「失礼します!」
 風紀委員室についた悠貴は、乱暴に扉を開ける。すると、いつもの席で仕事をしていたすみれが、驚いたようにこちらを見てきた。
「あれ? 悠貴――」
「すみれ! 話がある!」
 悠貴はそういうと、後ろ手に扉を閉めて、すみれのすぐ隣に移動する。しかし、すみれは悲しそうにそっぽを向いた。
「……何? 実は恋人がいましたって――」
「その事なんだけど、俺、恋人なんていないから!」
 そっぽを向くすみれに、必死に話しかける悠貴。しかし、すみれはこっちを向こうとしない。
「それじゃ、あの人は何なの? 私に面と向かって言ってきたけど」
「國松から聞いたよ。その……えっと……なんとかっていう、隣のクラスの女子だろ?」
「面代氷麗さん」
「あ、そうそう、それそれ。つーか俺、そいつと面識ないから、そもそも!」
 悠貴が必死に弁解すると、やっとすみれがこちらを見た。しかし、その目はまるで悠貴に「嘘つき」と言わんばかりのもので……
「それに、クラスだって一度もかぶった事ないし、なんなら授業でも会ったことないからな? つーかそもそも面識が無いわけだから、そいつがどんな人間なのか……髪が長いのか短いのか、めがねをかけているのかいないのか、とか、全然分かんないんだって!」
 悠貴がそこまで話すと、すみれは何かを見極めるように悠貴の目をじっと見つめた。悠貴も、負けじとすみれを見つめ返す。すると、すみが溜め息をついた。
「……分かった。てことは、面代さんが嘘をついているって認識でいいんだね?」
 すみれの問いに、悠貴は大きく頷く。すると、すみれは頬杖をついた。
「じゃあ、なんで面代さんは、私にわざわざあんな嘘をついてきたんだろう……」
 落ち着いた様子のすみれに、悠貴は心の中で安堵の息をつく。そして、すみれの隣の席に座った。
「それは俺が聞きたいくらいだよ……とんでもないデタラメ流されて、超迷惑だし……」
 悠貴はそういうと、盛大な溜め息をついた。そして、ちらっとすみれを見る。
「……それに大体、すみれは知ってんだろう? 俺があんまり女子と絡みたがらない性格だって」
 悠貴の質問に、すみれは瞳を瞬かせる。その後、「あっ」と呟いた。
「そういえばそうだったね。特にギャル系とか、押しが強い系は距離を置きたい派だったね」
「だろ? なのに何で、そんな嘘信じるんだよ」
 悠貴が不服そうに言う。すると、すみれは俯いた。
「だって、分からないじゃん……実は皆に内緒で、こっそり付き合っていたのかもしれないし」
 すみれの話しに、悠貴は「あー」と苦々しく呟く。その後、すみれの頭にぽんっと手を置いた。
「まぁ、とにもかくにも、これで俺に恋人がいないって、信じて貰えた?」
 悠貴がすみれの目を見て尋ねる。すみれは悠貴の目を少し見た後、「うん」と笑顔で頷いた。その笑顔に、つい悠貴もつられる。
「でもさ、変な悠貴。わざわざ”俺に恋人なんていないから”って、弁解する? 普通」
 すみれに言われて、悠貴は「げっ」と呟く。
「い、いやぁ、その……俺のせいで、誰かさんがえらく落ち込んだんだ! って、誰かさんのお友達が生徒会室に殴り込みにきたもんだからさぁ……」
 悠貴がそういうと、すみれは六花を想像したのか「六花め……」と苦々しく呟く。
「でも、俺に恋人がいるって知っただけで動揺する、すみれもすみれだよなぁ」
 そして、さらりと一言。この一言にすみれの肩がびくっと揺れた。
「だ、だって……その……」
 言い訳を考えているのか、頬を赤くして視線を泳がせるすみれ。悠貴はそんなすみれを見て、思わずにやける。
「あ、あれは、その、驚きのあまり気が動転しちゃったってだけで! 別に、深い意味はないからね!」
「へー?」
「そうでしょう? あんなにも女子生徒と絡むのを嫌がっていた悠貴に、実は恋人がいました、なんて知ったら、普通は驚くでしょ?」
 すみれがそういって悠貴を見る。すると、悠貴はにやけたまま「ふぅん?」と頷く。
「ま、そういう事にしておきましょうか」
「なっ……ほ、本当だってば! 信じてないでしょ!?」
「さぁて、それはどうかなぁ?」
 顔を赤くして怒るすみれ。悠貴はそんなすみれの頭から自分の手を離した。
「そのにやけ顔……絶対怪しい……」
「人の笑顔を怪しむとは……酷い風紀委員長様だなぁ」
「いや、今のは笑顔じゃない! 絶対に人をからかっている時のにやけ顔だから!」
 わいわい、いつものテンションでつっかかってくるすみれ。そんなすみれを見て、悠貴は安心したように微笑んだ。すると、すみれが思わず固まる。
「……ど、どうしたの?」
「いや……やっぱりすみれは、こうでなくちゃなって思って」
 悠貴が微笑みながらさらりと言ってのけると、すみれの顔が赤くなった。そして、視線をそらす。
「……す、すみませんね、いつも賑やかで」
「まぁ、今に始まった事じゃないし」
「……失礼な奴……後で六花から悪口のシャワーを浴びさせよう……」
「いや、それはもういいかな……さっき、滝のように浴びてきたから……」
 苦々しく呟く悠貴。そしてすみれとお互いに顔を見合わせると、同時に笑い出した。
「あはは! そっか、そうだよね! 何て言われたの?」
「いやぁ、國松、登場から凄かったんだよ? 何だっけかな……あ、そうそう――」



 それから数日後。
(あれから毎日のように視線を感じるし、相変らず姿も確認できない……だけど、俺がすみれといる時にあの殺意ある視線を感じる……和春曰く、面代氷麗らしき女子生徒が俺のクラスをよくのぞいているっていう目撃情報もあったらしいから、十中八九、そいつが犯人だろうな)
 そんなことを一人考えながら、頬杖を悠貴。そして、そんな悠貴を教室の後ろからじっと見つめているのは、渦中の面代である。
(はぁ……頬杖をついて憂い顔……なんて素敵なお姿……絵になるとはまさにこの事……)
 恍惚と悠貴を眺めている面代。一方、一人頬杖をついていた悠貴の所に、すみれがやってきた。
「おっはよー、悠貴」
「おはよう、すみれ」
 いつも通り挨拶し、いつも通り他愛のない会話をする2人。すると、悠貴を見つめていた面代が悔しそうに顔を歪めた。
(またあの女……懲りずに私の会長に話しかけて……釘を打ったって言うのに、全く響いていないのね……!!)
 歯ぎしりが聞こえそうな勢いで表情をゆがめる面代。そして、恨めしそうにすみれを睨みつける。
(……来たな、この視線)
 殺気に満ちた視線を感じ取った悠貴。今までなら振り返っていたが、今回はあえて無視を決め込んだ。
「あのね! あれからあのプレゼント機能の使い方、マスターしたよ!」
「やっとかよ! それじゃ今度、通信してテストしてみよっか?」
「望むところ!」
 いつも通りわいわい盛り上がるすみれと悠貴。するとそこに、六花がやってきた。
「おはようございます、お姉様ぁ!」
「おはよう、六花」
「……と、おまけの会長様」
「俺はおまけかよ……」
 相変わらずの六花の態度に、すみれも悠貴も苦笑い。
(……おかしい。いつもなら私の視線に気がついて、振り返ってくれるのに……)
 わいわい盛り上がる悠貴達を見て、怪訝そうに顔をしかめる面代。
(どうしてなの? あ、まさか……あまりにも恋人の私が愛おしすぎて、直視出来なくなっちゃったの?!)
 なんと言うポジティブ思考だろうか。面代は自分の中でそう決め込むと、悠貴に送る視線の眼力をさらに強めた。
(もう! 会長ったらシャイなんだから! 氷麗はいつでも、会長のことウェルカムなのに!)
 ニヤニヤと見つめる面代。すると、悠貴が突然身震いをした。
「大丈夫? 寒いの?」
「あ、いや、大丈夫。あ、あはは……」
 すみれの心配をかわし、笑ってみせる悠貴。
(な、何だ今の視線は……今までの殺意あるものとは違った……そう、俺が一番苦手とする視線……)
 思わず振り返りたくなったが、ぐっと堪える。そして、必死に笑顔をキープして話を続けた。
「あ、そうだ。すみれと國松に、あとでちょっと話しておきたいことがあるんだけど……」
「え? 何?」
「実は――」



 放課後。
 すみれは今日も、一人であちこちウロウロして回っていた。理由は勿論、風紀委員の仕事のためである。
「さてと、後はこれを生徒会室に届けて、風紀委員室に戻ろうっと」
 生徒会室を目指して、一人足を進めるすみれ。すると、その途中で見覚えのある人物を見かけた。
(あっ……面代さんだ)
 あの日、すみれに「自分は生徒会長の恋人だ」と言ってきた面代である。彼女は生徒会室の扉の前に立っていた。
「何かありました? 面代さん」
 わざとらしく名前を呼んで声をかけるすみれ。すると、面代はキッとすみれを横目で睨み付けた。
「来たわね……貴方、この前の私の話、聞いていたの?」
「生徒会長と恋人って話?」
「そうよ。あの話を聞いておいて、よくもまぁその後も人の彼氏にあんなにべったりできるわね」
 仁王立ちになってすみれを睨みつける面代。しかし、すみれは顔色一つ変えず、そのまま彼女を見返した。
「じゃあ、逆に聞きたいんだけどさ。面代さんってさ、いつ悠貴と会っているの? 恋人関係にしては、全然絡みがなさそうに見えるんだけど」
「そ、それは……ほ、放課後に、生徒会の仕事が終わった後とかよ!」
「ふぅん? それじゃ、もう一個聞くけど。悠貴から、恋人の話はおろか、貴方の名前さえ聞いたことないんだけど、何でかな?」
「え、えっと、それは……か、会長が照れ屋なだけで、私の話をしたがらないだけなんじゃないの?」
「へー。それじゃ、貴方は悠貴の恋人って言っているのに、なんで名前じゃなくて”生徒会長”とか”会長”って呼んでいるの?」
「そ、それは……な、名前だと、誰だか分からないと思って……!」
 怯むどころか、どんどん詰め寄る勢いで質問してくるすみれに、思わずたじろぐ面代。
「あとね、悠貴と副島君が言っていたんだけど。二人とも貴方とは面識がないって言っていたんだ。これってどういう事かな?」
「し、知らないわよ! か、会長は照れ屋だからそう誤魔化したんでしょ!?」
「だとしても、副島君が悠貴の恋人の存在を認知していないのは、おかしな話だと思うんだよね」
「だから! 会長はあえて伏せているの! 何度言ったら分かるの!? 大体、なんでそんな事を、その……そえじま? とかに言う必要があるの!?」
 最後の面代の反応に、すみれは首を傾げた。
「あれ? 面代さん、副島君の事、知らないの? 悠貴の恋人なのに?」
「だ、だったら何よ……!」
「悠貴と副島君は大親友の域を超えた、いわば竹馬の友くらい仲が良い関係なんだよ。悠貴を語る上で欠かせない超重要人物だよね。そんな超重要人物を知らない、だなんて……本当に恋人なのかなって」
 すみれの話に、面代は冷や汗を流しながら彼女を睨んだ。
「……貴方、私が会長と付き合っているのに嫉妬して、陥れようとしているのね。浅はかな女」
 面代がそういうと、すみれは反対方向に首を傾げた。
「浅はか……かな? それはお互い様なんじゃない?」
 そういって、ニコッと笑うすみれ。面代はその笑みに若干の悪寒を感じた。
「それじゃ、白黒はっきりさせよっか。このやり取りに」
「し、白黒って――」
 面代の返事を聞くこともなく、すみれが生徒会室の扉をトントントン、とノックする。すると、すぐに扉が開き、奥から悠貴が現れた。
「お疲れ、すみれ。書類待ってたよ」
「ごめん、ちょっと立ち話しててさ。はい、これが資料ね」
「サンキュー」
 悠貴はすみれから書類を受け取りながら、話を続けた。
「それより、随分盛り上がっていたみたいだけど……一体何の話をしていたの?」
 悠貴の問いに、面代の肩がびくっと動いた。
「そうそう。悠貴、彼女の事知ってる?」
 すみれはそういうと、自分の目の前に立つ面代を見た。悠貴は、その場から同じく面代を見る。
「えーっと……すみれの友達?」
「ううん。たまたま生徒会室の前に立っていたから、話しかけただけだよ」
「あ、そうだったんだ。君、生徒会に何か用かな?」
 悠貴がそういうと、面代は顔を真っ赤にさせ、口をもごもごと動かした。
「いや、あの、その……!」
「あれ? どうしたの? 恋人に会いに来たんじゃなかったっけ?」
 すみれの一言に、今度は面代の顔が青くなった。そして、驚いたようにすみれを見る。
「え? 恋人?」
「うん。生徒会にいる恋人に、会いに来たっぽいんだよね」
「へー。誰のことだろう。言ってくれれば呼んでくるけど」
 すみれと話し終えた悠貴が、面代を見る。面代は、青い顔のまま「えっと、その……」と口をパクパクさせていた。
「あれ? 何言ってんの? 恋人って悠貴なんじゃないの?」
「え? 俺?」
「うん。さっき言ってたよ、自分は生徒会長の恋人だって」
「あっ――!」
 さらっと言ってのけたすみれ。面代はすみれを止めようとしたが、時既に遅し。悠貴は怪訝そうな顔を見せた。
「……えーっと、悪いんだけど、俺、恋人いないんだよね……人違いじゃないかな?」
 悠貴がそういうと、面代は「がーん」と嘆く。そして、力なくその場に座り込んだ。
「そ、そんな……いつも私のこと、見つけてくれていたのに……いつも私をみて、微笑んでいてくれたのに……!!」
 涙を浮かべて話す面代。すると、悠貴は生徒会室から出て扉を閉め、すみれの隣に立った。
「追い打ちをかけて悪いんだけど、俺、君とは初対面なんだよね……」
「そんなぁ!!」
「いや、本当に申し訳ないんだけど、名前さえ把握して無くて……上履きのラインカラーから、同学年って事は分かるんだけど……」
「嘘よ! 毎月の朝礼集会で、私の方をみて微笑んでくれていたじゃない! 毎朝廊下から見つめる私の視線に気がついて、毎回振り向いてくれていたじゃない!」
 声を荒げて反論する面代。すると、悠貴は「あー……」と苦々しく呟いた。
「朝礼集会の時って、もしかして、生徒会長挨拶の時かな?」
 悠貴が尋ねると、面代は何度も頷く。
「確かに、皆に萎縮されないように笑顔で話すようにはしているよ? それに、ちゃんと全校生徒の顔をみるようにするために、生徒の方に視線を配ってはいたけど……誰か一人を凝視するようなことはしてないからなぁ……」
 そういって、首の後ろに手をあてる悠貴。ちなみに、朝礼集会とは月一回開かれる全校集会のことで、朝、全校生徒と教員が体育館で集会を行うのである。この集会では、校長の話を始め、生徒会長である悠貴も壇上でスピードしているのだ。すみれもよく、風紀委員絡みの話をするために壇上にのぼっているが。
「それじゃあ、毎朝私の方に振り向いてくれたのは……!?」
「あれは、ただ単に嫌な視線を感じたからってだけだよ。一緒にいるすみれとかに、敵意を向けているような人だったら嫌だなって思って」
「い、嫌な視線……!」
 悠貴にとどめを刺されたのか、面代はそのまま項垂れた。
「そんな……それじゃ、全部、私の勘違いだったの……!?」
「残念だけど、そうみたいだね」
 すみれがそういうと、面代は顔を上げた。そして、悔しそうにすみれを睨む。
「くっ……覚えておきなさいよ! これで図に乗らないことね、南雲すみれ! 会長は、必ず私が――」
「あーっと、ごめん、もう一ついいかな」
 悠貴が面代の声を遮る。すみれと面代は、何事かと悠貴を見た。
「俺、恋人はいないけど、許嫁がいるからさ。申し訳ないけど、そういうのはお断りしてんだよね」
「いっ……!?」
 思いもよらぬワードに、面代がフリーズする。そして数秒後、いきなり立ち上がると「ぴえーん!!」と叫びながら廊下を駆けて行った。
「あ! 廊下は走っちゃだめだよ……って、もう遅いか」
 思わず風紀委員長のクセで注意の声をあげたすみれだったが、遠のく面代の背中を見て諦める。その後、悠貴に向き直った。
「ありがとうね、悠貴。相手してくれて」
 すみれがそういうと、悠貴は「どういたしまして」と笑顔で返す。そして、生徒会室の中にすみれを招き入れた。
「お邪魔しまぁす……それにしても、考えたね。恋人でも好きな人でもなく、許嫁ときたかぁ」
 生徒会室に入るなり、すみれが感心したように呟く。すると、悠貴は扉を閉めながら答えた。
「まぁ、下手に恋人がいる、とか、気になる人がいる、とか言って、騒ぎ立てたくなかったしね」
 そういって笑う悠貴。すみれもつられて笑った。
「嘘も方便とはいうけれど……発想が違うねぇ、相変わらず」
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
 すみれがそう言うと、悠貴は「そりゃどうも」と苦笑いしながら返す。
「しっかし、やっぱりアイツが諸悪の根源だったんだな」
「諸悪の根源って……一応、面代さんは恋心で動いていたんだから、そんな悪く言わないの」
「いや、だって……」
 すみれに注意されて、悠貴は言い返そうとしたが黙り込んだ。そんな悠貴に、すみれは首を傾げる。
(すみれを泣かせた時点で、俺の中では超重罪なんだけど……まぁ、それは黙っておくか)
「だってさ、毎朝毎日、訳の分からない視線に付き纏われていたんだぜ? 流石にあれは滅入ったわ……」
 そう言うと、すみれは苦笑いする。
「そういえば、悠貴は女子のああいう視線が苦手だったっけね」
「そうだよ? だからもう、毎日が拷問みたいなもんだったよ……」
「でも、悠貴に対しては”悪意”じゃなくて”好意”だったんだから、そんなこと言わないの」
 すみれがそういうと、悠貴は不服そうに「へーい」と答える。それを聞いて、すみれは「よろしい」と返事をした。
「それじゃ、私はこれで風紀委員室に帰るね」
「ああ、また後でな」
「うん」
 こうして、すみれは生徒会室を後にした。
 


 次の日から、あの妙な視線はもう無くなったという。