大街道を走りに走って一日とちょっと。いい加減やんごとなき漫才と馬車の旅に飽きはじめた頃。
 その日の昼過ぎに、この大陸にある港町のうちの一つ、アンバーの町中を通り過ぎ、ようやくキングストン家所有の王族専用の港へとたどり着いたのだった~。
 王族が普通の港を使う訳にはいかないからね。町と隣接してる一般の港とは少し離れた所にあるんだ。                                             
 いや~しかし久しぶりにこんなに旅した~~~!
 
 船の停泊場から少し手前に作られた駐車場で馬車が止まった。
 馬車から降りて大きく背伸びする。となりで姫さまがごきごきと首を鳴らしていた。
 全員が馬車から降りると、ぞろぞろと船の前まで歩いて行った。
 それにしても綺麗!
 澄み切った青空と深いマリンブルーの水平線をバックに、黒い船体の船が堂々と浮かんでいる。この黒い色は腐食防止の特殊な染料だって聞いた事がある。船体に、まちまちな長さの巨大な木の柱が三本突き立っている。よく見たら、船首付近から斜めに突き出している物もある。あれはマストだな。船を見るのも乗るのもは実は初めてなんだけど、図鑑を読んで勉強したから分かる。
「わあ~。船だ! 楽しみだねぇ!」
 姫さまの隣に立ったシミオン王子が額に手をかざし、眩しそうに船を見上げている。
 桟橋に並んだあたし達の後ろを、カモメが数羽クゥクゥと鳴きながら飛んで行った。
「アイリーン殿下!」
 渋い声がアイリーン王女を呼んだ。
 振り向くと、これまた渋い外見の男性がこちらに歩み寄ってきた。金糸の刺繍が映える、白を基調とした重厚なコートを羽織っている。しかし髭が凄い。ふさふさの茶髪とこれまたふさふさの髭が繋がっているように見えるから、まるで鬣みたいだ。……なんだろ、誰かに似てる気がする。
 渋ワイルドな外見だけどどこか気品がある。きっとマイルズの貴族様なんだろうな。後ろには使用人らしき人達がついてきている。
 アイリーン王女がその立派な身なりの男性を手で指した。
「彼はリスター侯爵弟ネイサン。船乗りとしての腕はかなりの物でね、今回の航海を任せている」
「ベアトリス王女殿下、シミオン王子殿下。以後、お見知りおきを」
 ネイサン様は胸に片手を当て、一礼した。
 リスター侯爵様といえば、この港町を含んだ領地を治める領主様だ。あたしも姫さまのお供で何度か会った事がある。
 弟さんかぁ、どうりで誰かに似てると思った。髭が無ければそっくりなんじゃない?
「殿下。こちらはいつでも出港の準備が出来ておりますので、いつでもお申し付けください」
「分かった。ありがとう」
 もう一度一礼し、ネイサン様は船へ向かっていった。
「さて、私たちも急いで準備しよう」
 アイリーン王女が振り向いて言った。
 それを合図に、あたし達はそれぞれ荷を船に乗せるべく準備を始めた。
 あっちの大陸はモンスターと縁遠いから、コルトホースなんて連れてったら大騒ぎになってしまう。それでコルトホースと馬車はアンバーの町長さんに預けて、あっちでは用意された普通の馬車を使うんだって。だから、必要な荷物はここで降ろさないと。
「アーサー、リタ。わしはデニス殿を手伝って来るが、二人で運べそうか?」
 荷物を載せていた馬車の扉を開けてアーサー様と荷物を降ろそうとしていた時、ヘイデン様に声を掛けられた。
 馬車の中には細長い大きな箱が五つに、豪華な装飾が施された特段細長くて大きな箱が一つ。それと、一抱えくらいの四角い箱が二つ、小箱が二つ。あと分厚い横長の箱が三つ。
 これ全部を持っていく訳じゃない。必要なのは、箱三つに特段大きい箱一つ、あとは二つの四角い箱と小箱二つ。ついでに分厚い横長の箱三つも。
 これくらいなら二人で大丈夫じゃないかな。
 アーサー様の顔を見た。アーサー様もあたしを見て頷く。
「大丈夫です、お爺様。どうぞデニス殿のお手伝いに行ってください」
「うむ」
 頷くと、ヘイデン様はセルマ国の馬車の方へと歩いて行った。
「リタ、私はどれ運ぶ~?」
 のんきに姫さまが聞いてきた。そう言われても、姫さまに荷物運びさせる訳にはいかんでしょ。
 当然、あたしの答えは一択。
「大丈夫ですので姫さまはアイリーン王女とシミオン王子の所にお行きください」
「んへっへっ、そうか。じゃあ二人とも、がんばれよ~」
 へらっと笑って姫さまはシミオン王子達が待っている方へ行った。
 姫さまはどんな従者にも堅苦しくなくフレンドリーに接してくれている。だからかな、時々主従関係を忘れてただの友達みたいに接しちゃう。それでも姫さまは怒ったりしない。だからこそ、こういう所はお姫様扱いしていかないと。
「ところでリタ。どれから持って行った方がいいかな」
「そうですね。重い物からやっつけちゃいましょうか」
 言って、あたしは細長い大きな箱を取った。横にして持ち上げるように持つ。人間で例えたらお姫様抱っこ状態だ。足元がよく見えないから、気をつけないと。
 こういう細長い箱の中には姫さまのドレスが入っている。あたしが持っているのは普段使い用のドレス。といってもお城で着てるようなシンプルなドレスよりは豪華なデザインだけどね。
 隣でアーサー様が特段豪華で大きい箱を取った。あれは舞踏会用の特別なドレスだ。それを肩に乗せるように持った。
 ……やっぱりあたしも肩に担ごう。足元見えなくて危ないし。
 箱をよっこいしょっと持ち直したその時、背後から声を掛けられた。
「私どももお手伝いいたしましょう」
 振り返ると六人の男女が立っていた。
 さっきネイサン様の後ろに控えていた使用人の人達だ。
「ああ、とても助かります。ありがとうございます」
 アーサー様が笑顔で答えた。
 アーサー様の指示のもと、残りの箱を五人の男性が持ってくれた。
「衣装置き場はこちらです。ご案内いたします」
 使用人の女性が先行してゆっくり歩きだす。
 あたし達もそれについて行った。
 少し前には、同じようにヘイデン様とデニス様が、女性に先導されて、数人の男性と共に荷物を持ってついて行っている。……デニス様の持った荷物、物凄く揺さぶられてるけど中身大丈夫なのかな。
 なんて思ってたら、いよいよ船に乗船する時が来た。
 あ~、なんか緊張する~。ほら、船に乗るのって初めてだからさ。
 船は揺れるって言うけど、どんなもんなんだろう。う~、ドキドキ!
 どうやって乗るのかと思ってたら、船のへりから、大きな木のスロープが掛けられていた。皆そこを歩いて船に乗っている。
 あたしも恐る恐るスロープを歩いた。ほら、いきなりバターン! って倒れたら怖いじゃん。
 でもちゃんとガッチリ掛けられていて、重い荷物を持った人がたくさん歩いてもびくともしなかった。
 スロープを上りきって、甲板に立った。
 おー、地面がちょっと揺れてる!デッカイ系モンスターの地揺れ攻撃よりはゆったりとした微かな揺れ。それにけっこう広い!
 木の板を張り巡らせた甲板は、お城の廊下よりも広い。玉座の間よりも広いかも。
 船尾の途中から大きな部屋があって、部屋の両側にある階段から上にある船尾の甲板に行けるようだ。その部屋の手前には、短い棒がたくさん突き立った輪っかが付いた柱がある。ひょっとして、あれが『操舵輪』ってやつかな。図鑑に書いてあった! あれで船の舵を取るんだよね。
 船首の方に行くにしたがって、なだらかに細くなっていく。船首よりやや手前の中央には穴がたくさん開いた、謎の円柱がある。なんだろ。図鑑に書いてあった気がしたけど、忘れちゃった。 
 王城や領主さまのお城の床は石造りだから、こういう木の板の床は久しぶり。硬い感触は一緒のはずなのに、木目があるだけで柔らかみを感じる気がする。
「ほらリタ、置いて行かれちゃうよ」
 アーサー様の声にハッと我に返った。初めての船だからって随分キョロキョロしちゃった。恥ずかし!
「す、すみません! つい……!」
「あはは、気持ちは分かるよ。僕も船に乗るの初めてだし。これを置いてからゆっくり見よう」
「はい!」
 見れば、案内をしてくれてる女性や荷物を持ってくれてる男性が、少し先で微笑ましそうにこっちを見ている。いや~恥ずかしい! 
 女性に「すみません!」と謝ると、にっこり笑って「大丈夫ですよ」と言ってくれた。
 改めて、女性について行く。
 甲板の船首より中ほど、謎の円柱の手前に板で出来た下に下りる階段があった。
「足元、お気をつけて」
 女性が優しく声を掛けてくれた。
 下りる度に微かにギシギシ音が鳴る。
 ドレスの入った箱を持って階段を下りるのは大変だ。ここで落っこちでもしたら凄く恥ずかしい。恥ずかしいのはさっきで十分だよ。ゆっくりゆっくり、一歩一歩確実に階段を下りた。
 下りた先は広い空間。
 ずっと先の方に、こっちと違ってしっかりした木の階段と壁際左右に部屋がいくつか続いていてるのが見えた。
「こちらです」
 女性が歩いて行くのは、階段の後ろ。
 壁にドアが三つ、横並びに等間隔で付いていた。
 女性がそのうちの、一番右のドアの横を手で差した。
「こちらの部屋をお使いください」
「ありがとうございます」
 アーサー様がお礼を言い、さっそくドアを開けた。後ろからあたしも続く。
 広めの部屋の中にはいくつかのクローゼットにドレッサーが一つ。大きな姿見と、あとは大きめの木のテーブルと椅子が二つ。
 窓はないけれど、壁に掛けられたオシャレなランタンのおかげで充分明るい。 
「こちらはどこに置けばいいですか?」
「あ、そこでいいです。ありがとうございました!」
「そうですか。それでは、これで失礼しますね」
 男性達にお礼を言うと、にっこりと笑って部屋を出て行った。
 いや~、助かったなぁ。別に重さは大丈夫だけど、何往復もするのはしんどいもんね。
 クローゼットを開けるとハンガーがいくつも掛かっていた。
 さっそくそこに箱から出したドレスを吊るす。
「リタ、このドレスはどこに吊るしたらいい?」
 アーサー様が、持っていた箱の蓋をずらした。
 目の覚めるような、キラキラと輝く深い蒼の美しいドレス。
 姫さまが舞踏会で着る用のドレスだ。
 姫さまの美しさを引き立たせるべく、王家お抱えの仕立て屋さん一家が技術と気合とノリと根性と青春の思い出で作りあげた……らしい。よく分からないけど、それを持ってきた仕立て屋のおじさんの輝く汗は忘れられない。
「あ、いいですよ。あたしが仕舞いますから。アーサー様は、アイリーン王女の所に行かないと。アイリーン王女、きっと首を長くして自分の『王子様』が来るの、待ってますよ」
 笑って言うと、アーサー様は頭を掻いた。
「それならお言葉に甘えさせてもらうけど……、大変だったら呼んでね」
「はい。その時は、お願いします」
 アーサー様は申し訳なさそうに微笑むと、分厚い横長の箱を二つ持って部屋を出て行った。
 うーん、本当に良い人だなぁ。めちゃくちゃ高貴な人なのに、押し付けたりしないでちゃんと手伝ってくれようとするんだもん。それに自分とヘイデン様の荷物はちゃんと持ってく。エライ!
 そうそう、三つの分厚い横長の箱はあたし達従者の服が入ってるんだ。今アーサー様が持って行ったのは、アーサー様とヘイデン様の服が入った箱。残りの一つは、あたしの服が入った箱。
 四着くらいしかないからこれだけで充分。洗濯して着回すからね。
 使用人の男性達が持ってくれた箱からもドレスを取り出し、次々とハンガーに掛けていく。
 姫さまが普段使いしてるドレスは、バートランド特産の『リネーシャ』っていう繊維から作られたドレス。シルクみたいな手触りなのにリネンみたいに丈夫なんだって。変色にも強いし虫も食べないし速乾性もバッチリ! ただ、シルクの光沢は無いから、きちんとしたドレスはシルク製。
 アーサー様が持ってきた箱をそっと開ける。
 姫さまが舞踏会で着るドレス。
 ビューテっていう、バートランドの国花である特別な花で染められた、ぴったりした上半身とは対照的にスカートがふんわり広がったシルクのストラップレスドレス。星の輝く夜空のような色から、裾に行くにしたがって夜明けの色に変わるグラデーションが素晴らしい。
 何度見ても、うっとりするくらい綺麗。早く姫さまが来たところを見たいなぁ。このドレスを着た姫さまは、誰しもを魅了するくらい美しいに違いない。
 ファッシ国の王子様もメロメロになっちゃうかもね! な~んて!
 それにしても、ビューテで染めた物って、相変わらずビューテの見た目からは想像もつかないほど綺麗な青色をしてる。
 さっきも言ったけど、ビューテの花はバートランドの国花。
 この花はバートランドがある山から東に五十キロほど行った所にある「デスファイアーデビルダークネス山」の山頂にしか群生していない。直径一メートルほどの、禍々しいほどにどす黒い緑の斑点がある毒々しいほどに赤い花。周囲には骨のような質感の蔓が蠢いていて、ハエなどの小型の虫を食べる食虫植物。香りはね、例えるなら揚げたてのとんかつ。採りに行くといつもお腹空いちゃう。
 花びらを刻んで乾燥させ、すり潰して粉にすることで、何故かこんな感じに目の覚めるような美しい青色になるし、とんかつ臭も消えて無臭になる。どんなものでも美しい青に染める染料になるし、これを布や金属に使うと物理耐性と属性耐性と状態異常耐性がつく万能な植物なんだ!……ぱっと見は、どうみてもモンスターなんだけどね。初見はちょっとびっくりする。
 他のクローゼットよりも一際豪華で大きいクローゼットがあったので、そこにこのドレスを仕舞った。
 次に二つの四角い箱。そのうち一つを木のテーブルに置いた。
 ぱかりと蓋を開ける。中には白金に輝く繊細なティアラと、ドレスと共布のロンググローブ。
 プラチナ製の蔓を模した土台の上部にある、ビューテの花を模した、ビューテで染められた六つの青いクリスタルの飾りがとっても綺麗。花の中央には、バイオレット家特有の瞳の色を表したロードライトガーネットが嵌められている。
 姫さまと陛下はお母様の遺伝で灰色の瞳をしてるけど、バイオレット家は代々、このロードライトガーネットのように赤紫の瞳が特徴の一つなんだって。第二子のジェレミー様はバイオレット家ゆずりの赤紫の瞳をしている。
 ティアラに破損等が無いか入念にチェックをしてから再び蓋をしめた。
 もう一つの箱は姫さまの靴が入っている。普段履きと、舞踏会用。その箱は踏んだり邪魔にならないように部屋の隅に置いた。
 そして、小さな小箱二つ。一つは姫さまのアクセサリーが入ったジュエリーボックス。といっても、姫さまはそういうの普段着けないから、舞踏会用のワンセットだけ。あとは、鬼門のお化粧道具の箱。
 両方ともドレッサーに置いて中身の無事を確かめる。うん大丈夫。
 よし、これで姫さまの物は全部片づけたぞ。あとはあたしの服。これは適当にクローゼットにしまっちゃお。
 箱の蓋に手を掛けた時、ドァバッターーン!とけたたましい音を立てて部屋のドアが開いた。ノックもせずにこんな開け方をするのは一人しかいない。この場に陛下が居たらまたお小言を貰っていただろうな。
「リタリタ、まだ終わらん感じ⁉」
 姫さまが何やら興奮した様子でドアに手を掛けていた。
「もう終わりますけど」
「なら甲板に来いよ! もう出航するぞ!」
「え、本当ですか⁉ 行きます行きます!」
 この先船に乗るかどうか分からないもんね!出航するところなんて絶対見たい‼
 あたしは自分の服をしまうのは後回しにして、姫さまについて甲板に向かった。
 部屋を出て、目の前の階段を上った時だ。いきなりグラっと船が揺れた! 思わぬ揺れにあたしの体勢が崩れた。
「きゃっ!」
「おっと」
 何かに捕まろうとしたけど、その階段には手すりが無かったんだよね。足を踏み外しかけて、間一髪、姫さまが手を掴んでくれたおかげで助かった。
「ありがとうございます」
「いいってことよ。しかし今の揺れ……もう出航したのかもな」
「ええ⁉」
 確かに、微かに上から人の話し声……かなり大きな声が聞こえる。
 姫さまが軽やかに階段を上がっていく。あたしも続いて階段を上った。
 甲板に上がると、強い日差しに一瞬目がくらんだ。明かりが充分あったとはいえ、室内と屋外とは明るさが比べ物にならないもんね。
 吹き抜ける爽やかな風。混じる潮の香り。
 目を開けると、船が大海原へ突き進んでいた!
「おおー!」
 思わず歓声が出る。
「ティナ、リタ、こっちこっち!」
 シミオン王子の呼ぶ声がする。見ると、シミオン王子が操舵輪の前で手を振っていた。
 姫さまと二人、そちらに駆け寄る。
「船尾の方、行ってみようよ。この上は見晴らしのいいデッキだから」
 そう言うと、シミオン王子が階段を駆け上った。
 姫さまがその後に続く。あたしも一緒に上った。
 階段を上りきった先には先客がいた。
 アーサー様とアイリーン王女が寄り添って外を眺めている。とてもいい雰囲気だ。なんか、いいなぁ。
 お二人の邪魔をしないように、船尾の少し離れた方へ行った。
「わぁ……!」
 石造りの港がどんどん小さくなっていく。
 こうして見てると、船に乗ってる実感がどんどん湧いてくる。
「凄いなぁ……」
「本当にね……」
 姫さまとシミオン王子も感動した様子だ。
 海に面している国に住んでるアイリーン王女とは違い、海とは遠い国に住んでるうえに長い間国をモンスターに乗っ取られていた姫さまと、それに巻き込まれていたシミオン王子も海とは縁遠い。あたしと同じ感動を覚えているのだろう。
 船が風に乗るにつれて、甲板を走る風も強くなる。姫さまのスカートがばさばさと音を立てて風になびく。
 遠くで海水同士がぶつかって白い波しぶきを立てていた。
 マイルズ国とファッシ国を繋ぐこのレグバー海峡には、特殊な海流が流れている。
 マイルズ国の海岸からファッシ国の海岸の間の北と南に、五キロほどの幅の凄まじい速さの海流が、海面から海底まで隙間なく流れている。あまりにも速すぎて、この海流に腕を突っ込みでもしたら瞬時に輪切りになってしまうらしい。
 この海流は普通の海流ではなく、九百年前に勇者が魔王を倒すためにフロタウス大陸へ渡る時と魔王を倒して帰る時、女神様が勇者一行のためにその力を使って作ったそうだ。この海流に乗って勇者一行は無事フロタウス大陸へと渡ることが出来たそうだ。ただ、勇者一行が乗った、女神様が作った神秘の船以外の船はこの海流に耐えきれず、人間が作る船ではこの海流に乗ったが最後、バラバラになって海の藻屑になってしまうそう。
 今この船から近い海流は女神様が作ったうちの一つ、南を流れる海流。これに乗って、見事魔王を倒した勇者様はフロタウス大陸からマーセン大陸へ帰ったそうだけど、今のこの時代では、海流に阻まれてこの海峡の海にモンスターが侵入できず安全に航行できるという恩恵を受けている。
 飛行系のモンスターなら来そうなもんだけど、女神様の魔力が残るこの海流を嫌ってか、そういったモンスターも現れないらしい。
「リタよ、もう部屋には案内してもらったか?」
 しばらくぼーっと海を見ていたら声を掛けられた。ヘイデン様だ。
「いえ、まだです」
「そうか。今よければ、わしが案内しよう」
「はい。お願いします」
 姫さまに手を振って見送られながら、あたしは先を歩くヘイデン様について行った。
 デッキの階段を下りて、操舵輪の少し先にぽっかりと開いている、下に下りる階段を下りていく。
 こっちの階段は荷物を置いた部屋とは違って、木製ながらしっかりした階段に手すりとランタンの付いた壁がある。
 階段を下りきると、広い空間に出た。ずっと先の方に、うっすら板で出来た階段が見える。その後ろには三つのドア。そっか、さっき荷物を置いた部屋の向かいなんだ。
 ヘイデン様について廊下を歩く。
 階段の両側には部屋があって、あたしがあてがわれたのはその向かいの部屋だった。
 ドアを開けて中を見る。お城の自室よりははるかに狭いけど、ちゃんとテーブルと椅子、ベッドとシンプルな小さめのチェストが置いてある感じのいい部屋。
「隣の部屋はアーサー、その隣がわしだ。何かあったら言え」
「ありがとうございます。あの、姫さまの部屋は?」
「ああ、姫さまはあそこだ」
 ヘイデン様が顎をしゃくって指す。
 あたしの部屋は通路沿いらしい。あたしの部屋の並びに、ドアが二つ並んでいる。ヘイデン様とアーサー様の部屋だな。
 その先、他のドアと違い金の装飾が施された扉が見えた。あれが姫さまの部屋なんだな。
 ヘイデン様にお礼を言うと、さっそく部屋の中を見回した。といっても狭い部屋だし、特に何がある訳でも無いんだけど。
 備え付けのチェストにあたしの服をしまおうかと思ったけど、ちょっと小さいしクローゼットの方がいいよね。
 ……っていうか、服まだしまってない!
 あわててあたしは服をしまいに部屋を出た。

 ちゃんとクローゼットに服をしまい、皆で一緒に夕日に感動して(アーサー様とアイリーン王女はもちろん二人っきりで良い雰囲気だった)、夕食を食べて、やがて夜が来た。
 大騒ぎしていた高貴な面々もお腹いっぱいになって時間がたったら落ち着いたようで、今は静かにそれぞれの部屋にこもっている。
 そう言うあたしも、ゆったりした揺れに眠気を感じてきた。でも食べた直後に寝るのは良くないって言うしなぁ……、あれいいんだっけ? どっちだっけ?
 ……まぁいいや。眠気覚ましに外に出て空気を吸って来よう。
 ベッドのサイドテーブルに置いてあった火のついたカンテラを手に取り、あたしは部屋のドアを開けた。
「よっす」
「にょわぁぁぁあ⁉」
 ドアを開けたら姫さまが居た。めちゃくちゃ驚いた。
「バッカお前、声がデカいよ」
「だってだって、姫さまが急に居るんですもん!」
「……へ? 気づかなかったの? お前」
 姫さまが不審そうに肩眉を吊り上げた。思わず頬が膨れる。
「だって今めちゃくちゃ眠いんですもん。気づきませんよ」
「ふーん。お前も外行くんだろ? どうせなら一緒に行くか?」
「はい。……姫さま、明かりは?」
「え? いる?」
「要りますって!」
 今、夜ですけど⁉ いくら月明かりがあるとはいえ、慣れ親しんだお城にいる訳じゃないんだから、何があるか分からないでしょ!
 しょうがないなぁ。
 先導してあたしは歩き出した。
 階段を上り甲板に出る。振り返って、上って来る姫さまの足元を照らした。
「姫さま、足元気を付けてくださいね」
「へーいへい」
 生返事と共にドカドカ足音を立てて姫さまが上ってきた。陛下がいたらまたお小言を貰っていただろう。
 空には満天の星。そして猫が笑ったような三日月。とても綺麗だが、お世辞にも明かりにはならない。せめて満月だったらなぁ。カンテラ持ってきて良かった。
「リタ、こっち行くぞ」
「あ、待ってください」
 暗さも気にせず姫さまがズカズカ歩いて行く。
 月明かりに姫さまの白いネグリジェがぼんやり浮かぶ。姫さま、またケープも羽織らないで……。肌寒くないからいいけど。
 船の手すりに肘を置いて海を眺める姫さまの隣に並んだ。
 アンバーの港町を出て数時間、周りを見渡しても、もう海しかない。
 夜の海は吸い込まれそうなほどに真っ黒で、微かに三日月が映っているように見えるくらい。時折海の中でキラキラと光るのは、夜行性で夜光性の、大型の魚だそうだ。真っ暗な海中に幻想的な光が線となって流れていく。遠くで小さな銀色の光が海中から現れては消えていく。あれも魚かな。
 こんなにゆったりと海を眺められるのも、ここが絶対にモンスターが出ない安全な海域だからだね。
 手すりに置いたカンテラの明かりが揺らめいた。
「ファッシ国の王子様って、どんな人なんでしょうね」
 進行方向、ファッシ国があるであろう方角を眺めて何の気なしに言った。
「背が高いかなりの美青年だってさ。それに性格も凄く良いんだそうだ。彼に愛されたいと願う姫は多いってアイリーンが言ってた」
 夜風が通り抜け、あたしの髪と姫さまの髪を揺らしていく。
 ふと海を眺めていた姫さまがあたしに目を向けた。
「どうする? お前、王子様に見初められたら」
「え? あたしが? まっさかぁ。ありえませんよぉ」
 唐突に何を言うんだろうか、この人は。
 笑い半分呆れ半分に言う。
「分かんないだろ。身分違いの恋なんて、吟遊詩人の詩や絵本の中では定番じゃん」
「それはそうですけど……」
 平凡な町娘……ではないけれど、ごくごく平々凡々な容姿のあたしがそんな激すご王子様に見初められる訳ないから、しょせん物語は物語なんじゃなかろうか。
「イケるって。リタ、むちゃくちゃ可愛いから。それともお前が惚れちゃうかもね。そしたら一目惚れの感想教えてよ」
 そんなことを言って笑う姫さまの顔をカンテラの明かりが照らす。
 その顔は慈悲深い女神のように美しい。見初められるとしたら、まさに姫さまのような人なんじゃないの?
「それを言ったら姫さまだって可能性はあるんじゃないんですか?」
「はぁ? 私か?」
「そうですよ。姫さまめちゃくちゃ綺麗なんですから、王子様もコロッと来ちゃうかもしれないですよ。あ、そしたら長年憧れてきた『一目惚れ』が体験できるじゃないですか」
 そう言ったら姫さまはこの上なく呆れた顔であたしを見た。なんでじゃ。
「あのなぁ。私が、一目惚れしたいの。されたいんじゃないの」
 ……そんなの誤差というか、些細な違いじゃないのかなぁ。違うか。
「なら、するかも知れないですよ? かなりの美青年なんですよね? ファッシ国の王子様」
 すると姫さまは意地悪そうに笑った。
「美青年ってさ、うちの国にどれくらい居ると思う?」
「えーっと……」
 いる。めっちゃいる。
 ロイド様やグエン様を始めとして、うちの国はイケメン揃いだ。
 ふと、とある男性を思い出した。
 実を言うと、あたしにも憧れてる男性はいる。
 ただこれは恋じゃないってはっきり言える。だって、なんか違うんだもん。周りに相談したこともあるけど、皆口を揃えてなんか違うって言ってたし。
 その男性は、バートランドのとある侯爵様。
 背が高くてとても綺麗で優しい人。
 その人を見るだけで、胸がほわっとなって、心がキュン!ってなって……。
 生唾が出るというか、何かの欲が搔き立てられるというか、そそられるというか。
 ね。絶対恋じゃないでしょ、これ。だって恋ってもっと甘酸っぱいもんなんでしょ? こんな、ザ・欲望! みたいなもんじゃないでしょ? じゃあこれが何なんだ、と聞かれたら答えられないんだけど。それにその人にはもうラブラブな婚約者がいるしね。
 船の手すりに腕を乗せて姫さまが頬杖をついた。
「なんかさー、私の周りイケメンだらけで、絶対私の美的感覚ヤバいと思う。多分、その辺のイケメン王子様じゃ琴線に触れない気がする」
 それは分かる。姫さまは小さい頃からイケメンに囲まれてるから、余計慣れきってるかも。だって姫さまに仕えて五年のあたしですら、もう普通のイケメンにはドキドキしなくなったもの。一目惚れってその名の通り一目見ただけで惚れなきゃいけないんでしょ?よっぽどの超イケメンじゃないと一目惚れできないかもなぁ。
 しばらくそうやって姫さまと二人夜の海を眺めていたけど、姫さまが大きなあくびを一つ。それを見てたらあたしもあくびが出た。
「もう寝るか……。肌寒くなってきたし」
「そうですね。というか姫さま、部屋の外に出る時は上着を着てください」
「ぼぁ~い……」
 あくび交じりに返されて、またあたしもあくびが出た。
 二人でたくさんあくびをしながら、来た時と同じようにあたしと姫さまはそれぞれの部屋に戻った。