しかし、わたしの気持ちは光さんへ向くことはなかった。
光さんも、それは薄々感じ取っていたんだそう。
「僕がここで咲姫を縛ったら、きっと咲姫はお前を想って泣くことだろう」
せっかく想いが通じ合ったというのに、また千隼くんと離ればなれになるのだけは…イヤだよ。
ふと、光さんがわたしに目を向ける。
そうして、頬を緩めた。
「僕は、慧さんにぶっ飛ばされるのだけはごめんだからね」
呆れたように、フッと笑う光さん。
光さんは、お父さんとの約束を覚えてくれていたんだ。
『たとえ亜麗朱の総長だったとしても、万が一咲姫を泣かせるようなことがあったら、オレがお前をぶっ飛ばしに行くからな』
『わかっています。咲姫さんを泣かせるようなことはしません』
そして、そのためには自分が身を引くしかないことも。
「悔しいが、最初から最後まで…僕の負けだ。咲姫は、慧流座…いや、お前に守られるべきだ」
光さんは優しく微笑んでみせると、保健室から去っていった。
わたしと千隼くんは、ゆっくりと顔を見合わせる。
「千隼くん…、これって」
「…ああ。二階堂が、俺たちのことを認めてくれたみたいだな」
その瞬間、緊張の糸が解けて、強張っていた表情が緩む。
額と額をくっつけて、わたしたちは幸せを噛みしめ合ったのだった。
そして、閉会式。
棒倒しでは3年生には負けたけど、結果的に総合優勝は2年生となり、最も活躍した千隼くんが優勝トロフィーを受け取った。
その夜。
202の部屋に、久しぶりにわたしと千隼くんの姿が揃う。
お風呂上がりで、上半身裸の千隼くんの背中に、恥ずかしがりながらもわたしが湿布を貼る。
「これで、よし!」
服を着た千隼くんを背にして、自分のベッドへ戻ろうとしたとき――。
「…キャッ!」
後ろから腕を引かれて、気づいたら千隼くんのベッドの上に倒れ込んでいた。
そのまま布団の中へ引き込まれ、後ろから千隼くんが抱きしめる。
「…なにするの、千隼くんっ」
「今夜は…こうしていたい」
耳元で囁かれる吐息がくすぐったい。
千隼くんは、離ればなれになっていた日々を満たすかのように、わたしを愛おしく愛おしく抱きしめたのだった。
布団の中で、夜遅くまでたくさんの話をした。
わたしが光さんの部屋へ出入りしていた理由。
千隼くんが、勝負にわざと負けた理由。
すべての誤解が解け、千隼くんと両想いになれて安心したわたしは…。
千隼くんの腕の中で眠ったのだった。
…最悪だ。
わたしは、ベッドの中でうずくまる。
付き合い始めて少し落ち着いてから、2人でお父さんに報告した。
もうそのときの顔といったら、目を見開けて驚いていた。
でも、わたしの交際相手は、自分の認めた後輩。
だから、悔しがりながらも、わたしたちの交際を許してくれた。
「咲姫さんは、一生かけて俺が守ってみせます」
千隼くんは、お父さんの前でそう宣言してくれた。
それから、千隼くんと付き合って4ヶ月がたった。
わたしたちのお付き合いは、いたって順調。
千隼くんは、学校や外に出たときには、わたしに変な虫がつかないようにと守ってくれる。
慧流座のみんなと集まるときだって、たとえ仲間であっても、わたしに気安く触らせようとはしない。
そんな頼もしくて、心強い千隼くんだけど…。
「咲姫、もっと俺に甘えて?」
「咲姫がかわいいから、溺愛してもしたりない」
「好きすぎて、やばいんだけど」
2人きりの部屋では、とびっきり甘くなる。
そんなクールとスウィートな2つの顔を持つ千隼くんに、わたしは戸惑いつつも、もっともっと好きになっていく。
そして、新しい年になり、3学期もこの前始まったところの…1月14日。
わたしは、ベッドの中で寝込んでいた。
夜中から寒気がするなとは思っていたけど、朝起きて体温を計ったら、38.7度。
どうやら、風邪を引いてしまったみたいだ。
「咲姫、今日はおとなしく寝てろよ」
千隼くんはわたしの頭を優しく撫でると、マフラーを巻いて部屋を出ていった。
わたしだって、風邪を引くときもある。
それは仕方のないこと。
でも、なんで今日に限って…。
1月14日の今日は、千隼くんの誕生日。
2人で過ごす初めての誕生日だから、もちろん誕生日プレゼントも用意するつもりだった。
でも、千隼くんがずっとそばにいるから、1人でこっそり買いに行く時間がなくて…。
当日に買おうと思っていたら、わたしが熱を出してしまったというわけだ。
思い描いていた千隼くんの誕生日と違うかたちになってしまって、わたしは布団の中で悶ていた。
お昼休み。
千隼くんがわたしの様子を見に、一度戻ってきてくれた。
食堂で、作ってもらったお粥を持って。
そして、5限の始まりの予鈴が聞こえると、千隼くんは名残惜しそうにして、学校へと戻っていった。
それから、6限が終わったら大慌てで帰ってきてくれた。
購買で、アイスとゼリーとスポーツドリンクを買ってから。
「咲姫。アイスとゼリー、どっちが食べたい?」
「…今は、アイスかなっ」
手渡されたのは、バニラアイス。
だけど、力が入らなくて、フタを取ったあとにあるビニールが、なかなか剥がせない。
「貸してみな」
千隼くんは、代わりにビニールを剥がしてくれた。
そして、スプーンをアイスの表面に刺したかと思ったら――。
「んっ」
そう言って、アイスをすくったスプーンをわたしの顔の前に差し出した。
…え?
これって、もしかして…食べろってこと?
少し戸惑いながらも、小さく開けた口でアイスを頬張る。
わたしの熱い口の中で、一瞬にして溶けてしまったアイス。
それが、今の火照った体にはすごく染み渡る。
「よくできました」
スプーンをくわえるわたしを見て、千隼くんが微笑んだ。
「…これくらい、自分で食べられるよっ」
「ダーメ。ヘロヘロなくせに、無理すんなって」
…そう。
千隼くんの言う通り、わたしは朝よりも熱が上がっていて、ただ今の体温は39.5度。
実は、アイスを食べるのに体を起こしていることすら辛かったりする。
千隼くんに「あーん」とされて、食べさせてもらうのは恥ずかしいけど…。
でも、うれしかったりする。
「千隼くん、今日は会合があるんじゃ…」
毎週水曜日の夜は、アジトで慧流座の会合がある。
千隼くんは、管理人さんに見つからないように、いつもヒミツの抜け道から寮の外へ出て、会合に出席していた。
すでに、その時間のはずだけど…。
「今日は欠席」
「…えっ、いいの?総長がいなくても…」
「そんなの、どうだっていいよ。だって、咲姫より大事なものなんてないから」
そう言って、千隼くんはわたしのそばに寄り添ってくれた。
本当に千隼くんは、病気のわたしのためになんだってしてくれる。
自分のことはそっちのけで、わたしのために氷枕を交換しに行ってくれたり、汗を拭いてくれたり、ちょっと水を飲みたいときですら駆けつけてくれる。
なにもできない自分が、情けない。
今日は、千隼くんの大切な誕生日だっていうのに…。
プレゼントは用意できていないし、千隼くんの時間は潰しているし――。
そんなことを考えていたら、熱を出してしまった自分に無性に腹が立ってきて…。
「ほんと…ごめんね。千隼くんっ…」
気づいたら、ボロボロと涙が溢れていた。
突然泣き出したわたしを見て、驚く千隼くん。
「…咲姫、どうした!?どこか痛いか!?苦しいか!?」
その問いに、わたしは首を横に振る。