日が傾き始めたころ、2人は九段下を歩いていた。清士は現代的な高層ビルが立ち並び多くの車が行き交う光景を眺め、咲桜は傾きつつある太陽に照らされたビル群とその前の路地を早足で歩く人々を眺める。

「成田さん、今日の夜ご飯どうする?せっかくだし、どこかで食べて帰ろうかなって思うんだけど。なんだかんだお昼ご飯も食べ損なっちゃったし早めのディナーということで」

九段下は一本裏路地に入れば、これでもかというほどの飲食店が軒を連ねる。ラーメン店にカレーが自慢のインド料理店からイタリアンレストランや和食店まで幅広く、店舗も多い。

「あの店、行列ができているということは美味(うま)いところなんだな」

清士が指差した先は有名なつけ麺のお店で、既に定時帰りであろう数人のサラリーマンが並んでいた。2人もサラリーマンたちの後ろに並ぶ。清士は咲桜を建物側に連れて、車道側に立った。咲桜は清士が意識的にそうしたのを見て、わざわざ親切にしてくれなくてもいいのにと思ったが、何も言わなかった。しばらく待って店内に入ると同時に券売機で食券を買う。

「成田さん、どれにする?」

「ど、どれでも……大戸さんが選んでくれ」

清士は少し様子がおかしかった。何かに怯えているような、遠慮するような、気後れした様子だ。

「成田さんが食べるものなんだから自分で選べばいいのに。私は普通のラーメンにするけど、成田さんもそれでいいの?」

咲桜は清士がこくりと頷いたのを見て食券を買い、カウンターに座って大将に渡した。

「ラーメン2丁!」

威勢の良い声が店内に響く。そのほかはほぼ静寂で、ラーメンを啜る音と僅かなBGMだけが響いていた。

「大戸さん……本当に良かったのかい」

相変わらず清士はおどおどとした様子だ。

「え、私もラーメン食べたかったし全然いいけど」

そうじゃない、というように清士は首を振り、小声で話した。

「僕たちが食べようとしているものは高級すぎやしないか、いや、この手の料理にしてはあり得ないほど高額だ」

「そうかな……有名店とか人気店だと値段は高くなっても仕方ないし、高すぎるなんてことはないんじゃないの」

2人が食べるラーメンは850円で、有名店のラーメンにしては決して高い方ではなかった。

「大戸さん、何を言っているんだ、800円だぞ。これだけあれば同じ食べ物でも芭蕉(ばしょう)だとかそこらの高級品が買える。支那そばに800円はいくらなんでも外道(げどう)だ」

咲桜は清士がそこまで焦る理由が分からないどころか、タイムスリップしてこの人はおかしくなったのかとさえ考えた。さらに、また聞いたことのない食べ物らしきものの名前も聞こえる。

「芭蕉って、松尾芭蕉?俳句の。あと『シナソバ』って……」