三日月が怪しく輝き、どこか古びた二階建ての大きな屋敷を照らす。その屋敷の一室、天蓋付きの大きなベッドに一人の少女が眠っている。ミルクティーブラウンの肩より少し長めの髪に、ぷるんと潤った赤い唇、白くて華奢な体はレースやリボンがついた可愛らしいネグリジェを見に纏い、まるで眠り姫のようだ。

「んっ……」

少女の目がゆっくりと開く。開かれた瞳は、シトリンを思わせる黄色だ。少女は不思議そうに辺りを見回し、「ここ、どこ?」と呟く。

少女が寝ている部屋に置かれた家具などは全てロココ調で、まるでお姫様になったような気分である。少女がふかふかのベッドを降り、可愛らしいクローゼットを開けると、そこにはお姫様が着るようなドレスが何着も入っている。

少女はドレスをしばらく見つめた後、ゆっくりとクローゼットを閉じ、自分のことを思い出そうとする。少し経つと、自分の名前がミア・アンバーで、両親を十二歳の頃に亡くし、親戚の家に引き取られたということだけは思い出せた。
だが、その親戚の顔や、自分が今までどんな家でどんな暮らしをしていたのか、それが全く思い出せない。まるで頭の中に霧がかかっているかのように、何もわからないのだ。

「でも、私はこんな素敵なドレスは持っていなかったはずだし、こんなネグリジェも着ていなかったはず……」

ではここは一体どこで、誰がミアにネグリジェを着せたのか?ミアは恐怖と好奇心を心に抱きながら、ドアノブに手をかける。鍵を外側からかけられているわけではなく、ドアは何の抵抗もせずに開いた。

部屋の外にあったのは、長い廊下だった。廊下は薄暗く、足元にハロウィンで飾るようなかぼちゃのランタンが並んで置かれている。

「可愛い!そういえば、もうすぐハロウィンだもんね」

ミアの頭にふと、赤く色付いたカエデの葉が浮かぶ。カエデの木がたくさん並ぶ広場がある村に住んでいたな、とミアは思い出す。

「このまま色んなものを見ていけば、少しずつ思い出すのかな」
ミアがそう呟き、期待を胸に歩き出そうとした刹那、「フラフラ歩き回っちゃダ〜メ」という声が聞こえ、何者かに抱き締められる。

「ひっ!」

背後には誰もいなかったはずで、人の気配すら感じなかった。ミアが恐る恐る後ろを向くと、リボンタイの黒いスーツを着た背が高く、華やかな顔立ちの男性がニコニコと笑っている。ふんわりとした白い髪に、ルビーのような赤い目をして、耳には十字架のピアスがつけられている。

「おはよう、ミア」

名前をミアは教えていないのに、男性はミアの名を言った。この男性に見覚えはなく、ミアが何かを思い出したこともない。

「あなたは誰?どうして私の名前を知ってるの?」

ミアが訊ねると、男性は目を夜空に輝いている三日月のように細め、ミアの唇をそっと指でなぞる。

「僕はマシュー。君の王子様」

「王子?」

訳がわからず、ミアが首を傾げているとマシューに手を取られる。そしてマシューが歩き始めたため、ミアも歩かざるを得なかった。
屋敷の中は広く、部屋の数も多いため、まるで迷路のようだ。長い廊下を歩き、何度も角を曲がった後、マシューはある部屋のドアを開ける。

「どうぞ、お姫様」

「あ、ありがとう……」

マシューに連れて来られた部屋には、長いテーブルが置かれ、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。テーブルの上には一枚の皿と、フォークとナイフが並べられている。

「おっ、やっと起きたか〜」

ミアがテーブルを見つめていると、マシューのものとは違う声が聞こえてくる。振り返れば、マシューより少し背が低く、黒い髪にサファイヤのような青い目をした男性がいた。この男性も華やかな顔立ちである。マシューと同じ格好をしており、ミアを見てどこか嬉しそうにしている。

「えっと、あなたは……?」

「俺はカイル。不幸なお姫様であるミアを幸せにするためにここに連れて来たんだ」

カイルに手を取られ、マシューが豪華な椅子を引く。エスコートされたミアが椅子に腰をおろすと、先ほどまで何もなかったお皿の上にカップケーキが現れた。

「えっ?」
驚いてポカンとなってしまうミアに、カイルがフォークを手に取って、カップケーキに刺す。そして、「ほら、食べて」と言いながらミアの口元に持ってきた。

「あの、自分で食べれます!」

小柄で肉付きがあまり良くなく、幼く見られがちなのだが、ミアは十六歳なのだ。子ども扱いされるのが嫌で、つい強い口調で言ってしまう。すると、二人はしばらくしてから笑い出した。

「そうか、恋愛したことがないんだったね。可愛いなぁ〜」とカイル。

「揶揄われていると思ったの?それとも恥ずかしがり屋さん?どっちにしても可愛いよね!」とマシュー。

馬鹿にされているような気がして、ミアが口を閉ざすと、「そんな顔しな〜い。可愛い顔が台無しだよ?」とマシューに頬を軽く突かれる。

「俺たちは、ミアのことが恋愛的な意味で好きなの。好きな子にはね、食べさせてあげたくなるものなんだよ」

カイルにそう言われ、ミアは驚いてしまう。かっこいい男性に「好き」と言われれば驚いてしまうのは当然なのだが、ミアの中には「どうして私のことを?」という思いがあった。自分の容姿に自信がないのだ。
ミアが驚いていると、不意にカイルに胸を触られ、悲鳴が部屋に響く。触り方がどこかいやらしい手つきで、ミアは半泣きになりながら胸元を手で隠した。

「な、何するんですか!?」

「ん〜、肉がもうちょいついた方がいいかなっていう確認。十六歳なら、まだ大きくなる可能性はあるしね」

だから食べなよ、とフォークを口元に持って来られるが、ミアはこんな人に食べさせて貰いたくないと口を固く閉ざす。すると、視界が一瞬で黒に包まれた。

「何?んっ!」

驚いて声を出した隙に、カイルにカップケーキを口の中に押し込まれる。カップケーキは表面はカリッとしているのだが、中はふんわりと柔らかく、バターのいい香りが広がっている。

「マシュー、そのまま目を隠しといて。目が見えなかったら、自分で食べられないだろ?」

「カイルさんだけずるくない?僕だって「はい、あ〜ん」ってしたいのに」

ミアの目の前が真っ黒になったのは、マシューに手で目隠しをされてしまったからのようだ。マシューの手をどかそうとしたのだが、まるで接着剤で引っ付いているかのようにマシューの手はミアの目を覆っており、ミアは諦めて大人しくカップケーキを食べる。