馬車が舞踏会会場のお城に着いたのは、夕日が地平線に落ちかけた頃だった。
 馬車の扉が開けられて、一番最初にまずアイリーン王女が降りた。
 金のティアラを装着し、見事な銀髪を結い上げている。肩回りを覆う薄いチュールが可愛らしい、ローズピンクのオフショルダーのドレス。白いヒールを見事に履きこなしている姿は美しいのにかっこいい。
 白いシンプルなドレスを着たメリンダさんが、さっと後ろに控えた。
 次に降りたのは、白いベルベットの繊細な金糸の刺繍がされた縦襟のジャケットに、白いズボンをはいたシミオン王子。胸元を飾るひらひらしたスカーフと裾がふわっと広がってるのが素敵でよく似合ってる。
 デニス様が隣の馬車から降りてきてシミオン王子の傍についた。心なしか、いつも曲がってる背中がしゃっきりしてる気がする。
 姫さまより先にあたしが降りた。あたしは髪をポニーテールにして、アイリーン王女よりも薄いサーモンピンクの縦襟のドレスを着た。靴も共布のシンプルな物。お付きだからこれでよし。
 ヘイデン様とアーサー様が隣の馬車から降りて、こちらに歩いて来た。お二人とも、ビューテで染めた青い騎士服を着ている。といっても、いつも着ているのではなく、こういう式典の時とかに着る服だ。
 最後は姫さま。バッチリ成功のメイクにあの目の覚めるようなドレスを着て、アクセサリーを付けた姫さまはまさに完璧な美しさ。お願いだから、大股で降りないでほしい。
 ため息が出るほど美しい姫さまに、ヘイデン様は感慨もひとしおらしく、腕を目に当てて涙ぐんでいる。その背中をアーサー様がさする。
「はー……。立派なもんだなぁ」
 姫さまが首を鳴らしながらお城を見上げた。
 青い屋根の白亜の城。白い壁のお城ってなんか、青い屋根が多い気がする。
「ようこそお越しくださいましたぁ!」
 皆でお城を見上げていた丁度その時、慌てた様子で一人の女の子が声を掛けてきた。
 黒い素朴なワンピース。舞踏会の客ではない。このお城の使用人の人かな。あたしとさほど歳は変わらなさそう。
「ご招待状はお持ちでしょうか⁉」
 メリンダさんがその女の子に招待状を見せた。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ!」
 女の子が一礼し、先導するように歩く……はっや。歩いてるように見えるのに、なんかやたらと速い。あたし達もその後を追って早歩きで歩きだした。めっちゃ急ぐじゃん。やっぱ時間ギリギリだったかぁ。
 エントランスの大きな扉を通って、これまた違う扉へ。
 グロウウィンのお城もそうだけど、細い通路が複雑に入り組んでいる。どこを通っても同じような白い石壁の廊下。この女の子がいないと迷っちゃうだろうな。
 やがて、両開きの不思議な色合いの扉に辿り着いた。まるで貝殻の裏みたいな色。
「こちらで、今しばらく、お待ちく、ださいませ!」
 案内してくれた女の子が息を切らして頭を下げた。
 そして、扉のそばで控えていた男性二人が、ゆっくりと扉を開けた。
「わぁ……」
「おお……」
「これは……」
 皆、あまりの光景に言葉を失っていた。
 扉を開けた先は、とても広い広い空間だった。
 あまりに広すぎて、奥の方にたくさんいる先客が凄く小さく見える。
 それよりも目を奪われるのは、その部屋の内装の美しさだ。
 首を真上に上げて見上げるほどに高い天井には、何かが吊るされている。あれは……シャンデリアかな。高すぎてよく見えないけど。青いガラスか何かが使われているんだろう。天井付近が青く染まって揺らめいていていた。
 特筆すべきは美しい光沢を放つ壁。それはまるで真珠のよう。そうか、これが真珠石か。
 その壁には泳ぐ人魚や海藻のレリーフが施され、綺麗な貝殻が埋め込まれたりしている。反対側の壁には大きなステンドグラスが配置されていた。辺りを見渡すとところどころ、金の装飾がされた装飾品が置かれている。
 そこまで考えて気がついた。ものすごく高い天井にある明かりなのに、この広い広い空間を床付近まで余すことなく照らしていることに。よく見ると、天井は青く照らされているのに、途中から白い光に変わっていた。
 不思議……。魔法を使ってるのかな。
 あたし達が入ってきた扉の反対側、人が固まっている所より更に向こうに、この扉の倍はありそうな大きな扉があった。
 その少し上方に、四角い大きなバルコニーがある。なにかあるみたいだけど……遠すぎるのと高すぎるのと大きすぎるので、さすがによく見えない。
「ぼーっと突っ立ってたら邪魔だな。中に入るぞ」
 姫さまの一言で、皆我に返った。
 奥の方にたくさんいる人達の方へと移動する。
 他の招待客の人達と少し離れた場所で待機することにした。
 それにしても、壁ももちろん綺麗だけど、天井もものすごく綺麗……。
 壁の人魚のレリーフとあわせて、まるで海底にいるような気分になる。
 あたしがが天井に見とれていた、その時だった。
 ひそひそひそひそ、小さな話し声が聞こえた。見ると、招待客の数人の貴族がこっちを見てひそひそ話をしていた。
「見て、あそこにいる二人のご令嬢……とても美しいわ」
「本当だ。特にあの目の覚めるような青いドレスの女性、どこの姫君だろう」
「あんな美しい女性……見たことがない……」
 その言葉を聞いて、唇がぴくぴく震えた。
 だってこれって……姫さまのことでしょ⁉
 褒められてる! めちゃくちゃ褒められてる!
 もう高笑いしたいくらい! どこの姫君? バートランドの姫君です‼
 ヘイデン様は満足そうに髭を撫でつけてるし、アーサー様は凄く嬉しそうに笑ってる。アイリーン王女も褒められたからかな。
 口々に姫さまを褒める貴族の人達。ありがとう見知らぬ貴族の人。
 ……そんな気分も、次の瞬間一変した。
「いえ……、よく見て彼女の二の腕を!」
 恐ろしい物でも見たかのように、綺麗なんだけど意地悪そうな顔してる女性が小さく声を上げた。
「な、なんだあの盛り上がりは! まさか……筋肉!?」
「そんな……、貴族のご令嬢が筋肉をつけているなんて、ありえない! なんてお下品なの!?」
 はぁ?
 姫さまは肩も背中も露出してるドレスを着てるから、鍛え抜かれた筋肉の盛り上がりもよく分かるけど……これが下品⁉
 はぁああああ⁉
 さっきまでの嬉しい気持ちは霧散した。代わりに怒りが沸き起こる。
 筋肉が下品ってなに、下品って‼
 手のひらを返して姫さまを悪く言い始めた女性は皆筋肉とは無縁そうな、骨ばかりが目立つヒョロヒョロ体型ばっかり。
 この人達に比べたら、姫さまは健康的じゃない⁉それに姫さまは貴族じゃなくて王族ですけど⁉
 思わず頬を膨らませて怒っていると、姫さまに頬を突っつかれた。
「なに怒ってんの、お前」
「だって姫さま、聞いてました⁉ あの人達の酷い言葉……!」
「ああ……」
 どうでもよさそうに姫さまは首を掻いた。跡が残ったら大変だから止めてほしい。
「そりゃ、国が違うんだ。文化も価値観も、私達とは違うのは当然だろ。ここは女性は筋肉が無い方が美しいって国なんだろ。なんか言われてもしゃーない」
 姫さまのこういう所、大人だなぁって思う。あたしは無理だ。納得いかないもん。
 でも言われた本人が気にしてないんだから仕方ない。
 それにしても、筋肉が下品ってさぁ……。やっぱおかしいって……。
 なんともモヤモヤとした気持ちを抱えたその時、唐突に楽器の音がした。
 音がした方を見上げると、例のバルコニーにいつのまにか男性が立っていてラッパを吹き鳴らしていた。
 ラッパの演奏が止まった時、その下の大きな扉がゆっくりと開かれた。
 入って来たのは、もっさりした茶髪のおじさん。針金が入ってるみたいに背筋をぴんと伸ばして偉そうに歩いている。いかめしい顔つきでなんかやな感じ。
 あたし達招待客の少し手前まで歩いて来た偉そうなおじさんがこれまた偉そうに言った。
「これよりラウル殿下の御出ましである!」
 おじさんが言い終わった瞬間またラッパが吹き鳴らされ、三人の男女が扉から姿を現した。
 最初に入って来たのは、これまた物凄い美少女。
 コーラルピンクのふわっとしたセミロングの髪。くるんとカールしたぱっちり睫毛にライトブルーの大きな目。つやつやの白磁の肌。おっとりした顔つきで、一度見たら忘れられないくらい可愛い。純白のドレスがよく似合ってる。
 その半歩後ろを深い緑の髪の男の人が歩く。
 結構イケメンなんだけど、生真面目そうな表情と、冷え冷えとしたサファイアのような綺麗な青い瞳と、黒いアンダーリムの眼鏡がどこか冷たさを感じさせる。肩章のついた縦襟の、ピーコックグリーンのジャケットを着ている。体の厚みを感じるから、鍛えてるみたい。騎士様かな?
 最後に来たのは、とても端麗な男性。きっとこの人が、噂の王子様だな。
 他の人よりも背が高い。少し前を歩く人の頭のてっぺんが眉毛の位置にあるくらい。
 シャンデリアの光を受けて輝く金糸の髪。前髪からちらりと覗く白い額にはシルバーのサークレットをはめている。すっと通った鼻梁に柔和な微笑みを湛える薄い唇。ちょっと意外な太目の眉の下の、ラベンダー色の瞳がとても穏やかで優しい。
 落ち着いたワインレッドの、肩章のついた金糸の縁取りの縦襟のジャケットに、ジャケットと同じ縁取りの純白のサッシュを斜め掛けしてる。ヒョロっとした細身かと想像してたけど、意外と体格が良い。
 まさに、絵に描いたような美青年だ。
 
 ラウル王子様がすっと前に出た。
「皆さん、本日はお忙しい中、私のためにお集まりいただき、本当にありがとうございます」
 超イケメンは声まで超イケメンであった。高すぎず低すぎず、よく通る綺麗な声。そういう点では、ジェレミー様に似てるかも。ジェレミー様はものっそい色香交じりだけど。
「こうして今日、私が二十歳を無事迎えられたのも、ここにいらっしゃる皆さんが私を支え、導いてくださったからです」
 柔らかに微笑みながらゆっくりと首を動かし招待客の一人ひとりを見渡す。
 その度に他の人は感嘆の息を漏らしたり微笑んだり涙ぐんだり。息を吞む人もいたりして……。……? 今の音は、凄く近くで聞こえた気がする。なんでだろ。
「本当に、今日は素晴らしい日です。なぜなら特別な――」
 ゆっくりと招待客を見渡していた王子様が、こちらを見て言葉を途切れさせた。
 そしてまるで驚いたように目を見開いたのだ。
 なに? なんなんだ?
 戸惑っているうちに、王子様がなんとも熱っぽい視線をこっちに向けた!
 視線の先は――うげっ、あたし⁉
 一瞬身を引いて、はたと気がついた。
 王子様の視線は、わずかに逸れている。これは……あたしの後ろ?
 あたしの後ろは姫さまが――
 考えを巡らせたその時だった。あたしの体をとんでもない衝撃が襲ったのは。

 そこはとても綺麗な場所だった。
 空は澄み渡り光にあふれ、鈴蘭に似た白い可憐な小花が足元を埋め尽くして咲いている。
 風が運ぶのはこの花の香りなのかな。強すぎない、優しい甘さのいい匂い。
 どこまでも白い花畑を見渡して、少し離れた所に二人の人影がいるのが見えた。
 最初は黒い影のようだったのに、風がたくさんの花びらを飛ばして一瞬視界が途切れ、風が収まった時にははっきりとその姿が見えていた。
 その二人は――!
「お父さん! おじいちゃん!」
 あたしがまだ小さい頃に亡くなってしまった、あたしのお父さんとおじいちゃん――!
「お父さん! おじいちゃん!」
 思わずあたしは駆け出していた。
 だけどなぜか、どれだけ走っても二人の下にはいつまで経っても行けない。
 お父さんとおじいちゃんは険しい顔をして何かを叫んでいる。でもなぜか何も聞こえない。
 けれど、その唇の動きで何を叫んでいるのかは分かった。
「来るんじゃない! 来たらだめだ、リタ!」
 そう叫んでいるのだ。
――なんで、どうして!
 悔しくて悲しくて、一層全力で駆け出そうとしたけれど。
 その前に、息が止まるほどに苦しくなって、再びとんでもない衝撃があたしを襲った。

「ウゲェッホ! ゴッホ! ガッハ!」
 あいたたたたた!
 ようやく肺に空気が入ってきて、思わず激しく咳き込んだ。
 涙でブレる視界には、白い花畑ではなく石の無機質な床が見えている。
 どうやら今のは夢……ではなく、多分臨死体験的なものじゃないかな。いった!
 だってさっきから姫さまが、あたしの背中をめっちゃ全力でバンバン叩いてるんだもん。また意識飛びそう。息止まるって、いたたたたた!
 その前に姫さまに抗議した。
「グホッ、ひめさま、痛いです……」
「てぃ、ティナ、ケホッ、なにを……」
 いや、抗議しようとした。姫さまを挟んで反対側にいるアイリーン王女も叩かれてるらしく、同じく咳き込みながら訴えようとしていた。
 でも、あたしもアイリーン王女も、姫さまを見て思わず言葉が詰まってしまった。
 だって! 姫さまが見たことない顔してんだもん‼
 シミ一つない白い頬を紅潮させて、その綺麗な灰色の瞳を潤ませて。
 例えるならそう、うっとりと。そう、うっとりと‼
 ラウル王子様を見つめてるんだよ‼‼ あの、姫さまが‼‼
 前を向けばラウル王子様も姫さまを同じように熱っぽく見つめている。
 その視線は、完全に絡み合っていた。
 ……………………え? まさか、まさかでしょ⁉
 まさか、あれ?
 ひ、ひ、ひ、
 一目惚れ~~~~~~~~~~~‼⁉しかも同時に‼⁉
 噓でしょ‼⁉

 ふと、一昨日の夜を思い出した。
 姫さまと夜の海を見ながら話したこと。

――そうですよ。姫さまめちゃくちゃ綺麗なんですから、王子様もコロッと来ちゃうかもしれないですよ。あ、そしたら長年憧れてきた『一目惚れ』が体験できるじゃないですか――

 あたしが姫さまに言った言葉が、脳内に唐突に響き渡った。
 ……………………あれ。
 あたしひょっとして。
 フラグ、立てちゃった⁉