「あ、そっか。ごめん、田畑さん。またな」

「あの、はい。また」



ふたりは飲み物のコーナーに移動した。



「つーか、これからテストとか鬼じゃね?」

「塾って結構テスト多いよなー」



ふたりはわりとボリュームのある声で話しているので、私がいるガムとあめのコーナーにも会話が聞こえてきた。



(塾に行っているんだ、西原くん)



どこの塾だろう?

ふとそう思って、首を振る。

おんなじ塾に通えたら、なんて思ってしまうけれど。

さすがにそれはやり過ぎかも。

お金もかかるし。

西原くんに気持ち悪がられたら、ショックで死ねる。



(だからガムでおんなじがほしいのに)



「そういえば西原、ガムはいいいの?」



西原くんの友達が聞いた。



「ん?」

「お前いっつもガム噛んでるけど、買い足さなくてもいいの?」



(ナイス!)



西原くんの友達、ナイス質問!

私は右手の親指を思わず立てた。



「別に平気。家に売るほどあるから」



西原くん達がレジ前に移動する気配がした。

レジ前からだと、私のいるガムとあめのコーナーが見えるはず。

慌ててあめの商品を適当に手に取り、今まさに吟味しているふうに装った。



「妹がさー、何かに応募したらしくて、あのガムを半年分当てたんだよ。でもさー……」



西原くん、妹さんがいるんだ?

思わぬところで西原くんの新情報を得た。



「あいつ、ミント味って知らなかったらしくて。苦手だからって半年分全部、オレにくれたわけ」



(あのガム、ミントの味なんだ!)



ミント味とわかったら、もう少し探しやすくなる。

どのメーカーのミント味なのか、このまま話してくれないかな。



「へぇ。でも西原超気に入ってるじゃん。そんなに美味しいの?どこのガム?オレも買おうかな」



(ナイス!!)



西原くんの友達に感謝を込めて、再び右手の親指を立てる。



「んー、それは無理かも」



西原くんは言った。



(え、無理?)



レジでお会計をしているのか、ふたりの会話が途切れる。

私の心はそわそわした。



「なんで無理?」



西原くんの友達が話しかけ、ふたりの会話が再開するみたいだから。

私は、耳に神経を集中させる。



「あのガムさー、期間限定のレアものらしいんだよ。だからもう、どこにも売ってないし。期間も終わったから」



(え……)



ふたりは店の外に出て行く。

遠くのほうで西原くんの友達の「まじかー」という声が聞こえた。








もう1学期も残りわずか。

私はお弁当を食べたあとの昼休みを、いつものようにイヤホンを耳にさして、音楽を聴きつつ過ごしている。

ただ、ぼんやりと。



ポンポンと、肩を軽くたたかれる。

顔を上げると、クラスの目立つグループに属する女子数人が立っていた。



イヤホンを外して、
「あの……?」
と、恐る恐る尋ねる。

女子達の中でも真ん中に立っている女子が、一歩前に出て私に近づいた。

前に西原くんにガムをねだっていた女子だった。



「今日の放課後ってヒマ?」
と、女子はニコニコして聞いてくる。



嫌な予感。

でも黙って頷く。



「良かったー。じゃあ、お願い聞いてくれる?掃除当番、代わってくんない?私、今日は掃除してらンなくて〜」



一応疑問系で話しているけれど、有無を言わさない威圧感みたいなものを彼女から感じた。



「あ、はい」

「ありがとう!えっと……」


「……田畑、です」

「田畑さん!そうそう、田畑さん!」



女子達はクスクス笑いつつ、口々に「ラッキー」とか、「便利」とか言いながら去って行った。



(ま、いっか)



特に用事もないし。

女子達の背中を見つめつつ、またイヤホンを耳元に持って行くと。



「嫌じゃないの?」
と、西原くんの声がした。



振り返るといつの間にか私の席の後ろに、西原くんが立っている。

驚きすぎてイヤホンを落としそうになった。



「オレから断ってやろうか?」



西原くんがニイッと笑う。

私は首を振って、
「大丈夫です」
と、言った。



すると西原くんは、
「ふーん。あっそー」
と、口をもぐもぐと動かす。



(あ……、今、ガム噛んでるんだ)



手に入らない、私のほしいもの。

そう思うと気持ちがしゅるしゅるとしぼんでいく。



「じゃあ、放課後は集合だな」



西原くんはそう言って、自分の席へ移動する。



(え?)



集合って?

どういうこと?



よくわからないまま、放課後を迎えた。

西原くんは教室に残っている。



「あれ?西原、帰んないの?」



クラスの男子が不思議そうに声をかけると、
「大事な用事があるから」
と、西原くんが答えていた。



心臓がドキドキしてくる。

『大事な用事』?

それってさっき言っていた、『放課後は集合だな』と関係があるの?



(どういうことなんだろう?)



考えている間に教室に残っているのは、私と西原くんだけになった。



「やっぱりな」



西原くんがそう言って、私に話しかけてくる。



「掃除当番の奴ら全員サボってるじゃん。田畑さんに頼んでいるところを見て、なんかヤな予感がしたんだよ」



立ち上がり、掃除用具入れに近づく西原くん。



「オレも手伝うから。ふたりでしたほうが早く終わるし」

「え、そんな……、申し訳ないです」



頼まれたのは私なのに、西原くんを巻き込んでしまった。



でも西原くんは、
「田畑さんは気にしなくていいっつーの。ほら、さっさと掃除!」
と笑って、私に箒を渡してくれた。



それから、
「なんかさっきの会話、前にもしてなかった?オレら」
と、言った。

「あ……」



ふたりで可笑しくなってクスクス笑う。

箒で床を掃きながら。

ずっとこんな時間が続けばいいのにって思った。



「あの時さー」



西原くんが掃き続けながら言う。



「田畑さんがひとりで掃除してた時さー、鼻歌とか歌いながら文句ひとつ言わずに作業してたじゃん?」



思わず顔が赤くなる。

恥ずかしい。

でも。

そんなことを覚えてくれているんだ、と嬉しくもなった。



「オレさー、ちょっと感動したんだよね。自分だったらここまでできるのかなって考えたし」

「そんな……、私は別に」

「すごいことだと思う。今日だって、田畑さん全然嫌な顔しないし。だからオレ、手伝いたくなるのかも」


「え?」

「『え』じゃないよ。田畑さんだから手伝いたいっつってんの」



西原くんはニイッと笑った。

あのいたずらっ子の少年のような。

ふんわりやわらかい天使のような。

心臓をわし掴みにされるような表情。



「なぁ、終わったら何か食べたくない?」



集めたゴミをちりとりに入れながら、西原くんが言った。



「オレ、何かおごるよ?」

「そんな、申し訳な……」



断りかけて、頭の中にある考えが浮かんだ。



「ん?何、どうした?」



(言っていいのかな)



でも、今しかない。

この機会を逃したら、もうこの先ずっと……。



セミの鳴き声が急に大音量で聴こえた気がした。

夏休みが近づく足音みたいに。

心のすみっこに住みついている寂しさの叫びみたいに。



「田畑さん?」



言わなきゃ。

頑張れ、私。



「……ガム」

「ん?」


私は。

西原くんとおんなじがほしいから。



「ガム、が、ほしいです」



箒を持つ手に、じんわり汗がにじんだ。