子供たちはよくつぶやく、「日常は退屈」だと。
 
 
 それは少年少女たちの嘘偽りない、言葉だった。


 別に深い意味なんてない、SNSの海に流すような細やかな言葉の舟だった。これは誰もが感じている、日常の感情なのだと――“どうせみんな同じでしょう?”という共感を求める。



 雪を見てはしゃぐような年頃ではないけれど、まだ真実をこの瞳で見たわけではないけれど。

 
 月無くんと話したお伽話が、心に降りつもってゆく。

 とても美しく、綺麗に。


 だから恐ろしさなんて存在ない、それはとても都合のいい嘘で出来ているようで、そんなものは脆く崩れ落ちるのだと知らぬ子供たちは――なんて愚かなことだろう。