「だって誰かに見られたら恥ずかしいし」
「誰か来ても木が多いから隠れられる。それよりさ、ドキドキしてきた?」
「え、えっと…」
ドキドキはしてる。でもこれって正直に言うと意識しているのがバレちゃうよね。
「ドキドキしない?てか苦しい?」
「苦しくはない。…ドキドキしてるよ」
言わないともっと違う勘違いを生みそう。それにあの時の胸の鼓動は稲葉くんが原因だって分かったから。
「そうか。ならもう少し触れてもいいか?」
「稲葉くん…?やっ!ちょっとどこ触ってるのよ!?」
稲葉の大きな手は雅の背中に伸びて、さするようにして触りだした。
「大声出すな。本当に人が来るぞ?」
「来たら確実に稲葉くんのせいだからね。ねぇ、そろそろやめよう?」
素肌に稲葉くんの手が触れてなんかくすぐったい。
「嫌だ。ちょっとスイッチ入ったから付き合え」
スイッチって何のスイッチさ?!ていうか、いつまで人の背中触ってるのよ!?
背中に伸びていた手は雅の頬の方に伸びてきた。
何?何するのよ?!
チュッ
へ…?今、頬っぺに何か当たった。柔らかくて生あたたかい。
これってもしかして...稲葉くんの唇?
「…ごめん。帰るか。これ以上遅かったら余計怒られそうだしな」
「そう、だね…」
何が起こってたの?稲葉くんが私にキス?
唇じゃなかったけど、されたところが熱い。
心臓の鼓動だって、抱きしめられた時より早くなってる。
益々稲葉くんのこと意識しちゃう。稲葉くんはどうなの?私のこと意識してるのかな。
今すぐ聞きたい。けど…今はやめておこう。最終日の練習試合が終わってからでも遅くはない。
今は部活に集中してもらいたいし、頑張っている稲葉くんの邪魔はしたくない。
「稲葉、もっとボールを見ろ!」
「はい!」
二日目の今日は午前中はそれぞれの学校で午後から夕方まではまた春歌と海氷の混合チームでの練習です。
「稲葉ーお前は次はわしのメニューじゃ。あいたたた…」
「はぁ…はぁ…。はい」
稲葉は水分補給をしてから外に出てランニングに向かった。
稲葉くんのメニューは基礎の体力メニューが多い。
いくら基礎が大事だからといってもこれは多いような。
「監督腰大丈夫ですか?」
「おお〜小鳥遊ちゃん。わしを心配してくれるのか。嬉しいの〜。他のマネージャーは冷たいことしか言わないのに」
「あはは…」
それは監督が無理して朝からランニングして腰を痛めたからですよ。
お医者さんからはまだ安静にって言われてたのに。
「身体動かせないのは暇じゃの〜。小鳥遊ちゃんわしの話に付き合ってくれんかの?」
「いいですよ。少しの時間なら」
「ふぉっふぉっふぉ。やっぱり小鳥遊ちゃんは優しいの〜。…小鳥遊ちゃんは稲葉のメニュー見てどう思った?」
私が気になっていたこと…!もしかして監督はメニューを見ていた私の様子が変で辛くても話をしようと。
「基礎の体力トレーニングが多いなと思いました。一年生だから体力も基礎も大事なのは分かるんですけど、これは普通より多いかなって」
下手をしたらオーバーワークになりかねない。それくらい監督は分かっているはずなのに。
「ふぉっふぉっふぉ、さすがじゃの〜。稲葉はな、中学時代はとても強い選手だったんじゃが、最後の試合の時にケガをしたんじゃ。それからリハビリを続けてある程度まで動けるようになったんだが、今でもそれを引きずって足腰に力がまるで入っておらん。だからいつ試合に出てもいいように、足腰だけは万全にしたいんじゃ。技術は完璧だからあとは本人の気持ち次第なんじゃよ」
そうだったんだ。今まで稲葉くんのことを誰よりも見てきたつもりだったのに。
それに気づけないなんて私はマネージャー失格だ。
明日の試合までに私に出来るサポートをしよう。
だって明日の試合は稲葉くんが私のために勝つって言ってくれたんだから。
「監督。私、今日は稲葉くんのサポートをしてもいいですか?」
「よかろう。ここは人手が足りておる。小鳥遊ちゃんが出来るサポートをしてやりなさい」
「はい…!ありがとうございます」
雅が外に出ると稲葉が丁度ランニングを終えていた。稲葉に作ったドリンクを片手に駆け寄る。
「稲葉くんおつかれ。はい、ドリンク」
「おう、サンキューな」
汗の量が多い。あとで経口補水液を少し作って持っていこう。他のみんなもかなりの汗をかいていたはずだし。
「今日も暑いね。日陰で休もうか」
それと涼しい場所でリラックスするのも大事。
「そうだな」
競技場の裏にある日陰で休むことにした。ここは風当たりが良くて休むにはピッタリな場所だ。
ここはコンクリートでできているから日陰ならヒンヤリしていてある程度身体もクールダウンできる。
「調子どう?」
「問題ない。これなら明日の試合はバッチリだ」
「…花火絵監督から聞いたんだけど稲葉くん、中学最後の試合でケガしたんだよね?」
「あぁ。そうか聞いたのか。てことは俺がまだ気持ち的に負けていることも聞いたのか?」
「うん。練習見ている限り自信がある感じだったからてっきりそんな悩みなんかないって思ってた。気づけなかった自分が情けないな」
入部当初から近くにいて、体調管理とかしてきたのにメンタル面になるとこれっぽっちも力になれていない。
「情けないわけないだろ。そこまで相手のことを知るのは困難なことだ。小鳥遊が気にすることじゃない」
「でも、入部当初から一緒にいるのにって思っちゃうんだ。苦しい時には手を差し伸べたいのに…」
私が他にも背負わせているものもあるから余計そう考えてしまう。
「ならさ、今俺が考えていること分かるか?」
「えーと…お腹が空いた?」
「違う。まぁそれも当たってはいるけど。もっと他のことだ」
もっと他って…あ!分かった!きっとコレに違いない…!
「じゃあ監督のメニューは疲れる!これでしょ」
自信満々に言うと稲葉は吹き出して笑う。
ハズレてしかもドヤ顔で言った自分が恥ずかしくなってしまった雅はあわてて周りをキョロキョロみて挙動不審になる。
「ははっ!確かに監督のメニューは疲れるけど、それも違う。やっぱり分からないかー。ちょっと耳貸せ」
耳?誰もいないんだから普通に話せばいいのに。
そう思いつつも、稲葉に自分の耳を貸す雅。そして稲葉はその耳にふぅ〜っと息をかけた。
「いやぁ!な、ななな何するのよ!?」