部員のところへ駆け戻ってしまった。

そっか。そうだよね。

うん、そうだ。

俺たちは写真部だからな。

「じゃ、帰るか。部室寄ってく?」

「俺は川ちゃんのところへ行ってくる」

「川ちゃん?」

「1年の川崎さん」

 演劇部員が集まっている集団の方を指さす。

そのどこに『川崎さん』とやらがいるのか分からなかったが、もうそんなことはどうだっていい。

山本は嫌らしいほど細めた目で、俺を見た。

「夜のオンライン会議は、俺は欠席してやるよ。見たいテレビがあったからとでも、言っておいてくれ」

「どういうこと?」

「二人っきりにしてやる」

 なにが二人きりだ。

自分が面倒くさくて、やりたくないだけだろ。

「余計なお世話だ」

「俺は川崎さんだからな」

「勝手にしろ」

 俺は三脚を担ぐと、舞台に背を向けた。

山本は何のために、ここへ来て手伝ってんだか。

俺には不純な動機なんてないし、純粋に頼まれたからやってやってるだけだ。

本当は一刻も早く、コンクール用の作品を撮らないといけないってのに……。

 体育館から校舎の渡り廊下へ出る。

何かが通り過ぎたような気がした。

「ハク?」

 半透明のチビ龍を探して、周囲に目をこらしても、どこにもその姿は見当たらない。

「気のせいか……」

 そもそもそんなものが、しょっちゅう見えられても困る。

あんな、非現実的で厄介なもの……、面倒臭いだけだ。

そう。

俺の時間は俺だけのもので、他に使われることなんて許されない。