「…ああ」
あいさつをしてみたけど、千隼くんはプイッと外のほうを向いてしまった。
わたしが前にいるとき、微笑んでくれた千隼くんからは一変。
「…もしかして、なにか怒ってる?」
「そりゃ…、イラつくに決まってんだろ」
そう言って千隼くんは、わたしのほうを向いて机に突っ伏した。
そして、上から目線でこう言った。
「咲姫が他の男にチヤホヤされて、うれしいわけねぇだろっ」
いじけたように、腕枕に顔を埋める千隼くん。
その仕草がかわいすぎて、わたしのツボにドストライクに入ってしまった。
そんな千隼くんにちょっかいをかけたくなって、わたしは千隼くんの髪をツンツンしようと手を伸ばす。
だけど、千隼くんの席との間には隙間があって、手が届かない。
だから、机を軽く持ち上げて、千隼くんの机とくっつけた。
そして、ツンツンしようと手を伸ばした瞬間――。
「捕まえたっ」
ニヤリと口角を上げた千隼くんに、その腕を握られた。
「…千隼くん、気づいてたの!?」
「ああ。暴走族やってると、嫌でも相手の気配とかわかっちゃうんだよ」
そう言って手を持ち替えると、わたしの指に自分の指を絡ませながら優しく握った。
「もう離さねぇ」
その男らしい言葉にも、わたしの心は揺さぶられる。
「怒ってたんじゃないの…?」
「咲姫がくっつけにきてくれたから、機嫌治った」
はにかむ千隼くん。
みんなといるときは、いつもクールなのに――。
わたしだけに時々見せる甘い顔があるだなんて…、そんなのずるいよっ。
「俺の隣は、咲姫の特等席だから」
千隼くんとの距離――。
わずか、30センチ。
こんな近距離で、そんな甘い言葉を囁いて…。
…もしわたしが、好きになっちゃったらどうするのっ。
『2年A組に、女の転校生がきた!』
という噂は、その日の始業式の前には、全校生徒たちの間に広まっていて――。
始業式後。
A組の教室には、わたしをひと目見ようとやってきた、1年生から3年生までの男子生徒たちで溢れかえっていた。
「うわー!本当に、この学校に女の子がいる!」
「しかも、私服かわいすぎだろっ!」
「ゆるふわロングヘアがたまんねぇ〜!」
あまりにもみんなで押し寄せてくるから、一瞬もみくちゃにされそうになった。
だけど――。
「咲姫に指一本でも触れてみろ。お前ら、ただじゃすまねぇからな」
千隼くんはわたしの前に立ちはだかり、他の男の子を半径2メートル以内には近づけないようにしてくれた。
ほとんどの男の子は、千隼くんの気迫に負けて、おとなしく言うことを聞いている。
だけど、そんな素直な生徒ばかりではない。
「なんだよ、偉そうにっ」
「後輩のくせに、生意気なんだよ!」
そう言って、千隼くんの言葉を無視して侵入してくる3年生の先輩もいたけど――。
「…いででででででっ!!」
「お前っ…、先輩に手ぇ上げていいとでも思ってるんかぁ〜!」
「お前らこそ、俺がだれだか知ってて、喧嘩売りにきてるのか?」
すぐさま千隼くんに捕らえられ、関節技をきめられるのだった。
だから今のところ、男の子になにかされたことはない。
本当に、心強い用心棒だ。
『いつでも咲姫のそばにつかせることができるしな!』
千隼くんは、お父さんの頼みを忠実に守ってくれていたのだった。
そして転校初日は、始業式と簡単なホームルームだけで、お昼までには終わった。
だからそのあと、千隼くんに校内を案内してもらった。
まだ、自分の教室と職員室の場所しかわからない。
…保健室、図書室、音楽室、理科室、家庭科室などなど。
ある程度の教室の場所は教えてもらった。
1階は1年生の教室があり、2階は2年生、3階は3年生という校舎の造りだ。
そして、わたしは今3階を案内してもらっている。
「ねぇ、千隼くん。あの突き当りの教室はなんなの?」
わたしは、遠くのほうの教室を指差す。
その下の階は、図書室。
さらにその下の階は理科室のはずだから、おそらくあそこもなにかしらの特別教室のはずだ。
だけど千隼くんは、その教室を睨みつけたまま動かない。
「あそこは…、生徒会室だ」
千隼くんが、ようやく重い口を開いた。
しかし――。
「…咲姫、あの部屋には近づくな」
「え…?」
千隼くんはわたしの手を引くと、足早に3階の階段を駆け下りた。
まるで、生徒会室から遠ざけるかのように。
そのあとは、いよいよ寮を案内してもらうことに。
一度学校から出るけど、寮があるのはそのすぐ隣。
塀で囲まれた、その中にある。
千隼くんは、ポケットから取り出したカードを鉄柵の門のそばにある機械にかざす。
すると、門からガチャッという音がした。
「咲姫は、もう渡された?このカードキー」
「うん!朝に、校長先生から」
わたしはリュックからカードキーを出して、千隼くんに見せる。
「寮と外を出入りするには、このカードキーが必要。普段はこれで門は開けられるけど、それができるのは、朝の7時から夜の18時までの間」
それ以外の時間帯は、インターホンを押して、寮の管理人さんに開けてもらわないといけないんだそう。
しかし、朝練などで早く出るのはともかく、基本的に指定された時間外の出入りは禁止されている。
つまり、門限は18時。
お父さんと暮らしていたときは、門限は17時だった。
だから、わたしの場合はむしろ1時間も伸びることになる。
「でも、みんなはなかなか言うこと聞かないんじゃないの?」
噂通りのやんちゃそうな生徒たちばかりだったし。
校則や決まりだなんて、みんなにとったら関係なさそうだけど。
「…いや。それが、そうでもねぇんだよ」
門限なんてお構いなしに自由に出入りしているかと思いきや、千隼くんは深刻そうな顔をして呟いた。
話を聞くと、この寮の管理人さんは40代の女の人。
そして、校長先生の昔の知り合いなんだそう。
…おそらくそれは、当時の亜麗朱の元メンバーということを意味している。
つまり、管理人さんにとって、やんちゃな男子中学生の面倒を見ることは、赤子の手をひねるくらい簡単なこと。
現に、『門限を破って夜遊びして帰ってきた生徒を、一晩中シメ上げた』…という噂もあるんだそう。
だから、みんな恐ろしくて、門限までには必ず戻ってくるらしい。
「たとえ、女でも容赦ねぇと思うから、咲姫も門限には気をつけろよ」
「う…うんっ」
わたしは、つばをごくりと飲んだ。
そして、いよいよ寮の中へ。
寮は、打ちっぱなしのコンクリートでできた、おしゃれな外観だった。
パッと見る限りでは、とても寮には思えない。
「きれいなところだね」
まるで、デザイナーズマンションみたいだ。
すると、ここから少し離れたところに、同じような建物が見えた。
「千隼くん、あっちは?」