そんなお父さんのいきなりの提案によって、わたしの用心棒に千隼くんが抜擢された。
そのあと、引っ越し業者さんがきてくれた。
千隼くんを含む、慧流座の他のメンバーは、お父さんの引っ越しの手伝いとしてきてくれたらしい。
みんなのおかげで作業は早くすみ、お父さんを乗せた引っ越しトラックは、新しい引っ越し先へと発進したのだった。
引っ越し作業も手伝ってもらったことだし、その日はわたしの家で、慧流座のメンバーに晩ごはんを振る舞った。
「それにしても、まさか総長と咲姫さんが昔の幼なじみだったとは〜!」
そう言って、青い髪の人がわたしの作ったビーフシチューを口へと運ぶ。
「うんっま!!」
いつもと同じように作ったビーフシチューだけど、目をまんまるにして「おいしい」と言って食べてくれた。
名前は、ヒロトくん。
目がクリックリでかわいい顔をしていて、人懐っこくて、まるで弟みたいな感じ。
歳を聞いたら、わたしの1つ下だった。
昨日ぶつかったときは、こわい人たちだと思っていたけど、引っ越し作業を通して話してみたら、みんないい人たちばかりだった。
黒髪の人が千隼くんだとわかって、イメージも一変。
無口でクールなところは変わらずだけど、小学生の頃は、いじめっ子からわたしを守ってくれる優しい人だった。
そんな千隼くんが総長を務める暴走族なんだから、そこに集まる人の人柄のよさがわかる。
「ごちそうさまでした〜!」
「またきまーす!」
晩ごはんを食べ終わると、みんなは帰る準備を始めた。
「咲姫。明日から出かけるときは、必ず俺に連絡して」
「う、うん」
「これ、俺の連絡先だから」
千隼くんは、電話番号の書かれた紙をわたしに渡した。
「咲姫になにかあったら、すぐに駆けつける。ずっとそばにいるから、安心しろ」
まるで、子ども扱いするかのように、千隼くんはわたしの頭を優しく撫でると、みんなを連れて帰っていった。
みんなが帰ると、部屋は静まり返った。
さっきの賑わいが、まるで嘘のよう。
もう、お父さんもいない。
千隼くんをそばに置くなんて、お父さんが言い出したときはびっくりした。
でも、そうしてくれてよかったのかもしれない。
慧流座のみんな、そして千隼くんがいてくれるおかげで、わたしの寂しさも紛れるのだった。
朝ごはんを作ろうとキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けようとしたとき。
冷蔵庫の扉に、フェイクスイーツのマグネットで挟んだ、小さな紙が目に入った。
『咲姫。明日から出かけるときは、必ず俺に連絡して』
これは昨日渡された、千隼くんの電話番号の書かれた紙だ。
たけど、どういうときに千隼くんに連絡したらいいのかわからなくて、この冷蔵庫の扉に貼ったままになっている。
千隼くんは『出かけるとき』って言ってたけど、それって何kmくらいのお出かけのとき?
…いや、何時間単位での計算??
お母さんのお見舞いに行くときは、ちょっとしたお出かけになるから、そういうときに千隼くんを呼ぶんだろうけど…。
徒歩数分のコンビニやスーパーに行くときまで、わざわざ呼び出す必要なんてないよね。
むしろ、そんなちょっとの買い物で呼び出されたら、千隼くんのほうが迷惑だよね。
今日はスマホ代の支払いのために、コンビニに行く予定をしていた。
それと、今日から新発売するコンビニスイーツを買いに。
だから、朝ごはんを食べ終わったあと、わたしはふらっと家から出かけた。
コンビニへ着くと、真っ先にスイーツ売り場へ。
【NEW】と書かれたポップのプリンを1つ手にすると、スマホ料金の明細を持って、レジに並んだ。
「ありがとうございました〜」
店員さんの声を背中に受けて、わたしはコンビニから出る。
なにもなければ、そのまままっすぐ帰るつもりだったけど、わたしは家とは逆方向に歩いていた。
さっきコンビニで、「少し早いけど、お花見しちゃお〜」という会話が聞こえた。
もうすぐ、4月。
徐々に桜が咲き始めている頃だ。
だから、ちょっとお花見気分を味わいたくなって、桜並木のある川沿いへ向かったのだ。
川沿いの桜は、まだ満開ではなかったけど、それでも十分にきれいだった。
見上げながら、桜並木をゆっくりと歩く。
「そうだ!写真に撮って、お父さんに送ろうっ」
わたしは、アウターのポケットに入れていたスマホに手を伸ばすと、くるりと振り返り立ち止まった。
そのとき、目の端に入った…人影。
偶然だとは思うけど、わたしが振り返ったタイミングで、その人も立ち止まって背を向けた…。
…ような気がする。
黒のパーカーのフードを被っていたから、顔は見ることはできなかった。
不思議に思って見つめていたけど、その人は背中を向けたまま歩いていってしまった。
このときは、とくに気にすることはなかった。
…しかし。
黒のパーカーの人は、その後もわたしの行くところに姿を現すのだった。
駅前の美容院に行ったとき。
近くのポストに、手紙を出しに行ったとき。
はたまた、徒歩数分のスーパーへ買い物に行ったとき。
気づけば、遠くのほうに見え隠れしているのだ。
…もはやこれは、ただの偶然ではない。
この1週間で、同じ黒のパーカーを着た人を何度も目撃した。
しかも、どれもフードを被って顔を隠している。
…まさか。
これって、…“ストーカー”?
なにがなんだかよくわからないけど、知り合いなら話しかけてきてくれるはずだ。
それを近づきもせず、遠くから眺めているだけだなんて…。
だけどここで、わたしの頭の中にあることがひらめいた。
もしかして、…実はあれが千隼くんだったりするのかな。
『そばに置く』って、そういう意味だったのかな?
なんとなく、背丈も千隼くんに似ているような気がする。
…そうか!
やっぱり、千隼くんだっ!
そうだとわかれば、なんだか安心してきた。
無口でクールな千隼くんだから、話しかけてこないのにも納得がいく。
ちょっとそこまでのお出かけのときにも、気配もなく突然現れるなんてすごすぎだよ。
さすが、お父さんが認めた用心棒だ。
その日の夜。
寝る前に、お父さんと電話で話した。
〈やほー!お父さん、元気?〉
〈…咲姫ぃぃぃ!なんだか、1年ぶりの咲姫の声に感じるなぁ…〉
〈も〜。相変わらず、大げさだなぁ。まだ1週間しかたってないでしょ?〉
向こうに行ってからはバタバタしていたらしく、メッセージはやり取りしていたけど、電話はこれが初めて。
〈この前の桜の写真、ありがとうな。こっちはまだ、三分咲きくらいだよ〉
〈そうなんだっ。そっちの暮らしにはもう慣れた?〉
〈まぁ…少しずつだなっ。ところで、咲姫はどうなんだ?そのへんの男に言い寄られてないか!?〉
〈大丈夫、大丈夫!だって、千隼くんがいつも見守ってくれてるから〉
お父さんが引っ越してしまってからの、この1週間。
黒いパーカーを着て、まるで黒子のようにわたしのそばについていてくれている。
その話をお父さんにしたんだけど…。
なぜか不通になったかのように、パッタリと会話が途絶えてしまった。
そして、お父さんが声を発したと思ったら、思いもよらない言葉が返ってきた。
〈…ん?お父さん、昨日千隼とメッセージしたけど、『まだ咲姫からの連絡はないから、一度も動いてない』って言ってたぞ?〉
…え……?
昨日、千隼くんが…そんなことを?
で…でも、いつもだれかがわたしのそばにいるよ?